竜麝香の使い手
「ちょっ…やめて」
「…好きな人にこんなに近くで触れて、僕が何もしないなどと、そんな弱腰な奴と思っているの?」
「…いい加減にしないと、背面飛行させるよ?」
「…ごめんなさい」
私の胴に捕まるニコルの手つきが何やら不遜だったので脅かす。
いつもと同じで服の下にプロテクターをつけているので別にどうって事はないのだろうけど手の置かれた位置がセクハラっぽいのは、不快だ。
「頬ならキスしても?」
「…」(無言で殺気を飛ばす)
「調子に乗りました。スミマセン」
ニコルが身じろぎしてゼロに近い距離だったのが少し間が開く。
はぁ~と言ったため息が後ろから聞こえる。
「つれないなぁ…」
切なげに告白を受けたが、ニコルのこれはもはや年中行事と化している。
「貴方の気持ちには答えられない。」
「貴女の心の中に、誰かがいるのは分かっています。でも僕にもチャンスはあるはずだとずっと自分に言い聞かせていたけど…」
愛想のない返事に、私の背中に頭をくっつけてニコルは囁いて言った。
「でも、貴女は、今揺らいでいる。貴女をずっと見てきたから分かるんだ」
ニコルには私の動揺が伝わってしまっていたらしい。
「僕のミューズ。貴女が他の誰かの物になるかもしれないとか、考えると耐えられない。」
私は私自身の物。
誰かの物、と言われるのは嫌だ。
自由に思ったように生きたい。
そうでなくても女性の地位、いや人権そのものすら低いこの世界で何者にも囚われずに自由に生きるという事は難しい事。
だから、フリードなんかに未練たらたらでいる訳にはいかないのだ。
フリードという枷に自らとらわれてどうするというのか。
そうは思うのだけど、心は儘ならない。
ようやく思い切り飛べるような場所に出て、竜も本気で飛びはじめたのでニコルも口を閉ざし私もようやくとりとめのない思考から解放された。
今回移動に選んだ騎竜は番いのようで、二頭仲良く並んだ。
うまく上空の風を捕まえ、羽ばたきも少なく飛ぶ。
下手な操いでは背に乗った人間など振り落とされてしまう。
竜の推進力を殺さないように、乗っている人間を風圧から守る障壁を張るのもなかなか神経を使う。
ニコルも大人しくなったのでジルベールとジェスチャを交えて飛行ルートの安全を確認する。
夕べ襲ってきたワイバーンの脅威も完全に去ったわけではない。
小型の騎竜に乗る私達は彼らにとってはオヤツと見なされかれない。
用心には用心を心がけなければ。
ジルベールが指し示す方向には、広大な魔の森を囲むように高い山がぎざぎざとした稜線を描いてそびえているのが見える。
距離的にいってどのくらい遠いのか見当もつかないが、空気が何処までも澄んでいるので遠くのものもよく見える。
目に魔力を集めて見るとその山肌近くを針でつついたような点がいくつも空中を動いているのが見える。
あそこにワイバーンの営巣地でもあるのだろうか。
多分ソルドレインの領内だ。
あれを上手く狩ればひと財産になるが、魔の森が行く手を阻むだろう。だが、昨夜の件で私はある作戦を思いついていた。
竜麝香があれば、若い雄に限られるだろうがおびき出す事ができるかもしれない。
量などや風向き加減を調節し、群れではなく単体を誘い出せれば、勝機はあるだろう。
そこまで考えて私の中にある考えが浮かんだ。
世の中には「竜麝香」はすでに存在している。
今まで臭いで竜種などの強い魔物をおびき寄せる罠を使った狩りをした事がなかったので思いつかなかったが、狩りの方法として世界では確率しているのではないだろうか。
何しろ、私でも思いつくのだ。
世間では「竜麝香」を敵陣営に設置して、ワイバーンに襲わせるといった戦法のみが知られているが、どこかの国や領の田舎ではその方法が狩りの手法のひとつとして存在しているかもしれない。
「竜麝香を敵地に投げ入れる」という諺はこっちの世界では「死なばもろとも」といった意味合いが一般的だが、知られていないだけで量や風向きを利用したりしてなどの調節などで獲物の誘導の仕方を知っている者がいるかもしれない。
その方法を「秘術」として隠匿している存在。
今回の件は、「竜麝香」の扱いに長けた者が絡んでいる可能性が高い。




