大嫌い
思い切り泣いて、それでも気持ちが落ち着いてきたので、廊下に誰もいない事を確認してからパンドリーから出た。
一度部屋に戻って、顔を洗って化粧をなおさないと。
おそらく見られた顔ではないだろう。
生まれて初めての恋に浮かれて、慎みを忘れた。
甘やかだったはずの二人の時間は地に墜ち、踏みにじられ汚されてしまった。
フリードとのことで、救いはユリウスだけ。
そう、初恋は叶えられないものだというじゃない。
私にとって、それはとても苦くて後悔の残るものだったというだけ。
「フローラ殿」
思いに沈んでいたため、後から誰かが近づいてきていることに気がつかなかった。
声をかけてきたのは、いつぞやぶりのあの美男の侍従だった。
「お話が」
「お化粧を直したいの。あとでいいかしら」
まだ鼻がぐずぐずしている。
目は腫れ、真っ赤に違いない。
正直、今は誰とも話しをしたくない。
泣いて崩れた化粧を見られたくなくて、私はそのまま自分の部屋へ戻った。
続いて、彼が入ってきたのはわかったが、私は顔を洗う事を優先したかった。
「二人きりで、お話したい事が・・・大事な話しなのです」
彼は私の様子から、今は声をかけるべきでないと、分からないのであろうか?
こんな時に限ってと、疎ましくかんじてしまう。
「少しの時間なら」
「すぐすみます」
勝手に押しかけてきて、すぐ済むもないもんだ。
まったく、どいつもこいつも自分勝手で頭に来る!
続き部屋になっている仕度部屋に入り、水差しから、洗面器に水を移しいれ、目元を重点的に冷やしながら洗う。
それで瞼の腫れが収まるとは思えなかったが、薄化粧をほどこして直し、ドレスのあちこちを摘まんでひっぱり、乱れをただす。
最後に紅を引き直し、仕度部屋を出る。
違和感に気が付いて見渡すと、部屋の戸がきっちりと閉められていている。
普通、貴族の女性と二人きりになる時には、扉を少し開けておくのがマナーだ。
なんだか嫌な感じ。
「お話って何?」
「お願いがあるのです」
彼は、私の気持ちなどお構いなしに話しはじめた。
「ララリィ様を嫌いにならないでほしい」
「は?」
こんな時に何を言っている?
それは、今、どうしても私に言わなくちゃならない事?
「ララリィ様がレーフェン様を見る視線に気づいて、厳しい目をしていた」
逆ハー脳の、いかれ女が自分の身内を邪念まじりの目で見ていたらそうなりますよね?
「ララリィ様がああなってしまわれたのには訳があるんだ」
ああなってしまわれたって・・・肯定するのか。この侍従は。
「自分はララリィ様とは義兄妹なのです」
へー、そうなの。ふーんという感想しか出てこない。
「ララリィ様は、僕の母に虐待を受けていました。そのせいで・・・」
なんだか話がおかしな方向にむかいはじめた。
「まだ小さなララリィが・・・酷い目にあっていても・・僕は止めるすべがなかった。
でもどんな酷い仕打ちをされても義妹は、健気に笑っていて」
今はフリードの実家であるラズリィ侯爵家の養女になってはいるが、ララリィ嬢はスノウバード男爵が平民に産ませた子どもだ。
ララリィ嬢の母親は、スノウバード男爵に捨てられた後、とある商家に世話になっていたと聞いている。
ララリィ嬢の母親も、私と同じ・・・。
違うのは私には頼れる実家や、ネリー達「赤の牙団」のような存在があったことか。
貴族に弄ばれて、身を寄せた先でも不幸だったとか気の毒すぎる。
「・・・・・・ララリィは、あまりにも酷い仕打ちにあってきたために、他人に好かれたい、好かれようという気持ちが強い人になってしまいました。
でも、それは僕の、僕の家族が彼女に与えた苦しみのせいなんです」
ララリィ嬢に仕えているのは罪滅ぼしのつもりなのか?
「・・・・あまりにも過酷な子ども時代を送ったせいでしょうか、他人から過剰に好かれたいという気持ちをもったまま大人になってしまった。そして自分に好意を持っている人間で周囲を固め、傷つけられないように自分を守るようになったんだ。
他から言われているように、思わせぶりな態度で、ただ異性を惹きつけているのではない」
何かが違えば、私達も同じ道を歩んでいたかもしれない。
ちょっとした幸運、不運で人の運命は分かれていくものなのだから。
ララリィ嬢は、今や陽のあたる場所へ躍り出ている。
王子と幸せになって欲しいと思うし、シンデレラストーリーは応援したい。
ただし、周囲に迷惑をかけない方向で、お願いしたい。
「嫌わないであげて欲しい」
彼は再び懇願した。
「嫌うも、嫌わないも、私とララリィ様の接点などないのですから」
あの人達は光のあたる場所を歩く人達。
対して私は初恋の人にも忘れ去られてしまうような名もなき存在。
あ、なんかひっこんだはずの涙がまた・・・。
「貴女は家族に恵まれて幸せな人だから、想像もつかないかもしれないが、虐待を受けて育ったりすると、人はゆがんだ部分が出来てしまう事があるんだ」
そういうの、知ってます。
前世ではトラウマとか言ってたような気がします。
というかね。
お願いですから、今はそっとしておいて頂けませんか?
自分の事で精いっぱいなのです。
それに「幸せな人」ってどういうことですか?
元恋人に存在すら忘れさられていた事にも気が付かない、おめでたい人って意味ですか?
「あなたは私の何を知っていると言うの?。全然わかってない」
ララリィ嬢親子の話は気の毒に思う。
これから彼女を見る目も、少しは柔らかいものになるかもしれない。
でも、この無神経な男の目には苦しんでいる私の事は見えていないのだ。
私は、出来た人間ではないし、寛容でもない。
あなたは幸せな人なのだから不幸な人を、許容するべきだという彼の持論をただ受け入れられるはずもない。
ララリィ嬢の存在によって、サロンのお姉さま達は不幸のどん底に落ちた。
それを「あなた達は今まで幸せな生活を送ってきたからいいじゃないか」とは誰も言えないはずだ。
少なくとも衆目を生まれた時から集め、自分を律する事に腐心してきたはずのお姉さま達が不運に見舞われて当然だと、私は思わない。
彼女達の努力を、彼女達の気高き心も、地に墜ちて当然だとは誰も言えないはずだ。
戦争や、魔物の氾濫でも、多くの人々が亡くなったり、死んだほうがマシと思えるような恐ろしい体験をした。
彼らは不幸になって当然の人たちだったろうか?
名もなき人は、踏みにじられても仕方ないと?
「何故、・・・」
彼の指が、私の頬におちた一筋の涙をぬぐった。
少し、うろたえたように、私の顔を覗き込む。
腕が彷徨って、宥めるように私の背に伸びてきた。
「あなたなんか大嫌い!」
叫んでいた。
同時に彼の頬を叩いていた。
フリードに本来ぶつけるべき分も。
八つ当たりかもしれない、でも止められなかった。




