前世の記憶が戻るも詰みのヨカン
短めにする予定です
どんな人間にも、その人なりの人生がある。
例え、それがモブと言われるような人間にだって。
私の名前はフローラ・アマゾン。
子爵位を持つダフマン家の養女であるから、公ではフローラ・ダフマンと名乗っている。
実家はダフマン家の傍系も傍系。かなり薄い親戚だけど、騎士爵ではあるのよ。
いうなれば地方の士族。両親は半農をしつつ、わずかな領地をわずかな領民と共に治めているの。
私は恵まれた容姿を持って産まれた。そのためか、物心がついてすぐ行儀見習いという形で主家であるダフマン家に入り、年頃になると子爵家の養女になったの。
ダフマン家には私と同じ年齢の実子がいてね。レイチェルって言うの。
栗色の髪と碧の瞳をした笑うとえくぼのできるかわいい女の子なのよ。
彼女とは姉妹のように育ち、そのまま王都にある貴族の子弟や豊かな商人の子弟の通う学園に一緒に入学したのが一昨年ね。
もちろん家のためになるよき伴侶を捕まえるべく、その身を磨くために入学したのよ?。
私も、もちろんレイチェルもそうして敷かれたレール上の人生を歩むことに少しも疑念を持った事なかったわ。
貴族令嬢としての嗜みもその役割も家のものから十分に言い聞かされ、教え込まされていて、主家である子爵家の意向を汲んだ振る舞いを常に心掛けていたの。
だから友人も子爵家の縁がらみのローリエ伯爵の家のマリアンとすぐ仲良くなったし、その縁でフレンチェ伯爵令嬢やクルー伯爵令嬢のサロンに入ることも出来たの。
もちろん、ダフマン子爵家絡みで幼少のころから交友があったというのも大きいわね。
サロンで開かれるお茶会に参加するのはいつもドキドキしていたものよ。
粗相をしてしまわないか、すごく気をつかう。
何を話してよくて何を話さないでかくしておくべきか。
隠語や「あれ」や「それ」で表される噂話。
流行りの劇やファッション、スキャンダル。有力貴族達の子弟息女の動向。
本当、何も考えてなさげな笑顔の裏で高速で頭を使っているだなんて、なかなかわかってもらえてないみたいなのね。
クラスメイトの男子からは「女共は気楽でいいな、菓子とファッションの話ししかしていないだろ?」
とか言われた事があるんだけど、ならやってみろと言いたいわね。
どんな話題に加わるにもタイミングや空気を読む能力、貴族の力関係、人間関係が頭に入っていないといけないし、このごろ流行りのドレスの裾の形は、実はこの頃国交が結ばれたラジーナ国の民族衣装にわが国のデザイナーが触発されたものだとか、
ほら、一応国際情報も関係あるのよ?こじつけっぽいかしら?
私は学園では平凡な女生徒だったわ。
私程度の容姿の娘なんかごろごろ居る。美人な方だと思っていた鼻柱も、入学早々にへし折れたし。
成績だって人並み。とびぬけたところもなければ、他人と比較してひどく劣ったところも特にない女の子だったと思うの。
そんな私が、まさかこんな目に合うだなんて。
晴天の霹靂っていうのかしら?
物語って残酷よね。
主人公やメインの登場人物のそれまでやそれからは詳しく丁寧に書かれるのに。
物語のモブは・・・背景にすぎないような名前さえでてこないその他大勢の登場人物が
何を考え、どんな過去があって、どんな未来に進んでいくことなんて決して語られる事がないの。
「こうして悪い伯爵令嬢は王宮を追われ、主人公は王子様と結ばれ幸せにくらしました。めでたしめでたし」
その後で、いえその影でモブがどんな目にあっていたのかなんて、決して語られる事も、誰からも興味を惹かれることもないでしょうね。
・・・どんな物語でもこれはないと思いますの。
なんて酷い扱いなんでしょう。
私は今、小さな居酒屋の2階の粗末な寝床で寝ています。
綺麗だった手は荒れ、髪も手入れが行き届かずぱさぱさです。
でも、命があるだけまだましでしょう。
・・・・また痛みが襲ってきました。
陣痛です。
私は奥歯を思いっきり噛みしめました。
今、私は誰の手も借りず、たった一人で新しい命をこの世に産み出そうとしているのです。
腰がバラバラになるような痛みに耐えていると、大きな塊が押し出されてくるような感覚がしてきました。
ハァハァハァハァ・・・・
いけない過呼吸気味になってる・・・・
私は顔のすぐそばにあった布で鼻と口を覆いました。
・・・・何もね、このタイミングで記憶が戻る事はないと思うのですよ。
前世の記憶とやらが。
本来のフローラの本体が陣痛のショックで魂の奥深くに引っ込んでしまったためか、前世の人格である私が急に浮上してきたようなのです。
とりあえず、最優先は無事に出産をやりとげる事です。
私についての細かな考察はその後にすることにして、出産に集中します。
(大丈夫、飼い犬の赤ちゃんなら取り上げた事がある。)
気をたしかにもって、私は自分を鼓舞しつついきみました。
(たしか出口に赤ちゃんが降りてきたら、今度は短い呼吸をするんだっけか?)
ハッハッハッハッ
ズルンとした感覚がして赤ちゃんが出てきました。
あわてて赤ちゃんの鼻に口をあて、器官に入っている羊水を吸い出します。
すると赤ちゃんはすぅっと空気を吸い込んだと思うと泣き出しました。
「おぎゃぁっおぎゃぁっおぎゃぁっ」
臍の緒を縛って切ります。
出産で疲れ切った身体に鞭打って、赤ちゃんを清潔な布で拭いて包みます。
「・・・やっぱりあの人そっくりの色だわ」
赤ちゃんは男の子で、遺伝子上の父親にそっくりな色の髪が生えていました。
「くやしいけどあの人に似てイケメンになるわね」
赤ちゃんは私の声に反応して泣き止みました。
まるで私の声を聴いているみたいな反応です。
指で、その小さな手をつつくとぎゅっと握りこまれました。
「ふふ、かわいい・・・」
その頃になってようやく居酒屋のおかみさんが呼んだ産婆さんが到着しました。
前世の記憶が蘇らなかったら、あのまま母子ともども死んでたかもなぁ・・・
そう思いつつ、はじめての出産で疲れ切った私はふいに意識が遠くなり、気を失ったのであった。