存在の耐えられない睡魔
2
おまえは見知らぬ部屋に寝ていた。
部屋は病院の個室のように白く、簡素だった。
漆喰のような質感の白い壁と天井があり、床には文様のある石のようなものが敷き詰められていて、四隅には光る玉が浮いている。
窓は無い。
扉も無い。
これは夢だ……。
とそう確信した。
そしてなぜだか眠かった。
夢のなかでも眠いなんて、いい夢だ。
おまえは眠ることが好きだった。
布団を引いて、あたままで被った。
暖かく、心地が良い。
足音が聞こえた。
おまえは布団をずらして、外を伺う。
壁から、ぬっと水差しの乗ったトレイが生えてきて、それを持った手が、人が出てきた。
「かべぬけおとこ?」
おまえはだれにいうでもなく言った。
男はおまえをひかえめに観察していた。
その男も、あの少女と同じような灰色の羽を生やしている。
おまえは男の姿を見て、胡蝶の夢、という言葉が浮かんだ。
意味は、おもいだすことができない。
灰色の羽の男は、不安そうにおまえを伺いながら近づいてきて、水差しとコップをベッドサイドテーブルに置いた。
「にきいさしぃ?」
灰色の羽を持つ男が喋った。
聞きなれないアクセントとイントネーションを持つ言葉だった。
「にきいさしぃ……、にくいすしー、ぬくいさし、にきさし、にっくうぃさーしい」
おまえは口内のあめ玉を転がすように、男の発した音をまねて、小さな声で、あそぶように呟いた。
男は眉を上げる、口をひらいて、「アー、ハーン?」とでも言いたそうな顔をした。
「おはよう、天使さん」
おまえは言った。
男は眉を寄せる。おまえの様子をなおもうかがっている。
「ぬぁほうこぅぬ、ぽろぉうぇけにぃ?」
男はおまえを慮るように、伺うように、発音している。
意味はわからない。
「しんぱいしてくれているんだね、ありがとう。でも、あなたがなにを言っているのか、わからないんだ」
それからおまえは布団であたまをしっかりと覆いなおした。
そしておまえは、あらゆる言語を理解し、羽を持つ男と不自由無く会話する自分を想像する、それからゆっくり目をとじて、眠りの糸をたぐりよせようと身体を弛緩させる。
「私の言葉がわかりますか?」と男は言った。
それは意味の通る言葉だった。
日本語でも英語でも、いままで聞いたことのない、知らない言語なのに、あたりまえにその言葉の意味を理解することができた。
「……わかんないけど、わかる」
おまえは知らなかった言語で答えた。
「私はコッペリウスと申します。この度、あなたの世話係を申し付けられました」
コッペリウスと名乗った男は微笑んでみせた。
おまえはなんと答えたものかわからない。
なんの考えもなくうなずいてみせると、コッペリウスはほっとした表情をみせた。しかしそれはほんとうに一瞬の事だった。
コッペリウスは真面目な表情を作った。
「ここはレオレオニ神殿という施設です。神殿で行われた祭事の後、あなたは顕現なされました。あなたの身に何が起こったか、お分かりなられていますか? あなたは一体、どこからいらっしゃったのでしょうか」
男は慇懃な態度と言葉遣いで、おまえに問いかけた。
「あなたがなにをいってるのか、よくわかりません。とりあえず、水をください」
おまえは喉が渇いていた。水差しに水を汲んで、二杯続けて飲んだ。
「かんがえがまとまりません。だから、ボクは寝ることにします。おやすみなさい、コッペリウスさん」
この夢が始まったのは、いつからだろう、と、おまえは思った。
そもそもボクはなんで、あの樹海に行ったんだっけ?
おまえはそれをおもいだすことができなかった。
四隅からの光が眩しかった。
布団をまた深く被り、目に入る光を遮った。