或る少女の死から
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富士のふもとの樹海のなかで、白骨した死体をみつけた。
ぼろぼろに朽ちたビニールひもの下がる木の根元にその死体はあった。死体には首から上がない。あばらのあいまや骨盤のなかにぎっしりと枯れ枝と落ち葉が詰まっている。
あたりをさぐるとすこし離れた岩場のかげに、ぽかんとあごをひらいてそらをみている頭蓋骨があった。
首つりだと、おまえはおもった。
人間の死体を見たというのに、おまえの心に動揺はわかない。
声帯は震えないし表情もかわらない。
おまえにとってそれはただの骨だ。
その骨はヒトには見えなかったし、ヒトであった物にすら見えない。
ただこれは、とおいむかしにヒトであったのだろうと思うだけだった。
ただ強く、生理的な、抗いがたい尿意が唐突にわきあがっただけだ。
尿意特有の焦燥感は足下から、大群の蟻のように皮膚を伝い、全身の肌が粟立った。
おまえはデニムパンツのジップを下げた。
じょろじょろと音をたてて落ちてゆく液体が、遠い昔に何者かであった者の成れの果てにあたり、白い泡をたてる。
尿は土や、ほこりを表面からはがし、骨の表面がすこしだけ奇麗になった。
眼孔へながれた尿は葉にあたってカサカサと鳴った。それは玉となってちる尿とともにやわらかな腐葉土に吸収される。
骨は呆けたように顎を垂らし真っ黒な眼孔は空を見ていて、土に汚れた尿の流れる様は涙のようだった。
青空があった。
木々の枝葉が邪魔だけれど、梢の向こうには青空がみえる。
みているとなんだか、眠気がすーっと後頭部のあたりから手をのばしてきて、その睡魔があくびをするようにと、おまえに強要した。
おまえは睡魔に抗わない。
あくびをしながらおまえは雲一つなく青いだけでおもしろくもなんともない平凡な空をながめる。
なにかきらきらと光るモノがあった。
それは太陽の光を反射して、複雑なリズムで点滅している。
木の枝や葉っぱにかくれてみえなくなることがあったから、衛星だろうと最初は思った。けれどそれは違った。
じいっとみていると、だんだんと大きくなっているように見える。
そして時とともにさらに大きくなる。
光の反射のないときに目を凝らせば人の形のように見えた。
尿が止まった。
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空から少女が落ちてきた。
それはルネサンス期の絵画群などよりずっと、モダニズムの絵画よりさらに幻想的な光景だった。
羽の生えた少女の着ているワンピースは虹色にかがやいている。
はちみつのようにねっとりと熱したガラスのようにまったりとながれる時間のなかを、少女は落ちてきている。
天使はあたまを下に向けて、瞼を下ろして、光のせいか白く見える髪全体がてらてらとなびいている。
木々の枝を折れた途端、時間は急激に加速して、おまえは反射的に身を竦めて目を瞑った。
音が止んで目をあけたら、少女は死んでいた。
血にまみれた脳髄や、骨が、肉片がちらばっている。
その上を灰色の羽がふわふわと飛び交い血に濡れた腐葉土の元へ落下していた。
新鮮な血の匂いが漂った。
異変がやってきた。
あたり一面に広がった血液が光を放ちはじめたのだ。
血に染まった羽は風もないのに舞い上がり、空間に、溶けるように消え、だんだんと光が強くなる。
光の高まりに伴って、おまえの身体は浮いていくような、あるいは地球の重力が弱まっていくような、なんとも形容しがたい感覚に包まれた。
貧血を起こしたかのように意識が遠ざかっていった。
視野が端から黒く、光が遠くなっていった。
そして倒れていく身体を支えようとかろうじて伸ばすことの出来た右手に痛みが走った。身体の倒れる音の途中で、音がぷつんと途切れた。
それはたった数秒のことだけれど、なにもみえず、きこえず、さっきの痛みさえないくらやみを、おまえは認識した。