犬神と呪術 3
それでも、仁は少しホっとしていたらしい。
自分の中の憎悪が消えて、落ち着いた気持ちで過ごすことができたから。
実体を伴ったバロンは、仁に対して何かをすることもなく仁の前から姿を消してしまった。
……もう何百年も前のこと。
仁も正直、忘れかけていたらしい。と言うか忘れていたらしい。
それがここ最近、バロンが現れるようになったと人づてに聞き、思い出したと。
「普通、忘れるか?」
聞いていて、オレはちょっと呆れてしまうくらいだった。もう何百年も前のことにしても、だ。バロンてヤツが仁の一部だったは事実だし。
そんな大切なこと、忘れないだろ?
「私たち長寿の種族からすれば、人間の命なんて笑っちゃうくらい短いわ。その人間が生きて死ぬのを何回も、何十回も繰り返し見るだけの時間は過ぎたのよ。仁の中では。あなたが考えるより、それはずっとずっと長い時間。忘れることも……まぁ、あるでしょうね」
昇華は仁のフォローでもするつもりなんだろうが、それがフォローになってるのか、なってないのか……。微妙な口ぶりだった。
オレの顔は、まだ納得がいかないという顔をしていたんだろう。
「忘れる方が珍しいかもしれないけどさ、仁は忘れちゃったんだよね」
刻水の言葉に「忘れかけていただけだ」と仁が反論しても、
「忘れかけも、忘れちゃったのも、おんなじようなもんでしょ?」
刻水は、なんと言うか、自分の気持ちに素直な犬神らしい。思ったことをそのまま口にしてしまうような。
……いい年したオッサンのオレが言うセリフじゃねぇけどな。刻水はかわいいと思うよ。性格が。
口調や雰囲気からすると、刻水はオスだろう。年上の犬神のお姉さま方には、さぞかしモテるんじゃないかと思う。
「忘れてようと何だろうと、事が起こらないうちは問題ではないわ。問題は、事が起きた時にどうするか、よ」
昇華はリーダータイプ? それがちな話を戻そうとしてくれている。というか、刻水はすぐに話がそれるし、仁は口数が少ないし。昇華が仕切らないとどうしようもないんだろうなぁ……。
何となく、三匹が一緒にいる時の役割が見えたような気がする。
感心して三匹を見ていたら、昇華の眼差しがオレに向けられた。
「で、上からはバロンをどうするように言われたの?」
「捕獲。生死は不問。それだけ」
「捕獲、ね。捕獲しないとダメなのかしら?」
「は?」
正直、昇華の言わんとするところが、オレにはさっぱりわからなかった。捕獲しないならどうするってんだ。逃がせ? 放っておけ?
「仁の……というより私たちの希望は、バロンを仁の体に戻すこと。そして仁がそれを制御すること」
「そうそう」刻水も話に割り込んでくる。
「僕たちが仁と初めて会ったのって、バロンが仁から分かれちゃってからなんだけどね。でも、バロンは元は仁の一部。それってさ、今の仁が本来の仁ではないってことだと思わない?」
刻水の言葉に昇華がうなずく。
「私たちの知っている仁は今の仁だけだけれど、本来の仁に戻れるならば、そうしてあげたいと思うわ」
「仁はどうしたいんだよ?」
オレは仁へと顔を向けた。
「私か……。そうだな。元に戻れるならば、それに越したことはない」
オレは少し考え込んだ。
榊さんは捕獲しろと言った。生死は問わないと。それが、バロンによる被害者をこれ以上出さないためならば。仁の体に戻しても問題ないんじゃないだろうか。もちろん、確実に仁が制御できるならば。
だが……。
「元に戻すって、どうやって? そんな簡単に元に戻せるものなのか?」
オレは頭に浮かんだ疑問を口にした。その問いに、仁は表情ひとつ変えず答えたのだ。
「あやつ、私を取り込むつもりで私を探しているのだろう。それならば、私があやつを取り込めば良いだけのこと。どちらが主体になるかの違いに過ぎぬ」
さも簡単なことであるかのように、言いやがる。
「とりあえず、バロンを生きて捕獲、もしくは身動きが取れない状態にさえもっていってくれれば、後は何とかなるよ。取り込むということは、そのまま食べちゃうことだから」
刻水もさらっと恐ろしいことを言う。「食べちゃう」だぁ? 仁とそっくりなバロン。つまりは共食い……。想像しただけでおぞましい。
「だけど、問題はどうやってバロンの動きを封じるか、よね。そうそう単純な罠になんて引っかからないでしょうし」
昇華の言うことも最もだった。
オレはバロンがどれくらい強いのかとか、まだ全然つかめていなかったが、元は仁の一部。かなりの力の持ち主だろう。動きを封じるのは、生易しいことじゃない。
オレたち『国境を越えた医師団』は、それなりに強い連中が集まっているが、とてもかなうような相手じゃないと思う。……そう考えれば、榊さんはひどく厄介な仕事を押し付けてくれたもんだ。
だけど、もしオレたちでも対応しきれない場合。その時は世界政府に要請、軍が出動っていうとんでもない大事になっちまうんだろう。
ジパングは世界政府や軍に対して、優秀な人材をそれなりに数多く輩出してきた。軍の手を借りず、ジパング内で片付けられるというところを見せたいはずだ。ジパングのメンツにかけて。
とりあえず、今オレがすべきことは……。
「バロンの動きを封じる方法、心当たりにちょっと聞いてみる。だから、……今日は帰れ」
完全にくつろぎモードの三匹を追い出すことを優先事項にした。
「ねぇ、仁。このおじさんもこう言ってることだし、今日は帰りましょう。っていうか、たまにはどこかへ出かけましょうよ。どうせまた明日にはここへ来るつもりでしょう?」
ちょっと待て。
「昇華、誰が『おじさん』だって?」
極力、怒りを抑えて昇華に問いかける。
「見た目から何から何までおじさんて雰囲気の、辻村って人間のことよ」
意地の悪そうに、昇華が微笑んだ。
「昇華、オレは確かに四十をそろそろ超えるがな、お前たちに比べたら、よっぽど若いぞ」
人間としては、悲しいことに『おじさん』と呼ばれうる年齢になってしまった。だが、オレの何倍も何十倍も生きてるヤツには言われたかねぇ。
「人間の寿命が八十ならば、あなたはもう折り返し地点。犬神は三千年くらいは生きられるのよ? まだ千とちょっとの私は、若いのよ」
勝ち誇ったかのように昇華は立ち上がり、あとの二匹を急き立てて部屋から出て行った。
昇華の言うことにも一理あるが……。そりゃあるけど、やっぱり納得いかねぇよ。気分的には、いつまでも青年なんだよ、オレは。
なんとも言えない気分のまま、オレは『国境を越えた医師団』のメンバーに連絡を取った。それぞれに依頼があったことと簡単な内容を説明し、夕方に集合して話し合うことを決めた。
そうと決まったら、あとは夕方までやることはない。下手したら明日からの仕事ができない可能性もあるから、急いで仕事をこなすことにした。
部屋におかれたコンピューターに向かって、魂の選定を次々としていく。保管庫にも寄って、毎日の魂のチェックと、明日から不在になるかも知れないことを伝える。
「医師団のお仕事ですか? 辻村さんてば稼ぎますね。上司公認の副業なんていいなぁ。今度、何かおごって下さいよ」
オレの部署に来て長いヤツが軽口をたたく。
「僕もぜひ!」「私もー」などと、それを聞いていた他の連中も保管庫のどこからか、声をあげる。
「オレ、貧乏だからなぁ。医師団でもやらないと、金がねぇんだよ」
それ以上は何も言わず、手をひらひらと振って保管庫を出る。
後ろから「ケチ」とか聞こえてくるような気がするが、気にしない。
そうして自分の部屋に戻ると、オレは資料を読み返した。
バロンが現れ始めたのは半年前。仁がここへ来るようになったのも、ちょうどその頃。
関係ない、わけがないよな。明らかに。
オレが医師団のメンバーだと知っていて、さらにこうやって依頼が来ることを、仁は予想していたのだろうか。
昇華や刻水を連れてきたのも偶然だろうか……。オレが仁に友達がいるのか聞いたから連れてきたんだと思っていたが。
あの様子だと、昇華も刻水も、仁とバロンのことをずっと気にかけていたんだろう。遅かれ早かれ、仁はここにあの二匹を連れてきたのかもしれない。
たまたまオレが、ちょうど良い理由を与えたから今になっただけで。
別にそれが悪いとか言わないけどさ。言ってくれてもいいと思うんだよなー。
水くさいよな? オレと仁との仲じゃないか。……って、別に親しいわけでもないか。
夕方まで、急ぎでないものも含め、手元にある仕事をできるだけ片付けた。医師団の仕事で本業が疎かになったとしても、誰も助けてはくれない。あとで自分が大変な思いをするだけ。
それが副業する上での条件とも言える。災害地派遣に限っては、さすがにいろいろと考慮してもらえるけど。今回は、無理だろうなぁ。
時間に間に合うように役所を出て、待ち合わせた居酒屋へと向かった。
前回の医師団の仕事から、だいたい八ヶ月ぶりか。世界は平和で災害もなく。オレたちの出番はなかった。
オレたちの出番は、なければないだけいい。災害地派遣がないということは、大きな災害がないということ。悪霊退治がないということは、悪霊に悩まされる人がいないということ。
つまりは、とても平和だということだ。
待ち合わせた居酒屋は、あちこちに散らばっている仲間を考慮し、ジパングの中心にあるところを選んだ。
オレがいる役所はジパングの中だけど、町外れにある。町外れに広がった林の入り口に、役所は建てられている。
町外れとは言え、そこは役所。一部の窓口は、もちろん二十四時間体制。ジパングの中心まで、交通の便はかなりいい。深夜でも、待ち時間はあるにしても、ちゃんとバスが通ってたりする。
現世で死んだ後、ここでの生活を希望した者に言わせると、役所も含めて『とても良い』らしい。現世もこうだったら良かったのに、という部分も多いんだとか。
バスはちょうど来たところで、待ち時間もなくすぐにバスに乗り込む。もちろん、バスの時間を考慮して部屋を出た。
そのままバスに揺られること、しばらく。
ジパングの中心に到着した。中心なだけあって賑わっている。現世の東京都心と比べれば、完全な田舎だけどな。
それでも、商店や居酒屋が集まっていて、ジパングでは一番都会だ。
大通りでバスから降りると、一本奥の道へと入って行く。そこに待ち合わせた店がある。
店のオーナーは公務員を数年前に退職したいかついおじさん。オレの、オレら医師団の大先輩。
医師団の仕事には口外禁止の内容が多く、先輩が店を持ってからは優先的に個室を使わせてもらえることもあり、この店を打ち合わせに選ぶことが多い。
「こんばんは」
店の一角、客席から見える場所に厨房が造られていて、オレはそこにいる先輩に声をかけた。
「おう、辻やん! いつもの部屋、空けてあるよ」
何かを調理する手を止めず、顔を個室の方に向けて促される。
個室に入ると、そこにはすでに何人かが集まっていた。久々の再会に軽く挨拶をし、どっかりと腰をおろすと互いに近況を確認しあった。その間にも次々に仲間がやってきた。
先に全員で軽く食事をとると、ようやく本題へと話がうつる。
「今回の依頼は、最近巷を騒がしてるバロンの捕獲。生死は問わないそうだ」
まずは、依頼内容を簡潔に伝える。それだけで、互いに知っている情報を交換しあう。予想していたヤツが多いらしく、仕事が休みだったからと被害地区の近くで簡単に調査してきたヤツまでいた。
さすがとしか言い様がない。
ひとしきりそれぞれの情報が出きると、オレは渡されていた資料を配り、仁が来たこと、仁たちの希望を伝えた。オレのところに仁がやって来るのは意外に有名だったらしく、「やっぱり」という相づちも聞こえたきた。
「捕獲するにしろ、仁の体に戻すにしろ、違うのは最後だけだ。バロンの動きを封じ、そして捕まえるのか仁に任せるのか。まずはバロンの動きを封じる方法を考えたい」
それぞれが、思い付くままに方法を提案していく。あまり現実的ではない内容も含め、どんどん紙に書き出していく。それがオレらのやり方だった。
思い付くままに話し、思い付かなくなったらそれまでに出た方法について、吟味し絞り、また出していく。
トラップ系の方法が多く提案されたが、それらがバロンに対して有効なのか。オレらにはそれが判断できず、途中で行き詰まってしまった。
「困ったな。バロンの力がわからなすぎる……」
数分、部屋が静まり返った。それぞれが知恵を絞って考えていた。
「あ、そうか」
突然、一人が声をあげた。全員の視線が一ヶ所に集中した。
「仁ですよ、仁! 辻村さんのところに来るんでしょう? 今日出た提案を、仁に見せればいいんですよ。彼なら有効な手段か判断できるんじゃ?」
その提案は意外に盲点だった。「確かに」とあちこちで言い合う声が聞こえる。
「辻村さん。次に仁が来るのはいつですか?」
今度はオレに視線が集中する。
「ん、あぁ……。明日も来るとかって言ってたような……」
昇華の言葉を思い出しながら答える。
オレのその言葉で、明日仁が来たらどれが有効かをピックアップしてもらうことに決まった。夜に再びここで集まり、その結果を踏まえてもう一度話し合う。