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犬神と呪術 1

「ふあ、あぁぁ……」

 大きなあくびをして、自分が椅子の上で居眠りをしていたことに気付いた。

 それと同時に感じる存在感。力を押し隠してはいても、隠し切れない力の持主。

 椅子の上で大きく伸びをして、その存在感へと目を向けた。


 書類の散らかるデスクの向こう、この散らかった部屋の中で唯一散らかっていないソファの上。

 普段はベッド代わりに使っているため、毛布と枕だけが置いてあるソファの上。

 その毛布にくるまるようにして、気持ち良さげに眠っている犬。

 いや、犬ではない。大きな狼と言った方が、実際の見た目に近い。ツヤの良い銀色の毛。

 いつだったか、胎児に魂を入れた奥さんにくっついてた犬神だ。


 子供が無事に産まれたと礼を言いに来てから、なぜだかちょくちょくオレの部屋を訪れるようになった。

 「機会があれば……」みたいなことを言ってた気がするが、そんなこと関係なくちょくちょく訪れる。ちょくちょくどころか、多い時には毎日のように来ていると言ってもいい。

 犬神だけあって、存在感というか、説明が難しいのだが霊力のようなものが強い。

 現世にいたら、弱っちい幽霊なんて消えちゃうくらいには、強い。


 乱れた毛布に耳までくるまり、目と鼻先だけ出した姿は、ただのでかい犬にも見える。

 なぜかオレが昼寝している間に来た時は、目が覚めるとソファで毛布にくるまっている。その毛布はもちろんオレがかぶっていたはずのもので、オレはたいてい、肌寒さに目が覚める。


 ちょくちょく訪れるようになって、半年弱。


「おい、仁」

 オレは椅子の上で姿勢を正し、デスクへと体を向けると、でっかい狼――いや、犬神に声をかけた。

 オレの声に反応し、ゆっくりと目をあけた仁は、大きく口をあけてあくびをした。大きな口から覗く歯は、肉食動物のそれと同じように、鋭く尖っていて、噛みつかれたら痛そうだった。

「昼間から寝ているとは、役所とは暇なものだな」

 オレが寝ていた時の第一声は、いっつも同じ。

 ここに来て、一緒に寝てるお前は暇じゃないのかと。

 オレは言いたい。

 言いたいが、あの歯を思い出すと言えない。

 噛まれたところを想像しただけで、体が痛いような気がする。


「お前、奥さんのとこにいなくていいのかよ?」

 仁がここに来るようになって、ずっと気になっていたこと。

 今さらのような気もするが、なんとなく聞いてみた。

「あぁ、問題ない。むしろ、今は近くにいない方が良い。子に影響があっては困るからな」


 影響……。

 小さい子ども、特に乳児や物心つく前の幼児には霊が見えやすい。

 純真だからなのか、魂がもつ霊力が安定してないからなのか、その辺はまだ研究されていないけれど。

 研究されていないのか、それとも研究する人がいないのか。その辺は知らないが、まぁとりあえず解明はされていない。


「赤子に仁の姿でも見えてるのか?」

「見えているかは、まだ不明だ。ただ、気配は感じているらしい。」

 あぁ、ハイハイ。アレね。赤子が誰もいない方を見つめてる感じで、なんとなーく、仁を見ているわけだ。

 なんとなく理解した。


 赤子に対する犬神などの影響は不明――研究されていないのか、しないのかは、やっぱり知らないが――だからな。

 それを仁は警戒しているんだろう。



 そういえば、奥さんの記憶にも変なのがあったな。子どもの頃は見えたけど、今は見えないってタイプか。

 今さらながらに合点がいった。


 ……いや、しかし。あん時は、霊っぽいのは石に触れたんだよな。つーことは、霊じゃなかった?

 一度思い出すと、気になって仕方がないものだな。

 そう思いながら、仁に目をやる。

 仁なら、答えを知ってるのだろうか。



「今は答えられぬぞ」

 オレが何かを言う前に、仁が口を開いた。

 何でオレの考えてることが、わかるんだ? そう思いつつも、一応聞いてみる。仁の検討違いかも知れないし。

「何を聞こうとしたか、わかるのか?」

「あの子の記憶に関して、だろう? 時が来れば自然とわかること。今、聞くことではないな」

 やっぱり、わかってるんだ……。

 『時が来れば』って、前にも聞いたような気がしないでもないけど。


「仁は……、『時が来れば』って言葉が好きなのか?」

 ふと思いついて聞いてみると、仁は身動ぎせずにオレの顔を見つめた。なんとなく感じた、『お前は何を言ってるんだ?』って思ってそうな顔をして。

「今は、その時ではない。それだけだ」

 ふ~ん、と興味なさそうに視線をそらしたオレは、本当はめっちゃくちゃ気になっていた。

 その『時』とやらが来たら、オレは知ることが出来るんだろうか。

 しかし、その『時』ってのは、いつのことなんだか。


 そう思ったとたん、興味が失せて、再び仁へと視線を戻した。

 仁はさっきと同じように、毛布にくるまったまま、眠そうな目をしているだけだった。

 なんと言うか、お前本当に犬神? ただのでかい犬か狼なんじゃねぇの? って思えてしまう。



 それでも、その圧倒的な存在感が、仁が犬神であることを証明していた。


「お前さ~、友だちいねぇの?」

 これも最近思っていたこと。頻繁にオレのとこに来るのって、実は友だちがいねぇんじゃないかと。

 仁は明らかにムッとした顔をして、オレの問いを否定した。

「友ダチならいるぞ。刻水こくすい昇華しょうかという、犬神だ。二人とも、やはり人に憑いているからな。あまり会う時間がない」


 へぇぇ。友だち、いるんだ。いや、そういう言い方もどうかと思うし? つまりは仲間のことだと思うけどさ。

 なんというか、意外だった。

 犬神って、それこそ『一匹狼』みたいなもんかと思ってた。


「オレもまだまだ知らねぇことが、いっぱいあんだなぁ」

 そう小さくつぶやくと、仁はピクリと動いて、やっぱり小さくつぶやいた。

「私も長く生きているが、知らないことがまだある」



「さて」

 仁は毛布の中で起き上がると、ゆっくりと伸びをした。

「私は帰る」

 そう言うと、仁はスルリと毛布から抜け出し、床に下り立った。


 ドアまで歩くと、こちらを振り返り、

「次は、刻水と昇華も連れてこよう。」

 そう言うと、ドアを走り抜け、あっという間に気配が消えた。



「いったい何しに来たんだか……」

 毎回そうだった。仁はやって来ると、何をするでもなく時間を過ごして帰っていく。


 ちょっと魂たちの様子でも見に行ってみようかな、なんて考えていると、ドアが数回ノックされる。

 返事をするより先に、仁が通り抜けて開いたままのドアから、鈴置が姿を現した。

 ドアの隙間からチラリとオレの顔を見ると、部屋に入りソファに座った。


「……なぁ辻村、また仁が来ていたのか?」

 どっからどう見ても事務員な出で立ちの鈴置は、少し考えるような表情を見せてから、口を開いた。鈴置の様子は、軽い世間話をしに来た感じでもない。

「ん、あぁ。ちょっと昼寝をして目が覚めたら、いた」

「そうか……」

 鈴置の口調は、重い。

 何か気になることや、厄介ごとが起きた時のようだった。

 口を閉ざして、なかなか開かない。


「何か、あったのか?」

 鈴置が話すのが待ちきれなくて、先を急かした。

「辻村は、『バロン』て知ってるか?」


 バロン、バロン、バロン……。

 どこかで聞いた名前だが、思い出せない。

 どこで聞いたんだったっけ……。



「そうか! 男爵だ! バロンて男爵って意味だろ?」

 どうりで聞いたことがあると思った。

 オレがちょっと誇らしげに答えると、鈴置が呆れたような目をしてオレを見た。

「そうだな。男爵って意味だな……」

 そう言って大きなため息を吐き出した。

 なんつーか、バカにされたような気がして、オレはムっとした。


「あのなぁ、辻村。お前、ニュースとか見ないんだっけ? 最近さ、犬神みたいなので騒がれてるのがいるだろ」

 その鈴置の言葉を頼りに、一生懸命に記憶を辿る。

 ニュースは全く見ないわけではない。ただ、オレの部屋にはテレビなんてないから、食堂にいる時に見るくらい。新聞は、毎日ちゃんと読んでる。

 つまり! ニュース見ないとか、バカにされる筋合いはない。何が何でも、オレの威信にかけて思い出さなければならない。

 オレが一生懸命に思い出そうとしているのが、鈴置にもわかったんだろう。それ以上は何も言わず、静かにソファに座っていた。


 考えること数分。急にニュースの映像を思い出した。

 あれは二日ほど前の夜のニュースだった。オレが食堂で夕飯を食べている時に、流れていたニュース。


 オレが住んでいる場所は、現世でいう『日本』にあたる場所にあって、『ジパング』と呼ばれている。

 そのジパングの首都とでもいうべき場所が、これまた『ジパング』と呼ばれている。

 ジパングは、この国で一番近代的とでも言える場所で、ここ以外は昔の日本のような場所が多い。生活も見た目も。



 そのジパングから少し離れた周辺の村々に、最近犬神らしき大きな犬だか狼だかが、出没するらしい。


 ……それも、色んな意味で強いヤツが。


 犠牲になった者は数知れず。



「……そいつが、確かバロンって名乗ってたんだよな?」

 鈴置に疑問を投げ掛けると、無言で頷いた。


「それでな、そのバロンの容姿が色々な人間によって証言されているんだけど……」

 なんだか歯切れの悪い鈴置は、口を閉ざしてしまった。

 はぁ、と大きなため息を一つ、鈴置が吐き出した。

「それがなぁ、……仁に似てるんだよ」


 片肘を太ももにつき頬杖をついた鈴置は、明後日の方向を見ながら、言った。


「大きな狼のような容姿。艶めく銀色の毛。……それだけなら、似たような犬神なんて探せば他にもいるだろうな」

 独り言のように淡々と、鈴置は話を続ける。

「ヤツは、聞くんだと。自分の名前はバロンだと名乗って、『仁はどこだ』ってさ。『アイツはオレだ』ってさ」



 『アイツはオレだ』とか、意味がわかんねーし。

 心の中でつぶやいたつもりが、しっかり声に出てたらしい。

「そうだな。意味がわからない。だが、その『仁』と呼ばれたものが、バロンに関する何らかの情報を持ってるに違いない」

 相変わらず、独り言のように鈴置がつぶやく。


「と、いうことで、だ」

 突然、大きな声を出して、鈴置がこちらを見た。ソファから身を乗り出して、ゆっくりと口を開く。

「明日にでも、上からの要請が出る。『国境を越えた医師団』に。バロンの退治要請が。仁にも協力を仰ぐ必要があるんじゃないかな」

 淡々とそう言うと、鈴置は「それじゃ」と部屋を出て行った。


 『国境を越えた医師団』は、その名の通り、医師の集まり。様々な医師免許を持つ者の集まりだ。

 だが、実際に医師として働いている者は少ない。大抵はオレがいる役所を始めとした各地の役所に勤めていて、上から要請があれば医師団として活動する。


 こう見えて、オレも医師の端くれだったりする。大学で医学を学ぶのは、それはそれは興味深かった。自主的に何年か留年したから、卒業までは時間がかかったけどな。

 卒業して医師にならなかったのは、オレの性格ゆえ。病院勤務も町医者も、性に合わないのがわかりきっていたから。


 役所に就職したオレは、大学時代の仲間から『国境を越えた医師団』に誘われた。一応、医師免許を持っている以外にも、入るためには条件がある。

 『国境を越えた医師団』には、医師としての活動――つまりそれは、現世の『国境なき医師団』と同じような活動なんだが――、それ以外にも重要な活動がある。


 むしろ、そっちの方が活動のメインと言っても過言ではない。医師としての活動は、実際のところあまりないからだ。

 それは、現世で言うならば『妖怪退治』とか『悪霊退治』とか言われるようなこと。現世やこちらで、問題を起こした霊やら妖怪やらを退治したり捕まえたり、しかるべき場所に連行したり……。そんなことをしている。


 もちろん、それ相応の機関や部署もあるけれど、そこでは対処しきれなかった場合に回ってくる。

 現世もそうだろうが、それ以上にこちらでは公務員なんて安定してるだけがウリの安月給。医師団の仕事には――悪霊とかの退治に限ってだが、それなりの報酬が支払われる。ちょっとしたお小遣い稼ぎってとこだ。それも、上が承認した、な。



 そうは言っても、本職は公務員。正式な要請がなくては気になっても、仕事を優先しないといけない。

 中途半端に開示された情報が、脳裏を行ったり来たり。いっこうに消え去る気配がない。そんな状態の中、なんとか集中しようと繰り返し、今日の仕事を終えた。

 何度も上の空になりながら仕事をした気がしないでもないが、一応終わったんだし、終わり良ければ全て良し。問題はない。


 夕飯を食べると部屋に戻り、バロンに関する記事を集めて読んだ。どれもこれも似たり寄ったりの内容で、鈴置が話した以上の内容は得られなかった。

 これ以上の情報は、正式な要請を待つしかない。まるで戦時中の現世の日本のように、情報統制が敷かれることが多いのが、この国ジパング。

 現世の日本は先進国とか言われているけど、ジパングはどっちかと言ったら、先進国とは言えないような気がする。

 この世界がどうやって生まれたかは明らかになっていないが、現世の人々の思考や信仰が大きな影響を与えているらしいと言われている。  日本人の思考は閉鎖的で、昔からたいして変わってないってことなんだろうか……。

 そんな、どうでもいいような内容が次々に頭に浮かび、集中できなくなったオレは、ソファに身を投げ出した。腕を組んで、とりとめのないことを考えているうちに、いつの間にか眠っていたらしい。


 目が覚めると、窓の外は真っ暗、部屋の電気は点いたままだった。デスクの上の時計に目をやるが、乱雑に積まれた書類や本に隠れて見えない。

 そう言えば……と、壁掛け時計に目をうつした。仁が来た時に、時計が止まっているとうるさくて、直したのを思い出したのだ。

 口うるさく言われて、嫌々やっただけだったが、役に立つこともあるんだなぁと思う。

 時計が指している時間は、まだ夜明け前の深夜。いつもなら、そろそろ寝ようかという時間だった。

 まだたっぷり寝れると判断したオレは、体の下になっていた毛布を引っ張り出し、くるまった。毛布からは微かに獣の臭いがした。


 仁が訪ねてくるようになって知ったこと。犬神って、あんまり臭くない。

 犬とかって案外臭いと思うんだが、犬神である仁は臭くない。いや、臭うんだが、気になる程でもない。


 そんなことを思いながら、オレは再び眠りについた。

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