オレと犬神 1
薄いカーテンごしに差し込む光が、朝というよりは昼に近い、強いものへと変わってようやく、眠りから抜け出した。寝床にしているソファから抜け出して、大きく伸びをする。ベッドにもなるソファではあるけれど、それでも体が固まった気がして、起きてまずゆっくりと体をほぐすのが日課になっている。
「かったりぃ。今日は何をして過ごそうかな」
見慣れた小汚い部屋を見回す。大きな執務机の上には書類が散らかっている。さっきまで寝ていたソファの上には毛布が畳みもせずに置かれているし、ソファの前のテーブルに置かれた灰皿には煙草の吸殻が山になっている。
これが立派なお役所の一室だなんて、誰が思うだろう。
着ているのはヨレヨレの白衣。起きぬけでなくても寝癖のついた髪。科学者ですか? って聞かれてもおかしくないだろうなと、自分でも思うくらいだ。
それでも、それでもだ。オレはれっきとした公務員。安月給だけれど。公務員なんてそんなもんだろう。
変人? そうかもしれないと、自分でも思う。
仕事のために与えられた個室は、まるでアパートの自室のよう。
まあ、アパートなんてとっくに解約したし、実家はちょっと遠い。片道二時間かけて通勤するなんて、ウンザリだ。アパートは実家にくらべたらよっぽど近かったけど、それでも通勤時間なしのこの部屋に寝起きすることが多かった。
いつの間にかアパートに帰るのも面倒になって、就職して三年目くらいには解約してしまった。今はこの部屋が住まいみたいなもんだ。実際、年に数回実家に帰ったり外泊する以外は、この部屋で寝起きしてるし。
最初は掃除のおばちゃんとかに文句を言われたけれど、今じゃ黙認されている。他の人たちからも。
仕事上、役所にオレがいた方が便利なことも多いからだ。他に役所に住み着いてるヤツなんて、聞いたことない。
デスクの前の椅子に深く座り、淹れたてのインスタントなコーヒーを口に運ぶ。お湯を注げばいいなんて、めんどくさがりのオレにはピッタリだと思う。出来てるものを買ってくるのが一番ラクなんだけど、一日の始まりくらいはたとえインスタントでも、淹れたてのコーヒーが飲みたいという、オレのこだわりだ。
一口、二口とコーヒーを飲みながら、デスクに置かれていた書類を眺めた。
――『胎児リスト』
日本という小さな島国だけを見ても、毎日何万という胎児という命が芽吹いている。
その胎児たちに魂を与えるのが、オレのいくつかある仕事のひとつ。
芽吹いた命は、惜しくも育つことなく消えてしまうこともある。そして意外にもその数は多い。
だから昔は、妊娠が後期に入ったころに魂を入れていた。あまりに早く魂を入れてしまうと、水子が増えてしまうから。産まれることなく消えていく水子たちの魂は、悲しみでいっぱいで儚く、回収することが難しい。たいていは水子供養されたあと、魂の寿命とは関係なく、消えていく。
けれど昨今、魂は早くに入れるようになった。早産でも生きられるように。 胎児は、さすがに産まれるときに魂がないと死んでしまうのだ。けれど、母親の子宮に守られている間は、魂がなくても順調に成長できる。それは、ある意味、人体の神秘だとオレは思わずにはいられない。
現世における医術の発展は、オレらの仕事にも変化をもたらしたらしい。
それでも、魂が入っているからといって、無事に産まれるかは別の話。運命だとか寿命だとか、身体的原因だとか。いろいろとあるんだよな、悲しいことに。
でも、それらを決めるのはオレじゃない。オレらの仕事ではない。それこそ、神と呼ばれるものの仕事だと、オレは思う。
オレがすべきは、胎児に合った魂を選ぶことだ。体に合わない魂は、のちのち問題を引き起こす。
だからと言って、それで百パーセントうまくいくわけでもない。適合は、生まれてからの環境にも大きく左右されるものだから。
オレにできるのは、今現在の、胎児と胎児をとりまく環境に適合できるであろう魂を選ぶことだけ。選ぶのも、オレというよりは専用のコンピューターではあるんだが。
現世の人間にとっても大切で重要な仕事。きっと一生を左右してしまうくらい。
それなのに、オレは非常に無力だ。
時々、強く思う。
与えられた責任の大きさ、自分の無力さ。
何度、気が重くなっただろうか。
だが、誰かがやらなければならない、それほど重要な仕事。
「今、何時だ?」
デスクの上にある時計は、書類に埋もれて見えない。壁掛け時計は、時を刻むのを止めてからだいぶ経つ。
「あ~~、もう、めんどくせぇなぁ」
デスクの書類の中から時計を探し出す。書類がさらにぐちゃぐちゃになったのは、気にしない。どうせ元からぐちゃぐちゃなんだから、気にしたってしかたない。手にした時計で時間を確認すると、思ったよりも早い時間だった。
「まだ十時か……。とりあえず、顔だけでも出してくるかな」
二十四時間ずっと役所にいると、仕事なんていつでもできる。だが、それはここに住み着いているオレだから言えるセリフ。他のヤツらはちゃんと勤務時間がある。役所自体は二十四時間やってるが、窓口業務以外は勤務時間が決まっている。
全ての仕事をオレが一人でやってるわけじゃないからな。円滑に仕事を進めるためには、通常の勤務時間にも時間を作る必要がある。
「それにしても、早く目が覚めちまったな」
まぁ、たまにはそんな日があってもいい。
椅子から立ち上がるともう一度伸びをして、まだぼんやりする頭をかきながら部屋をあとにした。
「辻ちゃん、おはよう。今日は珍しく早いのね」
あくびをかみ殺しながら歩いていた廊下で、掃除のおばちゃんと出くわした。
「おはよ、おばちゃん。オレだってたまには早起きくらいするって」
掃除のおばちゃんとは付き合いが長い。オレが役所に勤め始めた時にはもう既にいたんだから、もうとっくに十年以上。辻ちゃんなんて呼ばれるくらいには、仲良しだ。
オレが住み着くようになってからは見かねたのか、たまに部屋の掃除もしてくれて。ついでにそのたびに怒られる。「ゴミくらい片付けない」だってさ。ちょっとお袋みたいだ。
そういえば、お袋、元気にやってるかな。親父も。正月に帰ったきりだから、もう半年も連絡してないしなぁ。電話くらいはしてみるかな。
そんなことを考えながらも、目的地に向かってオレは歩みを進めた。
『魂保管庫』と書かれたプレートの下がるドアの前。
そこで足を止めると、あくびをひとつ、かみ殺した。いつもより早く起きたせいか、すぐにあくびが出ちまう。
「よし。今日も働くかな」
つぶやいて、頭を仕事モードに切り替える。ついでに両手でパシンと頬を叩いて気を引き締めた。
カード認証でドアのセキュリティを解除して開けると、少しひんやりとした空気が流れ出てくる。ここは名前の通り、たくさんの魂を保管している。いつだって、魂の保管に適した温度と湿度になるように、しっかりと空調が管理されている。
ドアを開ける音が聞こえたのか、立ち並ぶたくさんの棚の奥から、一人が顔を出した。
「辻村さん、おはようございます」
「おはよ。変わりはないか?」
「大丈夫です。また少し増えたので、データベースに追加しておきました」
「了解。今日は魂の選別するから」
言いながら部屋に入って、ドアを閉じる。そして一番近くの棚に保管されている魂を手にとった。
「うん。問題はねーな」
一応、こう見えてもオレは上司で、この部署の責任者。魂の管理自体は部下に任せてはいるけれど、毎日確認しないといけない。
魂ってのは、悪くなるとハリがなくなって、触り心地とかが全く変わっちまう。魂だって、もちろん生きてるんだ。意思や意識はないけれど、確かに生きている。記憶を核の奥底に隠して。
「それじゃ、オレは部屋に戻るから」
さらにいくつかの、違う場所にある魂も確認したあと、奥に声をかけて保管庫を出た。
保管庫とは言っても、全然小さくなくて、むしろかなりでかい。
どれだけの魂が保管されているのかはわからない。何千万、あるいは億を超えるのかもしれない。そして、全ての魂は、データベースで管理されている。
魂をよく見ると、その核に番号が刻まれているのがわかる。その番号と、魂の経歴――いわゆる前世――なんかがデータベースに入れられているってわけ。
親の情報、住んでる環境なんかをコンピューターに入れると、コンピューターが適合の高い魂を選び出してくれる。オレ一人でなんとかなるような量じゃないからな。
そうは言っても、この役所、つまりオレが担当するのは、現世――それも日本の一部の地域だけ。それぞれの現世の地域に対応するように、ここにも役所はいくつかあって、分担している。それに加えて、コンピューターがはじき出してくれるおかげで、一人でなんとか対応できている。
現世の人々の魂、場合によってはこちらの世界の魂を管理しているとも言える以上、この仕事に関わる人数は少なければ少ないほど、いい。魔がさして悪用、なんてことが起こらないためにも。
部屋へと戻る途中、食堂に寄って朝食を食べた。そうは言っても、時間は朝食というよりも昼食に近い。本当なら、食堂も昼食の準備中で、営業時間外だ。
食堂のおばちゃんにも「ちゃんと時間内にいらっしゃい」って苦笑されてしまった。いつものことだから、おばちゃんも言うだけで諦めてるし、オレの食事はちゃんと準備されていた。
夜遅くに腹が減った時には、外へ買いに行くけれど、食堂のおばちゃんがいる時間には、食堂へと食べに行く。出来合いのなんかと違って、やっぱりうまいんだ。
満腹になって、一休みしたあとようやく、オレは自分の部屋へと戻った。
「さて、今日も頑張りますか」
魂の選別を行うために、コンピューターを起動させる。
「……と、その前に一服」
やっぱり仕事の前には煙草で一服。休憩のときも煙草で一服。
ヘビースモーカーではないと思うけれど、やめられない。手放すことができない。――立派な中毒だ。
一服が終わると、すでに起動していたコンピューターにログインする。
その間にデスクの上に置かれた『胎児リスト』を取り上げる。そのリストの中には、そろそろ魂が必要な胎児の性別や家族構成などが記載されている。内容を元に、コンピューターに入力すると、適合する魂がデータベースから選ばれて表示される。それを登録すると、担当部署の連中が魂を入れに行ってくれるってわけ。
魂に関して言えば、いくつかの部署が関わっていて、それぞれが複雑に部分的に担当している。全ては、その仕事の重要性故ではあるんだが。非常にめんどくさいと、思わないでもない。
とりあえず、リストの上から順番にオレは入力を始めた。作業は順調に進んでいく。
「胎児リストなんて作るくらいなら、直接コンピューターにデータを入れればいいのに……」
ずっとコンピューターに向かっていれば、肩が凝ってくる。肩をまわしたり揉んだりして、凝りをほぐす努力はしてみるけれど、自然と愚痴がこぼれてしまっていた。
「仕方ないでしょ。うちの部署は、魂管理コンピューターにアクセスできないんだから」
突然、後ろから若い女の声がした。
「うわっ、お前、いつからそこにいたんだよ?」
作業に集中していたからか、全然気付かなかった。
「ん~、そうねぇ。かれこれ十分くらいってとこ?」女は腕にはめた時計を見ながら答える。
「仕事中は、ほんっとうに真剣というか、集中しているというか。……普段はあんなにちゃらんぽらんなのに」
大げさにため息をつきながら言いやがる。その言い方にむっとする。内容は……、あながち間違ってもいないので、否定はできない。
「うっせー。それより、なんか用事かよ?」
「それがねー、ちょーっと困ったのがリストにあがってきてるのよ」
そう言うと、手元でヒラヒラ動かしていた新しい『胎児リスト』を投げて寄こす。
「場合によっては、辻村さんに行ってもらわないといけないかも知れないの。まぁ、判断するのはアナタ自身だけれど」
渡された資料に視線を落とすと、「んじゃ、よろしく」と部屋から出て行ってしまった。
「なんだ、困ったのって?」
とりあえず、リストをめくってみる。
そこに記されているのは、一人の胎児だけ。だが、普通のリストとは違っていた。やたらと細かく、親の経歴や周囲の人間のことまで書かれている。