第六十九話「カレー騒動」
「……お騒がせしました」
医務室から出て来たミーシャは深々と頭を下げた。
「いや! 我、知っておったし!? ぜ、全然慌てておらんし!? むしろ余裕の表情だったし!?」
慌てて言い訳を並べる副総統は完全に無視だ。
一応、『アレの日』が来るにはだいぶ早い為、医務室で診察を受ける流れになった。
ラビー達は既に手当て済みだ。
「あんまりに早かったから取り乱した、すまん。医者的には、まぁ、早いけど異常なし、らしい」
「いや、我、異常なしって知っておったし!?」
無視である。
「まぁ、大事じゃなくて良かったですよ」
ラビーは苦笑する。
「手間掛けたからな……これ、持ってけ」
ミーシャはラビーとナターシャにある物を手渡した。
「……これは?」
それは紐で括られたコインの束だった。
ナターシャはしげしげと渡されたコインの束を見つめる。
茶色のそのコインは中央に四角い穴が開けられ、奇妙な柄が書かれている、裏は波のような模様が入っていた。
「これ『引き換えコイン』!? しかも一束!? 」
ラビーは嬉しさと驚きで飛び上がってはしゃいでいる。
「『寛永通宝』な、一枚の単位は『文』、それは一束1000枚で『一貫文』」
「これは、何に使うんですか?」
「すごいよ! 千枚だよ!? 1000枚だよ!? いっせん枚だよ!?」
「ラビー! 教えてください! これはなんですか!」
はしゃぎ回るラビーにナターシャは声を張り上げ質問した。
「あぁ、ごめんなさい。え~っと、これは食堂でメニューの『食券』と替えてもらえたり、新メニューの試食会に参加出来たり、艦内浴場の使用券になったり。……あと、『購買部』で色んな物と替えれるの! お菓子とか! お酒とか!」
「ラビー! お客人に対して言葉使いがなっとらんぞ!」
ラビーのあまりにフレンドリーな態度をマシリーが一喝した。
「いえ、私から頼みましたので。……それで? これは大和国の通貨なのですね?」
ナターシャは一貫文を持ち上げてミーシャに質問する。
「まぁ、そんなところかな」
ミーシャはそう言って一枚の紙をナターシャに手渡した。
「いつもは給与や奉仕活動の謝礼に渡してるんだ。朝の体操参加カードにスタンプを貯めて交換もできるからナナルに着くまでナターシャさんも参加してくれ、これが台紙だ」
「ちなみにスタンプ押す係りは、我とミーシャとラビーじゃ! 今日は少し遅れるが、いつもは朝食前に甲板でやっておるからな!」
そう言うとミーシャとマシリーは行ってしまった。
「ナナルまでって、明日には着くのに……」
ナターシャはサンライズの速度を思い出し呟いた。
「さぁ、ごはん食べに行きましょう!」
そんなナターシャの腕を掴み、ラビーは食堂に向かって歩き出すのだった。
******
「ここが?」
ナターシャは扉の前で立ち尽くす。
扉の横には黒い板が置かれ、白い文字が書かれていた。
「チハタン食堂サンライズ支店、Aセット『豚の生姜焼き定食(三文)』、Bセット『白身魚と海老のフライ定食(四文)』、金曜日『海軍さんカレー(特価一文)』、日替わり賄い定食(無料)?」
文字を読み上げたナターシャは首を傾げる。
チハタン食堂とはなんだ? とか、本店があるのか? とか、いろいろとツッコミ所満載だったが。
とりあえず無視をしておく。
「あ~、ピーク過ぎたか……ナターシャこっちこっち」
ラビーはカウンターに歩いて行った。
「おはよう、金曜日なのに珍しく遅ぇなラビー」
「おはようございます調理長!『アレ』残ってます!?」
ラビーはカウンターの男性に飛びかからん勢いだ。
「ラビー、落ち着いてください」
「お? 見ない顔だな? 例のお客さんか?」
調理長と呼ばれた男性はナターシャを見るとそう尋ねた。
「おはようございます。ナナル王国特使のナターシャです」
「おぉ、おはよう。俺が調理長のクックだ。」
二人は軽く挨拶を交わし。
「ところで『アレ』とは?」
「あぁ、これだよ」
クックは厨房からトレーに乗ったパンを持ってくる。
表面は茶色く、油っこい感じだ。
「『揚げパン』だ」
「『揚げ』?」
ナナル王国の調理方法は基本『焼く』『茹でる』『煮込む』の三種類。
ナターシャは『揚げる』という調理方法が分からない。
「大量の熱した油で茹でんのさ。俺も長いこと陸でコックしてたが、この船の調味料やミーシャ嬢の技術にゃあ、ビックリさせられたよ」
クックは揚げパンをひとつ皿に乗せてナターシャに差し出した。
「初めての記念だ。今日の飯は俺が奢ってやるからたっぷり食いな」
「調理長! 私のは『アレ』でしょ!?」
ラビーはいつの間にか自分の皿を持って構えていた。
「わかったわかった。ほれ、『カレーパン』だろ、一文だ」
調理長はラビーの皿と、しっかりナターシャの皿にパンをのせる。
見た目は揚げパンのようだが、まんまるで、微妙に違う様だ。
「私にも奢ってくださいよ~」
「ばっか、おめぇがこないだ、しこたまカレーパン食ったせいで大変だったんだからな?」
「すみませんでした!」
「……これは?」
ナターシャの問いに調理長は悩む。
「こいつは『カレー』を入れた揚げパンなんだが……カレーがわからねぇよなぁ~」
「まぁ、食べてみればわかるから」
そう言ってラビーは既にカレーパンをかじっていた。
ナターシャもそれを見て、一口。
「……!? 美味しい!!」
外はサクっとしていて香ばしく、中はスパイスの効いたソース……いや、多分野菜や肉が入っている。
ナナル王国の王女のナターシャすら口にしたことのない美味。
「その中の奴がカレーだ、まぁ、見た目はちょっと、アレだがな」
そう言った調理長の言葉に、カレーパンを眺めて見た。
「……これは……確かに……一度食べて見ないとわからないですね」
中に入っている茶色くどろっとした具は確かに……ちょっと、見た目が悪い。
「だから私はカレーパンなんですよね」
「カレーがどうかしたか? ラビー特別伍長」
突然、背後から声を掛けられ、ラビーとナターシャは飛び上がった。
「か、艦長」
声の主はメアリ・ノックスであった。
「あたしはカレーライスを頼む」
「おう! 特盛りだな?」
調理長も慣れたもの、いつもどおりに料理を準備した。
「おはよう」
「おはようございます、艦長」
ナターシャが挨拶を交わした時だった。
「なんだとこの野郎!?」
「上等だテメェ!!」
食堂に怒声が響いた。
調理長は、またか、と頭を抱えている。
見ると魔族兵士数人が何やら言い合いをしていた、今にも取っ組み合いの乱闘に発展しそうな気配である。
「すまないお客人。貴様ら何をやっている!!」
メアリの一喝に兵士達は姿勢を正すと。
「じ、自分はカレーに醤油を入れただけであります!!」
「なんで、醤油なんだよ! ソースだろ!? ウスターソースだろ!?」
どうやら調味料をめぐる争いだった様だ。
「うむ、あたしは醤油だ」
「な!? 艦長!?」
メアリの一言に絶句しているソース派、そこに。
「なんやなんや、騒がしい」
「ヴィーナ中将! カレーにはソースですよね!?」
たまたま訪れたヴィーナに兵士が質問を飛ばす。
「なにゆうてんねん。……ソースやろ? ウスターソース」
「貴様が何を言っている。醤油だろう?」
「なんやて?」
「なんだ?」
ナターシャは気付いた、ヤバイ流れだと。
「「おい! ラビー(ラビィナ)! おまえはどっちだ(や)!?」」
「へぇ!? わ、私はカレーパン……」
「「話にならん(わ)!!」
「ごめんなさい!?」
ますますヒートアップするカレー戦争にナターシャは固まっていた。
「ふん! 東の大陸でも、北っ側のもんのようゆうやつや! 爺さんによお似とんなぁ、キザったらしい」
「貴様こそ、大陸の南側の奴らの様だ。味覚まで貧乏くさい」
まさに爆発寸前の食堂。
方や海軍大佐と、方や陸軍中将、まともにやりあったら大問題に発展する。
「おっちゃん、カレー小盛り三皿ね」
「調理長、我にも小盛り三皿、カレーを頼む!」
その食堂に少女の声が響いた。
ナターシャは声の主を探す。
そこには総統と副総統が居た。
二人はお盆にカレーを三皿乗せると、適当な席に座る。
するとミーシャはひとつの皿に醤油を、ひとつの皿にソースを、最後の皿はそのままで食べ出した。
「調理長、煮込む時にコーヒーかチョコレート、あと牛乳とかちょっと混ぜてみなよ」
調理長にアドバイスしながら食べる。
それを呆然と見つめる両陣営。
一方マシリーは。
一皿はチーズで黄色くなっている、一皿は辛味を付け過ぎて赤い……いや、既に黒い。
最後の一皿は……。
「好きだな、それ。『漢方薬』」
医務室からもらって来た漢方薬であった。
「味覚なぞ人それぞれであるからの」
そう言ってカレーを食べ続ける二人に、言い合いをしていた両陣営は次第にバカバカしくなったのか、気まずそうに立っていた。
「……その、何や……醤油……取ってくれへん?」
「……あぁ……ソース、くれ」
こうして、後に『サンライズカレー紛争』と呼ばれる争いは幕を閉じた。
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その日の夜、食堂前で絶句する少女が一人。
食堂前の黒板にはデカデカと。
『赤飯、他、総統の好物フルコース(全乗員に無料)』
立ち尽くす少女はもちろん、総統だった。
思い当たる人物はただ一人。
「マァシィリイィィィッ!!!」
ミーシャは余分な日本の知識を付けた副総統の元へ駆け出していた。
この日から、戦艦『サンライズ』……いや、大和帝国海軍では金曜日はカレーと赤飯が出されるようになる。
13.10.27 ナナルの到着を明後日から明日に修正しました。




