第五十話「海鳴り亭」
イース王国西端の港町「ウエンズレイポート」
大きく削り取られた様な三日月型の湾内には大小様々な船が浮かび、湾の先端、岬の部分には小さいながらも魔術師の火炎魔法で海を照らす灯台が建っている。
月に照らされた湾の最も奥には酒場の灯りがちらほらと見える。
「ウエンズレイポート」イース王国の海貿の要でもあり、海防の要でもある。
湾の入り口、灯台の向かいにはイース王国海軍(統治貴族の私設艦隊が主ではあるが)が陣取り船の出入りを厳しく監視している。
今も湾入り口は一隻の軍属キャラックが巡回中である。
「?……おい、下に何かいなかったか?」
巡回中の船の上で、見回りの兵が同僚に呼びかけていた。
「? いや、何もいないが?」
「いや、船の下に何かが居たような……」
「なんだそりゃ? おまえ、脅かそうったてそうはいかんぞ、子鯨でもみたんじゃないか? 寝ぼけてんじゃないぞ?」
同僚はそう言って笑っていた。
夜の闇に紛れ湾内に浮かび上がった”何か”には気づかずに……。
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「……良し、潜入に成功した」
「生きた心地がしなかったですょぉ……」
ミーシャは浮上した”何か”から上半身を乗り出していた、足元からはラビーの声も聞こえる。
闇に紛れて浮上したそれ、大日本帝国海軍特殊潜航艇”甲標的乙型”である。
ウエンズレイポートより南に100kmほど離れた沖合に停泊している超大和型戦艦から出発したミーシャとラビーは乙型魚雷艇に乗り速力30ノットで北上。
ウエンズレイポート付近にて特殊潜航艇”甲標的乙型”を召喚し、乙型魚雷艇を削除して乗り換える。
甲標的乙型は湾外で潜航、巡回中のキャラックの下をくぐり抜けて湾内に潜入した。
この甲標的は、全長27m、全幅1.3m、全高3m程の潜水艇、搭乗人数は2人である。
小型の潜水艦と捉えていただきたい。
武装として魚雷発射管2基を搭載している。
ラビーの証言により、ウエンズレイポート湾内の海底は大きくえぐれており、湾内中央までなら大和型戦艦すら問題なく入港できるという。
この情報をもとに海側からの潜入作戦が決行された。
「よし、一度潜望鏡深度まで潜航、電池駆動で湾内最深部に向かう」
「えー……また潜るんですかぁ?」
「嫌なら泳ぐか?」
「ごめんなさい、大人しくしてます」
ラビーは大人しく船内に引っ込んでいった……。
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ウエンズレイポート
『海鳴り亭』
木造二階建ての建物がウエンズレイポートの船乗り達の憩いの場『海鳴り亭』である。
一階には酒場があり陽気な船乗り達の歌声が聞こえてくる……はずであった。
しかし、今は話し声すら聞こえてこない。
人が居ない訳でも、休業日な訳でもない。
人ならば居すぎるほど居るのに誰一人として喋らない、皆暗い顔をして下を向いていた。
椅子は全て埋まっている、何人も床に座っている、何人かはそこで睡眠をとっている。
みな、船を失った船乗り達であった。
最近多発している密輸の摘発だ。
皆、積荷から禁輸品が見つかり、船ごと軍に持って行かれた者たちである。
禁輸品の出てきた積荷は、出港前の駆け込みであったり、前々から取引していた商会の荷物に紛れていたりで出処ははっきりしない。
軍の圧力に抵抗しようとした者も居たが、ことごとく撃沈された。
輸送船団『クイーン』の旗艦『ヨーデルへイス』もその一つである。
さきの摘発で抵抗した『クイーン』は旗艦である『ヨーデルへイス』が白兵戦までおこなったが、鎮圧され見せしめの様に撃沈さた、護衛として連携していたキャラック船『モニカ』『サマンサ』が拿捕された。
この酒場には主にヨーデルへイスの乗組員が身を寄せていた。
1000人近くが乗船する帆船には、通常寄港すれば船に当直するものが残る。
しかし、船を撃沈された今、船員全員がこの海鳴り亭に集まっていた。
もちろん他の船の乗組員もである。
いくら帆船の乗組員相手に商売をするこの店でも一度に何千人もの人間を寝泊まりさせるだけの部屋数はなく、前記の通りに酒場部分を解放して場所を確保していた。
ウエンズレイポートの酒場、宿屋は同じ様な状態ばかりである。
「船長、遅いっすね……」
誰かがそうつぶやいた。
今日、拿捕された船の船長達は海軍の最高責任者である『トラファルガー伯爵』の元へ呼び出されている。
禁輸品輸入の聴取と拿捕された船の処遇についての通達とおもわれる。
もちろん今日までの関係者の外出は禁じられており、ウエンズレイポートから一歩でも外に出ようものなら関係者全員が即処罰されると通知されていた。
その時、数人が酒場に入ってくる。
「「「船長!」」」
『クイーン』の頭目である『メアリ・ノックス』以下、酒場に居る他の船の船長達である。
藍色の髪の毛をボーイッシュに切り、長い船での生活で健康的に日焼けした女性、メアリは口を開く。
「すまない、心配をかけた……。全員揃っているな?」
酒場を見渡し一呼吸置いたあとメアリは話を続ける。
その顔には普段の強気な雰囲気は無く、疲労の色が浮かんでいる。
「……我々の船は軍に持って行かれた。返還は……絶望的だ……」
その一言に数人が堪えきれずに涙を流した。
「……今後の諸君らの処遇だが……。各船団、船舶は解散となる。一部の戦闘員は国軍監視のもと軍艦に最下級の水兵として編入される、残りの者は陸に拘束されるとの話だ、二度と海には出れないだろう。船長以上の責任者については後日通達との事だが……まず……間違いなく……処刑される……」
「冗談じゃないっ!」
「こんなの軍備増強の自作自演じゃないか!」
船員達は揃って怒りをあらわにした。
「静かにせんかっ! 憲兵に聞かれたら即処罰されるぞ!」
「黙って聞け!」
各船の船長が怒鳴り付けて船員達を大人しくさせる。
「えげつねぇなぁ……」
その場に響いたのは、場違いな程に幼い声であった。
「!? 誰だ!」
酒場に居た全員が声の主を探す。
「あぁ、そっちじゃない、下だ下」
その声の主は船長達に紛れて立っていた。
ぱっと見だとただの少女である、髪が黒い事を除けば。
「なっ!? いつの間に……。こら餓鬼! どっから入った!」
「どっからって……あんたらと一緒に入り口から?」
「ここは餓鬼が来るところじゃねぇ! とっとと帰んな!」
気が立っているのだろう、船長達は黒髪の少女、ミーシャを追い出そうとしている。
「ちょっ! ミーシャちゃん! ダメだってば! すいません! すいません!」
そこに遅れて入って来たのはラビーだ。
ミーシャを抱きかかえるとその場を離れようとする。
「テメっ! コラ! ラビー! 抱えるんじゃねぇ! 降ろせよオイ!」
うさ耳のラビーに抱えられ、腕の中でジタバタと抵抗するミーシャ。
はたから見れば何とも間抜けな絵が出来上がっていた。
しかし、ラビーを見て一部の者たちは目が飛び出るほどに驚いている。
「ちょっ、アレ! ラビー!?」
「ラビーだ!」
「生きてた!?」
「奇跡だ!」
「幽霊じゃねーか!?」
クイーンの船員たち(全員女性)は各々が騒ぎ出している。
「落ち着きな! ……本当にラビー……ラビィナ、なんだな?」
「あ、はい! ご心配おかけしました!」
メアリに声を掛けられたラビーは直ぐさま姿勢を正し頭を下げた。
……ミーシャを抱きかかえたままで。
ダンッ!
ゴチンっ!
「「痛ぁ!!」」
勢い良く降り降ろされたラビーの頭は抱えているミーシャの頭と激突する。
足から地面に叩き付けられたうえ後頭部を強打したミーシャとミーシャの後頭部にデコをぶつけたラビー。
二人して地面を転げ回る。
「間違いなくラビーだな」
「あぁ、あのアホさ加減はラビーだ」
「やっぱり死にかけたくらいじゃ治らないか」
「ねぇ、本当に幽霊じゃないの?」
「ちょっと!? みんなして酷い!?」
涙声で避難の声を上げるラビー。
「……はぁ……で? そっちのちっこいのは?」
メアリがため息をつきながら、今だに地面で痛みに耐えるミーシャを指差す。
「あ、はい。えっと、命の恩人です?」
「なんで疑問形なんだよ!」
地面からミーシャのツッコミが飛んだ。
「あぁ、なるほど。船員の……家族の恩人は船全体の恩人だ。すまない、恩人をぞんざいに扱ってしまった」
メアリはミーシャを助け起こし、深々と頭をさげた。
「いや、いいって。それに、ここにはスカウトに来たんだし」
「スカウト?」
メアリを始め、酒場の全員が首をかしげる。
「あぁ、船はあるんだが、船乗りがいなくてね。勧誘に来たんだ、ちょっと遠いとこまでなんだが……」
「……面白そうじゃないか」
「「「ちょ!? 船長!?」」」
あちこちから驚愕の声があがる。
「で? どこまで行くつもりだ?」
メアリの問いに、ミーシャはゆっくりと答えた。
「西の果て、『ケブラー諸島』まで」




