第三十二話「その師匠、ある意味危険人物に付き」
アーコード、この二重の防壁に守られる街はイース王国の縮図の様だ。
中央に位置するのは、三大貴族であるライシス家の別荘とその領地の直接的な執政者であるソーリアス家のお屋敷を始めとした貴族たちの住まう地区『上級区』
北側に位置するのは、冒険者ギルドを始め、格安の宿や鍛冶屋など荒くれ者の集まる『工業区』
南東に位置するのは、学術ギルドを始め、魔法研究室や多くの魔法使いが集まる『学業区』
南西に位置するのは、商業ギルドやアーコードを拠点にする多くの商会、商店が集まる『商業区』
その南西の商業区の片隅に居を構えるのがここ、チハタン食堂である。
ここアーコードでは毎日朝の6時から9・12・15・18・21時と鐘が鳴る。
商店や食堂などは一の鐘で起床するし、冒険者などは二の鐘で起床する。
チハタン食堂の・・・・・・正しくはミーシャの朝は早い。
「う〜ん、あと3時間〜」
と布団に潜り込む師匠を叩き起し。
二の鐘まで開店準備をする。
「ミーシャ〜、今日のお昼は「はんばーぐ」が食べたいわ!」
と好き勝手に料理を注文してくる師匠に昼飯を作ってやり。
「ミーシャ、今日の晩御飯は「びぃふしちぃう」よね!」
と目を輝かせる師匠に晩御飯を作ってやり。
「ミーシャ、一緒におおお、お、お風呂に入りましょ!?」
と息を荒くする師匠を軽くあしらって、師匠の毒牙がニャルにかからない様に気を付けながら寝る。
とここまで聞くと彼女の師匠は明らかにクズなのだが、一応しっかりと役に立っている。
その証拠に9時から15時、18時~21時の食堂の営業時間にはしっかりとウエイトレスとして完璧とも言える接客スキルを披露しているし、その美貌からおっさん連中が常連として来てくれる。
修行に至っては、座学の知識も教え方も並みの教師なら泣いて教えを乞う位の手腕だ。
さて、この師匠、ニッキー・ノーズがチハタン食堂に転がり込んで来てから、二ヶ月が経った。
ここでこの師匠についてもっと突っ込んで説明していこう。
彼女「ニッキー・ノーズ」は天才だった。
ヘンベルボック学院にて一般部と高等部をぶっちぎりの好成績で卒業。
高等部の4年間ではガーデルマンに弟子入りし、教師と生徒というだけではなく師匠と弟子として魔法学を吸収していく、その柔軟な発想から在学中にかなりの数の成果を出しており将来を有望視されていた。
学院を卒業後も魔法学に打ち込み、新たな属性魔法の研究を始め、一般生活的な魔法の使用方法や効率的な魔力伝達の方式など王国の文化、技術ともに彼女の研究で10年以上は先に進んだと言われている。
と、ここまでが『表』の輝かしい彼女の経歴である。
つまりこの経歴には『裏』があるという事だ。
彼女は間違いなく天才だった、そうあくまで知識と発想と言う面に至っては。
彼女を上司に報告する書類を作るのであれば、書面に大きな赤い文字で『ただし、性格面に難有り』とでかでかと書かれていることであろう。
彼女はとても・・・・・・そう・・・・・・とても自己中心的と言うか、自信家と言うか、つまり、友人を作るには難易度のかなり高い性格をしていたからだ。。
学園でぶっち切りの好成績だったのは友人が一人もおらず毎日図書館の主として文献を読みあさっていたからだし、高等部でガーデルマンに弟子入りしたのは彼くらいしかまともに彼女の相手をしてくれる教師が居なかったからだ。
卒業後に魔法学に打ち込みとあるが、これは打ち込まざるを得ない状況に陥っていたからでもある。
原因は彼女の性癖にあった。
彼女・・・・・・極度のロリコンであり、ショタコンであり、同性愛主義者であった。
つまり、腐っていた、腐りきっていた。
彼女にとって自制心は既に擦り切れてしまっていたのである。
学園を卒業して直ぐに彼女は問題を引き起こした。
ヘンベルボック一般部の低学年の臨時教員として雇用された彼女は自分を制御しきれず3日目にして不祥事を起こし学校から追い出される。
しかし、彼女は天才だ、若くまだ未来がある。
なので国家のお偉いさんはアーコードに研究所兼自宅を用意、そこで魔法研究に打ち込むように手配した。
ここまではよかった、研究に打ち込んでいればいいのだから。
しかし、彼女はそこそこの頻度で少年少女関連の事件を起こし憲兵にしょっぴかれる。
不審な行動を取っていたので職務質問、そして変質者として連行、ニッキーの研究成果の功績を鑑みて釈放の一連の流れが生まれてしまった。
彼女いわく、「別にいかがわしい事や暴行などは働いていないわ、ただただ暖かい保護者的な目で愛でていただけよ」と主張しているが。
そして、彼女にとって致命的大事件が発生する。
このライシス領No.2の貴族であるソーリアス家のご令嬢にちょっかいを掛けたらしい。
彼女いわく、「別に私は、『お嬢様、どうですご一緒にお風呂でも?』と誘っただけよ」と語っている。
聞くところによると、どうやら彼女は研究結果の発表の為にソーリアス家を訪ねた所、当時5歳だったご令嬢に、真昼間からお茶でも誘うようにお風呂に誘ったらしい、赤く染まった顔と荒い息、鼻から溢れ出る赤い液体と共に。
もちろん、ご令嬢はドン引きのうえ大泣き、お父上のソーリアス様もこれには勘弁ならなかったのだろう、彼女の行動範囲を商業区の一角と学業区の一角のみに限定するなどの処罰を与えた。
このチハタン食堂の位置はその行動範囲内なので問題は無い。
ただし、情報が流れると子持ちの親は行動範囲内から一斉に引越し、滅多な事では近づかないと言う有様。
この食堂でも子連れの客が入ってきた事は一度もないし、ミーシャやニャルは常に身の危険を感じならが生活をしている訳だ。
しかし、いくら変態が従業員に居るといっても、ここはミーシャの食堂である。
前世で培った料理の技術と、ばあちゃんによって魂に刻み込まれたレシピの数々、そしてチハタン食堂の『安い、早い、美味い、珍しい」の四拍子のおかげで評判は上々。
立地が目立ちにくい路地の裏側に有り、従業員の一人が札付きの変態である事により大盛況と言う訳ではないが繁盛している。
「ミーシャ〜、今日のお昼はねぇ・・・・・・」
「はいはい、休憩はまだ先ですから、仕事してください」
ミーシャは師匠をあしらいながら今日も厨房で料理相手に格闘している。
ニッキーが始めた「女子力アップ計画」(ミーシャたんハァハァ計画)はあまり進展せずで、ミーシャの一人称が平常時『俺』から『私』に変わった程度、後は言葉遣いが若干だが柔らかくなった程度である。
とはいえ心の中では今までのままかなり口が悪いミーシャではあるが。
そして、もう一つ変わった事がある。
「アルジ・・・・・・チュウモン、カラアゲフタツ」
くぐもった声で喋るのは、なんとニャルである。
その手に握られ首元に押し付けられているのは、古い型の笛式人工喉頭である。
電機式人工喉頭ではないが、言葉による意思の疎通は可能になったのだ。
もちろん首(正しくは発声器官だが)を治療するのを諦めたわけではない。
感謝すべきは奇跡的にも人工喉頭が使える程度の怪我であった事だ、不幸中の幸いと言うやつか。
「オッケー、ゴットン在庫は?」
「悪いお嬢、次で鶏肉が看板だ、ちょっくら買ってくる」
ゴットンもミーシャに料理を教わったりで長く一緒にいるせいか打ち解け、敬語を使わないで会話をしている。
ゴットンは自分のしていた調理が終わると買い出しに出て行った。
今は店内も落ち着いているので大丈夫だろうが、もう少しすれば次のラッシュが始まるだろう。
ミーシャが頭に巻いたバンダナを巻き直すのと、この食堂には珍しく男の子が入って来たのは同時だった。




