第百二十四話「沈黙の海獣」
「現在、深度100m。目標、依然として進路そのまま」
「魔導炉、出力安定。各機正常」
発令所では次々に部下から報告があがってくる。
オリヴィアは深度を聞いて潜行停止の指示を出した。
「潜行停止、艦水平」
「潜行停止、艦を水平に戻します」
艦首に向け傾いていた船体がゆっくりと水平になってゆく。
「機関停止。外壁開け、魔導推進作動」
「機関停止、外壁開け、魔導推進作動」
船体外部の扉が開き、魔力が噴射され、船体はゆっくりと前進を開始した。
「目標の位置を確認します。探信音発射」
「探信音発射」
コーン………。
復唱の後、探信音が海中に響き、余韻と共に消えていった。
「目標、本艦前方20kmの位置にあり。……水中速力21kt程度と推測。本艦との接触まで29分30秒」
「艦首魚雷発射管、1番から4番、時限信管セットで装填」
「1番から4番、魚雷装填。注水開始」
「魚雷は無誘導、扇状に放つわ。1番から4番、発射管開け」
「魚雷発射管、開きます」
「1番、2番、発射!」
「1番、2番、発射」
「続いて3番、4番、発射!」
「3番、4番、発射。発射正常、爆破まで10分!」
独特の発射音を残して魚雷は深海の闇の向こうに消えた。
時間だけが過ぎて行く。
「起爆まで後3分……2分……1分。衝突音! 魚雷起爆まで後30秒! 20秒……10秒……5、4、3、2、1、魚雷起爆!」
「やったの?」
「いえ、起爆前に衝突音が聞こえました! おそらく速度を上げ、体当たりして魚雷を弾き飛ばしたモノかと!」
「艦長! 今の攻撃でこちらの位置がばれているはずです!」
「そんな馬鹿な!? 体当たりして魚雷を躱すなんて……。5番から8番魚雷装填! 今度は接触信管セット! 機関全速!」
するとオリヴィアの命令を遮って機関室からの艦内通信が入った。
《こ、こちら機関室! 魔導機関出力低下! 70%……60%……50%……出力低下止まりません!!》
「あんたも技術屋でしょう!? 早くなんとかなさい!」
《機関出力どころかエネルギー源の大蛇の涙から魔力が無くなっています! 内容量が20%を切りました! 魔導推進停止! 使用不能!!》
「早く漏洩箇所を探しなさい! 動力パイプの隅から隅まで!!」
《こ、こちら燃料保管庫! 予備の大蛇の涙の魔力が無くなっています! 漏洩防止の保管容器の中でです!!》
「そんなっ! とにかく補助機関始動! 移動するのよ!」
「艦長! 目標との接触まで5分20秒!!」
部下の報告が無情にも現実を認識させた。
潜水艦とはあまり強度は無い、いやむしろ深海の水圧に耐えているのだから強度は有るのだが、ゆえに攻撃を受けた場合の防御力は皆無に等しい。
船体に付いたキズやヘコミを水圧は見逃さず、圧力は弱い所に集中し、潜水艦は無惨にも押し潰されてしまう。
海獣に体当たりなどされれば二度と浮上出来なくなるかもしれないのだ。
「っ! 囮発射! 水中の敵なら音に反応するはず!」
すぐさま、艦首から艦のスクリュー音をインプットした魚雷が発射され明後日の方向に消えていく。
「囮魚雷発射! ……目標進路そのまま!? 衝突まであと1分12秒!!」
《補機始動!》
「両舷最大戦速!」
「艦長!? 突っ込むつもりですか!?」
「逃げたらまともに体当たりされるわ!」
青ざめた副長が声をあげるがオリヴィアはそれを制す。
「衝突まであと35秒!」
「艦長! 転舵を!」
「まだよ!」
全身から汗が噴き出し、口の中の水分は緊張の為に消失した。
突き刺さる様な時間の重圧がオリヴィアを襲う。
「あと20秒! 19秒! 18秒!」
「艦長ぉ!!」
「ちょっと黙ってて!」
「16、15、14、13!!」
そこで今まで虚空を見つめていたオリヴィアが目一杯の大声で指示を出した。
「面舵一杯! 右エンジン逆転!!」
「面舵一杯!! 右エンジン逆転!!!」
途端に発令所は喧騒に包まれる。
命令は復唱され、壁際の計器を経て船体に反映される。
船体は大きく右にターンし始め、右に大きく傾きだした。
乗組員は近くの物に掴まって体制を保つ。
航海士のカウントダウンは最早悲鳴であった。
衝突まであと……。
「5、4、3!!!」
「総員衝撃に備えて!!」
オリヴィアが叫んだ瞬間、艦を凄まじい衝撃が襲った。
衝撃に艦内の照明は明滅し、配管は弾け水が噴き出す。
乗員の一部は床に投げ出され、海図は宙を舞い、オリヴィアは床に顔面を叩きつけた。
「〜〜〜っつぅ!! じ、状況報告!!」
「目標と接触! 目標、本艦から離れます!」
「メイン電源故障! サブ電源に切り替わりました!」
《機関室浸水発生! 補機故障!》
《魔導炉に浸水! 炉を閉鎖します!》
《魚雷発射管室浸水!》
《ミサイル発射区間に浸水!!》
《左舷バラストタンク排水不能!!》
「現在、沈降中、深度120m! 艦傾斜角、左舷10度!」
「本艦の運用深度は500mほどです。当海域なら圧壊の危険は無いと思われますが……」
「海底まではどのくらい?」
「この付近は250mから300mかと。損傷を受けていますが、この程度の深度なら耐えられます」
「〜〜〜っ! あいつ、今度見つけたら絶対SLBMをぶち込んでやるわ!!」
オリヴィアは沈みゆく潜水艦で地団駄を踏んで悔しがったという。
「艦長! 空気が勿体無いので暴れないでください!!」
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後方、イ401。
「ラヴィー艦長! 目標とブルーノーベンバー接触! ブルーノーベンバーは現在沈降中!」
ソナー員の報告に撃沈という最悪のシナリオが頭をよぎるも、付近の水深とあの巨艦の運用深度を思い出しラヴィナはひとまず意識を海獣に向けた。
「相手の位置は?」
「現在、深度120m付近を洞窟に向かって移動中。ブルーノーベンバーは現在深度200mをさらに沈降中」
「艦長どうしますか? 本艦のカタログスペックは深度100m、確認した最大潜行深度は200mです。追跡出来ない事もありませんが」
「いえ、相手の実力は未知数、しかも味方艦が沈降中ならここはやり過ごして救助を手配するのがベストね。各艦の配置はどう?」
「本艦の右舷後方、深度110mの位置にスルクフ。左舷後方、深度160mにU-3045。どちらも5ktで前進中。本艦は現在深度90m、速力4kt。目標は本艦右舷前方、深度100mまで浮上、速力25kt」
「速いわね。副長、水中撹乱装置は積んであった?」
「水中撹乱装置ですか? 確か試験用の物が二つ装備してありますが」
ここで言われる水中撹乱装置とは気泡を出して探知を妨害する装備のことである。
現代の潜水艦では艦首に搭載されていて、発生した気泡で自艦を包み込む物だが、これはドラム缶の様な物体を射出して相手を気泡で包むタイプの物だ。
「探信音を三回打って味方に退避する様合図。目標が接近したらマスカーを射出して目くらまし、すぐに浮上して最大戦速。オリヴィア局長には悪いけど、全力で当海域を離脱します!」
また、探信音は相手との距離を測るだけではなく、相手への警告や味方への合図としても使用される事がある。
「艦長! U-3045より注水音! 魚雷の発射態勢に入った模様!」
「魚雷を発射する前に合図を出して!」
「了解! 探信音放ちます!」
コーン……コーン……コーン……。
「……U-3045よりバラストタンク排水音! 浮上しています! スルクフも同様!」
「目標、本艦正面! 接触まであと4分40秒!」
「両舷半速、指示があるまでそのままを維持!」
「両舷半速! 速力低下、現在2kt!」
「目標、進路そのまま、接触まであと2分30秒!」
「マスカー射出! バラストタンクブロー、急速浮上! 最大速力! アップトリム最大!」
すぐさま艦首が持ち上がり、潜水艦は海面に向け浮上を始めた。
艦尾では外付けされたマスカー射出装置からドラム缶型のマスカーが射出され、ちょうど海獣の正面に気泡の壁が出来上がる。
直進を続ける海獣は気泡の壁に突っ込んで行った。
「どう!?」
「目標、マスカーを意に介さず! そのまま洞窟へ直進!」
「私達は見向きもしないのね」
「ブルーノーベンバーの着底を確認! 味方艦の浮上も確認! 目標、遠ざかります!」
とりあえず脱した窮地にラヴィナは安堵の溜息をついた。
「でもなんでブルーノーベンバーには攻撃したのかしら?」
「あの図体です、他の海獣とでも認識したのでは?」
「なら私達はさしずめその子供ね。でも、何か引っかかるわ。あいつ音に反応しなかった」
部下の軽口に眉をひそめるラヴィナ。
どうもそれだけとは思えないでいた。
「とりあえず救援を呼ばないと。工作艦『朝日』のクレーンで引っ張り上げれればいいけど」
「あの巨体ですからね。潜水艦救難艦『ちはや』の救難潜水艇でも呼ばないと無理では?」
ラヴィナはこれからの後始末に軽い頭痛を覚えるのであった。
水中、密室でディーゼルなんて使ったら大変な事になるよ!
良い子は真似しないでね!
なお電動モーターは無い模様。




