第百十二話「前進!前進あるのみ!」
ラウ大河南側。
「パエリー・リンド侯。橋が見えて来ましたぞ」
「うむ」
合流した10万の軍勢のなか、 黄金の鎧を纏った白馬にまたがった偉丈夫、全軍の最高司令官であるパエリー・リンド侯爵はゆっくりと頷いた。
しかし、ラウ大河が見えて来ると目を細め、手入れされた白い髭を撫で付けながら問う。
「して、ローレンス伯。アレはなにかな?」
「アレ、ですかな?」
リンド侯爵の隣に並ぶ副司令、ファーデル・ローレンス伯爵はリンド侯爵より一回りは小さく、体も引き締まった筋肉のおかげか隣に並ぶリンド侯爵と比べるせいなのか、かなり細く見える。
馬は鉄の鎧を纏った栗色の馬で、これまた地味に見える。
ローレンス伯はリンド侯の問いにラウ大河の向こう側を見据えた。
「ふむ、赤い服? あれは王家の旗印!? いつ此処に、早過ぎる」
「何だアレは、盾も持っておらんうえ、鎧すら着ておらん」
「アレが王家の近衛部隊なのですかな? 戦力は6000といったところですが」
二人が訝しんでいると赤い服の集団から笛と太鼓の音が響き、彼らは一斉に動き出した。
彼らは一斉に歌い出す、その歌声は10万もの兵士に囲まれた二人の耳にもしっかりと届いた。
『地獄の閻魔大王か、はたまた冥府のハーデスなるか、イザナミかヘルかと人は言う。
全世界の偉大な神なれど、我らに比する者はない、王国の精鋭に比する者はない。
古の英雄は銃弾を見たことは無い、仇ら鏖殺する火薬の力を知らない。
だが我ら精鋭はそれを知る、恐れの全てを打ち棄てて。
いざ讃えよう、王国の精鋭達を。
かくて激戦は終わり、我ら平和を取り戻す。
民ら泣き、「万歳! 兵士よ、精鋭達が来たぞ! 我らが勇士、恐れも知らぬ精鋭達が来たぞ!」
いざ勝鬨をあげよう、王国の精鋭達よ』
高らかに声をあげ一糸乱れず行軍する赤服たち。
彼らはラウ大河に架かる橋に向かって進軍する。
(ラウ大河は川幅800m、架かるラウ大橋は幅員10m。ミーシャに言わせれば最上川河口部と出羽大橋くらいの川幅と橋である)
それを見たリンド侯は鼻で笑い、見下した。
「ふん、あれで橋を塞いだつもりか? 王国は陸戦下手だと思っていたが、法礼用の部隊しかおらんほどだとはな」
「しかし、剣すら持っていないとは。もしや魔導部隊では?」
ローレンス伯の言葉にリンド侯は脅威にならんと笑う。
「此方には魔法防具がある。ガゼル帝国からもたらされたこの防具の前では並の攻撃魔法など何の意味も無い」
「しかし、魔法防具は数がありませんぞ?」
公国がガゼル帝国から同盟で手に入れたものは魔法防具と呼ばれる特殊な装備だった。
それは盾であったり兜であったりと形はそれぞれであるが共通するのは貴重な魔獣が素材であること、防具に込められた魔力によって魔導師などの攻撃魔法をかき消すことが挙げられる。
しかし、素材が貴重であるため公国軍の中でも一部の部隊にしか支給されていなかった。
「魔法防具を装備した騎兵隊が居たな。それを駆けさせよ。すればあの様な弱小兵なぞ総崩れにできるわ」
「しかし、魔法防具騎兵隊の数は3000といったところですが?」
「その程度の数の差などは装備と練度の差に比べれば考慮にあたいせん些細なことだ。駆けさせよ」
「はっ!」
こうして公国軍騎兵隊3000騎が猛然と橋を渡り出した。
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公国軍騎兵隊、それは最強不敗を誇る、公国一、否、大陸一の騎兵隊である。
かつては大陸の盟主たる王国に対してさえ猛然と戦った猛者である、惜しむらくは王国と公国(とはいえ当時は国ですらなかったが)の国力の差は圧倒的であり、騎兵隊は負けずとも方々の戦いでは敗戦してしまった事であろう。
そして、王国の一領土、地方自治体、王権による公国への昇格をへてもなお、脈々と不敗記録は受け継がれガゼル帝国の侵攻にすら一歩も引かない。
絶対の自信と誇りを持って彼らは橋を突き進んだ。
対岸、つまり橋の向こうでは赤服兵が整列しこちらに行軍してくる。
「隊長! 敵軍三列横隊!」
「魔導部隊でしょうか? それにしては不釣り合いな格好だ。先達が見たら笑うでしょう、あれではまるで鳥避けの人形です。我々なら瞬きする間に皆殺しに出来る」
「油断は禁物だ此方は橋の上で陣形を取れん。早く橋を渡り切って奴らに食らい付け!」
対岸までの距離があと100mを切ったところ。
隊長が部下に指示を飛ばす中、対岸の赤服兵が動きを止める。
「Halt!≪停止!≫」
行軍していた赤服兵が一斉に止まり、音楽と合唱が止む。
橋の正面に2000人、対岸左右にそれぞれ2000人。
騎兵隊3000騎、対岸まであと90m。
「Make ready!≪射撃準備!≫」
赤服兵が手に持った杖を前に掲げる。
騎兵隊、対岸まであと70m。
「Take aim!≪構え!≫」
赤服兵が掲げた杖をこちらに向けて構える。
騎兵隊の隊長はこれを見て勝利を確信した。
本当に魔導部隊であるなら、防具が魔法を打ち消し、奴らが慌てふためいているうちに接近、敵軍を食い散らかせる、と。
距離はすでに50mを切っていた。
「Fire!≪撃て!≫」
赤服兵達の杖から黒色の煙が吐き出され、煙の壁が出来上がる。
煙幕のつもりか、といぶかしむ騎兵隊長の耳もとを甲高い音と共に何かがかすめていった。
隊長が驚き横を向く、するとそこには今まさに落馬せんとする副官の姿があった。
「Front row fix bayonet!≪前列、着剣!≫
Second row take aim!≪二列目、構え!≫」
敵軍の一列目がしゃがみ込み、例の杖を構えた二列目が姿をあらわす。
「全軍速度を上げろ! 突撃ぃ!」
「Fire!≪撃てぇ!≫」
二つの号令が響き、今戦争の火蓋が切って落とされた。
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ラウ大河北側
「始まったな。各車、ちゃんと隠れてるか?」
キューポラから身を乗り出したミーシャは双眼鏡を覗きながら通信手に尋ねた。
「はい。各車は予定通り付近の林、窪地に潜んでいます。伏撃≪Ambush≫にはうってつけの立地ですね」
通信手の返答にミーシャは双眼鏡を覗いたまま答える。
「地の利がこっちにあってよかった。これで味方がさっさと来てくれれば私達が出ないで済むんだけどな」
「マスケットの威力は理解していたつもりでしたがまさかあれ程とは」
同じく双眼鏡を覗いているナターシャから声があがる。
川のこちら側で横隊になり発砲する王国軍、そして橋の上で縦隊にならざるをえない公国軍。
形で言うなら『T字戦』と言ったところか。
煙のせいで味方がいまいち見え難いが、敵軍は第一射で確実に数を減らして居た。
「しかし、6000人が一斉に撃って、撃ち落とした騎兵の数が半分以下とはね」
ミーシャがボヤいたのはマスケット銃の命中率であった。
50mの距離で命中率は約50%、しかもライフリングも付いてないうえ、弾は球体のため銃身の中で転がる。
恐らく6000人中200〜300以上は不発だったのではないかと推測する。
「さすがは公国騎兵隊、あの銃声で怯んだ軍馬が殆ど居ない」
ナターシャが呟いた時、第二射が放たれた。
敵軍はさらに落馬する者が出るが止まらない。
ついに騎兵が歩兵に突撃する。
あわや蹂躙されるかと思ったその時、敵軍の馬が次々といななき、前足を天高く振り上げた。
この隙を逃さず、王国軍の控えていた三列目が発砲する。
「どんだけ訓練したって、自分から針山に突っ込みたがる馬はいないさ」
馬が動揺した理由、それは着剣した一列目の壁であった。
さすがの公国騎兵隊も三度の一斉射に壊滅状態に陥り、生きている者は這々の態で橋を駆け戻りだしている。
「よし、次はこっちの番だな。各車、一斉に」
「待ってください!」
号令をかけようとしたミーシャを後方を偵察していた兵士が止める。
「後方より土煙! 味方が到着したもよう!」
「やっと来たか。一番乗りはどの師団だ?」
ミーシャの問いに兵士が答えるようとした時、地響きのような声が戦場を駆け抜けた。
『ypaaaaaaaa!!!≪ウラーーーー!!!≫』
「第二師団ですね」
「今、一瞬目の前が真っ赤なキリル文字で埋め尽くされた気がしたぞ」
兵士とミーシャが会話している間に叫びは合唱に変わってゆく。
「ポーリュシカか、うちも熱狂的だねぇ」
「後方より更に第一、第三師団! その後方に第四師団が続いています!」
「じゃあ、こっからがマジのこっちのターンだぜ!」




