《第1幕7話》
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少女は隠れていた。160数センチの身長を生かし、体型を隠す服とペストマスクを付け、性別を偽って生きている。彼女はここ《歓楽街》生まれの孤児である。母親は娼婦で、父親の顔など知る由もないし、知りたいとも思っていなかった。堕胎する金のなかった母親に産み捨てられ、身寄りのなかった彼女は、孤児院で育てられた。しかし、彼女は孤児院が少年少女を売り物にしていることを偶然知ってしまい、そこから逃げ出して今に至る。当然、彼女の友達にも見知らぬ男に売り渡されて、娼婦になっていたり、奴隷になっていたり、玩具になっている者はいる。だから、彼女は素性を――特に性別を――明かせない。いつどこで襲われるか分からないからだ。もちろん、男でも襲われる可能性は低くはないが。
この島を憎んで、この街を嫌っている彼女は、しかしこの島でしか生きていけない。彼女はそれを知っている。未成年の女が一人で稼いで生きて行くには、本土は厳しすぎる。歓楽街はどの区画にも属さない中立地域だ。南軍や全統隊のような政治組織はなく、そのかわり自分の身は自分で守らねばならない。
待ち合わせの時間より5分程早く指定した場所に着くと、相手は既にその場所に立っていた。彼女は変声期前の男児のような声で語りかける。
「すみません……またせてしまいましたか。」
相手の男は彼女にまだ気付いていないようだった。
男の肩を叩く。
「例の件、どうなった。」
「え?……あぁ、まぁ、殺せたと思うよ。」
なんとも気の抜けた返事だ、と思った。こんなにボケっとしていて、過酷なサバイバルのような島での生活を潜り抜けていけるのか?と心配したが、よく考えると相手の方が自分より年上であることと、名の知れた殺人者であることを思い出し、杞憂だと結論づけた。
「これが約束の……。」
彼女が待ち合わせた男に渡したのは茶封筒だった。中には当然、米ドル札の束が入っている。
「確認した。」
男は袋の中身を確認すると、それだけ言い残して直ぐにその場を立ち去った。
なんにせよ、これで始まってしまった。もう後戻りは出来ない。……するつもりなんて全くないけれど。
少女は天を仰いだ。しかし、そこには何もない。
中央区画の外周を巡るように、地下2階から1階にかけて存在する歓楽街。その名称通り、ここで展開される殆どの店舗が性風俗産業の物だ。路地では、限りなく裸に近い女や、スーツを着こなして甘い香り振りまく男どもが、客の気を引こうと一生懸命だ。この空間全体が島基底部の波潮力発電機から供給される電力で、極彩色に彩られる。
それが痛い。目も、心も。
そう思った。
§
東区画地下2階、薄暗い空間は一面草で覆われた土地……そう、大麻の大規模農場である。殺戮に右腕を切り落とされた拷問は、痛み止めのために大麻を吸いに来たのだった。もちろん、大麻以上に鎮痛作用の強い薬物など腐るほど有るが、依存性と効果の釣り合いを考えると、大麻に落ち着くのだ。彼らは各種薬物で廃人になった人間を見てきた……いや、正確には廃人を創り出してきた側にいるから、薬物の怖さはよく知っているし、常用しようだなんて微塵も思っては居ない。彼らにとって薬物とは金儲けの手段であり、敵を陥れる罠でしかない。それでも彼が大麻を吸引してるのは、その痛みが如何に酷い物かと言うことを示している。
ぷはぁー、と煙をはき出すと、肘から先の無い腕を見る。もう痛みはあまりなかった。大麻を吸っていると、こんな光景を見ても何も感じない……それどころか、腕が無くなったおかげでこれを吸えていると思うと、キリングに感謝すらしたい気分になっている。彼はそれに気付いて、やはり使うべきではなかったか、と一瞬後悔した物の、それも直ぐに大麻による多幸感に塗り潰されてしまった。