《第1幕4話》
§
殺戮は迷っていた。
依頼主は中央区《旧管理棟》にいると聞いていたので、南区画から北上し中央へと向かう予定だったが……。
本来であれば、コンクリート造の高層建造物や、《歓楽街》と呼ばれる地域が見えてくるはずなのだが、一向に見えてこない。それどころか、鬱蒼とした藪や、規模の小さい森が見えてくる始末である。
そう、彼は《旧凶悪犯収容域》こと東区画に足を踏み入れていた。
自分の命が狙われていることも知らぬままに。
「東区画だよなぁ……。このまま震兌路から青龍門を通って入ろう。うん。」
震兌路は島の東西を貫く大通りであり、青龍門は中央区の東門である。
中央には東西南北にそれぞれ一つずつ門があり、そこ以外からの進入は事実上不可能といえる程、堅牢な作りをしている。
もともと看守が居たことを考えれば、自明ではあるのだが。
§
雷殺は市街地付近の住宅街にやってきていた。
ここなら可愛い女の子もわんさかと居るだろう。と思ってのことだった。
なぜそう思ったのだろうか、甚だ不思議である。
東区画のそれは、住宅街といえど、本土のような2階建ての一軒家が板チョコのように整列しているのではなく、ブルーシート、プレハブ、段ボールが辛うじて住居と呼べない程度に氾濫している場所である。
女の子云々以前に、まず人間が人間らしいままに生存できるのかが危うい。たとえ、それがヒトの形を成していても、ヒトの形を模しているだけだ。とも言われる
地域である。それが加害者であっても、被害者であっても。
恐らく、どんな人間にとっても絶対に、絶対に、絶対に捕まりたくない場所だ。
魚に食われて死ぬのとどっちがイイか?と問われれば、悩みもせずに海に飛び込めるくらいに。
だから彼はあくまで東区画の人間ですよー、という風を装って、飄々と且つオドオドと通りを歩いて行く。
そんな彼に「なぁ、そこの君。」と背後から話しかける者が居た。
彼は驚いたことをおくびにも出さずに(少なくとも彼は隠し通せたと思っている)振り向く。
「オレっすか?」
彼は知っている。
――大事なのはバカを演じること。
――警戒を解いて、関心を薄める。
振り向いたそこには、私服の男が居た。
私服、というか没個性な服。本土の東京にいけば100人中7人くらいがこんな感じの服装だろうなぁという位の服。
それを見て彼は、東軍の奴らである可能性は、限りなくゼロに近くなったと判断した。白衣やら水着やらパンツやらしか着ないような奇特な……というより危篤な人間の集団である、東区画一帯を支配する自治組織「全島統一解放部隊」――通称「全統隊」――のメンバーがこんな普通の人間な訳がない。
「そう、君だ。」
と、男は続ける。
雷殺――有耶梁・“雷殺”・山奈――は考える。
見た目こそチャラチャラしているが、そこそこ悪い事しかしていない――つまり、根が割と善良――な彼には、あまり知らない人から絡まれる理由がないからである。
「オレに何の用っすかー?」
と言いつつ、戦闘の準備をしっかりとする辺りが、彼の小悪党さを際立たせている。
「いやね、この島の何処かに死ぬほど恐ろしくて且つ美味しい飲食店、正確に言えば定食屋がある。って聞いたんだが、何処にあるのか知ってるかい?」
彼に声をかけた青年は、島外出身の人間なのか、彼に道を尋ねただけだった。
この島では油断することは出来ない。
善良な悪意や、禍々しい救いを見分けなければならない。
「死ぬほど恐ろしくて、美味しい。か-。」
死ぬほど恐ろしい店ってなんだよ……。
今日の昼行ったラーメン屋は確かに恐ろしかったが、別に死ぬとは思わなかったし……。
と、思案していると、青年から訂正が入った。
「違う違う違う!死ぬほど恐ろしくて、死ぬほど美味しい店だ。」
「ああ、なるほど。」
と彼は合点がいったようだ。
そんな店はこの島広しと言えども、いや、本土広しと言えども、一件しかない。
流石に世界は言い過ぎかとも思ったが、よくよく考えたらそうでも無いかとも思った。その程度には、すごい。
「西区画に行けばいいよ。」
と彼は告げる。
西区画。
そう、あの天才的なまでに天才的な本物共の巣窟。
《旧政治思想犯収容域》
異端というには異端過ぎる。
異常とするには異常過ぎる。
異形とみるには異形過ぎる。
唯一、支配組織が存在しない区画であり、一個人が組織並みの力を有するとも言われる区画。
かの有名な六代目翡翠・シュミットも西区画の住民である。
「西か……一応行ってみたんだが。」と少し不満げな顔をするので、
「地下だよ?一応言っておくけど。」と情報を付加する。
当然、誰もが入れるような店ではない。物理的に。
「ほう……有名なのに立地条件が悪いとは……いや、それ故か……。」
ミステリアス。
青年にはこの単語が似合う。
しかし、それはきっと彼の持つ独特の雰囲気による物だろう。
傍から見れば、ただのブツブツ独り言を呟いて、気味が悪い奴だ。
森さんと会ったら、逢うとしたらきっと、面白いんだろうなぁ。と、彼は思うが、同時に絶対に遭って欲しくないとも思っていた。
「ありがとう、助かったよ。」
「いいえいいえ。」
ニコニコと手を振る。
過ぎ去る後ろ姿を見ながら思うことが一つ、彼にはあった。
「そっち西じゃねぇけど。」