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脆弱な小鳥

作者: 如月はな

放課後の家への帰り道。

日がまだ高く暑い。

手のひらを額にかざす。

それでも僕は汗ひとつかかない。

ただ単に体質なだけで暑いことには変わりない。

制服のカッターシャツの胸元をパタパタはたいて少しでも暑さを凌ごうとするがあまり効果はないようだ。

溜め息をつき、再度足を運ぶ。


僕の家は学校から離れた閑静な住宅街にあった。

母の祖母が唯一の遺産として遺してくれたのがこの家だ。

かつてはこの地区はデパートが立ち並び交通の便もはるかによくなるはずだった。

それが今では不景気の名の元にプロジェクトは廃止され、ぽつぽつと家同士が離れた少し淋しげな集落となってしまった。

それでも僕は歩くのは嫌いではなかったし、自転車通学をせず高校まで通っている。


形見の家だと言ってもそれは僕が五歳の時に祖母が亡くなり受け継いだのでそれまではまた違う家に住んでいた。

そこは今の家とは全く違う、古ぼけた薄汚い狭い1DKのアパートだった。

4歳までの話とはいえ僕はまだ覚えている。

僕はもう小鳥を拾ってこない。


その時も僕は1人で遊んでいた。

遠目に見たらもしかしたら白いワンピースを着た小さい女の子に見えたかもしれない。

母のお下がりの長袖の白いシャツを着ていた記憶があるから。

それでもまだ4歳の僕にはそのシャツの袖は長く、何重にも捲り上げていた。

家にいるのはあまり好きではなかった。

父はいつも酒を飲んで不機嫌そうな顔をしていたし、母はいつも濃く化粧をしていて(父より9つ年が若かった)あまり家に帰ってこなかった。

自分に被害が被るのを少しでも抑えようと太陽が沈みそうになるまでは出来る限り外にいたように思う。

それでも両親は幼稚園に通わせる関心もなかったようなので友達はいなかった。

しかし僕はあまりその事について悲観的になったりしかことはなかった。

昔から自分の周りの事に関して無関心だったのだ。


とにかく、その日いつものアパートの近くの遊び場にしていた空き地に僕は向かっていた。

その空き地は入り口には有刺鉄線が張り巡らされており、草は僕の背丈ほど生い茂っていて自分だけの隠れ家のようで楽しかった。

1人で日が暮れるまでそこで過ごしていたものだった。

いつも通り、4歳の自分ならなんとか通れる有刺鉄線の隙間から空き地に入る。

すると小鳥の鳴き声が聞こえた。

「チュン、チュン、チュン」

あまり聞いた事のない鳴き方。

好奇心からかその鳴き声の方へ足を進める。

視界が開けるそこに大きな木がありその根元に小鳥がいた。


一目で雀だ、と分かる。

しかしその羽毛はまだ綿毛のようにふわふわしていて、第一僕が近寄っても地面から飛び立たなかった。

(まだ赤ちゃんなんだ。まだ飛べないんだ)

あまりの可愛らしさに手を伸ばそうとすると。

「チチチチチ」と、上空からまた違う鳴き声がした。

空を仰ぐと木の上に雀がいた。

いつも見る何の変哲もない雀だ。

共鳴するようにまた小鳥が鳴く。

(どうしよう、このままじゃお腹も減るだろうし猫に食べられてしまうかもしれない)

4歳の僕は懸命に考えた。

意を決してその雀の雛を家に持って帰ることを決意する。

今思えばなんて残酷なことをしたのだろう。

その時は知らなかった。

鳥の親は雛が地面に落ちてもエサをやりに行くということ。

4歳の僕は無知すぎて野鳥の雛を育てる難しさも知らなかったのだ。

家に虫かごがあったので踵を返しとりあえずそれを取りに行く。

そしてその中に少しでも鳥の巣に模すように枯葉や小枝を敷き詰めた。

雛を捕まえようとするが地面を蹴りながら逃げるので当時の僕にはなかなか容易にはいかなかった。

途中、つんのめって雛の上に転びそうになる。

なんとか捕まえることに成功するが小さい小鳥は思ったよりの力で僕の掌の中でもがく。

虫かごに雛をつめ、家路に向かう。

もう日は暮れようとしていた。


「この鳥はなんだ?」帰ってきた父がダイニングで不機嫌な声を出した。

「克己が拾ってきたみたい」母がどうでもよさそうに言う。父が舌打ちをする。

僕は奥の寝室で心臓を高鳴らせていた。

本当は父にも見つかりにくいベランダに虫かごを置きたかったのだけど雛の鳴き声で雀が寄ってくるのでしかたなく、ダイニングに置いていたのだ。

「こんなものは捨てろ」

僕はとっさに寝室を飛び出した。

父がちょうど、通勤に使っている重そうな鞄を振り上げたところだった。


まず、初めに鞄は雛の入ったかごにぶつかる。

空中に投げ出され開いた蓋。

必死にもがく雛は。

その羽の抵抗をなんの力にもせず、地面に落ち。

そして虫かごの下敷きとなった。

その後にその鞄は勢い余って僕の額に当たった。

鋭い痛みが襲ったがその時は雛のほうが気がかりだった。

しかしすぐに駆け寄ることが出来ない。

そんなことをしたらまた何か口実をつけ殴られると思ったから。

だからしばらくそのまま地面に蹲っていた。


父と母はまだなにか言い合いをしていたようだけど喧嘩して気が発散されるとその後は安全だった。

そろり、とかごをどかせてみる。

雛は身動きもしない。

気絶しているだけかと羽を掻き分けるが外傷はなかった。

しかししばらくして血が少し付着していることに気付く。

でもそれは父の鞄が額にぶつかった時、どうやら金具に当たってしまったようで僕の額から出ている血だと分かった。

なんとなく小鳥の羽を開いてみる。

(扇子みたいで綺麗なんだな・・・羽があるのに飛べない気持ちはどんなのだったんだろう)

僕にはその無力な小鳥の雛が自分自身に思えた。

気が付けば父と母は眠っている。

いつものこと、いつものこと、だ。


その空き地を通り過ぎる。

今でも更地になっているが何故か雀のいたその木は切られてなくなってしまっている。

有刺鉄線はそのままなので18歳の今の僕にはもうその空き地に入ることは出来ない。

しばらくその空き地を見つめる。

その木の下に埋めた雛の死骸は骨も残っていないだろう。


昔、読んだ本でこんな話があった。

鳥の親は自分の子供を認識する時見ただけでは分からないという。

それは雛の容姿、匂い、鳴き声、しぐさ。

そんなものの全てのサインを含め親鳥は初めて子供を自分の子供だと認識する。

もし、サインを持たない雛がいれば・・・。

自分のテリトリーに入ってきた敵と見なし突き殺す、と言う。

僕もサインを持たない子供だった。

泣きもせず、喚きもせず、怒りもせず、笑いもせず、甘えもせず・・・。

だから僕は愛されない子供だったのだろうか?

確かにそのせいか、近所の人でも僕への両親の暴力や無関心は一部でも知られていなかったし、児童相談所などに通報されることもなかった。

いや、一度はサインを出したことはあったはずだ。それは最近父から聞かされた。

・・・まぁ、どうでもいいことだ。

長い間、そこに突っ立ていたせいか少し眩暈がした。

一体どれくらいの時間ここで考え事をしていたんだろう?

家までまだしばらくあるので、空き地の横の家の塀の日陰に移動し、カッターシャツをまた煽ぐ。

「克己じゃねぇの?」

と、右手の方から声がした。

「顔色悪いけど、気分でも悪いのか?」

少し軽薄に見える、耳にかかる茶色の髪の毛、涼しげな目元。僕の通っている学校はあまり校則は厳しくない、が・・・。

栗本慶介。入学以来何かと話しかけてくる。

あまり人と親しくしたことがない僕には、なぜクラスでも人気者のほうの栗本が僕に話しかけてくるのか分からない。

「別に、栗本こそなにしてるんだ?」

「今日バイク見に行くんだ。こっちの方にほしいバイクが置いてあるらしんだよな。しかし残念ながら今日は見に行くだけで足がないから後ろに乗せてやれないし。お前の家の前までついでに一緒に行ってもいいか?」

こういう時「心配だから家まで送って行ってやる」という言い方を自然にしないのが栗本の人徳なんだろう。

だから人付き合いが苦手だと言いつつも別に栗本を嫌っているわけじゃない。

「・・・あぁ、こっちだけど。遠回りじゃなかったら」

「いぃよ、俺。歩くの嫌いじゃない」と栗本は笑う。

「なんで歩くのが好きなのにバイク買うんだよ?」

「バイクはいいじゃねえか。世界が広がるって。克己も免許取れよ」

「僕はお前より歩くのが好きだから、まぁいいバイク買ってくれ。ほっておいたら地平線まででも歩いてみせるよ」と、僕は特に冗談で言ったセリフでもなかったのだが栗本は大笑いし、僕の背中を叩いた。

こんな奴と本当に友達になれるような自分だったら、もっと人生は楽しかったのかもしれないな。

1人で歩くより2人で歩いたほうがいいものだな、と思った。


「じゃあ、またな。」と、栗本は手を振り言っていたバイク屋があると言う方向に歩いていった。

僕は特に何も言わず黙って手を一振りした。またな、って明日も学校で会うじゃないか。

玄関を開けると父は勿論、母も帰ってきていないのが分かった。

これで4日目。無断外泊はしょっちゅうだけども次の日には帰ってきていた人だったからもしかしたら本格的に家を出たのかもしれない。

それでも僕の日常は変わらない。

それでも毎日は過ぎていく。

冷房を最強にしてあるその家は外がこれほど暑いというのに寒気を感じさせた。


夜、寝る前またあの雛のことを考える。

生まれてすぐ死んだあの雛。

僕はなんだかあの雛が羨ましかった。

あの雛はサインを持っていて親も懸命に鳴いていた。

雛が死んでしまった次の日、おそらく親鳥・・・がベランダの近くの電線にとまっていて何度も鳴いていた。

それからしばらくして・・・雛が死んだと悟ったのだろうか?

飛び去っていった。

刹那の命といえど、親に庇護され、大切に思われていたあの雛が羨ましかった。

でも諦めるのは昔から得意だ。

僕はこれから何度諦めることをするのだろう?



次の日、定時に目が覚める。

ダイニングに入り食パンを焼き目玉焼きを作る。

調理は出来る方なのだが自分の為に作る気にはなれない。

母が帰って来ないときに食にうるさい父が何もないのか!と怒鳴るのに閉口して作っていただけだ。


僕の住んでいる住宅街を抜けると通学する生徒達が見えてくる。

僕にとっては知らない人ばかりだ。

そこに飛び込むのがいつも少し抵抗があった。

まるで自分の居場所ではないような・・・。

いや、まさしくそうなのだろうが・・・。

朝の挨拶をする生徒達。

しかし僕に挨拶をする人はいない。

考え事をすると頭が痛くなる。

こめかみをこんこんごつく。

それでも足を踏み出す。

やっと昼休みになり屋上へと足を運んだ。

学校だけで言うと僕は優等生のほうなのだがひとつだけ悪事を働いた。

職員室にたまたま用事があり行ったときに、ある教師の机に鍵が置いてあった。

なぜそうだったのか分からないけれどそれが屋上の鍵だった。

昼休みはだいたいここで過ごした。

一人でいるほうがやっぱり落ち着く。

買ってきた菓子パンの包装をビリビリ破いていると、突然屋上の扉が開いた。

それはいいのだがこちら側への観音開きの為、少し屋根のある扉の横にいた僕は体半分、挟まれてしまった。

とても痛かったので思わず蹲っていると。

「あ~~。克己ちゃん・・・」と、なぜか栗本が僕をちゃんづけで苦笑いしていた。

「・・・僕に恨みでもあるわけ」

鼻を抑えながら言うと、

「すまん、すまん。実は真美に弁当いっこ多く作ってもらってさ」

ニコニコ笑いながら花柄の巾着の弁当が差し出された。

真意が読み取れず困惑する。

真美というのは深村のことだろう。

僕は話した事はないが栗本の彼女だ。

軽そうに見える栗本の彼女としては長い黒髪で黒目がちの可愛らしい子だった。

まぁ、それはともかくとしてなぜ深村が僕に弁当を作るんだろう?

「お前いつもパンだろ?」

「?なんで知ってるんだ?」

「お前たまに屋上の柵にもたれて飯食ってるだろ?あれ、教室から見えるから気を付けた方がいいぞ。たまには愛妻弁当・・・俺に対してだぞ?食えって」

そう言って更に弁当を差し出す。

僕はなんと言っていいか分からず曖昧に頷いて受け取った。


深村の作ったという弁当は僕の作る物とは違い色とりどりで女の子らしく、少々食べるのが気恥ずかしかったが美味しかった。

栗本はモリモリ食べている。

「なんで・・・」

僕は疑問だった台詞を口にしようとした。

栗本は目だけこちらにやり、掌を顔の前に差し出し「ちょっと待て」というジェスチャーをした。

あらかじめ用意してあったらしいお茶のペットボトルを一口飲み、もう1本を僕に寄越した。

「あ、ありがとう」

僕もペットボトルを空け、少し飲んだ。

「んで、どうした?」

口の中の物を飲み下したらしい栗本がこちらを見やる。

「なんで、お前は僕なんかに構うわけ?」

栗本のほうを見ずに僕は聞いた。

「なんか?なんかって何?」

心底、意味が分からない、と言う風に少し笑う。

「人に優劣なんてないだろ。誰かがないものを誰かが補ってる。何を定義に”僕なんか”なんて言うのかは知らないけど、自分の価値を無くしてるのは克己、お前じゃないの?」

意外に真面目な答えが返ってきて僕は少し面食らった。

いつも友達や恋人に囲まれ中心で笑っている栗本。

見下していたりしたことは決してなかったが、ふいに問うた僕のこんな質問に真摯に答えてくれるとは思わなかった。

僕はなんて言えばいいのか分からず、なんとなく無言になる。

しばらくお互い、何も話さず黙っていた。

すると、

「て、言うかさ」

栗本は少し言いずらそうに口にした。

「お前、俺の弟に似てるわけ」

栗本に弟がいたというのは初耳だった。少し驚く。

「知らなかった」

「双子だったんだ」

栗本はなぜか淋しそうに言う。

双子、だった?だったとはどういうことだろう?


「4年前、自殺したんだ」

「え・・・?」

勿論、それも初耳でさすがにかなり驚く。

栗本の方を見ると、そんな表情は初めて見たが遠くを見ていて、どこかいつもおどけいているような彼とは雰囲気が全く違った。

「一卵性だったんだよな。すごく仲がよかった。でも中学に上がるとお互い勉強や新しい友達とかできて忙しくてあまり話したりしなくなってた。でも、俺はどこかで昔から楽観的だったから・・・ましてや双子の弟だから・・・何かが変わるなんて思ってなかったんだ。いつも傍にいるって疑わなくて・・・」

僕は黙って聞いていた。

「その日は日曜日だったよ。ふと、弟の部屋の前を通り過ぎて、いつもは何も気にしないのに何故か気になって部屋をノックしたんだ。ノックは返ってこなかった。部屋に入ると、どうしてあんなに冷静だったのか今も不思議だけど、弟が血まみれで倒れてたんだ。首と手首をどこで手に入れたのか、サバイバルナイフでぶった切って。ピクリともしないしとっさに手首を掴んで脈をとろうとしたんだけど、弟の手首に触れた瞬間(ああ、こいつは死んでるんだ)って分かった。あの手首の冷たさは忘れられない。遺書というか軽い日記があったんだけど。慢性的な鬱、と言うのかな。特に悩み事や不満や、ましてや虐めなんてなかったみたいで、ひたすら何もやる気になれず無気力に苛まれ生きていてこれからいいことがあると思えない、と書いてあった。多分、最後のページは死ぬ間際に書いたみたいで血まみれだった。「兄ちゃん、ごめん」と書いてあったよ」

栗本はとても冷静に見えた。

僕には兄弟はいないから、普通の兄弟にどんな絆があるのか分からない。

だけど、とても辛いことなんだろうな、というのは想像できた。

「一番、腹立ったのは無責任に死んでいった弟じゃなくて自分自身だった。よく双子は片割れに何かが起こったら分かる、とか言うだろ?何も感じなかったんだ。何も。なんで俺は双子の弟に何も気付いてやれなかったんだろう?あいつは本当に何もかも諦めて納得して死んだのか?もし俺がもっと早く気付いてやれててせめて話を聞いてやっていたらあいつは死ななくてすんだかもしれない」

眉根を寄せると栗本はこう言った。

「どうしてあいつ、最後に他にも誰かにメッセージ遺せただろうに・・・。ほら、失血死ってそう簡単には死なないだろ。どうしてこんなろくでもない兄貴に、よりにもよってごめん、なんか言えたんだろう。その時のあいつの気持ちを考えると、なお更自分に腹が立つよ」

「・・・」

また沈黙が訪れたが次は僕の方から口にした。

「栗本と兄弟でいれて、一緒に過ごせた14年間。弟さんにとっては本当に大切なものだったんじゃないかな。栗本が弟さんを本当に思っていていたように」

栗本はそれには答えずに、

「たまにな、しんどかっただろう時期の弟とお前の目が重なるんだよな」

そう言うともういつも通りの栗本になっていてにんまり笑うと食べ終わっている弁当箱を回収しだした。

「話くらい、聞くから何かあったら言ってくれ。ま、言うなれば俺はお前が心配なんだよ」

ポン、と僕の肩を叩くと背伸びしながら立ち上がる。

「じゃ、俺はもう行くから。またな!」

昼休みが終われば嫌でも会うじゃないか。僕は苦笑する。

(心配なんだよ)だなんて初めて言われたかもしれない。

なんとなく、ねっころがると空を仰ぐ。昼時の今は本当に暑い。目を閉じ、また鳥のことを考える。


あれは小学校五年の時だった。

何気なくいつも通り帰路を歩いていると電柱の陰に鳥がいた。

一瞬、何か分からないが観察してみると羽の色合いから鳩の雛かと推測された。

電柱の上の巣から落ちたのだろう。

見上げてもよく見えないし親鳥の姿が見えない。

きっと餌をとりに行っているのだろう。

しばらく考える。

だけどもう大丈夫。

僕はもう小鳥を見過ごすことも見捨てることもしないし、あの日のように殺してしまうこともない。

その時には野鳥保護センターがあるということ知っていたのだ。


センターまでバスで行く。

鳩の雛は小さい段ボールに入れていった。

雀の雛と違い鳴いたりしなかった。

やはり普段見る鳩よりかは一回り小さく羽がふわふわしていて可愛らしい。

触りたかったが雛の負担になると思いやめておく。

センターに着くと、おずおずと受け付けに入っていく。

どうしたらいいのか分からず戸惑っていると奥から灰色の作業着を着た女の人が現れた。

僕の方を見ると微笑み、近づくと膝を屈め、

「どうしたの?」と聞いてきた。

僕はとりあえず経緯を話し雛が入った段ボールを女の人に渡した。

女の人は雛の体のチェックを慣れた手付きですると、

「大丈夫よ。怪我もしてないし。私が飛べるように練習させるからね。君はこの子の命の恩人よ」

そういうと僕の頭を軽く撫でた。

記憶の中で誰かに頭を撫でられたなんてそれが初めてかもしれない。

あの雛は飛べるようになったのだろうか?


ふと意識が戻ると、日は斜めになっていた。

どうやら寝てしまったらしい。

授業をサボったことがないので少し罪悪感が生まれる。

腕時計を見るとちょうど放課後が少し過ぎた時間だ。

こんな所でうたた寝してしまうとは・・・。

もしかして少し疲れているのだろうか?

何気なく屋上の端の鉄柵まで歩く。

校庭見見慣れた顔があった。

栗本と彼女の深村。

後はその友人達。

楽しそうに笑う栗本だが先ほどの弟の話を思い出した。

人はみんな、何かしら背負っていてそれを昇華して生きてるものなんだな・・・。

僕なんかにはそれでも強く生きる栗本がとても強く見えた。

僕は弱い。

逃げていてばかりで結局なんの解決にもなりはしなかった。

だけど、僕の場合どんな挑み方があっただろう?


家に着く。

なにか食べようかと思うが変な体勢で寝てしまったせいか関節が痛く、一食くらい抜いても死ぬわけでもあるまい、ととりあえずシャワーを浴びた。

髪の毛を軽く乾かすと早めに就寝する。


朝、起きた瞬間そのイメージは消えるものだが何か、とても悪い夢を見ていて目が覚めた。

起き上がろうとするがなぜか身体中が軋み、だるい。

額に手を当ててみると明らかに熱い。

夏風邪と言うやつにかかってしまったみたいだ。

本意ではないが学校を休むことにして学校に連絡を入れた。

おそらく、この異常までにもきつくしてある冷房も風邪のせいだろう。

受話器を戻そうとすると電話が鳴った(僕は携帯電話を持っていない)

しばらく迷ったがその電話に出てみる。

「あれ・・・?澤田さんのお宅ですか?」

なんだか聞き覚えのある声が聞こえた。

「はい、野村さんですね」

彼は父の同期でたまに家に飲みに来ていたりしていた。

「やっぱり克己君か。親父さんいるかい?ここ3日連絡取れないんだ。携帯も電源切ってあるし・・・。よく仕事をサボるヤツだから上にはなんとかごまかしてあるけどさすがにこっちも限界だよ。そろそろ出勤するように言っておいてもらえないかい?」

「父は帰ってきていません。もし連絡があったらこちらから連絡するように伝えておきます」

「ああ、頼むよ。克己君ももう学校が始まる時間だね。悪かったよ。じゃあ、親父さんによろしく」

電話は切れた。

僕は電話の回線を抜き、その場にへたり込む。

やはりもう隠し続けるなんてムリなのだろう。

ダイニングの扉を開ける。

微かに漂う異臭。

冷房を全開にしても腐敗は止まらないのだ。

ここから何歩か歩けば見えるだろう、隣のリビングのテーブルの影に。

父の死体が転がっているはずだ。

4日前の晩、父は僕を殺そうとした。

そして僕は父を殺した。


その日も父は酒に酔っていた。

僕は関わりたくなかったので自室にいた。

机で勉強しているとふいに僕の部屋の扉が開き、父が血走った目で天井を睨んでいた。

父は口の端で笑うと、

「お前、ちょっとこっちへ来いよ」

と、手招きする。

抵抗するほうがきっとひどい目に合わされる、と仕方なく僕は父の後に続く。

父はリビングのテーブルの椅子に腰掛け、更に酒をあおると一冊の手帳を僕のほうに寄越した。

「読んでみろよ。お前のことばかり書いてある。君子の日記だよ」

「母さんの?」

そんな物を勝手に読んでいいのだろうか?

どうしていいか分からずに僕は立ち尽くす。

「いいから、読め」

父は昔から僕の目を見ない。

こんなに会話するのはもしかしたら何年ぶりかもしれないのにどうでもよさそうに酒の入ったコップをくるくる回している。

状況は読めないがなぜか母の日記を読まなければいけないらしい。

何気なく開いてみる。

初めに飛び込んできた言葉は

”産むんじゃなかった”

ドキリ、として思わず手帳を落とす。

父には直接的に暴力を受けていたこともあったから僕をよく思っていないのは明らかだか母はいつでも傍観者であった。

その母の手帳・・・日付はしかも10年以上前。

そんな昔から僕は望まれない子供だったと言うことだろうか?

「安心しろよ。もう帰ってこない」

「・・・?」

「あいつ、好きな奴いたんだよ。それくらい俺だって知ってる。あいつは出て行ったんだよ。お前みたいな厄介者がいるからなぁ!!」

と、いきなりコップを投げてきたのでとっさに避けた。

「なんで生き返ったんだ・・・。あの時、お前が死んでたらこんなことにはならなかったのに。なんでお前、生きてるんだ!」

父の脈絡のない話に僕はついていけない。

意味も分からなかったが

「あの時、って?」

と口にすると、

「安心しろ、次は上手くやってやるから」と、18年、僕を殴り、痛めつけ、苦しめたその手が首に伸びてきた。


頭では本能が(抵抗しろ!抵抗しろ!)と叫んでいたが僕はもう面倒くさくなっていた。

また僕は諦めている。

僕はサインを持たない子供だ。

親鳥に突き殺されても仕方ない、と。

苦しかった。痛かった。でも僕はされるがままになっていた。

父の指がぎりぎり食い込み、顔が熱かった。

また父が笑う。

「今度は抵抗しないんだな。あの時はぴーぴー泣いてたのにな」

あの時・・・?泣いていた・・・?


瞬間、ある記憶が蘇った。


あれはいつの頃だろう。

僕は泣いていた。

これ以上、声が出ないというくらい泣き叫んでいた。

そうだ。

僕は。

前もこれと全く同じことがあったのだ。


まだ小学生の時だ。

鳩の雛を拾う前だったから本当に小さい頃だろう。

その日も父は酒を飲んでいて、機嫌が悪かった。

また間の悪いことに父と母は喧嘩をしていて母は家出をしていた。

学校から帰り、自分の部屋に行こうとした僕は父に掴まってしまい、回らぬ舌で責められた。

黙っていると、

「もういい、お前は死んどけ」と父は言い、大きな手が僕に伸びてきた。

僕は怖かった。

死ぬことが怖かったわけじゃない。

父の、正気でない、しかし僕を見ないその目が怖かった。

「父さん、父さん」

僕は必死に父に訴えた。

父は僕に近寄ってくる。

僕はじりじり後退していたが壁に突き当たりそのままずるずる地面に崩れ落ちた。

頭を掴まれ真正面を向かされると、父は僕の首を本気で絞めた。

「と・・・うさん・・・」

最後の息まで父の呼び続けたのに父は僕を殺そうとした。


そしてその後、僕は本当に心肺停止して蘇生したのかどうかは分からないが・・・あるいは親に殺されかけた、という事実が僕の記憶を消し去ったのかそれを忘れていた。


そうだ、僕は鳴けない小鳥ではなかった。

僕もサインを持っていた。

サインを持つ雛を親鳥が突き、突き、突き・・・巣から落とし、殺そうとしたのだ。


僕の中で今までにない怒りがこみ上げてきた。

それは生まれて初めて感じる感情だった。

サインに気付かない親鳥がいたとして・・・その雛が生き延びたとして・・・もし再会したら・・・雛は親鳥を親鳥だと認識できるだろうか?

いや、自分を巣から落とした鳥はただの自分の敵であり、そして若い自分のほうが力に満ちているに違いない。


薄れ掛けていた意識を懸命に取り戻す。

初めから老い始めたその手を振り解けることは分かっていた。

しかし僕は意図的にそれをしなかった。

自分がサインを持ってない子供で、例え命を奪われても仕方ないと思っていたから。

だけどそれは違った。

僕は父の腕を掴むと、足を払った。

父は床に横倒しになる。

半分、体当たりして天井を向かせると素早く馬乗りになった。

そして父の首に手をかけ、力を込める。

その後のことは細かくは覚えていない。

ただ、一度も僕の目を見たことのなかった父が殺されると悟った瞬間。

僕の目を真っ向から見据えたのを覚えている。

その時の父の気持ちはもう知りようはないけれど。


父の抜け殻を眺める気にもなれない。

ふと、栗本を思い出す。

彼には貰ってもらいたい物があった。


まだ午前中で学校は終わってないけれど、僕は制服に着替え学校へと向かった。


さすがに、高熱のまま炎天下を歩くのは無茶だったようで途中、何度かよろける。

それでもなんとか学校まで着き、かと言って授業中に教室に入るのは嫌だったので校門で立っていた。

すると幸いなことに遅れてきたのだろうか?栗本が1人で歩いてきた。

「お、克己じゃん。優等生のお前がこんな時間に校門にいるなんてどういうわけだ?」

と目をぱちくりする。

「うん、ちょっとしばらくこの街に帰って来れそうにないから、お前に貰ってほしいものがあるんだ」

と、言いつつどうして自分がこれを持ってきたか分からない。

でも栗本なら受け取ってくれると思った。

「ん?石?」

平べったいその石を目の前にかざして眺める栗本。

「その石は、なんて言ったらいいかな。一番いい記憶の中にあるんだ。あの日は父の会社の催しでバーベーキューをしに川に行ったんだ。父も母も機嫌がよかった。人目があったせいかもしれない。まあ、ともかく何気なく水切りをしたらすごい遠くまで飛んで行って・・・。父も母も褒めてくれたよ。必死でその石を探してずっと宝物にしていたんだ」

「いつ、帰ってくるんだ?」

栗本は石を大事そうに手の中に収めた。

「うん、本当に当分は戻って来れない。だから、栗本」

(ごめん)そう言いかけて僕は口を噤んだ。

「僕が弟さんならお前を誇りに思うよ。だからお前は自分のまま生きてくれ。また帰ってきたら学校に来るから・・・」

「・・・なら帰ってくるまでこの宝物を預かっておいていてやる。ちゃんと取りに来いよ。なんせ俺は物を無くしやすい」

「分かった。頼むよ。それじゃあ」

と、僕達は別れた。

しばらくそのまま歩いていると。

「克己!」

と、栗本の声が聞こえた。

彼が言うことは分かっている。


「じゃあ、またな!」


僕達は同時に言った。


家までは20分てところだった。

事件はすぐに発覚するだろう。

僕に逃げようはないだろう。

だから最後の幕引きは自分でしなければいけない。

父を殺したその日から僕は自室にロープを吊っていた。

それでも僕は幼い頃から変わらぬように一人で生きてこれた。

もう・・・充分だ。

栗本に石を渡したのもただの感傷だろう。

死んでいく自分を誰かに覚えていてもらいたいと。

栗本なら、自分の弟のように僕を覚えていてくれるだろう。


もう目の前にある生のゴール地点。

それでも1度も死ぬことに対して恐怖を覚えなかった自分を、少し不思議に思った。

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