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この人の四番目

「そいつだ、その男を殺せ! そうすればお前たちを開放してやるぞ!!」


人々の後背で兵士が叫ぶ。

追われる全員が、武器を手に雄叫びを上げて俺へと突進してきていた。


強制されているらしき彼らは、しかし迷いはないように見えた。

彼らが切迫した状況にあることは、兵士の言葉で十分に理解できた。


俺を殺そうとしている、何人もの武装した人。

まるでリアルな映画を見ているかのようだった。

シュールな光景だ、と思った。


あと十メートルもない。


だが、俺は冷静だった。

あるいは、スクリーン越しに世界を見ているような感覚のおかげかもしれない。

現実味の無さは、すなわち俺の余裕となっていた。


少し想像するだけでいい。

あとは意思があれば問題ない。


俺の前方数メートルまで迫ってきた彼らは、突然つんのめった。

走る勢いはそのまま地面と衝突するエネルギーと悲鳴に変わった。


俺の正面4メートルの地面には、二箇所に杭が縫い付けられている。

その二点を結ぶ間には、細長いロープがあった。

道端でよく見る、黄色と黒に塗り分けられた頑丈な紐だった。


引っかかっているのは、数人分の足首。

先行してきた人数分綺麗に転がっていた。


後に続いてきた者は、突然転倒した仲間に緊急停止。

倒れた人間というのは結構邪魔なもので、その分時間を稼ぐことができた。


起き上がろうともがく彼らに、薄い影が広く覆いかぶさる。

もがけばもがくほど絡まるそれは、大きな網だ。

運動エネルギーを持たせたそれは、自然とかかった人間に絡みついていく。

約半数の無力化に成功した。


網の塊の左右から、迂回した者が迫ってくる。

血走った目と、固く握られた凶器。

見慣れているはずもない、異常な光景だった。


それでも、俺はなんとか平常心でいられた。

魔法も問題なく発動した。


飛びかかる寸前の人々の前に、突如金属の棒が出現した。

進路を阻むように横並びに何本も現れたそれに、人の体が勢いよくぶつかる。

驚いて後ずさった彼らに、しかし退路はなかった。

武装した人々を囲うように背後と左右にも狭い感覚で棒が出現していたからだ。

彼らを覆う影は、上方にも行き場がないことを示していた。


現れたのは、鉄格子の箱二つ。

俺の左右を陣取るそれらには、何人もの人が詰まっている。

数人が棍棒で鉄格子を叩き折ろうとするも、そこまで脆い代物にするはずがなかった。


俺としては、当然殺されるわけにはいかない。

そして相手が俺を殺そうとしていても、俺が相手を殺す必要はない。

いや、殺すという考えが浮かばなかったと言う方が正しいだろう。

咄嗟に思いついたのは、相手を捕縛する術ばかりだった。


想像と現実の間に致命的な差異が無いことを確認して、正面を見る。

ただ一人、距離を保ったまま突進してこなかった者がいた。


茶髪茶目の男性。二十代後半くらいに思えた。

百六十八センチメートルの俺よりもかなり身長は高いように見える。

右手に持った木の棒を構える姿は、男の体に染み付いた武術の心得を感じさせた。


距離にして、十メートル弱。

間にはいまだもがき続ける網の塊がある。


あの男は、どうやって捕らえようか。

いや、策を弄する必要性は感じていなかった。

少し想像すればいいだけだからだ。


一瞬にして、男を囲う鉄格子が出現。

これで、全ての敵――と言うべきか分からないが――を無力化することに成功した。

女の言った実戦とやらは、これで終りを告げた。


状況の進展を求めて、後ろに振り返る。

球技場の観客席のようなニ階には、黒衣の女の姿があった。


つまらなそうな顔だ。

何を楽しみにしていたのか、考えたくもない。


俺が見ていることに気づいているはずだが、女は俺ではなく魔法で生まれた檻や網を見ているようだった。

ニ階の柵に体を預けて頬杖をついた女の目は、どこまでも退屈そうだ。


移動する視線は、奥にある一人用の檻に移る。

一転して女の口に笑みが浮かんだ。


耳が、聞き慣れない音をとらえた。

硬質な、甲高い悲鳴のような。

金属の軋む音のように思えた。

振り返った先。



――――鳥肌が立った。



背中を虫が這い寄っていくような、言いようのない鮮烈な感覚があった。

凄まじい違和感と、背筋の寒気。恐怖にも似ていた。


音の発生源は、最後に生み出した檻。

頑丈な金属製のそれはしかし、すでに本来の機能を果たしてはいなかった。


歪な菱形のように折れ曲がった、二本の金属棒。

変形した頂点には、人間の手が置かれていた。

開いた隙間から出てくるのは、閉じ込めたはずの男。



太い金属の棒を、腕力でこじ開けた――――



反射的に魔法を発動していた。

男を囲む檻が再度出現。一つではなく、二重三重に重なっていく。

段階的に棒の隙間が無くなっていき、ついには男の姿が見えなくなる。


あれは、何だった?

人間?別の何か?

それとも、俺の魔法に不備でもあったのか――――


内部から、くぐもった衝突音がした。

金属の檻の一部が内側から弾け飛んだ。

飛び出してきたのは、紛れもなく人間の片腕だった。


目の前で起きていることが、信じられない。

人間が出せていい力ではない。


檻に開いた穴はどんどん広がっていく。

半壊した檻から男の茶髪が見えた。

邪魔な部分を腕で折り曲げて、ついに全身が現れる。


先程となんら変わりのない姿。

腕を痛めた様子は全くない。

ターミネーターの一種だと言われたら簡単に信じてしまいそうだった。


男に動き。

目がそう捉えた瞬間、男の足元で床石が砕けた。

走るというより床すれすれを滑空していると言った方が正しいほどの、爆発的な加速。

俺がまともな反応もできない短時間で、一気に距離を詰めてくる男。

生まれた突風に押され、また押し返した時、すでに男は急停止を終えて俺の目前に佇んでいた。


目が合う。

厳つい茶色の眼は、ただ俺を睨む。


背筋が凍った。

生存本能が俺を後退させるよりも速く、男は俺の首を掴む。

全力の抵抗は全くの無意味だった。

足が宙に浮き、万力の圧力を首に感じた。


酸素の供給は立たれ、灼熱の苦痛しか感じられなくなっていく。

酸欠で色彩を失っていく視覚が、生命の限界を訴えていた。


死ぬ。


だから必死だった。

他に何も思い浮かばなかった。

これ以外に生き延びる方法はなかった。


大きな激突音とともに、圧力が弱まる。

男の腕から開放されて床に落ちた。

肺が求めるままに酸素を貪り、大きくむせる。

床についた右手は、石の硬さとは別に液体の感触を感じていた。


粘度の高い、赤い液体。

男の血。

俺のすぐ目の前には、数秒前まで男だったものが転がっていた。


頭頂部に開いた大穴が下顎を貫通していて、その直線上の胸部・腹部はまっすぐに削り取られている。

下顎の穴からは血液と骨が飛び散り、頭頂部からは脳漿が覗く。

削られた胸部と腹部は、それぞれ肋骨と腸の一部がむき出しとなっていた。

血は濁流となって溢れ続ける。


男の死体を、俺はただ凝視していた。

目を離せなかった。

あれほど激しかった呼吸は、傍らに寄り添う現実に止まっていた。


死者の眼は、いまだに俺を睨んでいる。

縁から血を流す様は、まさに俺を呪っているかのようだった。


鼻が血臭を捉えた。

同時に胃からこみ上げたものを、なんとか押しとどめる。

今度は自ら首を押さえていた。


左手は喉に、右手は口に。

嘔吐感の重々しさは、犯した罪を表しているかのようだった。



男を殺したのは、俺が発動した魔法だ。


男の頭上で生み出した石ころに、ありったけの運動エネルギーを鉛直下向きに与えた。

ただそれだけだった。


威力は見てのとおり、人を殺すには十分なもの。

石ころが男の体を貫通して落ちた先では、床石が深く抉れている。


至って単純で、だからこそ威力が望めた。

最適な対応だったはずだ。

もちろん、魔法の選択は間違っていなかった。


しかし、殺す以外にも――――



止めよう。



意味のないことだ。

不毛な審議だ。

現実は既に変えようがない。


状況的には、正当防衛として認められるはずだ。

後には俺の心の持ちようによっていくらでも変わる要素しかない。

考えることに意味はない。


膝をついている俺の頭上に、影が落ちた。


「殺られちゃうかと思ってたのに。ま、生きててよかったね。これであんたの有用性は認められた」


黒衣の女の声だった。

仰いだ先には、何の感慨も浮かんでいない顔があった。


「ほら、お偉い様方もみんなあんたの活躍を見てくれてたよ」


言われて見回すと、ニ階には多くの人が集まっていた。

高価そうな布地の服で身を包んだ、高官らしき人間たち。


何十もの視線に、人間味はないように思えた。

冷たく無機質な値踏みだけがあった。


こいつらから逃げなくてはならない。


ここはあまりにも異常な場所だと、今更のように思った。

ここが異世界であることは、俺にとって既に疑いようのない事実となっていた。


元の世界に、日本に帰りたい。

急に浮上してきた願いの達成を強く望んだ。


実現する可能性の大小だけは、考えないようにした。



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