ヒーローの悪行
左手にはナイフ、右手には血塗られた拳。俺の足元には今さっきまで俺に喧嘩を売っていたチンピラ。ピンピン動いていた体が、今じゃあウンともスンともいわない。
俺は人を殺した。
川口組の総長は俺の親父で、一人っこの俺はその跡取り。俊敏な動きとパンチ力で川口組撲滅を目的とした奴らを俺たった一人で逆に撲滅した。
だけど人を殺すのは初めてだった。
俺の舎弟に重傷を負わせた奴らも、俺の彼女を誘拐した奴らも、俺の財布をスッた奴もみんな意識不明で済ませた。
ただ昨日買った靴を踏まれた挙げ句、逆ギレされただけで人を殺すなんてな。
俺も落ちぶれたもんだ。
とりあえず証拠が見つかったらもう終わりだ。
カモフラージュするように自然に溶け込む埋め方でナイフを隠し、公園の水道で右手を丁寧に洗った。特に返り血も服に着いてないから完璧に証拠はない。俺はこれで殺人犯のヤクザではなく、普通のヤクザになった。
証拠は隠した。後は自然にその場から離れるだけだ。運良く周りには誰もいない。まあ深夜だからな。上手く遺体の第一発見者になればいいが、サスペンスドラマでまず犯人と怪しまれるのは第一発見者だ。俺は無関係の人間にならなきゃな。
俺は革靴だが、ゆっくり歩き、足音を立てずにその場を離れた。
俺は静かな住宅地を歩く。
もうすぐで俺は7代目のボスになるんだ。そう簡単に捕まってたまるか。
しばらく歩くと、深夜には珍しい怒鳴り声が聞こえてきた。喧嘩か。
だんだん怒鳴り声が大きくなる。家の灯りが点いている。知らんバカオヤジが酒でも呑んでから帰って来たのか?
だが、それではなかった。
オヤジは酒なんぞ呑んだ雰囲気すら無く、ちゃんとパジャマを着ている。子供も震えて泣き出している。母親もオヤジと一緒に何か言っている。そしてドアには見るからにヤクザっぽいスーツを着た奴らが三人。手には鉄パイプ。
「こんな時間に来るなんて卑怯だろ!!」
震えながら言うオヤジに対し、
「知らねえな」
ヤクザは開き直る。
「ご近所にも迷惑なので、もう帰ってもらえませんか」
閉店時間が過ぎているのにまだいる客に対する態度で母親が言う。
「こんな時間にならなきゃ、あんたらとも普通に話せないさかい」
「はよう、この家から出てくれなきゃなぁ」
「ここは手放しません」
「そ、そうだ!!」
「ぅえーん、怖いょぉ」
「うるせーガキ!!殺すぞ」
「子供も怖がってるじゃない!!早く帰ってください」
「知らねえなぁ、早ぐっ」
俺はこの会話を聞いて、あまりにも腹が立ってしまったのかつい手が出てしまった。
「兄貴ぃ」
その兄貴は俺が片手で持ち上げてる。
「さぁな、俺はお前らみたいな卑怯な奴は大嫌いなんだよ」
俺はそいつをブン!!と振り払って、向かいの家の門に当てた。
「お前らもそぅなりたい?」
「いえ、失礼しました!!」
「あいつ、もしかして…」
「いいから行くぞ!!ほら兄貴も」
子分らしき二人組は、意識が無くなった兄貴に肩を貸し逃げた。
ふぅ、悪い事をした時は良い事をしないとな。
「なんか、何者かは分かりませんが、ありがとうございます」
「いえ、あの、俺、あんな奴が嫌いなだけで、一部始終のやり取りを見てたら腹が立って」
ほんとの事を言ったのに、家族は俺を尊敬の眼差しで見ている。
「あの、よければ、ケーキがあるのでお礼にお茶でも頂いてください」
「あ、でも」
「シャン・エトワールのショコラケーキです」
「いただきます」
こいつ。俺がシャン・エトワールのショコラケーキが好きなのを知ってるのか?
家に入ってすぐにあるゴミ箱に、『金返せ』などを殴り書きされている紙が畳んで捨ててある。
「お恥ずかしい物を見せちゃって…」
母親はそう呟いた。
俺の目の前にシャン・エトワールのショコラケーキと紅茶が並べられる。シャン・エトワールのケーキは、買ってからすぐに冷蔵庫に入れ、二時間後に喰うのが上手い。俺の目の前にあるショコラケーキは、今まさに上手い環境だ。シャン・エトワールはケーキ屋では珍しく深夜までやっているからふと、ケーキが喰いたくなったOLにも人気がある店だ。
紅茶はシャン・エトワールの姉妹店のハーブ・エトワールの紅茶と気付く俺はもうエトワールオタクなのだろうか。なんかこの家族とは気が合いそうだ。
「上手いです」
「でしょう。どちらともエトワールのなのよ」
やはり、気が合いそうだ。
「お兄ちゃん」
「ん」
「お兄ちゃん、強いね。なんでこんなに強いの?」
今さっきまで震えながら泣いてたガキだ。どうやら俺の鮮やかな喧嘩に感動したらしい。ちょっとふざけてみるか。
「柔道、剣道、ピアノに茶道に習字、乗馬、エアギターを完璧にマスターし、毎日片足屈伸とジャブと昇竜拳とカメハメ波をそれぞれ100回ずつやれば強くなるぞ」
「だって、お母さん」
だってじゃねーよ。
せめてエアギターだけでもマスターすればいいじゃない。
「お兄ちゃんの喧嘩、ほんとにかっこいいね。まるでヒーローの戦いを見てるようだった」
「そうか?」
「うん」
「そうかぁ」
まんざらでもなかった。