第三編 優しさの値段—無償の親切と、利用される親切、その境界線—
人はしばしば「優しい人ほど損をする」と言う。
しかし、それは本当だろうか。
あるいは、優しさとは“損得”という尺度で語られるべきものなのだろうか。
優しい人は、他人の痛みや困りごとを自分のことのように感じ取る。
声に出されない小さなサインにも気づき、気遣い、手を差し伸べる。
けれど、その優しさがいつしか「当たり前」になった瞬間から、状況は歪み始める。
親切が“無償”ではなく、“無制限”として扱われるとき、その人は静かに摩耗していく。
優しさには、本来〝値段〟はない。
だが、価値はある。
価値あるものは、本来大切に取り扱われるべきだ。
しかし現代社会では、その価値が軽んじられ、優しさが“資源”のように乱用されてしまうことがある。
■ 1 優しい人はなぜ「損をする」と言われるのか
優しい人が損をする、という言葉の裏には、二つの誤解がある。
ひとつは、優しさを発揮する側の誤解。
もうひとつは、優しさを受け取る側の誤解だ。
“優しさを発揮する側”の誤解とは、
「助ければ助けるほど、相手も自分を大切にしてくれるだろう」という期待である。
期待自体は悪くない。
だけど、人はみな同じ尺度で物事を受け取らない。
「こんなに尽くしてあげたのに」と思っても、相手は「この人はいつもやってくれる人」としか認識しないことがある。
優しさが“価値”から“当然”へと書き換えられる瞬間だ。
一方、“優しさを受け取る側”の誤解とは、
「優しい人は無限に与えてくれる存在だ」という錯覚である。
これは本当に恐ろしい。
人の心は無尽蔵ではない。
体力のように、心のエネルギーにも上限がある。
しかし、優しい人ほど限界を見せない。
泣きたいときに笑い、疲れているのに引き受け、しんどいのに踏ん張る。
その結果、周囲は気づかない。
気づく頃には、優しい人はもうボロボロで、声を出す力すら残っていなかったりする。
■ 2 無償の親切と、利用される親切の境界線
では、無償の親切と、利用される親切はどこで分かれるのか。
境界線は驚くほどシンプルだ。
それは、「相手が“こちらの余白”を尊重しているかどうか」
無償の親切は、相手がその行為に感謝し、こちらの負担や時間、状況を尊重しながら受け取る。
利用される親切は、こちらの都合や限界を踏み倒し、「できて当然」「やって当然」と扱う。
同じ行動でも、相手の受け取り方ひとつで意味は全く逆になる。
例えば、荷物を手伝うという行動。
無償の親切として受け取る人は、「助けてくれてありがとう、あなたが大変だったら言ってね」と返す。
一方、利用する側は、「これもお願い。ついでにあれも」と、際限なく要求してくる。
優しさは“相手と自分を尊重する循環”の中で初めて成立する。
どちらか片方だけが与え続ける関係は、優しさではなく“搾取”である。
■ 3 優しさに“値段”をつけるという視点
優しさに値段をつける、とはどういう意味か。
たとえば、親しい友人に何度でも相談に乗るとしよう。
愚痴を聞く、アドバイスもする。
ときには夜中まで付き合う。
これらはすべて、時間と心のエネルギーを使っている行為だ。
それでも「無償」なのは、相手を思う気持ちがあるからだ。
けれど、もしその友人があなたの負担を当然と見なし、感謝さえ忘れたなら、どうだろう。
その瞬間から親切は“無償”ではなく、“無料扱い”に変わる。
優しさに値段をつけるというのは、
「自分の心と時間には価値があり、無制限には提供できない」ということを、自分自身にも相手にも理解させる行為である。
値段とは、金銭だけではない。
時間の価値、気力の価値、精神の価値。
それらを軽んじる人に、無条件に親切を与える必要はない。
■ 4 優しさを守るための“三つの境界線”
優しい人が「搾取される親切」を避けるには、境界線を持つことだ。
それは決して冷たさではなく、優しさを壊さないための“管理”である。
① 時間の境界線 — 自分の生活を犠牲にしない
手伝いたい気持ちがあっても、疲れているなら断っていい。
「今日は休みたい」
これだけで十分な理由だ。
② 感情の境界線 — 罪悪感を抱かない
相手を助けなかったからといって、自分が悪者になるわけではない。
助けすぎて壊れるより、助けられる余裕を保つほうが長く優しくいられる。
③ 役割の境界線 — 自分の責任範囲を明確にする
相手が解決すべき問題まで肩代わりしない。
優しさは「一緒に考える」ことであり、「全部やってあげること」ではない。
優しさの境界線を引くことは、冷たさの証ではなく、優しさを長く持続させるための知恵である。
■ 5 “優しいだけの人”と“優しさを持つ人”の違い
優しいだけの人は、相手の要求に従い続ける。
優しさを持つ人は、自分の心を守りながら相手に手を差し伸べる。
前者は疲弊し、後者は成長する。
優しさとは、相手のために使うだけでなく、
自分の人生を豊かにするために使ってこそ本当の価値になる。
優しさを持つ人は、自分の心を枯らさない。
だからこそ、誰かに優しくあり続けられる。
■ 6 優しさは「消費」されるものではなく、「投資」されるもの
本来、優しさとは“消費物”ではない。
使うと減るもの、与えるほど疲弊するもの、ではない。
本来は“投資”だ。
自分の大切な人間関係に投資し、自分の心の在り方に投資し、未来の自分が「やってよかった」と思えるように投資する。
しかし、投資が意味を持つのは、「回収の見込みがある関係」に対してだけだ。
“回収”とは、金銭ではなく、
・尊重
・感謝
・信頼
・誠実な態度
など、関係性そのものが育つことを指す。
利用だけする相手には、何を投じても関係は育たない。
そこに未来はない。
■ 7 優しさの“値段”を決めるのは、結局自分自身
優しさの境界線をどこに引くか、その線引きは自分で決めていい。
そして、その線は人生の状況によって変わってよい。
しんどいときは境界線を手前に置く。
元気なときは少し広げてもいい。
優しさとは、季節のように揺らぎのある感性の産物だ。
優しい人が損をするのではない。
境界線を持たない人が、損をするだけだ。
優しさに“値段”をつけるというのは、
自分の心の季節を知り、その揺らぎを尊重する行為である。
■ 終わりに — 優しさは「削られるもの」ではなく「守るもの」
優しい人が損をする時代は、もう終わりにしていい。
優しさとは、その人の“魂の質”であり、生き方の根である。
それを守るために境界線を持つことは、決して利己的な行為ではない。
優しい人が自分を大切にすること。
その姿勢こそが、世界を少しずつ良くする力になる。
優しさは犠牲ではなく、選択である。
そして、選択できる優しさこそが、最も強く、美しい。




