『嘘つき占い師の結婚相談──ゲス令嬢、ざまぁ未来』
春の庭園。
王宮のバラが満開を迎え、風に揺れる香りが辺りを包んでいた。
カトリーヌ=ド・ヴェルモンドは、鮮やかな赤いドレスを纏い、薔薇のアーチの下で待っていた。
心臓は高鳴り、頬はほんのりと朱に染まる。
──やがて現れたのは、彼女が待ち焦がれた王子、アルベール。
黄金の髪が陽光を浴びて輝き、柔らかな微笑みがカトリーヌに向けられる。
「待たせてしまったかな、カトリーヌ」
「い、いいえ……! わたくしも今来たところですわ」
普段なら誰に対しても傲慢な彼女が、王子の前ではただの乙女。
声は震え、頬はさらに赤らんでいた。
アルベールはそっと彼女の手を取る。
指先に触れただけで、胸がときめきでいっぱいになる。
「君と過ごす時間が、どんな政務よりも愛おしい」
「まあ……殿下ったら……」
カトリーヌは思わず俯き、視線を薔薇に落とす。
普段なら他者を罵倒する唇が、今は柔らかに震えていた。
二人は並んで歩き、庭園を抜ける。
バラの花弁が風に舞い、アルベールの肩にひとひら落ちた。
それを摘み取りながら、カトリーヌは勇気を振り絞って囁いた。
「殿下……わたくしは、殿下と共に未来を歩みたいのです。
どんな苦難も、どんな嵐も、共に……」
アルベールは足を止め、真剣な眼差しで彼女を見つめる。
その瞳に映るのは、ただ一人、カトリーヌだけ。
「誓おう。私は必ず君を王妃に迎え、誰よりも幸せにすると」
その言葉に、カトリーヌの目に涙がにじむ。
こんなにも愛しい気持ちを知ったのは初めてだった。
傲慢だと囁かれた令嬢も、今はただひとりの少女として愛を受け入れる。
二人は薔薇のアーチの下で立ち止まり、そっと唇を重ねた。
柔らかな口づけは、未来を約束する契りのように甘く、熱く。
──その瞬間、世界は薔薇色に染まり、二人以外は存在しないかのように思えた。
「愛しています、殿下……」
「私もだ、カトリーヌ」
幸せしかない未来を信じて、二人は固く手を取り合った。
それはまるで、永遠の王妃と王となる運命を祝福するかのように──。
(うふふ、これで王妃の座もまちがいないわね)
■
王都の西の外れ。森の影に抱かれた一軒の小屋は、昼であるにもかかわらず夜の帳を落としたかのように沈んでいた。
黒ずんだ木壁、苔に覆われた石垣、窓辺に吊るされた乾ききった薬草。通りがかる者は思わず早足になる。だが噂は絶えなかった──「あの占い師は何でも見通す」と。
重々しい馬車の車輪が止まり、豪奢なドレスの裾が土を払った。
降り立ったのは、ヴェルモンド公爵家の令嬢、カトリーヌ。
赤紫のビロードのドレスは夕暮れのように艶めき、金糸を編み込んだ髪からは宝石が揺れて煌めいている。だがその美貌を損なうように、口元には人を嘲る笑みが張り付いていた。
「……まあ。これがよく当たると噂の小屋? あまりにみすぼらしいじゃない」
鼻を鳴らし、彼女は護衛の騎士に顎で合図を送った。
軋む音を立てて扉が開くと、薬草と香木の混じる匂いが冷たく流れ出す。
小屋の奥に腰かけていたのは、年老いた女──占い師ミレーナ。
深く刻まれた皺の中から覗く瞳は、ただの老婆のものではない。澄み切った水底のように冷たく、訪れる者の奥底を見透かす光を宿していた。
「ようこそ……カトリーヌ様」
女の声は静かで低く、妙に落ち着いている。
「公爵家のお嬢様が、わたくしのような小屋を訪れるとは……いかなるお悩みで?」
カトリーヌは椅子を引き、裾を乱暴に払って腰を下ろした。
金糸の扇を広げ、うちわ代わりにゆったりと風を送る。
「悩み? 勘違いしないでちょうだい。私は不安だから来たわけじゃないの」
顎を高く上げ、彼女は薄笑いを浮かべる。
「ただ──殿下との未来を“確認”しに来ただけ。私が王妃となる未来をね」
ミレーナの瞳がわずかに細められる。
「殿下との……未来を」
「そうよ。あなたの占いはよく当たると聞いたわ。ならば私の輝かしい結末を、誰よりも先に見せてもらいましょう」
扇を閉じ、カトリーヌは身を乗り出す。
「王妃の座は、私のためにあるのだから」
しばし沈黙。
ミレーナは息を整え、やがて水晶玉に手をかざした。
「……承知いたしました。では、未来を覗いてみましょう」
小屋の中の空気が張り詰める。
香木の煙がゆらめき、水晶の奥に淡い光が広がり始める。
カトリーヌは思わず瞳を細め、その中を覗き込んだ。
「ふふ……ついに見られるのね。私が王妃として立つ姿を」
彼女の笑みは、すでに勝利を確信した者のものだった。
水晶の奥に、淡い光が渦を巻くように広がっていった。
はじめは靄のようにぼやけていたが、やがて輪郭を持ち、鮮明な光景へと変わっていく。
──豪奢な大広間。
高く掲げられたシャンデリアが燦めき、床には赤い絨毯がまっすぐ敷かれている。
左右にはずらりと並んだ貴族たちが頭を垂れ、荘厳な音楽が鳴り響いていた。
その中央に立つのは、冠を戴いたカトリーヌ。
真白なドレスに金糸の刺繍、首元には宝石が幾重にも光を放っている。彼女はゆっくりと手を掲げ、群衆の前に微笑みを投げた。
「……ああ、見えるわ。これこそ私の姿!」
カトリーヌの胸は高鳴り、扇を握る手が小刻みに震える。
目の前の未来は、彼女が長年夢見てきた「王妃の座」。その栄華が映し出されていた。
「やはり当然ね。殿下にふさわしいのは私以外にいない」
勝ち誇った笑みを浮かべ、カトリーヌは水晶を食い入るように見つめ続ける。
だが、次の瞬間。
──場面は急激に揺らいだ。
音楽が途切れ、絨毯の赤が鮮血の赤に染まっていく。
大広間の壁に反響するのは、荘厳な楽の音ではなく、悲鳴と混乱のざわめきだった。
「……なに、これは?」
カトリーヌは水晶を覗き込み、眉をひそめる。
だが彼女の目には、靄がかかったように見えなくなっていた。映像はミレーナにしかはっきりと見えていない。
水晶の中で血の海に立つひとりの少年。
まだ幼く、年の頃は十に満たない。だがその瞳には冷たい憎悪の炎が宿り、母をまっすぐ射抜いていた。
その相手こそ──カトリーヌ。
『……母上』
少年の声が水晶の中から響いた。
短剣を握る小さな手は震えていない。刃先からは赤黒い雫が滴り、床に落ちるたび波紋のように広がる。
『あなたのせいで、僕は……』
言葉は掻き消え、次の瞬間、短剣が閃いた。
豪奢なドレスが裂け、冠が転がり、赤黒い液体が飛沫のように散った。
カトリーヌの瞳は驚愕と絶望に染まり、声にならぬ悲鳴が喉の奥で掠れる。
床に崩れ落ちるその姿を、周囲の貴族たちは誰ひとり助けようとせず、ただ恐怖に顔を引きつらせて見守っていた。
水晶の奥で、その光景はしばし続いた。やがて赤い靄が画面を覆い、ゆっくりとすべてを飲み込んでいく。
「……っ」
ミレーナはわずかに目を伏せた。
胸が痛み、指先が震える。だが唇には、微かな笑みが浮かんでいた。
カトリーヌは満足げに椅子に背を預け、水晶を覗き込んで笑った。
「やっぱり! 見えたわ、私が王妃となって立つ姿を。
これで間違いない……私こそ未来の王妃!」
ミレーナは静かに手を下ろし、深い声で告げた。
「……ええ。殿下との相性は最高です。
きっと幸福な結婚をなされ、王妃として永く栄華をお約束されるでしょう」
その言葉は祝福の響きを帯びていたが、奥底には凍りつくような含みがあった。
ミレーナは水晶に手を触れたまま、目を閉じた。
心に浮かんだのは、あの日の記憶──娘エリスの姿だった。
エリスはまだ十六になったばかり。
栗色の髪を三つ編みにし、いつも母の手伝いで薬草を束ねては、明るく微笑んでいた。
「私も働いて母を楽にするの」
──そう言って奉公に出ることを誇らしげに話した夜の笑顔が、胸に焼きついている。
だが、仕えた先はヴェルモンド家だった。
カトリーヌ=ド・ヴェルモンドは、従者を人と思わない。
ある日、エリスが食堂で銀食器を並べるとき、手が少し震え、ナイフが音を立てて転がった。
「なに? 下賤な者は指先も満足に動かせないの?」
カトリーヌは冷ややかに言い放ち、扇でエリスの頬を叩いた。
「顔を隠すことも許さないわ。皆の前で恥をさらしなさい」
エリスの頬は赤く腫れ、女中仲間の視線が痛かった。
別の日。ドレスの裾を整えていた時、カトリーヌが唐突に振り返った拍子に裾を踏んでしまった。
「このドレスは王家から賜ったものよ! あなたの汚れた足で触るなんて……!」
怒声と共に平手が飛び、背中を蹴られ、エリスは床に倒れ込んだ。
従者たちは息を呑んだが、誰も助けられない。カトリーヌの機嫌を損ねれば次は自分の番だからだ。
さらに、言葉の棘は日常だった。
「あなたのような娘を持った母親は恥知らずね」
「貧民の血は努力しても汚らわしい」
そんな嘲笑を浴びせられるたびに、エリスの胸には黒い染みが広がっていった。
夜、母に宛てて小さな手紙を書いては破り捨てた。
本当は帰りたかった。だが「弱音を吐けば母に心配をかける」と、唇を噛みしめて耐えていた。
──そして、ある朝。
エリスは姿を消した。
誰も気づかぬうちに屋敷を抜け出し、森の奥へと入ったのだ。
枝に白布をかけ、小さな体を吊った。
風が吹き、彼女の栗色の髪が揺れた。
足元には、母に届けようと摘んでいた薬草の束が落ちていた。
瞳は閉じられ、唇にはかすかな笑みさえ残っていた。
その光景を見つけたとき、ミレーナは声を上げることすらできなかった。
喉の奥で血が泡立つように熱く、ただ膝をついて娘の冷たい手を握り締めた。
「エリス……」
涙は、もう出なかった。
泣き尽くしても消えないのは、胸の奥底に沈んだ怒りと、果てしない憎悪だった。
──娘を追い詰めたのは、カトリーヌ。
その名を心で呼ぶだけで、血が煮え立つように脈打つ。
「……だから、真実は語らない」
ミレーナは水晶を撫で、かすかな笑みを浮かべた。
「お前を終わらせるのは、必ずお前の血……」
小屋の薄闇に声が溶け、香木の煙が娘の魂のように漂っていた。
■
──それは誰も望まぬ未来だった。
カトリーヌ=ド・ヴェルモンドは、豪奢な王妃の座を手に入れた。
だが栄華の影は長く続かない。
彼女の息子は生まれながらに冷たい瞳を宿していた。
それは少年が持つはずの無垢さではなく、重く澱んだ闇の色。
王宮の者たちは囁いた。
「母の業が子に宿ったのだ」と。
「罵声と暴力で他人を傷つけた因果が、血に刻まれてしまったのだ」と。
そして──ある夜。
大広間に血飛沫が舞った。
少年は母を睨みつけ、短剣を振り下ろした。
床に崩れ落ちたカトリーヌの瞳は、驚愕と恐怖に彩られたまま二度と閉じられることはなかった。
「王妃が……息子に……」
その場にいた者たちは声を失い、ただ因果の結末を見届けるしかなかった。
──それは、予言通りだった。
だが今、その光景を見届けているのは、生者ではない。
黄泉の淵。
闇と光の狭間に、ひとりの女の影が佇んでいた。
占い師ミレーナ。すでにこの世を去ったはずの彼女は、なおも眼下に広がる人の世を見下ろしている。
水晶はもはや必要なかった。
因果は繋がり、報いは果たされた。
ミレーナの皺だらけの口元が、ゆっくりと歪んだ。
「……見たでしょう、エリス。
お前を追い詰めた女は、結局、自らの血に裁かれた。
因果は巡る。呪いは血脈に刻まれる……」
声は闇に溶け、しかし確かに響いた。
その笑みは祝福ではなく、復讐を遂げた者だけが浮かべる冷たいものだった。
そして彼女は、安らかに目を閉じた。
──悪役令嬢の栄華は、虚しい血の海の中で終わり。
残された息子の生もまた、呪いを宿した因果の牢獄となる。
それこそが、占い師の最後の予言であった。
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます!
悪役令嬢が王子との恋を夢見て、占い師に結婚相談に行ったら──未来はまさかの“ざまぁ”一直線。
作者的には「幸福のバラ園」と「血の大広間」のギャップを、ニヤニヤしながら書きました。
読者の皆さまはきっと、甘ロマンスを堪能した直後に胃の中に氷水ぶっかけられた気分ではないでしょうか。はい、それが狙いです。
さて、ここで恒例のお願いタイム。
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他の作品もいっぱいあるので、気になったら「ブックマーク」して覗いてみてください!
作者が夜中にひとりでにやける燃料となるのが「感想」なので、ぜひ一言でも!
あなたのワンクリックが、占い師ミレーナの呪いよりも強力に作者の寿命を延ばします(笑)。
どうか、因果応報の輪を回すつもりで──評価・感想・ブクマをよろしくお願いします!




