第八話 海水浴場
第八話 海水浴場
えりんに「フィリピンに着いたよ」と電話して夕方まで寝た。
夕方、大統領と、大統領彼女と、大統領兄貴が、迎えに来てくれた。
「ショウチャンパーティダヨ」と、大統領は久々の帰省でテンション上がっていた。
大統領の家族はボクシング一家で、地元では有名な家族なので、マニラと違い、治安的には安心なのである。思いっきりし守って貰えるのだ。
それでもホテルの従業員に上手にチップ渡せず、嫌がらせ一回と、国籍不明の出稼ぎ外国人と、一度喧嘩になりそうになったが、流石に外国なので上手く収めた。
日本とは全く違うので、極力危険は避けた方がいいだろう。でも、大統領は「ソンナヤツナグレヨ」と言っていたので、大丈夫なんだろう。笑笑 それから大統領の家に行ってパーティーが始まった。
今日だけかと思ったら、毎晩のように、夜は家族親戚みんなで集まるらしい。
来れる人だけ来ればよいが、来ればご飯が食べれるので、集まる方がお得だ。
一番生活が楽な金持ちの所に集まるので、大統領の家は、毎晩のように集まるらしい。みんな優しいし、楽しい。
まさに日本の昭和だった。子供の頃、じーちゃんの家に毎晩ご飯を食べに行って事を思い出す。
その事をえりんに電話すると、「早く行きよぉ〜」たいと羨ましがっていた。
大統領の家族は、パパ、ママ、兄貴、大統領、弟、妹だが、妹の彼氏はもう家族の一員で、しょっちゅう泊まっていた。泊まらない日の朝も、バイクで妹を彼氏が学校まで送って行くのだ。おおらかなフィリピンが羨ましい。日本だと校則がうるさくて、彼氏がバイクで送るなんて、夢の夢で、門番の先生が黙っていないだろう。なんかアメリカ映画みたいだった。
それから、弟も気さくで、自分がウヰスキー好きなのを聞いていて、買って来てくれたのだ。大統領一家は普段サンミゲルのビールばっかりのようで、ウヰスキーは誰も飲まないみたいだが、わざわざ買いにいってくれたのだ。
とりあえず、みんなでご飯を食べた。日本人みたいに酒だけなく、最初にある程度ご飯を食べるのだ。
箸はもちろん置いていないので、スプーンで食べるか、手づかみだ。最初、スプーンで食べていたが、豪には豪に従えで、手づかみで食べてみた。なんとその方が美味しいのだ。焼いた魚の身もご飯も、手づかみのほうが絶対に美味しい。
日本人が来ているので、手洗い用のボウルも用意してくれているので、清潔感もあるし、至れり尽くせりだった。家族親戚達と色々な話をした。
ドテルテ氏のおかげで治安が良くなった事、以前、親戚が大阪に住んでいた事、タトゥーの機械が日本橋に売ってる事や、闘鶏のカミソリは何故に日本は複数枚使うの?!とか、これはギャンブル好きのおっさんだけだが、笑笑。
タバコ爆吸いしながら男達はサンミゲルのビールを飲む。女の人達は、女子会で、チョコレートを食べる。なので日本からのお土産は、タバコとチョコレートがベストなのである。
当時、フィリピンにあったのか知らないが、友情の印に電子タバコをあげたのだが、変な酔っ払いのおっさんが、横取りして吸い出した。
「これええなぁ〜、俺がこれ貰うわ〜」と、多分地元の言葉で言っていたはずだが、大統領の兄貴が笑いながら
「あいつはどこの誰だか知らん」とか言って笑っていた。時々、知らない奴が来て平気でご飯食べて帰るらしい。その姿をみて、みんなで大笑いした。
おっさんは、電子タバコの機械は返してくれたが、そう言う奴がいても誰も怒ったりしない。そんなこんなで、自分はすっかり、フィリピンに魅了されてしまった。
後に親戚がタトゥーの職人らしくて、大統領ファミリーに無料でタトゥーを入れてくれるようになった。ママは可愛いらしく腕に入れて貰ったりしていたが、高校生の妹も入れたいと言うと、大統領は怒り狂っていたので、妹想いの世界共通の倫理観があるみたいだった。
そう言う所もなんかフィリピンええなぁ〜が助長していった。
それからパーティーは終了した。これからが大人の時間である。
大統領の友人で、『ボス』と呼ばれているまさに陽気なおっさんが現れて、女買いに行こうと言う事になった。
この街は田舎なので、マニラみたいに大っぴらに商売やっていない。
なので、車で秘密の場所に向かうのであった。ボスはまさに大統領フレンズのボスで食堂を経営していた。
奥さんは出て行ったらしいが、可愛い娘のために昼間はがっつり働いて、夜は遊び人に変身する。笑笑
なので色々な遊び事を知っていた。次の日ボスに連れられて、ボレット(拳銃の弾)を注文しに行くのだが、ついでに大麻を吸えないかと聞いたが、大統領が、
「ダメヨ、ウチハケイサツファミリーダカラ」と流石に断られてしまった。
まあ、別に銃さえ撃てれば良かったので、銃だけ頼むと伝えた。
大統領は結構真面目と言うか、大統領のファミリーは全然まともなのである。だから安心出来たし、合法な遊びなら積極的になんでも来いなのであった。
車で三十分、四十分行くと、飛田や昔の神南新地みたいな雰囲気の通りがあって、その一角に車を停めた。
雰囲気が似ている感はあるが、日本みたいに堂々とはやっていない。
喫茶店に入り、そこのママに何か言うと、店の二階にあげてくれるのである。
ボスに連れられて何人か紹介されたが、マニラのお姉いちゃんと比較すると、まるで比較にならないのである。
しかも相性も悪くて、英語が話せないのである。言葉が全くわからない。タガログ語でもサビア語でもないらしい。
言葉も通じんことには、どーやってセックスすんのやろ?!と思ったが、今回はパスと言う事になった。
まーボスも「今夜はあかんなぁ〜」と言っていたし、まあ明日もあるやん、と言う事で、ホテルまで帰る事になった。
そして、次の日の朝、ビッチェに行こうと大統領がやって来た。最初何を言ってるかわかんなかったが、ビッチェは、『ビーチ』の事だった。フィリピン人独特の言い回しがある。そしてそれも逆に、立派な糞気取った英語ぢゃない事に、英語が公用語でない日本人としては共感が持てた。
空は曇っていたが、昨夜の親戚達、プラスさらに友人や子供達も増えていたので、ビーチでは、ワイワイと楽しく、気分は上々だった。
海の家は日本みたいに一ヶ所固まるのではなく、バラバラに点在し、売り子のお母さん達が、そこにモノを売りに来るスタイルなので、大統領ファミリーだけの小屋というか、各々のファミリーの為の屋根付きテラスがあった。
知らない子供達とも打ち解けて、海の中で遊んでいたが、大統領が、突如
「ヤバイカラアガッテ〜」と言うと、みんな上がりだして、それから十分もしないうちに、大雨になった。それは全く日本人の感覚ではない雨だった。所謂スコールだ。
洒落にならない勢いだった。日本なら間違いなくニュースになる。
どしゃ降りどころか、台風そのものなのである。しかし、みんなそのテラス小屋の中で、ワイワイと楽しそうに話をしながら、火を起こし、サザエみたいな貝を焼き出した。
子供達はジュースを飲んで、おっさんたちは、サンミゲルを飲む。
自分には誰かが、ウヰスキーくれたので、ウヰスキーを飲んで、雨の大風吹のなか、ええ感じで酔っていた。
三十分くらいでスコールが止むと、今度は晴れて来た。いつもこれが日常生活なら困るなぁ〜と思ったが、誰も困った感を感じなかった。当たり前の日常なのだろう。
ご飯も食べたので、もうみんな帰ろうと言う事になった。メリハリのあるビーチのレクレーションは、逆にダラダラするより心地良かった。
それから大統領が、ボスに電話して、「ガン、イコウカ」と言い出した。全然疲れていないのである。
大統領も限られた時間しか此処には居れないので、やる事はやっておきたいのだろう。ボスと合流し、射撃場に向かった。
続く〜