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第2話

 燃え盛る我が家を背に、俺、日浦陽太は人生最大の選択を迫られていた。




 右には、氷室家の財力と権力を背景に「一生養ってやる」と豪語する超絶美形エリート、氷室雪弥。


 左には、底知れぬ無償の愛と鈍器で、「二十四時間体制であなたを守護する」と微笑むヤンデレ霊能者、雨夜雫。




「……悪いけど、雨夜さんの家には行けないよ」




 俺がそう告げた瞬間、雨夜さんは露骨にがっかりとした仕草を見せてくる。しかし、俺は言葉を続けた。理由をしっかりと説明して、納得してもらいたかったのだ。




「女の子の家に、俺みたいな男が泊まるだなんて絶対におかしいよ。近所の目もあるし、雨夜さんの評判に傷がついたら責任取れない。だから……今夜は氷室くんの世話になるね」




 その瞬間、氷室くんの唇が勝ち誇ったような笑みを描いた。対する雨夜さんは、絶望に打ちひしがれてしまうのかと思いきや――その頬を、薔薇のような赤に染めていく。




「……ああ、やっぱり。陽太くんは、私の体を狙うような軽率なヤリモク男じゃなかったんですねぇ。私の純潔まで守ってくれようとするなんて……。そのストイックで高潔な魂、ますます愛さずにはいられません」




「……え、あ、いや、そうだけどそうじゃないというか……」




「今日は退きます。陽太くんの誠実さが確認できて、私は満足です。……ふふ、おやすみなさい、私の運命の人」




 雨夜さんは満足げに深く一礼すると、自転車を漕ぎ、闇へと溶けるように消えていった。……でも、どこからどう見ても、あれは「諦めた」顔じゃない。むしろ「次の侵入経路を計算している」顔だった。気がした。




******




「はははは! 見たか、あの無様な女の負け犬っぷりを!」




 氷室くんが手配したという最高級リムジン。その本革シートに深く腰掛けた彼は、シャンパングラスこそ手にしてはいないものの、態度はまさに帝王のそれだった。




「賢明な判断だ、陽太。あんな陰気で醜悪な女の家に泊まるなど、正気の沙汰ではない。家柄も知性も底辺、おまけにあの不潔な鈍器……。あれを人間と呼ぶのは、猿に対する侮辱だろう」




 氷室くんの舌は滑らかだった。これまでにないほど饒舌に、去っていった雨夜さんへの罵詈雑言を並べ立てていく。


 そんな彼のあんまりな言動に、俺の心はどんどん冷え切っていくようだった。




「……氷室くん、いい加減にしてよ」




 俺の低い声に、氷室くんがピタリとお喋りを止めた。




「陽太? どうした? 何か心配な事でも? 怪異の事なら安心しろ、別邸に着けば最新鋭術式の結界が――」




「さっきから聞いてれば、そんな風に人の容姿や家柄を馬鹿にして。絶対によくないことだと思うよ」




 俺は車窓の外、流れる夜景を見つめたまま、率直な今の気持ちを言葉にした。




「もちろん、俺を助けてくれたのは感謝してる。でも……正直、今の言い草はがっかりしちゃった。氷室くんって、顔はいいし何でもできるんだろうけど……あんまり性格が良くないんだね」




「…………え?」




 車内が、凍りついた。


 氷室雪弥という男の時が、物理的に止まったかのようだった。




◇◆◇




 彼はこれまでの人生、全人類から肯定される側だった。


 氷室家の嫡男として生まれ、圧倒的な美貌と才能を与えられた彼は、何をしても、何を言っても「氷室様だから」という理由で許されてきた。


 彼の傲慢さは「自信」、彼の毒舌は「鋭い洞察」、そんな風に、周囲の人間が勝手にポジティブな解釈を加えてきたのだ。




 そんな彼が、今。


 世界で初めて、正面から「性格が悪い」と切り捨てられたのである。




「ぼ、僕の……性格が……良くない……?」




 氷室の顔から血の気が引いていく。


 プライドを傷つけられた怒りではない。それは、生まれて初めて「自分が否定された」ことへの、純粋な恐怖と混乱だった。




 ましてや、相手は自分が人生で初めて「価値がある」と認めた、日浦陽太なのだ。


 その陽太に「がっかりした」と言われた衝撃は、特級怪異の呪いよりも遥かに深く、彼の魂を撃ち抜いていた。




◇◆◇




 辿り着いた氷室家の別邸は、迎賓館かと見紛うほどの豪邸だった。


 だが、主であるはずの氷室くんの様子が、どことなくおかしい。




「こ、ここが……お前の部屋だ。陽太。……な、何か不満があれば言え。ベッドの硬さ、枕の高さ、あるいは……性格。俺は、その、改善が必要な点については柔軟に対応する用意が……」




 さっきまでの傲慢なオーラはどこへいってしまったというのだろう。彼はしどろもどろになりながら、捨てられた仔犬のような目で俺の顔色を窺ってきている。ちょっと心配になるが、今は、とにかく、眠たかった。




「……え、ああ。うん。部屋、すごい綺麗だね。ありがとう。……もう疲れちゃったからさ、寝てもいいかな?」




「あ、ああ! そうだな! 睡眠は重要だ! 僕は……僕は、お前に嫌われたくて暴言を吐いたわけではなくて……」




「氷室くん、おやすみ。今日は助けてくれて、本当にありがとう」




「お、おやすみ……陽太……」




 パタン、とゲストルームの扉が閉まる。


 俺はふかふかのベッドに倒れ込み、一瞬で意識を手放した。




◇◆◇




 一方で、扉の向こう側。


 氷室雪弥は、豪華絢爛な廊下の床に膝をつき、頭を抱えて座り込んでいた。




(性格が良くない……がっかりした……嫌われたのか? 僕は、陽太に嫌われたのか!?)




 深夜、静まり返った豪邸に、エリート術師の低いうめき声が響く。


 どうすれば「性格を良く」できるのか。怪異絡みであれば難なく見つける事の出来る即時的な解決方法を、彼は今までの人生経験から、どうしても見つけ出すことができないのだった。




 そんな彼の様子を。


 氷室家別邸の美しい庭園の樹齢百年の大木の上から、雨夜雫が冷ややかに窓を覗き、見つめていた。




「……ふふ。自業自得ですよ、氷室さん。一時的な勝ちに浮かれて過剰にマウントなんて取るから。……安心してくださいねぇ、陽太くん」




 雨夜は月明かりの下、愛用の鈍器をぎゅっと抱きしめる。




「陽太くんのことは、私が必ず、守ってあげますからねぇ」




 エリート術師の絶望と、ヤンデレ霊能者の狂気。


 陽太の安眠を妨げる影は、怪異よりも濃く、深く、そこに在るのだった。

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