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第1話

「――いいか、日浦陽太。この国において『除霊』とは、法に基づいて管理された国家事業なんだ」




 「目」の怪異を二人に倒してもらった後。オカルト研究会の部室を後にしようとした俺の背中に、氷室くんの冷徹な声が突き刺さる。


 彼は懐から、金縁の重厚なカードを取り出した。そこには『国家公認一級霊能術師・氷室雪弥』という文字が刻まれている。現役大学生がこんな資格を保持しているだなんて、弁護士資格よりも更に有り得ないことだ。




「『霊的災害対策法』に基づき、怪異の処理はライセンス保持者の専売特許だ。無免許での術行使、および霊的物品の所持は厳罰の対象となる。……お前も聞いているのか、そこの塩靴下女」




「……あは。難しい言葉はわかりません。私は、陽太くんの害虫を叩き潰しているだけですからぁ」




 雨夜さんは、氷室くんの威圧など微塵も気にしていない様子で、粗塩の詰まった靴下という鈍器を愛おしそうに撫でた。




「いいですか、氷室さん。ライセンスなんていうのは、『他人の許可』がないと愛せない弱者の言い訳ですよ。私の愛に他人の許可なんていりませんし、もちろん対価もいりません。これは自給自足の無償の愛なんですよぉ」




「……この、法も論理も通じぬ害獣が。貴様のような汚らわしい野良霊能者が陽太に近づくこと自体、公衆衛生上の問題だ」




「陽太くんを『公衆』なんて安い言葉で括らないでください。彼は私の、私だけの神様なんですからぁ」




 ……ダメだ。この二人、一生話が噛み合わない。


 俺は二人の視線が再び火花を散らしはじめた隙に、部室のドアを静かに閉め、全速力で部室棟を駆け下りていった。




******




「……はぁ。なんか、疲れちゃったな……」




 大学からの帰り道。夕暮れの街を歩きながら、俺は深いため息を吐いた。




 正直、雨夜さんのおかしな言動に関しては、俺にも責任があるのかもしれない。


 二週間前の、あの雨の日。


 大学の玄関で、雨が止むのを待っていた雨夜さんに、声をかけたのは俺の方だったのだ。




 あの頃の雨夜さんは、今よりもなんというか、もっともっと影が薄くて、陰鬱そうな雰囲気をまとっていた。


 折れた傘を手に、途方に暮れた様子で、降りしきる雨を眺めていた雨夜さん。


 俺には、彼女に、低級な怪異『雨滴らし』が憑いてしまっているのが見えた。常に彼女の周囲だけ、雨が降り続く呪いにかかってしまっていたのだ。依代体質である俺は、常にあらゆる怪異に付き纏われている。ひとつふたつ増えてしまったって今更だろうと、つい、雨夜さんのその呪いを「肩代わり」してしまったのだ。




「ねえ。俺はビニール傘も持ってきてるから、良かったらこれ、使って」




 予備の折り畳み傘を差しだして笑いかけた俺を見て、彼女の瞳が異常な光を宿した瞬間を、今でも覚えている。


 俺にとっては日常茶飯事のお節介のつもりだったのだけれど、後から人伝に聞いたところによると、大学内でいじめを受けてしまっていた彼女にとって、どうやら俺は初めて彼女に手を差し伸べた救済者だったらしい。


 その日からだ。彼女が眼鏡を新調し、髪を整え、華やかなメイクを身にまとって、俺の部屋の合鍵を勝手に作り始めてしまったのは。




「まさか、こんなに必死に恩返しをしようとしてくれるようになっちゃうとはな……」




 雨夜さんについて思い返しながら帰り道を歩いていると、やがて日は沈みきり、俺は自分の下宿先のアパート、『白樺荘』に無事帰ってこれた。少しだけ安堵する。


 築四十年のボロアパートだが、ここは立地的に怪異の出没が少ない。実家から出て、大学へ通う為の一人暮らしを開始する時に、治安の良さで選んだ物件だった。


 だが、その安堵は一瞬で凍りついてしまう。




「――ケ、ケケケケケケ、キャオーン!!」




 不気味な叫び声のような獣の鳴き声が、夜の帳から響く。


 アパートの屋根に、青白い火の玉が一つ、二つ……いや、数十個と浮かんでいた。




「狐火……!? なんでこんなに……」




 依代体質のランクが上がってしまったとでもいうのだろうか。俺の霊力に引き寄せられたらしい妖狐共が、群れをなしてアパートを囲んでいた。


 狐火が屋根に触れた瞬間、爆発的な勢いで青い炎が燃え広がる。




「あ、アパートが! 俺の、俺の家が!!」




 絶叫したが、もう遅い。狐火は霊的な炎だ。普通の消火器など通用しない。


 青い炎は一瞬で俺の部屋を飲み込み、新調したばかりの家電も、大学の教科書も、安物の布団も、すべてを無慈悲に灰へと変えていく。




 呆然と立ち尽くす俺。その背後に、二つの気配が同時に降り立つ。




「――ああ、遅かったか。安アパートなど、怪異への防御力が皆無だからな……」




 派手に妖狐共を轢き飛ばしたらしい黒塗りの高級リムジンから、氷室くんが悠然と姿を現す。彼は燃え盛るアパートを一瞥もせずに、ただ俺の肩を抱き寄せてきた。




「安心しろ、陽太。失ったゴミの代わりはいくらでも用意してやる。氷室家の別邸に来い。二十四時間体制の結界と、僕による最高級の守護。お前は今日から、そこで一生暮らせばいい」




「……え、っと」




 家を失ってしまった直後だし、とてもありがたい申し出ではあるのだが、妙に押しの強い氷室くんがなんだか怖い。一生だとか言っているし。あと、俺の私物はゴミではない。


 俺が答えに迷っていると、真横に雨夜さんが歩み寄ってきた。傍らに自転車が停まっている。まさかだけれど、リムジンと並走してきたのだろうか。凄すぎるだろ。




「陽太くん。氷室さんの家なんてダメですよぉ。監視カメラが至る所にあります。プライバシーがありません。私の部屋なら、カメラなんて一台もありませんからぁ」




「……いや、雨夜さんの部屋もそれはそれで怖いんだけど……」




「大丈夫ですよぉ。カメラの代わりに、私自身が寝ずに陽太くんのことを見守り続けます。……ね?」




 雨夜さんの黒縁眼鏡が、燃え上がるアパートの青い火を受けてギラリと光った。




「おい、陽太。僕の車に乗れ。それとも、この野良犬の巣にでも行くつもりか?」


「ほら、陽太くん、私の手を握ってください。今夜は一緒に、私の布団で『安全』を確かめ合いましょう?」




「「さあ!!」」




 燃え落ちる我が家を背に、俺は悟った。


 怪異に殺される心配は、もうないかもしれない。


 だが、俺の人生の安寧は、この瞬間に完全に灰になったのだということを。

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