第一話
ある小説を読んで、俺は万引きという罪を犯そうとした。
だが、それはある人物によって儚く終わってしまった。
俺が罪を犯す前に、他の誰かがやってしまったのだ。
その万引き少年がどうなったかというと、店員にこっぴどく叱られていた。
その怒りの様に俺は犯罪に手を染める気が失せた。
少年のようになりたくないからな。
俺はとぼとぼと自転車を押しながら帰路へと着く。
万引きをせずに手に入れた牛肉を抱えて。
今夜は焼肉パーティだそうだ。
主催者は誰かというと俺の友人の山崎である。金は彼から渡されていた。
だから、別に万引きする意味なんてない。ただ、やってみたかっただけなのだ。
ある小説の主人公のように。
「私たちは悪と戦うべきなのです」
自分の住まいの道筋にある公園から少女の声が聞こえた。
マイクを使っているのかその声は反響している。
透き通った綺麗な声だった。
その声から美少女の顔を連想させる。
少し覗いても問題ないだろうと思い、興味本意で自転車を押しながら公園へと向かうことにした。
ちなみに俺は自転車に乗ることが出来ない。
昔の話になるが、自転車を漕いでいるときに橋から落ちてしまったのだ。
それ以来、俺は自転車に乗ることが出来なくなったのだ。
そんな俺が何故、自転車を使っているのかというと、これまた小説の影響である。
そうこうしているうちに公園の前に辿り着いていた。
俺は意を決して公園の中へと入る。
そこにいたのはやはり(とびっきりの)黒髪美少女が一人、マイクを持って立っていた。
雪降る夕方の公園で一体何をしているのだろうか?
そんな疑問も彼女の言葉を聞いていたら解決した。
「私たちはある敵によって、不幸になっているのです」
「さあ、今こそ立ち向かいましょう」
「私たちは武器を持つのです」
「言葉だけではどうにもならないことがあるのです」
「今こそ、私たちが団結して戦うときなのです」
「敵はこの人です」
そう言って、彼女は大判用紙に描かれた敵を掲げて見せた。
それは何とも言い難い敵だった。
ぱっと見、人間であるように思えるが、よく見ると人間でないようにも思える。特徴的なことといえば、全身黒ずくめぐらいだった(特徴としては十分すぎると思えるが)。
そんな姿を見て、彼女も俺と同じなんだと思った。
何かに影響されたのだ。
何かに触発されたのだ。
使命感が生まれたのだ。
正義感が生まれたのだ。
それは脅迫じみたものである。
もしかしたら、彼女をこうさせたのは俺が読んでいる小説と同じ内容のものなのかもしれない。
もしもそうならば、彼女と俺の関係はより親密なものへとなり得るだろう。
いくら彼女と一緒と言ったところで、俺は彼女のように大それたことはしないだろう。人の視線を感じない方法で行動するだろう。
そう考えると、彼女と一緒にするのは間違っているのかもしれない。
だからなのかもしれない。俺が彼女に惚れたのは。
近いけど、遠い。この距離がそうさせたのかもしれない。
とにかく、俺は彼女に惚れた。だから、声をかけることにした。
「何をしているの?」
彼女は俺に対して何の反応も示さず、演説(勧誘?)を続ける。
少しぐらい聞いてもいいのではないか?と少し不満に思ったが、俺は彼女の邪魔をしていることに気付く。
仕方なく、彼女の演説が終わるのを待つことにした。自転車のカゴに置いてある牛肉が腐っていないかを心配しながら、地面に落書きをして。
そうこうしているうちに、彼女の演説が終わった。
そのときには既に陽は沈んでいて、辺りは真っ暗になっていた。
公園の入り口付近にある街灯から零れる微かな光が、俺たちにとって唯一の光源だった。
「ねえ、ここで何しているの?」
マイクを片付けている彼女に声をかけてみた。
「え、まだいたの?」
今度こそはちゃんと反応してくれたようだ。
「いやあ、君のことが気になってね。それよりも、何でこんなことしているの?」
「別に……あんたには関係ないでしょ」
まあ、ごもっともなんですけど。しかし、惚れている女を真夜中の公園に放っておくことなんてできるわけないしな。
「もしかして、一緒に敵と戦ってくれるの?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど」
期待に満ちた眼が俺のたった一言により、一瞬として消え失せていくところを見て後悔した。
肯定的に答えておけば、彼女に近づけていたはずなのに。
「あ、そう。じゃあ私帰るから」
彼女は俺に背を向け、アンプを抱えながら公園から出ようとする。
今、呼び止めなかったらもう二度と彼女と関わることが出来ない。
そう思った俺は無意識のうちに彼女の持つアンプを掴む。
「ねえ、重そうだね。持ってあげようか?」
彼女は俺の善意を払いのけて、俺の方へ振り向く。
近くで見た彼女の顔は確かに美少女だった。
「さっきからあなた何なの?もうこれ以上私に関わらないでよ。邪魔だから」
俺は何も言えずに、アンプを持ちながら立ち去る彼女の後ろ姿を見守ることしか出来なかった。