8 田舎者は友に呼ばれる
「ごめん、もう一回言ってくれ」
授業が終わり、僕は帰る支度をしていた。
後ろから自分に話しかける生徒がいてそれに驚き、それが今朝知り合ったばかりのアルフィーだったことに、もう一度驚いた。
それし彼が僕に話しかけた瞬間、少しクラスがざわついたことも気になった。
今朝も二人で教室に遅刻して入った時にも、似たような雰囲気だったっけか。
「いまから時間あるか? 音楽室にきてくれ」
幼さが残る顔つきのアルフィーは、その容姿に似合わない厳格さを以って話すが、今だけは見たことがない笑顔でそう言った。
会った時とは別人みたいだな。
なんというか……あどけない。
村の子どももこんな顔で遊ぼうと手を引っ張ってくるのを思い出した。
「いいよ、行こう」
勢いに押されつつも、それ自体は楽しみだったので頷く。
今朝方は時間がなく、ピアノで聞いたあの一曲だけだったので、少し物足りなかったのだ。
「じゃあ待ってるよ、先に行って用意しておくから」
言うが早いか、彼は鞄とヴァイオリンを入れたケースを担いで走って行った。
そこでようやく周囲を見渡せた。
クラスメイトを見返すと、彼らはあわてて視線を逸らして、それぞれ放課後の時間を過ごすのに戻っていく。
……まだ何人かはちらちらこっちを見ていたが、そこはもう気にしないことにする。
「……なぁロビン、さっきのって」
話しかけてきたのはヴァルドだった。人目を気にして話しかけて来ず、ただ見つめられるのは気持ち悪い。
そういう意味ではヴァルドの方が安心する。
「アルフィーのことか? 今朝、友達になった。楽器が得意なんだってさ」
「へ、へぇ、そうなのか。……なぁ、気にしないのか?」
「何をだ?」
訝しむように尋ねてくるヴァルドに、思わず首を傾げた。
……ひょっとして、音楽室は使用禁止の部屋だったのか?
それならば急いでアルフィーを呼び戻さなくては……そんな考えが過ったが、
「いや……おまえ達は、その、異種族だろう? 気にはしないのか?」
彼はは随分見当違いのことを心配していたみたいだった。
……なにをそこまで気にすることがあるのか。
「何言ってるんだよ、同じクラスメイトだろう?」
それに、修業時代には多くの他種族に稽古をつけてもらった。
耳の形が違うとか、毛深いとか、そういう違いしかない位にしか思っていなかった。
だから、ヴァルドの言っていることがあまり読めなかった。
「……そうか、ならいいか」
「あぁ。……そうだ、ヴァルドも来ないか? なんだったらニーナも連れてさ」
だから、こういう事も平然と言えた。それは単純に、こちらの価値観から物を言っているだけの話で……それに深い意味はなかった。
「遠慮しておく。恐らく呼んでもニーナも行かないと思うぞ」
そこを汲み取って、ヴァルドも強い口調では言わなかった。
ただ意思だけは伝わって来た。……あまり強い言い方ではなかったのだけど、それでもはっきりとした許否の姿勢に驚いていた。
「……あ、あぁ。分かったよ」
戸惑いながらも、なんとか納得しようとはしていた。
きっとヴァルドは音楽をたしなんでいなくて、ずっと別の事に傾注してきた。だから他のことに目が行かないのだと。
……そう思うようにした。
「……ん?」
気がつけば、こちらをじっと見つめる視線があった。
探ると、教室の扉付近だった。豊かな金髪に空色の瞳……とても見覚えのある視線だった。
入学から何かと縁のあるヴィクトリアが、何人かの生徒を引き連れてこちらを見ていた。
……後ろの生徒にはアイランダーだけでなく、ガレシアンやラレシアンに近い生徒もちらほらいた。
取り巻きを引き連れ先頭にいる彼女は、まるで兵を束ねる隊長のようにも見えた。
「……いきますわよ」
何かを思いついたのか、彼女はさっと踵を返して教室から出て行った。
一体何だったのだろうか……?
僕の以外の生徒はその姿に溜め息をついていたが……その後はこちらに視線を向ける生徒が何人もいた。
(……なんか、目の敵にされてない?)
居心地がどうも悪かったので、ロビンは鞄に教材を詰め足早に教室を出て行った。
見方によっては彼女を追っていったようにも見えるのだろうか?
変な勘繰りも、直接されないと気味が悪いものだ。
ん?
視線が、どうして消えない? 教室を出たというのに……どうして? クラスを出たのだが、別のクラスからも見られていた。
自分は何か目立つことをしたのか……と思ったが、入学初日の事を思い出した。自分のしでかした事はそれなりに大きかった事を思い出した。
(そういうのは、日が経てばじきに薄れていくよな)
あえて考えないことにして教室を出た。自分のいなくなった教室は少しするとざわついていたみたいだったが、その声はもう聞こえない。
(用意ってなんだろうか?)
楽器を弾くだけなら一緒に行けば済む話ではないのかと思ったが、意気揚々と先に行ったアルフィーに水を差すのもどうかと思った。
しかし本当に僕はよく見られていた。廊下を歩いているだけで、すれ違おうとした女生徒の二人なんかは会話をやめてこちらを見つめて……
それは噂を差し引いても注目される容姿が原因なのだが、その意味が分からなかった。
階段を昇り切り三階へ。
廊下には緑色のネクタイを締めた最高学年である三年生が何人か歩いていた。
新入生の浮ついた雰囲気とはまるで違う、学園に慣れた者が放つ空気。
あまり長居はしたくなかった。突き刺さる視線を背に受けながら、特別棟の方に速足で向かった。こんなことなら特別棟に着いてから階段を昇れば良かったと、ほんの少しだけ後悔。
朝来た時とは違う廊下の景色を見ながら音楽室へ。少し遠くからでも聞こえてくる音色の数が増えていた事に驚く。
ヴァイオリンに、ピアノに……複数? ということはだ、アルフィーは今同時に別々の楽器を弾いているというのか?
……いや、そんなまさか。
教室の前まで来るとようやくそれが分かった。
中にいるのは一人だけではなかった。
顔を覗かせるように扉を開くと、教室にはたくさんの楽器が並んでいる。
それを調整するヒトがたくさんいた。彼らに向かい合う形でイスに座っているのは他の生徒達で……どういう事なんだろうか?
「待ってたよ」
少ししか扉を開いていないはずなのだが、アルフィーはすぐに気がついた。
さぁ入ってと言われ、そして背中を押され……なんだ、どうしてそんなに押しが強いんだ?
椅子に座っている生徒側の方に座らされる。
端っこの席だった。
横にはアイランダーなりラレシアンなり、色んな生徒がこちらを見つつも楽器に触れる生徒と軽く話していて……
なんだろうか、こういう集まりとは聞いていなかったので驚くばかりだ。
(説明しないのかな?)
聞こうとしたが、アルフィーは痩身の背の高い男子生徒に話しかけていた。……良く見れば、彼はラレシアンの三年生だった。耳の考玉、緑のネクタイ……見渡してみると、どういう集まりなのか少しだけ分かった。
「……さて、皆さん。今日は集まってくれてどうもありがとう。呼んでいたヒトは全員来たみたいだから、そろそろ始めようかな」
その痩身のラレシアンは、全員に聞こえる位の声を出してそう言った。
最後に教室に入って来たのは僕が最後だ。
つまり、自分を待っていた訳だろうか?
もう少し早く来れば良かったかな?
(ラレシアンばかりだ)
代表らしきヒトも、それと一緒になって楽器を持つ学生も、アルフィーも、皆の耳の先が光っていた。
緑だけでなく、青のネクタイ……これは真ん中の学年、二年生だ。上級生が多い中、唯一アルフィーだけが一年生だった。
こちらの周りにいるのは一年生がちらほらいたのだが……しかも彼は中心にいて、自信に満ちた顔でヴァイオリンを持っていた。
「まずは新入生の諸君、入学おめでとう。入学早々ぼくらの小さな演奏会に来てもらえてありがとう。音楽室なのにどういう訳かここのヒトたちはぼくらが演奏することを許してくれないから、こうやってお客を迎えられて本当に嬉しいよ」
彼の冗談? に笑ったのは演奏者のラレシアンと、お客の中でも上級生がほとんどだった。なるほど、お決まりの流れがある訳か。
「じゃあまず一曲目、リリ・リュー作曲の『芽吹き』。
……この曲は、幼い頃のリリ・リューが家族で旅行した際に考えついたと言われている……」
痩身のラレシアンの言っていることは欠片も分からなかった。
正直どれもこれも分からないものだが、周りの生徒はへぇとか、あぁあの曲か、みたいな反応をしていて
……無知な自分が恥ずかしかった。
シン……と空気が静まった。
お客の生徒もピタリと話すのを止め、演奏を聞くのに集中し始めた。
静まり返った空間で始めに、アルフィーが弦を引く。
彼の鳴らす耳に心地いい音は、きっかけだった。
大きな弦が鳴らす腹に直接響いてくるような音色が、続いて聞こえてくる。ピアノが鳴らす音が他の楽器の基盤のようになり、続く打楽器のような音もリズムを作る。
その流れに従って、鈍い光を照らし返す吹奏楽器が高らかに鳴り響く。それの裏に流れてくる弦楽器が、心を打つようだった。
(おぉ……これが……!)
初めての、たくさんの楽器が一つの曲を作り上げている。それが目の前で行われていることに、こっちの心が躍り出そうとしていた。僕の中でそれを表現する語彙はなかったが、見たこともない楽器が並び、それを自分たちの為に演奏してくれている。それも、彼ら自身が心底楽しそうに、だ。
圧倒と興奮、同時にそれを感じていたのだ。音楽の中で、ロビンは演奏者の奏でる曲目
……芽吹きだったか?
それを楽しんでいる中、心がざわつくのを感じた。これは……
(悪意、みたいな……それも、外から)
チラリと教室の扉を見た。音が漏れないように締め切っていた(といっても漏れはする)扉が、急に開いた。
「やかましいと思ったら、やはり貴様らか」
そんな事を言いながら、大勢の生徒を引き連れて一人のアイランダーの男子生徒が入って来た。
短く切り揃えた金髪、育ちの良さそうな顔には、嗜虐的な笑みが浮かんでいた。
(何か起こるな、間違いなく)
えてして、こういう予感は外れないものだ。