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武勇伝  作者: 真田大助
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大火

「都が燃えている。」


最初につぶやいたのは誰だったろうか。座り込んでいた山法師達が立ち上がり、呆然と京の都を見つめていた。

上京の御所の付近から出火したのか、既に火は東側まで広がっている。


「往角、来角!山門開けときや、足に自信のある山法師衆は出立や。残りは寝ぼけてる坊主どもを叩き起こして来い!焼け出される前に一人でも多くの人をここに連れて来るんや!」


皆心が大声で指示を飛ばし、山法師が二手に分かれて動き出す。俺は京へと向かう一手に交じって走りだしていた。


・・・


京の外市街地に入ったが、拍子抜けするほど以前と変わりない様子だった。

むしろ血相を変えて延暦寺から下ってきた俺達におびえたのか、固く戸を閉ざしてこちらを伺っている。


「上京で大火だ、すぐに火がここまで迫ってくる、逃げよ!」


山法師達が口々に叫ぶが誰一人出てこない。我慢ならぬ、と一人の山法師が家から老人を引きずり出すが、老人は座り込んだまま意地でも動こうとしなかった。


「何をしておる、死にたいのか!」

「坊さんら、ワシらを追い出して何を奪おうと言うのでございましょうや。家には金になる物も食い物もございません。どうぞご容赦を…。」

「我らは物盗りでは無い、延暦寺の山法師じゃ。上京で大火が起きておる、焼かれたくなければ逃げよと申しておるのだ。」


いくら話しても「ご容赦を、お許しを。」と言って家の中に戻ってしまう。


「これではどうにもならん。致し方ない、火元に近い所から助けよう。」


往角と来角は悔しそうに声を絞り出す。走り回ったせいか頭巾がずれ、月明りで二人の顔にある大火傷の跡が鮮明に見えた。

時は一刻を争う。往角と来角に続き、上京方面へと走り出した。


・・・


上京へと続く門が近づくと、そこは壮絶な状況となっていた。

上京方面からは火から逃れるために多くの人が大挙して押し寄せ、貧相な関所は今にも押し倒されそうになっていた。

群衆の背後にある夜空は赤く染まっており、大火が迫っているのがわかる。

しかし、そんな状況になっても門を守ろうとしているのか、相変わらずみすぼらしい恰好の侍モドキ達は槍を突き立て、刀を振るって関所に近づく民を容赦無く殺している。騒動を察したのか、それとも門を守るように言われたのか、以前は一人だったみすぼらしい恰好の侍も五、六人に増えている。その全員が血にまみれた短い槍を群衆に向け、一歩も進ませまいと群衆と対峙し、双方怒号が飛び交っていた。


「やめよ、やめよ!門を開けるのだ!」


群衆の怒号に負けじと叫ぶ来角の声に気が付いたのか、槍を構えていた侍の一人がこちらを向く。


「上京で大火だ、おぬしらも分かっておろう!早う関を開けよ!」

「大火がどうした、我らはこの関を守れと仰せつかったのだ。大火は敵の策かもしれん、まんまと騙されると思うか!」

「たとえ敵の策だとしても、それは武家の争いであろう!民草を巻き込むような外道になるでないわ!」

「黙れ、ここは我ら細川家が守る関ぞ。うぬら山猿に指図される謂れは無い!」


こんな時でも争うのかよ、と怒りよりも呆れのため息が出そうになった瞬間。関所の向こう側にいた民衆が一気に侍達に襲い掛かった。

こちらの呼びかけに意識を向けてしまった細川の侍達は慌てて槍を構えなおす。何人かの民がその槍に貫かれるのが見えたが、もはやそれで止まる群衆では無かった。飛びかかり、押し倒し、刀槍を奪い、侍を刺す。その後ろに続く群衆は我先にと関所を超えてこちら側へとなだれ込んできた。


「もうこうなっては収まりがつかん。このままでは我らも巻き込まれるだけだ。」

「関所は突破された、これで民も助かろう。踏みつぶされる前に延暦寺に引くぞ!」


誰かがそう叫び、火に煽られた群衆から逃げるようにして山法師達が延暦寺方面へ走り出した。

踏みとどまっているのは往角、来角と俺の三人だけだった。


「往角、来角。いかないのか。」

「待て。人はそう簡単ではないのだ。」


二人は睨むように群衆を観察している。同じように群衆に目をやれば、彼らは関所を超えたところで座り込み、安心したように呆けているものまでいた。


「ここまでくれば安心、とでも思っているのだろう。」

「だがここで足を止めてしまうと後ろの連中が助からん。何とかして下京方面か延暦寺まで走らせねば助からんぞ。」


確かに。今この場所は火の手が来ていないが、関所の向こうは大変なことになっているはずだ。ここで止まってしまうと後続がつかえて焼かれてしまう。


「皆、延暦寺を目指せ!延暦寺だ!」

「延暦寺まで来れば火の手は追いつかん!御仏の加護もあるぞ!」


二人が大声で叫ぶと、関所を超えた群衆が意識を向けるのが分かった。それでも一度安心してしまった人の足は動かない。何人かは気だるげに立ち上がるが、ほとんどは遠巻きにこちらを見ているだけだ。


「動かんか、どうにかしないと大変なことになるぞ。」


往角と来角が焦るのが分かる。どうすれば良い。どうすれば民は動く。

火が迫っているのだろうか、空は更に茜色に染まっている。


怒号の代わりに絶叫が聞こえる。泣く声が聞こえる。助けを呼ぶ声が聞こえる。

ゴウと風が吹けば不快な臭いが鼻を衝く。嗅いだことのない、言いようのない不快な臭い。命が燃える臭いだと直感的に分かった。

思わず袖で鼻を覆う。袈裟を通して木が焼ける臭いがした。

奇しくもその臭いで思い出したのは、行山と川べりで魚を焼いた光景だった。

そうだ、あるじゃないか、人が渇望するものが。わかりやすい欲求が。


「延暦寺には米があるぞ!!」


腹の底から叫んだ。


「米だ、白米だ!味噌も豆もある、飯が食えるぞ!」


一瞬の静寂が訪れた。こんな時に学校で先生のことを「お母さん。」と呼んでしまったあの空気を思い出した。


飯だと。飯があるのか。米が食える。米、米だ。


群衆が口々につぶやく。

ゾワリ、と何かが背筋を撫でた。


「武、よくやった。これでワシらの仕事は仕舞いじゃ。お前さんは往角より機転が利くな。」

「一言余計じゃ来角。だがまだ終わっちゃおらんぞ。早う逃げんとワシらが取って喰われてしまう。」


ドクン、と群衆が鳴動する。


三人並んで脱兎のごとく駆け出したその瞬間、背後からもの凄い雄たけびと共に群衆が走り出した。

やっちまった、なんて反省するのは延暦寺に逃げ込んでからだ。日頃から山を上り下りしたこの健脚を唸らせて誰よりも早く走る。


「なんちゅう足の速さだ。」

「武、皆心様にこの有様を伝えとけ!」


あっという間に走り去る俺に向かって往角と来角が叫ぶ。言われなくても逃げ込むのは延暦寺だ。逃げるついでにもうひと仕事してやるさ。


・・・


山門をくぐると、そこには数十名の山法師をまとめる行山と僧に何かを話している皆心がいた。


「群衆が、もの凄い数が来るぞ!」


そう叫んで山法師達の合間を縫ってさらに走る。あの勢いで来られたら俺のサイズじゃ踏みつぶされて終わりだ。とりあえずもう少し高い場所まで逃げておかないと怪我じゃすまない。


「ようやったで武!」

「武、手柄ぞ!」


後ろから皆心と行山の声が聞こえるが振り返るのも惜しい。返事のかわりに右手を天に突き上げ、そのまま息が続く限り山道を登った。山門をくぐってものの数分で足がもつれて地面にぶっ倒れてしまった。

肺が潰れるかと思いながら、少しでも酸素を取り込もうと天を仰ぐ。


木々の隙間から、綺麗な星空が見えた。

火の手も無く、ろくな明かりもない。弱々しい月明りが参道を照らしている。

二三、深呼吸をして気持ちを整える。とりあえず生きてる。俺は、生きている。


松は、慈明のヤツは無事だろうか。

あの群衆の中にいたのか、それとも別の場所に逃げたのだろうか。


沸々と考え事が湧いて身体が揺れる気がした。


いや、本当に揺れている。


ドドドという振動と共に声が迫ってくるのが分かる。足元の方からワーワーと山法師達が騒ぐ声が聞こえる。

なんとか身体を起こして眼下を見れば、山門を超えて群衆がなだれ込んで来た瞬間だった。山法師と僧が必死になって群衆を押しとどめており、群衆も疲労困憊なのか、山法師達を押しのけて山に登ることまでは出来ないようだ。

それでも開け放たれた山門から止めどなく民が入ってきては方々に散っていく。手に松明を持っている者も多く、ここでまた火事でも起こさないか不安になる。


「ええい、止まれ、止まるのだ!」


行山が大声で群衆を押しとめているのが聞こえたが、それより大きな歓声が群衆からあがった。


「米だ、米があったぞ!」


山門から溢れた群衆が米蔵に気付いたようだ。ワッと歓声があがり、米蔵の方へと人が流れ出す。

山法師や僧が必死に止めようとするが引っ張る程度じゃ止まらない。どこにそんな元気が残っていたんだと思うような勢いで群衆は米蔵に群がっていた。


「あらら。こりゃまたエライことになったなぁ。」


いつの間にか横に皆心が座っていた。


「まぁエエか。これで米蔵が空になっても誰の責任でも無い。火から逃げた民がたまたま米蔵を見つけて、腹を空かせた民がそれを口にしてしまっただけや。これも布施と思えば善行よ。ついでに早米はワテらで別に売ってしまえば丸儲けやな。」


ハハハと甲高く笑う皆心。アンタ生粋の商売人だよ。

疲れ切った足を投げ出して、再び天を仰いだ。

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