明るい夜
福光屋は二十人程の男を連れてやってきた。
男達は顔を布で覆っており、道中で遭遇したら盗賊だと言われてもおかしくない格好だ。一行は荷台を引いており、その数は十台程。これだけあれば一度で蔵の米を運び出せそうだ。
対するこちらはこれまた白い頭巾で顔を覆った山法師が十名程と、顔を隠さず堂々と立っている俺と皆心。
福光屋の一行が山門の前で揃ったところで細い影が前に出てきた。
「お待たせいたしました。『船荷』を受け取りに参りました。」
そう言って頭巾から顔を覗かせたのは福だった。
「待っとりましたで。『山菜』はこちらですわ。」
皆心と福があらかじめ決めていた合言葉を取り交わし、山門を守る往角と来角が道を開ける。
「まさか女子が来はるとは思いもよりませんでしたわ。」
「女がいると何かと便利ですので。それに渡り手が逃げていないか顔を見たいと思っていましたから。」
チラリと頭巾の中にある福と視線がぶつかる。
誰が逃げるか。そもそもこの企みは俺が主導したわけでもないしな。露見しても皆心に責任押し付けて逃げきってやるわ。
「なんや武、このべっぴんさんと知り合いとはお前さんも隅に置けんなぁ。」
そんなんじゃねーよ、と悪態をつきながら福光屋を米蔵へと案内する。
「奥から二つ。」
「承知しました。」
福が合図し、山法師が蔵を開けて米が運び出され始めた。後は時間との勝負。
山頂の方を見るが松明に動きはない。山頂に残っている連中には気づかれていないようだ。
「今宵は祇園祭でしたな。そこもとも行きたかったと違いますか。」
「ええ。確かに見に行きとうございました。しかしこれは当家の大事。一夜の祭よりも百年の栄華を目指しております。」
「そない大層な夜とはつゆ知らず。こりゃ失礼しました。」
皆心はペチンと自分の頭を叩いて愉快そうに笑う。
「今宵の『船荷』はどちら様へお届けで?」
「お武家様へ。どうにも侍というのは大食らいだそうで。」
「そうでしたか。早いとこ皆がたらふく飯を食って笑える太平の世が来るとええですな。」
「それまでに少しでも稼ぎたいものです。」
皆心と福が並んで話している内に、福光屋の男達は荷車に米俵をどんどんと積んでいく。手際よく作業は進み、二つの蔵が空になるまで1時間とかからなかった。
「話しを持ち掛けた側が申し上げるのもおかしな話しですが、本当によろしいので?」
荷台に積まれた米蔵が紐で固定される様子を見ながら福がつぶやいた。
「今更何言うてはりますか。そりゃ褒められたことや無いですが、別にこれくらいのこと、悪事にもなりませんわ。」
皆心は鼻で笑いながら袈裟の襟を整える。
「天下の延暦寺なんて言われとりますが、その内側は腐っていましてな。いくら布施をしても、祇園祭に金子を送っても、その腐った部分が取り除かれるわけやない。寺領から年貢を取り、僧兵を抱え、宮中に影響を与えて自分らの良いように政を動かそうとしちょる。」
パチリと松明から火の粉が飛んで皆心の顔を照らす。その表情に浮かんでいたのは怒りだった。
「初めてこの山門をくぐった時はそりゃもう真面目に修行せなと思っておりましたわ。しかし入ってみれば外と何も変わりはせん。いや、外より醜悪や。小金持ちの商家の息子やってことで小僧を二人もつけられて上僧からも甘やかされ、大した苦労もなく日がな過ごせる。ちょいと話しを聞けばほとんどの上僧はやれ権力だ、やれ金が足りない、女を寄越せやと己の欲を満たすのに忙しい連中ばかりや。この米だってそうや。本当なら飢える民草に届けるべきなのにいつまでも蔵にしまったまま。たまに使うと思ったら御仏への捧げものか上僧の腹の中に入る分だけや。あげく上僧自らこの米を売りさばいとると来た。ワテは頭にきてなぁ。」
皆心の言うことも一理あると思う。確かにこれだけ米があるなら例え一時しのぎであっても配ったら良いのではないだろうか。
先日京の都で見た細い腕を思い出す。あの時、救いを求める手には目もくれず歩き去った慈明は何を考えていたのだとう。
救いを求めていた彼らは、今日の祭を迎えることは出来たのだろうか。
「中にはまともな僧もおる。しかしまともな僧も高位に上るために、一旦は見て見ぬ振りをしている連中ばかりや。表じゃ肉食を嫌い、女も抱かんと真面目にやっとるが、その内実は権力を渇望しているのよ。そんな一団が抱える米を少しばかり民に流したところで御仏も些細な事やと流して下さるわ。」
福は黙って皆心の話しを聞いていた。頭巾を深く被っていてその表情は伺えない。
気づけば荷台には米俵が山積みに固定され、蔵は何事もなかったかのように口を閉ざしていた。
「確かに『船荷』は預かりました。早米の時期がわかりましたらいつものお堂を通じてお知らせします。」
「よろしゅう頼みます。次の華も楽しみに待っとりますわ。叶えば姉さんとも懇ろになりたいもんですわ。」
鼻の下を伸ばした皆心を見て福がクスリと笑うのが見えた。
「その華は高くつきますよ。今宵の取り分が吹いて飛ぶほど。ですがそちらも滞りなくご用意いたしますので、またお堂で。」
米俵を満載した荷台達を見送り、ギギギと軋んだ音を立てて山門が閉じる。
「武。ご苦労さん。」
はぁと胸に詰まっていた息を吐きだしたところで皆心が声をかけてくる。見れば周囲の山法師達も緊張していたのか、バラバラと座っているのが見えた。
「ええ女子や。あれは相当頭が切れるで。武が乗りこなすのは難しいやろうなぁ。」
ニヤニヤしているがその勘違いは勘弁してくれ。違いますと否定するのも面倒で適当にはいはいと相槌を打って流す。
「そう邪険にするなや。これは真面目な話し。ええ女子やが、あれはやめとき。貪欲が過ぎる。」
貪欲が過ぎる、とはどう言う意味だろうか。この時代、女性の地位が低かったことは知っている。
商人として表に出てきていることを指しているのだろうか。女だから一歩引いていろってコトか?
「商人は貪欲さが大事や。今回の事もあの女からしたら貪欲に商機を掴んどるつもりやろうがそうやない。これは博打や。もしどこかで慈明に露見したらどうなる、もし行山が止めていたらどうなる。福光屋は不義理な持ち掛けをしたと延暦寺から嫌われる。延暦寺に嫌われたら坂本から追われる。それは今の福光屋にとっては致命的や。」
煌々と燃える松明を手に、皆心は続ける。
「自分で差配出来る範疇ならええ。だが今回のように武に任せて勝負に出るのは博打や。商人はそんなことしたら終わりやねん。いや、終わりそうな商家ほど無謀な博打に出てしまうんや。」
福光屋の店内を思い出す。錆びた道具に傷んだ野菜、暗い店内。
一時は延暦寺御用達と勝手に名乗って野菜を売っていたようだが、肝心の野菜は質が悪く客が付かず、延暦寺から注意を受ける間もなく下火になったと聞いた。
「遊女を使って食い込んで、次はまっとうな商売を。なんて考えとるんやろうが難しいやろうな。一度汚れた看板はなかなか綺麗にはならん。武家や民を相手にするならええけど、寺を相手にするにはやり方が悪すぎる。武も思い込み過ぎんように気つけるんやで。」
パチンと俺の頭を軽くはたいて皆心は山を登っていった。
ふと見ればいつもより明るい京の都が見える。電気もガスも無いこの時代、あの灯りがどれだけ人の心を支えているのだろうか。
皆心に言われたことを反芻する。
福のやっていることは胸をはって自慢できることじゃないのだろう。売春に横領。確かにそうだ。
商才の無い父親の下で足掻いている。それに絆されたかと言われれば、答えは出ない。
結果として、新しい悪だくみに巻き込まれて危ない橋を渡っている。もちろんこっちも利を得ているが、利用されている側面が大きいのも事実だろう。
『武、お前さんも商人になる気があるなら愛想よくしときや。』 皆心の何気ない一言を思い出す。
そう言われた時、俺はどう思ったっけ。
せっかくなら武士になって天下統一とかの方が夢がある。と思った。
武士になりたいのか。と問われればこれも答えが出ない。しかし僧になりたいか、と問われればNOとなる。理由はつまらないからだ。
「どうすっかなぁ。」
大きく伸びをして立ち上がる。
都からの音はますます大きくなり、都を照らす灯りは天を焦がすほど大きなものになっていた。
京の都が、大火に覆われていた。