薬の在り処_弐
背中に背負った籠には数十の小筒には薬が詰まっている。一つ一つは小さいのだが、如何せん数が多いので結構な重さだ。
そのすべてを俺一人が背負っているのは男女不平等ではないだろうか。背負う籠紐が肩に食い込んで痛い。
「さっさと歩きな。」
「お福さんの言う通りよ。急いで!」
ちょっとは手伝ってくれても良いだろう、と吐く気力も無くなりかけた頃、目的地である早川村に到着した。
山のすそ野に広がる田園には雑草が生えており、農作業に勤しんでいる人は子供と老人が目立つ。戦にいけるような男の姿が見えないが、まさか全滅したなんて無いよな。
早川村の農民はこちらを訝しむような目で見てくるが、声をかけてくる者はいなかった。
「この前の戦いだけじゃないの。早川家はずっと近岡家によって摺り潰されてきた。それでも民が付いて来てくれたのは義人さんの人徳によるものね。」
難しい顔をしたお嬢が歩く速度を落とさず呟く。しばらく歩けば歪んで開きっぱなしになった門扉のある屋敷に着いた。どうやらここが早川家の屋敷のようだ。
屋敷の前に立ってハッキリと感じたのは死臭。血の肉の腐る臭い。血と汚物の混ざった不快な臭いで気分が悪くなる。
お嬢が口をふさぎ、一歩下がる。
「しっかりしなお雪さん。あんたは武家の当主なんだろ。」
袖で口元を覆った福がお嬢の背を押す。
「いくぞ。ここまで来て帰る選択肢は無い。」
俺の声に青い顔でコクリと頷くお嬢の背を押し、歪んだ門扉をくぐる。
土地の中に足を踏み入れた途端、表現しがたい不快な空気に包まれた。その臭気の根源は館のあちこちから漂っている遺体だ。
時刻は昼過ぎ頃。陽の光が差す時間帯にも関わらずこの館は薄暗い。
「どなたかな。」
臭気の中からよく通る声が聞こえた。声の主は館の中から足を引きずりながら歩いてくる。
「高藤家の雪です。早川殿にお薬をお持ちしました。」
雪が声の主の下へと駆け寄る。俺と福が続く間に声の主が縁側まで進み出て来た。
陽の光に当たった声の主は、思っていたよりずっと若い男だった。
俺達と同世代か、せいぜい二十代の半ば。切れ長の眼に薄い唇。スラッとした長い手足。まるでモデルのようなイケメンだった。
「お雪殿でしたか。お見苦しい恰好で申し訳ない。」
「義人殿、お怪我をされたのですか。」
義人ってことはこの男が早川家の当主か。随分と若いな。早川義人は弱った顔で苦笑して左足をさすっている。
「遅れをとりました。長尾勢の勢いを止めるためとは言え、随分と多くの兵を失い、今も多くの者に辛い思いをさせています。」
「手伝います。この薬をお使いください。」
お嬢が近づいてきたので腰を下ろして籠を渡す。お嬢は籠の中からいくつか薬を取り出して早川義人へ手渡した。
「祖父から義人殿を助けてほしいと頼まれました。当家と早川家は長く付き合いのある家。このような惨事、放ってはおけません。」
「我らのような落ち目の家にここまでしていただけるとは。申し訳ございません。」
顔を歪ませながら縁側で正座して頭を下げる義人に対し、お嬢はそっとそっと肩を触れて起こす。
「おやめください。困った時はお互い様です。武雄、手伝って。」
「おう。福、お前さんも手伝ってくれよ。」
「お代は高くつくわよ。」
俺と福が袖をまくり上げて薬を持つのを見て、義人はまた深々と頭を下げていた。
・・・
陽が沈みかける刻限になってようやく一息つけた。
館の中には遺体が六つ。まだ息のある男が二十三名いた。村の女が手伝いに来ていたのが救いだった。包帯を替えて傷口を水で洗い、薬を塗る。俺とお嬢からすれば当たり前のことでも、この時代は当たり前じゃない。怪我をしたら包帯を巻きっぱなし。ろくな食事も与えずに寝かせたままなんてこともある位だ。
「あとは精の付くものを食べられれば良いんだけど。」
一通り手当を終えたお嬢と二人、包帯を洗いながら考える。
「となれば肉が一番だな。」
「同感。だけどその肉はどこで手に入れるのよ。そもそもこの時代の人って肉食を嫌うじゃない。」
お嬢の言う通りこの時代は肉をほとんど食べない。タンパク質と呼べるのは魚くらいじゃなかろうか。延暦寺や越前にいた時にコッソリ狩猟して肉を得ていたが、好んで食うのは少数派だった。
「肉を食うには狩るしか無いからな。鹿に猪、獲物はそこら中にいるけど問題はどうやって狩るかだ。俺一人じゃ難しいしなぁ。」
「そうよねぇ。とりあえずは魚で補うしかないわね。お米はまだ余裕があったから明日には早川村に運び込みましょう。」
渋い表情のお嬢と二人、血が落ち切らない包帯を思いっきり絞っていれば背後から慌ただしい足音が聞こえて来た。
振り返れば血で汚れてしまった袖を振りながら福が駆けて来ていた。
「二人とも、今しがたうちの丁稚が駆けこんで来てね。福光寺の石黒某が意識を取り戻したって。」
肩で息をする福が乱れた髪を整えながらニコリと笑う。
絞った包帯を手にしたままお嬢が立ち上がる。
「お福さん、後はお願いしても良いかしら。」
「はいよ。手当はもう終わったんだ。あとは荷を方して帰るだけだけだからね。」
「ありがとうございます。武雄、行くわよ。」
お嬢に襟首を掴まれて尻もちをつきながら動き出す。
騒ぎを聞きつけたのか、早川義人が疲れた顔でこちらに近づいて来た。
「お雪殿、如何なされましたか。」
「義人殿、申し訳ございません。急用が出来ましたのでこれにて失礼させて頂きます。」
お嬢がペコリと頭を下げると、義人はそれよりも深く頭を下げた。
「お雪殿。此度の事、決して忘れませぬ。日頃より多々お助け頂いておりましたが、御恩はいつか必ずお返しいたします。」
「はい。とっても期待しています。」
顔上げた義人に対していたずらっ子のように笑うお嬢を見て、義人の顔に笑顔が戻る。
後片付けを福に頼んだ俺とお嬢は、夕闇が迫る中、福光寺目指して駆けだした。
・・・
一間しかない福光寺の中は男達でごった返していた。むせび泣く爺さんにどや顔の爺さん、笑いながら肩を叩き合っている爺さんに円順に抱き着く爺さん。
「あまり見たくない光景だな。」
「武雄。そんなこと言わないの。」
入口で立ちすくむ俺達に最初に気が付いたのは若い男だった。
「主が無事に目覚めました。これもお雪殿、武雄殿のご尽力のおかげ。なんとお礼を申し上げるべきか。」
「まずはお目覚めになって良かったわ。もし叶えば、少し石黒光興殿とお話しがしたいのだけれど。」
お嬢が部屋の中央、布団の上で起き上がっている男、石黒光興を見る。
光興は時折脇腹をさすっているが顔色は良い。むせび泣く爺さんの背をさすりながら声掛けをしているようだ。
「無論にございます。暫しお待ちを。」と若い男が一礼して爺さんの波をかき分けていく。
光興の隣までなんとかこぎつけた男が跪いて俺達の来訪を知らせると、悲喜こもごもだった爺さん連中が一斉にこちらを向く。
「このような姿で申し訳ない。どうぞこちらへ。」
少し掠れた声で光興は自分の隣を指す。
そこにいた爺さん連中は渋々といった動きで空間を作り、そこに俺とお嬢が収まるように座った。
光興を挟んで反対側に若い男が座り、光興の背を支える。
「高藤家の当主、雪にございます。」
「石黒家当主、光興にございます。此度は命を救って頂いたと聞きました。助かりました。」
間近で石黒光興を観察してみる。先日の治療の時はよく見えなかったが、その顔は「武人」という言葉が似合う、厳つい顔付きをしている。歳は二十代前半くらいだろうか、荒木善太夫ほどではないが、薄い小袖の上からでも分かる筋骨の良い体つきだ。
しかし顔付きの割りに困り顔というか、なんとも自信なさげな表情をしているのが印象的な男で、今も眉尻を下げてこちらを伺っている。
「私は円順和尚のお手伝いをしただけです。先の戦で生き残れたのは光興殿の手腕によるもの。」
お嬢がニコリと笑うと光興はグッと顔をしかめる。
「戦は一向宗が勝ちましたか。」
「えぇ。神保家の裏切りによって長尾勢は撤退しました。」
「神保め。」としわがれた罵倒がどこからか小さく漏れる。
「光興殿は長尾勢に加勢されていたのですか?」
「はい。以前より長尾家に通じておりました。此度の戦で功をあげればこの福光を任せると。」
光興は悔しそうな顔をして拳を握り締める。
「殿、口惜しゅうございますが長尾家のご当主、長尾○○殿は討ち死にされました。当面の助力は難しいかと。」
俯く光興に対し、背中を支える若い男が申し訳なさそうに答える。
「なんと。」と呟いた光興は先ほどより深く項垂れてしまった。その様子を見て周囲の爺さん達がまたすすり泣く。
「随分と辛気臭いな。」
「武雄、黙って。光興殿、心中お察しいたします。」
爺さん連中がギロリと俺を睨む中、光興は項垂れたまま動かない。
「光興殿。貴方の目的はお家の再興でしょうか。」
お嬢が問いかけると周囲の爺さん連中がウンウンと頷き、一人の爺さんがズイと前に出て来た。
「当家は田屋川原の合戦でご当主の石黒光義様をはじめ、ご一門衆は悉くお討ち死にされました。その影で傍流の木舟石黒家が勢いを増して我らの領土を奪い、勢力を広げておるのです。」
深い皺を更に深くして爺さんが続ける。
「田屋川原の合戦で御一門衆は皆お討ち死にしたとされましたが、実は生き延びたお方がおられたのです。石黒光義様のお傍に仕えていた女中の腹に、お子がいたのです。」
眼をかっぴらく爺さんから逃げるように視線をそらせば、俯いたままの光興を捉えた。
「そう。そのお子と言うのが石黒光興様その人。正当な石黒宗家を継ぐお方はこの光興様に他なりませぬ。木舟石黒家の傍流が跋扈するなど言語道南にござる。」
「その話しを知っている、と言うか信じている連中はどれだけいるんだ。」
俺が問いかけると別の爺さんがズイと身を乗り出して来た。
「木舟石黒めは『戯言だ』と騒いでおりますが、ここにいる七人は光興様の母君たる女中を連れて落ち延びた七人。我ら一同が生き証人にござる。」
「…そうか。それじゃ母君はどうなったんだ。」
「光興様をご出産の後、お亡くなりに。」
また爺さん達がむせび泣く。
この話しが本当かどうか、なかなかに怪しい所だ。しかし明確に否定する証拠も無い。うーん難しい。
腕組みをして唸っていれば、姿勢を正したお嬢が口を開いた。
「お話しいただきありがとうございます。光興殿、ご家臣の皆さまの想いを伺えてうれしく思います。」
お嬢はまっすぐ、項垂れたままの光興を見つめる。
「光興殿。当主を失った長尾家は当面の間、越中に来ることは無いでしょう。であれば、越中にある勢力でお家を盛り立てる他無いと思いませんか。」
「越中にある勢力、とは?神保家は木舟石黒家を支配下に置いております。これを退けて我らを興すことは無いでしょう。椎名家、遊佐家、畠山家、いずれも我らのような小さな身代を担ぐとはとても…。」
「えぇ。名のある家が光興殿を担ぐことは無いでしょう。ですが、名も無い武家であれば如何でしょうか。」
項垂れていた光興が顔を上げてお嬢を見る。
「私のような土豪はこの越中に数多おります。離合集散を繰り返し、時流に乗って生き残って参りました。無法の武家を喰らい、時流を起こすことが出来れば必ずや味方となりましょう。」
「我ら石黒家に味方して何になりましょうか。」
また俯きかけた光興に雪がズイと近づく。
「力の無い武家は無法の武家に圧せられ困窮しています。悪しき家を討つ旗頭として、それが叶わなくとも盟を結んだ家としてご助力いただければ、双方にとって助け合える仲になれると思うのです。」
光興の足に手をかけてお嬢はさらに前のめりになっていく。
「高藤家は石黒家の正当な当主として石黒光興殿を応援いたします。時が来れば兵や米を出し、ご助力いたします。その代わりに、光興殿には我らに協力して頂きたいのです。無法の武家を討つために、同盟軍として兵をお貸しください。」
「そ、某も抱えているのは十人にも満たない故、お力になれるかは…。」
「光興殿が必要なのです。どうか承諾していただけませんか。」
「お嬢。とりあえず少し離れたらどうだ。」
のけぞるような姿勢になっている光興とそれをささえる若い男が限界を迎えそうなので助け舟を出してやる。
右手を光興の足に、左手を肩に添えて迫っていたお嬢はその姿勢に気が付いたのか慌てて着座してコホンと取り繕う。
真っ赤な顔をした光興も脇腹をさすりながら姿勢を正し、お嬢と向き合った。
「わ、わかりました。我ら石黒家としても味方は多いに越したことはありません。そのお申し出、お受けいたしましょう。」
「ありがとうございます!」とお嬢が手を合わせて笑うと光興の顔がまたボッと赤くなる。
「ですが、まずは療養が第一ですね。傷口が化膿しないように日に三度包帯を替えてください。薬はここに置いていきます。三日に一度はこちらに伺うようにしますので、何か足りないものがあればその時に。」
お嬢がテキパキと指示を出すとヒソヒソと小声で話し合っていた爺さん連中は怪訝そうな顔でこちらを見る。頷いているのは光興の背中を支えていた若い男一人だけだ。
「重ね重ね申し訳ない。動けるようになり次第、我らは拠点に引き上げます。」
光興が申し訳なさそうに口を開くと、「拠点?」とお嬢が小首をかしげると、また顔を赤くした光興が両手を振る。
「拠点と呼べるほど大層なものではございませぬが。廃城となった桑山城を住まいとしておるのです。」
「殿!」と光興を諫めるような声が爺さん達からあがる。
なるほど、廃城に籠っていたのか。確かに雨風も防げるしいざとなったら守りやすいのかもしれない。
「わかりました。ですが廃城に荷を運び込むのは些か目立ちますので、とりあえずこちらの福光寺に運び込むようにいたします。機を見て桑山のお城に移して頂いても?」
「無論です。お心遣い、感謝いたす。」
「お気になさらず。」ニコリと笑うお嬢と一緒に福光寺を出る。帰りがけに円順からもらった松明を手に、すっかり暗くなった細道を歩く。
お嬢は上機嫌にスキップしているが転ばないように気を付けてくれよ。
「大きな一歩。前進ね。」
「近岡家を倒すにはまだまだ遠そうだ。」
「あら、そんなことないわ。武雄が来るまでにも準備は積み重ねて来た。早川家を旗頭にして反近岡家の家をまとめていく。加えて石黒家の増援。ここまで揃えられればきっと勝てる。」
フフンと自信ありげに鼻を鳴らしてお嬢が駆ける。
置いて行かれないように、松明の火を消さないように後を追った。
次回は7月23日(水)18:00投稿予定です。




