薬の在り処_壱
石黒光興を助けた翌日。
福光寺に食い物でも差し入れにいこうかとお嬢と話していれば、家重爺さんが俺達を呼び止めた。
深刻な表情をして居間の下座に座り、お嬢が上座に座るや否や深々と頭を下げる。
「お雪。どうか早川家を助けてやれないだろうか。」
早川家?聞き覚えの無い名前だ。
俺がクエスチョンマークを浮かべるが爺さんはお構いなしに話を続ける。
「早川家は先の戦で多くの兵を失った。傷つき、苦しむ兵も多いと聞く。金創医も薬師も足りぬようでのう。このままではもっと多くの命が失われてしまう。」
「近岡家は何と。」
お嬢が問いかけると爺さんは歯を食いしばって首を横に振る。
「長尾勢に遅れを取った者の末路だと。早川家の先代と先々代は儂の知己。惨い有様を聞いて放ってはおけぬのじゃ。」
「酷い話しね。わかったわ。福光屋さんに頼んで薬の手配をしましょう。」
お嬢が立ち上がると爺さんはほっとした顔でまた頭を下げる。
「ありがたい。そうじゃ、今の当主である義人殿はまだ独り身だったはず。良ければ話を…。」
「お爺様。今は薬の手配が先でしょう。さ、武雄。行くわよ。」
微妙に眉間に皺を寄せた爺さんを後に家を出る。
草履を履いて家の敷地を出たところで大きくため息をついた。
「全く。お爺様にも困ったものよ。」
「少しでも大きな家に嫁がせておきたいって親心だろ。」
「それはわかっているわ。でも私はそれを望んでいないの。」
口を尖らせたお嬢が大股で歩く。
「隠し田の改善だって最初は反対してたのに成果が出たらそれを当てにしてくるんだから。」
「そう怒ってやるな。それで早川家って名前に聞き覚えが無いんだが、この辺の土豪か何かか。」
「えぇ。早川家は数少ない反近岡家の家よ。反近岡家の家が潰されていく中ではまだ力を維持しているの。」
だから助け話に乗ったのか。
少し歩く速度が落ちたお嬢に続いて話を聞く。
「早川家を助けるのに反対はしていないわ。先の合戦で早川家が多くの兵を失ったのもきっと近岡家の謀略よ。力を削ることを目的に最前線に布陣させたんでしょうね。」
お嬢の怒りの矛先は近岡家へ向いたのか。また口を尖らせたお嬢と二人、大股で福光屋まで向かう。
街道沿いに建設中の福光屋は完成間近となっているが、まだ商売は始めていないらしい。今日も大工や丁稚達が忙しそうに建設現場を動き回っている。
「福、いるか。」と声をかければ奥からモソモソ眠たげな眼を擦りながら出て来た。髪が乱れて胸元もはだけている。丁稚や大工たちの視線は釘付けだ。
俺としてはもっとナイスバディの…いや、お嬢から殺気を感じるのでやめておこう。
「連日なんだい。」
「ごめんなさいお福さん。追加で薬が欲しいの。」
「薬?」と聞き返しながらも福は頭をかきながら籠や木箱を開けて中身を調べていく。暫くガサゴソと探していたが、結局出て来たのは福の懐からだった。
「すぐに用意できるのはこれくらいしかないわ。」
「たったこれだけ…。」
お嬢は渡された薬を見つめる。片手に収まる程度の革製の袋が一つ。これがいま福光屋の扱える全量だと言う。
「実は昨晩、近岡家から買い付けがあったみたいでね。少しは残っているかと思ったら全部売っちゃったみたいね。まったくあの人は。」
福はポリポリと頭を掻きながら煙管に火を付ける。あの人ってのは徳右衛門のことか。そういえば久しく合っていないな。
小太りの徳右衛門に想いを馳せていればお嬢は福に詰め寄っていた。
「お福さん。他に薬を売っている場所はありませんか。これだけではとても足りなくて。」
「そうさね、城端なら問屋があったはずだよ。」
「城端。」とお嬢が復唱する。
「最近、荒木家ってのが城端に城を築いていてね。その門前市が栄えているんだよ。福光屋も商いの機会がないかって何かと人を送っているところさ。良かったら案内するよ。」
福がニコリと笑うとお嬢が頷く。
「その様子じゃ急ぎだろう。それじゃ、さっさと行くかね。」
パンパンと顔を叩いて福が立ち上がる。寝ぼけ眼だったその瞳にはギラギラと炎が宿っている。さすがやり手の女商人。商い事になると心強い。
はだけた衣服を整える福を見つめていた丁稚や大工たちは、福が立ち上がると蜘蛛の子を散らすように作業に戻っていく。
あきれ顔の福に続いて、俺達は東に向かって歩き出した。
・・・
福光から城端までは急ぎ足で二時間程の距離だった。到着してまず目についたのは建設中にも関わらず町が賑わっている様子だ。福光周辺とは比にならない人数が行き交い、建物を建てて荷を運び入れている。雑多な道を進んでいる最中にふと横を見れば、低いながらも空堀と石垣が見えた。荒木家が建設中の城だろうか。
福は城らしき建築物には目もくれず、通りの端にある一件の建物へと入っていく。中に入ればツンと鼻をつく匂いが漂い、ここが薬問屋だと言われずにも分かった。
「長次郎さん、いるかい。」
「おお、お福さんか。息災かい。」
帳簿をめくっていた色白で小柄な男が顔を上げた。目が悪いのか姿勢が悪いのか、背を曲げているのでやけに小さく見える。
長次郎と呼ばれた男は帳簿を丁稚に渡すと俺達を観察しつつ近寄って来た。長次郎の視線が頭のてっぺんからつま先までを往復する。俺達を値踏みしているのだと直感で分かった。
長次郎は俺達から視線を外すと、福のにむかってニコリと笑う。
「息災さ。福光は戦を逃れたからね。ここいらも荒らされなくて良かったよ。」
「荒木様が出張ってくれたからねぇ。善太夫様々ってことよ。それで今日はどうしたんだい。」
「ちょいと薬の買い付けにね。在庫はあるかい。」
福がズイを身を乗り出すと長次郎はわざとらしい困り顔でこちらを伺う。
「あるにはあるが、薬はどこも入用でね。この後、荒木様からも買い付けがあるとお達しがあるもんでちょいと渡せないんだよ。売りたい気持ちはあるんだけどねぇ。」
「荒木様の分を奪おうって訳じゃないんだ。こっちも先の合戦で怪我した人が大勢いてね。二つ三つでも良いから用意できないかい。」
「お福さんの頼みとありゃ用意したいが。あとはいくら払えるか次第なとこもあるかねぇ。」
長次郎は探るような眼でこちらを見る。俺達の風貌はどうみても金持ちには見えない。「どうせ大した金額は出せないだろう。」と見くびられているのがわかるので無性に腹が立つ。
イラっとした空気を感じ取ったのか、お嬢が一歩踏み出して口を開いた。
「そちらの言い値で買うわ。いくらかしら。」
「そうさなぁ。」
小男長次郎からジロジロと値踏みされている嫌な視線を浴びていれば、背後から肩をグイと引っ張られた。
「退け。店主と話がある。」
振り返れば小奇麗な格好をした武士が二人、不快そうな表情でこちらを睨んでいる。
「なんだお前。今は俺達が商談中だ。お行儀よく順番待ちしてな。」
「無礼を働くと許さんぞ。荒木様がお越しになるのだ、早うそこを退け。」
唾を飛ばしながら怒る武士。荒木だか腹巻だか知らないが順番も守れない野郎が偉そうにするんじゃねぇ。こっちは虫の居所が悪いんだ。
二人に向き合うと俺よりも頭一つ小さい。延暦寺からここまで飯だけは食わせてもらったことが幸いしたな。恵まれた体格を活かしてわざと見下すようにして睨み合う。喧嘩なら買ってやるぞ。
「何を騒いでおる。」
小男侍とガンをつけあっていれば、のっそりと一人の男が入って来た。
身長は俺と同じ、いや俺よりもやや大きい。杉本のオッチャンを彷彿とさせるようなたっぷりの顎鬚にガタイの良い身体。年齢は三十代くらいか。鋭い目をした大男が口をへの字に曲げて立っている。
「あ、荒木様。ようこそお越しくださいました。」
背後で長次郎が土下座するのがチラリと見えた。この男が荒木家の当主か。力自慢って感じだな。
「今はこっちが商談中だ。ちょいと待ってな。」
俺が正論をかますと「ちょっと武雄!」「この無礼者!」とお嬢と小男侍の双方から非難される。おかしなことは言ってないだろ。
大男は一瞬キョトンとした顔をしたが、ガハハと豪快に笑いだした。
「これは面白い。待っていろ、など久方ぶりに言われたわ。」
「この無礼者が!頭を下げよ!」
小男侍が俺の左肩を掴んで引きずり下げようとしてくる。
「服が破れるだろうが。」
小男侍の腕を取って柔道の要領で放り投げる。「うわ!」と情けない声を共に店の外に投げ飛ばされる小男侍を見て、また大男が笑う。
「なかなかの剛の者よ。あれは家中でも腕に覚えがあるのだがな。」
「だとしたら随分と人材不足な家だな。」
引っ張られてよれてしまった襟を正していれば横にいるお嬢が頭を抱えている。
「お主、名は。」
「朝倉…じゃなくて、高藤家の家臣。出倉武雄だ。」
「聞かぬ名だな。荒木善太夫。この城端の主だ。」
髭もじゃの大男がニカリと笑う。
「お主も薬の買い付けか。」
「おう。だけどそこの長次郎ってのが渋っていてな。」
長次郎の方を見れば小さな身体を一層縮めて頭を下げている。
「それは我らの買い付けを待っていたからであろう。」
「そうみたいだな。そっちがどれだけ入用なのか知らんが、うちが二三買うくらいは問題ないだろう。」
「ふむ。」と荒木善太夫は顎鬚を撫でてから長次郎に向き直る。
「薬の数は十分にあるのか。」
「そ、それが十分とは言えず…。荒木様より申し付かった数を揃えるのがやっとでございまして。」
「さて、如何したものか。」
荒き善太夫がこちらに向き直った時、今まで静かにしていた福が口を開いた。
「荒木様。これなる出倉武雄は腕に覚えのある者。剛腕と名高い荒木様にも引けをとらぬやもしれません。もしよろしければ一手、手合わせされては如何でしょうか。」
いきなりだな。福を見ればニヤリと口角が上がっていく。
「荒木様は以前より良き手合わせ相手がいないとお嘆きになっていると聞き及んでおります。悩んでいても薬の数は増えません。ここはひとつ、出倉が勝てばいくつか薬をお譲り頂きたく。」
「何を無礼なことを。」と残っていた荒木家の家臣が怒るが荒木善太夫によって制される。
「面白い。身代が大きくなるとどうにも身体が鈍って仕方ない。ここはひとつ乗ってやろうではないか。先の戦でも槍働きは出来なんだからな。」
ガハハと笑う荒木善太夫が店を出ていく。
「ほら、お膳立てはしてやったんだ。さっさと勝って来な。」
「どうか面倒なことになりませんように。」
応援しているのかそうでないのか、福とお嬢に見送られて俺も店を出る。合戦に出ていない分、ここいらでちょいと俺の強さを見せておかないとな。
グルンと腕を振るってから店を出て荒木善太夫と見合った。どこから持ってきたのか、荒木善太夫が二本の木刀を持って待ち構えている。一本をこちらに放りなげ、残った一本をブンブンと振って感触を確かめているようだ。
大きさは太刀と変わらない。ちょいと慣れないがまぁ良いか。俺も二三試し振りをしてから木刀を握り直す。
そう大きくない通りに二人の男が木刀を手に向かい合う。一人は髭もじゃの大男、荒木善太夫。木刀を肩に担いでご機嫌な様子だ。
対するのは俺、出倉武雄。木刀を中段に構えて呼吸を整える。周囲には見物客が集まって輪になってこちらを見ている。
荒木善太夫は見た目に反して慎重なのか、こちらの出方を伺っているようだ。
さっさと片を付けて早川家に薬を届けなきゃいけない。焦るつもりはないが、ダラダラと戦うつもりもない。
木刀を上段に振り上げて一気に踏み込む。善太夫が上段に構えた木刀を振り下ろし、カンと高い音を立てて鍔迫り合いとなる。
目線の位置で交差した木刀だが、この男、体格は見た騙しではなさそうだ。物凄い力で押し込まれる。
「軽いのう。その体格に見合わず非力なのか。」
「柔よく剛を制すって言葉、知らないのか?」
グググと押し込まれてくる力を利用して善太夫の木刀を滑らせるように流す。
善太夫はこの程度は予想していたと言わんばかりに踏みとどまって体重を後ろに戻す。俺と善太夫の間にわずかな空間が出来た。善太夫の顔面めがけて右足を蹴り上げる。地面の砂が飛び上がり、善太夫の顔面に直撃した。
「ぐわっ」と声と共に善太夫が二三歩下がる。
「俺の勝ちだ。」
木刀を軽く首に当て、この手合わせは俺の勝利で終わった。
・・・
「この卑怯者!戦場ではいざしらず、手合わせでこのような下劣な手を使うとは!」
俺に投げ飛ばされた小男侍がピーチクパーチク騒いでいるが知ったことか。ルール無用の勝負は重光から学んだんだ。文句があるなら重光に言ってこい。
頭を振って砂を落とした善太夫は怒りの表情をして立ち上がった。
「このたわけが。」
低い声で拳を振り上げ、殴り飛ばす。
強烈な一撃を喰らった荒木家の小男侍は派手に吹き飛んで見物客にダイブしていった。
「卑怯、下劣。なんと言われようと戦場で生き残ったものが勝者よ。久しく腕を振るう機会が無かったでな、すっかり忘れておったわ。」
ニヤリと善太夫は笑ってのっしのっしとこちらに近づいてきた。
「出倉武雄と申したな。薬は好きなだけ持っていけ。払いはこちらが受け持つ。」
「おお、ありがたい!お嬢!好きなだけ持って行って良いってよ!」
ブンブンと手を振るとお嬢は「わかったから!ちゃんとお礼いって!」と慌てている。
「連れか。」
「いや、俺の主だ。」
「主か。」と善太夫は目を丸くして俺とお嬢を交互に見ている。お嬢は深々と頭を下げると、長次郎のケツを蹴り上げる福と一緒に薬問屋へと入っていく。
「仕え甲斐のある主か。」
「さぁな。今のところ不満は無い。」
「そうか。女領主とは面白い。坊主共や頭の固い武家連中は嫌うだろうがな。」
ガハハとまた善太夫は大きな声で笑う。
「なんだか好意的じゃないか。女領主なんてどこ行っても白い目で見られているのに。」
「儂も白い目で見られてきたでな。親を謀殺され、身一つでのし上がってきた。どんなやり方であろうと、どんな人間であろうと勝った者が全てよ。それに見目麗しい主とは、なんとも羨ましいではないか。」
ドンと俺の肩を叩いてまた善太夫は笑う。
理解があるんじゃなくてただの女好きの線も出て来たな。肩を揺すられながら汗臭い善太夫と一緒に薬問屋へと戻っていく。
薬問屋の中では長次郎から奪うようにしてお嬢と福が風呂敷に薬を積んでいた。
「ここの薬は質が良い。刀槍傷はもちろん、打身に塗っても効く。」
なぜか自慢げな善太夫が薬を一つとって眺める。
「善太夫様は薬にお詳しいのですか?」
「いや、知らぬ。儂は怪我をしても一晩寝れば治るのでな。」
お嬢の問いかけに対してガハハと笑う善太夫を見ているとあながち冗談に聞こえないのが不思議なところだ。
「上見城に腕の良い薬師が滞在しているようでな。値は張るがとにかく物が良い。長次郎に言いつけて買い付けさせているのだが、最近また値が上がってのう。」
善太夫から少し恨めしそうに睨まれた長次郎は小さな身体をまた縮める。
「これだけあれば十分ね。ほら、急ぐんだろ。」
「お福さん、あがとう。善太夫様、此度は大変なご無礼をお許しください。」
「気にされるな。それとお雪殿、我らは地侍同士。様は付けず、これからも分け隔てなく助け合っていこうぞ。」
ググッと善太夫が身を乗り出すとお嬢が引きつった顔をして一歩下がる。
「あ、ありがとうございます。では荒木殿。私たちはこれで。」
ガハハと笑う善太夫の笑い声に追われるようにして、俺達は福光方面へと戻っていった。
次回は7月10日(木)18:00投稿予定です。




