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武勇伝  作者: 真田大助
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般若野の合戦

肌寒さを感じるようになった。時折吹く風から逃げるようにして木の影に潜り、眼下を見下ろす。

眼下を進む軍勢がこちらを見る事なんて無いが、下手に見つかって追われるのは御免だ。同じように隣で覗き見しているお嬢の長い髪が風で揺れる。

俺とお嬢は二人連れ立って合戦場となるであろう地域、般若野を見下ろす御坊山に上っている。

東から迫るのは九曜巴の家紋が目立つ軍勢、長尾軍。

迎え撃つように庄川と呼ばれる川際で待ち構えているのは南無阿弥陀仏の文字が目立つ一向宗。

その一向宗の北側には縦二つ引きの家紋を掲げる神保軍が布陣している。

長尾軍が五、六千。神保軍は二千を割るくらい。一向宗はその数倍の二、三万といったところか。数は圧倒的に一向宗が多いが東の長尾軍と北の神保軍に挟み撃ちにされる布陣だ。

一向宗は遠目に見ても貧弱な装備なのが分かる。槍を持つ兵は少なく、中には農具を抱えている者も見えた。だがよく見れば神保軍も同じようなもの。騎乗している武士こそ立派な装備だが、そのお付きの兵は一向宗に毛が生えた程度。対して東から迫る長尾軍の装備は見事なもんだ。騎馬武者は揃いの鎧兜、お付きの兵の多くは揃いの槍を掲げて行軍している。


「こりゃ長尾の勝ちだな。」


俺が呟くと隣にいたお嬢が不思議そうにこちらを見る。


「数は一向宗の方が多いみたいだけど。」

「まず兵の質が違う。朝倉家と一向宗の戦いも同じような状況だった。見ろ、一向宗は装備も貧弱な上にろくな陣形も組めていない。オマケに挟み撃ちされる布陣だ。しっかりと命令が行き届く軍ならまだしも、一向宗が挟み撃ちされたら一たまりも無いだろうな。」


早々に神保軍を追い払っておけばまだ勝機はあったかもしれないが、長尾軍が到着した以上もはや手遅れだ。これが武家と一向宗の違いなのだろう。


「神保・長尾軍が勝てば越中で神保家の勢いが増す。一向宗の支配する領土を奪う戦が起きれば高藤家も伸びるチャンスかもな。」

「もし神保家が負けたら?」

「そしたら弱った神保家や近岡家の領土を奪えば良い。お嬢の話していた穏健派の一向宗ってのと協力しても良いしな。」


どう転んでもこの戦に兵を出していない高藤家にとって致命的なダメージは無いはずだ。あとは勝ち馬に乗れれば良い。

庄川の東側に長尾軍が展開していくのを食い入るように見つめるお嬢に声をかける。


「そういえば石黒党との渡りはついているのか。」

「まだ。石黒党の拠点すら分からいんだもの。それに彼らは神出鬼没。先回りも出来ないしどうしたものかしらね。」

「釣り針を垂らしてかかってくれれば楽なんだけどな。それじゃ穏健派の方はどうだ。代表格みたいなヤツと話しは出来ているのか。」

「そっちは順調よ。福光の北、山本村にある善徳寺にいる実円さん。直接会ったのは一度だけど、円順さんみたいな優しい雰囲気の方でこちらの話しをよく聞いてくれる方だった。近い内に文を送って会いにいくつもり。」


目途が付いているなら上々だ。この合戦の勝敗によっては交渉の仕方も変わってくるからな。

お嬢と話していれば早速戦場に動きがあった。早々に陣を整えた長尾勢が川越しに矢を射かける。一向宗も射返すが飛び交う矢は長尾勢の方が圧倒的に多い。一向宗側には弓矢を扱える兵が少ないのだろう。川際にいる一向宗が矢を避けるように後退していく。それを見逃さずに長尾勢の騎馬武者が渡河を開始。足軽も続いて次々に川を超えていく。

川を渡る際はどうしても動きが鈍る。そこを矢で射かければ騎馬武者を仕留めることも可能なのだが、一向宗にその余力は無いようだ。あっという間に長尾勢の先遣隊が川を超え、川際に残っていた僅かな一向宗を蹴散らしていく。その隙に後続が川を渡る。


「あっと言う間ね。」

「数が多くても統率がとれないとこうなるってお手本だな。あとは武器の数と質だ。とにかく弓矢は多く持っていないと攻めるにも守るにも不利になる。」

「でも弓って扱うのが大変でしょ。たくさん練習しないと的に当たらないし。」

「そうなんだよ。だから一向宗の弓兵は少ない。うちで訓練するにも俺も弓は扱えないからなぁ。」

「鉄砲さえ手に入れば楽なんだけどね。まだ種子島に伝来していないのかしら。」


二人で雑談をしている内に眼下の一向宗は西に向かって敗走していく。川を渡り切った長尾勢はそれを追うようだ。このタイミングで北に陣を敷いていた神保勢も動き出す。


「神保はずいぶんとゆっくり動き出すのね。」

「こんなに早く一向宗が崩れるとは思わなかったのかもな。それに平地じゃ戦況を掴みにくい。動きとしてはこんなもんだろ。」


今みたいに高い場所から戦場を俯瞰していれば分かるが、平地で戦況を掴むのは難しい。神保から見れば急に一向宗が敗走を始め、いつの間にか川を渡った長尾勢がそれを追い始めたように見えたのだろう。神保としてもこんなに早く一向宗が崩れるのは想定外だったのかもしれない。

追う長尾勢の中央にはやたら目立つ動きをする騎馬武者が見えた。大きな身振り手振りで兵を鼓舞している様子を見ると大将だろうか。逃げる一向宗を必死に追い立てていく。

逃げる一向宗に追う長尾勢。初動が遅れた神保勢が長尾勢の後に続く。庄川を超えた先は広い平野が広がるばかりで隠れる場所は少ない。逃げる一向宗は四方に広がるように薄く広く展開していく。


「砺波にある村が酷い目に遭わないと良いけど。」


お嬢が心配そうに呟く。戦の後は村が荒らされるのが常識のような世界だ。敵味方関係なく、進軍道中にある村は荒らされる。荒らされないためには勝つしかない。幸い、香上村は砺波郡の西端に位置しているから今回の戦で荒らされることは無いだろう。

逃げる一向宗を見つめながらこれからどう動くべきかと考えていたが、どうも一向宗の様子がおかしい。四方に散っていた一向宗が集団を形成して反転し、追って来た長尾勢と戦闘を開始している。


「村を守るために踏みとどまったのか。」


眼を凝らしてみると、あちこちで同様の状況が起きている。反転してきた一向宗が果敢に長尾勢に挑み、討たれていく。追っていた長尾勢は徐々に後ろが詰まり、行き足が止まった。

長尾勢の後ろに続いていた神保勢にも一向宗が迫る。いつの間にか一向宗は半円状に広がっており、まるで長尾勢と神保勢を囲うような布陣だ。長尾勢の背後を守るように神保勢が展開し、その神保勢に一向宗が殺到していく。まずは背後を守る神保から片付ける作戦だろうか。


どこからかドンドンドンとひと際大きな太鼓の音が聞こえた。大きな雄叫びが聞こえる。

太鼓の音を合図に神保勢が反転し、一斉に元来た道を帰っていく。


「神保が撤退していく!」


お嬢が大きな声で指をさす。神保勢に迫っていた一向宗は足を止め、眼前を横切る神保勢をただ見送るだけだ。

おかしい。敵が側面を見せて撤退するのに見逃す理由がない。

神保勢はあっという間に一戦もせず、一向宗の包囲から抜け出した。ポッカリ空いたのは長尾勢の背後。神保勢がいなくなった途端、足を止めていた一向宗が動き出した。

急に背後ががら空きになったことに気付けた長尾勢はどれだけいたのだろう。絶叫のような雄叫びと念仏が平野に響く。

背後を衝かれた上杉勢は何が起きたかわかっていない。次々に兵が討たれて倒れていく。次いで一向宗側から鬨の声が上がった。各所で踏みとどまっていた一向宗がジリジリと押し出してくるのが見えた。


「神保の裏切りだ。」


そう呟いた時、視線の先にいた長尾勢の大将らしき影が馬首を翻した。軍を反転させて神保勢を追うつもりか、それとも撤退するつもりなのか。また大きな身振り手振りで指示を出しているようだが、周囲の兵は右往左往している。そうしている間に前線も背後も崩れ、周囲は一向宗と神保勢に囲まれていく。

「すごい。」とお嬢が呟いた。確かに見事な采配だ。方々に散って逃げる一向宗を追っていた長尾勢は孤立し、囲まれ、討たれ、飲み込まれていく。

いつの間にか長尾勢の大将らしき影は見えなくなっていた。


・・・


早朝から始まった合戦は夕方には追撃戦へ移行していた。

神保勢はさっさと引き上げていき、逃げ延びた僅かな長尾勢を追うように一向宗が東へと進むようだ。

夕闇が迫る中、俺達は山を下って福光寺を目指して歩く。道中で見た村々の被害は軽微なようで、ほっとした表情の村人が踏み荒らされた田畑の手入れをしていた。


「これって一向宗の策略なのかしら。」


声を潜めてお嬢が呟く。


「一向宗か神保かはわからんが、どう見ても示し合わせた作戦だろうな。どうして神保家が一向宗に味方したのかは検討がつかんが。」

「越中は一向宗が広まっているから、ここで敵対したらマズイと思ったのかしら。」

「あるいは一向宗の力を借りて他の武家を蹴落とすために味方したとか。」


いずれにせよ真相は分からない。


「確かなのは神保が裏切って一向宗が勝ったってことよね。早々に善徳寺の実円さんに連絡して味方にしないと。」


お嬢がぐっと拳を握りしめて呟く。

当面の方針は一向宗と協力路線か。気乗りしないが仕方ない。


完全に陽が落ちる前に帰ろうと道を急いでいれば、前方から何やら言い争うような声が聞こえて来た。どうやら福光寺で何人かが言い争っているようだ。

お嬢と目を合わせてから駆け出す。戦の後だ。落ち武者狩りに残党兵の乱取り。村や寺が襲われる可能性は極めて高い。小太刀を握りしめて駆ければすぐに見慣れた福光寺にたどり着いた。そこにいたのは見慣れない連中。困り顔で松明を持つ円順を囲うように十名程の男が立っていた。


「おうてめえら何者だ。」


小太刀の鯉口を切りながら前に出ると、円順を囲んでいた男達が一斉に振り返った。年齢は十代かに十代くらいの若者が二人と老人と言って良い男が七人。どいつもボロい具足を付け、怪我をしているのか顔や肩から出血している者もいる。俺の問いかけに対して顔を見合わせていたが、一人の老人が一歩前に出て来た。


「お主らこそ何者だ。ここを何処と心得る。」

「ここは福光寺だろ。」

「違う!ここは福光城。我らが主、石黒宗家の主城である。」


福光城?石黒宗家?もしかしてお嬢が話してた石黒党か?

確認しようと口を開く前にお嬢が進み出た。


「もしや、あなた方は石黒党ですか。」

「いかにも。ここ福光、石黒家の正当な血筋である石黒宗家に仕える者だ。」


暗がりの中でもお嬢の眼が光ったのが分かった。


「私は高藤家の当主、雪と申します。石黒家のご当主とお話しがしたいのです。」


お嬢が前のめりになって聞くと、老人はグッと眉間に皺を寄せて背後を見る。

その視線の先には横になった一人の男がいた。円順の足元、男達に囲まれていたので見えていなかったが、もう一人いたようだ。

松明の灯りに照らされた男は見るからに出血量が多く、呼吸も荒い。


「主の石黒光興様は、先ほどの戦で深手を負い。」


唸るような鳴き声と共に男達が膝をつく。


「どうするよ、お嬢。」

「助けるに決まってるでしょ。」


「どいて。」とお嬢がむせび泣く男達を突き飛ばして横になった男、石黒光興に近づく。俺も背後から覗き込んでみるが、どうやら左の脇腹を突かれたようだ。割れた胴丸の隙間からは血が流れている。


「とにかく止血。武雄はお福さんにお願いして薬を買ってきて。円順さん、傷の縫合は出来ますか。」

「お任せを。九頭竜川から流れて来た者の傷を塞ぐだけの腕はありますでのう。」

「おい小娘、殿に生き恥を晒させるつもりか!」

「左様。我らはもはやこれまで。せめてここ福光で最後を迎えるために…。」

「煩いわね!助かる可能性があるのにどうして死にたがるのよ。死んだら何もかもおしまいでしょ!それとも何、この人を死なせたいの?」


お嬢が大きな声を出すと男達が固まる。


「まずは中に。早うせんと助かる見込みが無くなりますわ。」


円順に促されて若い男二人が石黒光興を抱えて福光寺の中に入っていくのを確認してから、俺は福のもとへと駆け出した。


・・・


「こりゃ酷い。助かるかどうかは五分が良いとこだね。」


腕組みをした福が石黒光興を見下ろして呟く。お付きの老人達が睨みつけてくるがそんなのお構いなしのようだ。

福を連れて福光寺に戻った時には既に縫合は終わっており、止血のための薬を待つ状態だった。


「お福さん、薬を。」

「これだけの傷になると手持ちの薬じゃ厳しいわ。無駄になるだけよ。」

「それでも良いです。お代は払います。だから早く薬を渡してください。」


お嬢が立ち上がり、服の胸倉を掴む勢いで距離を詰める。


「お雪さん落ち着きなさいな。私の手持ちなんかよりよっぽど質の良い薬を持った男がいるじゃないか。」


福がこちらを見ながら口角を上げる。安広からもらった薬のことが。

胸元に下げていた小筒を取り出す。残りは三分の一程の量。


「武雄。」


いつの間にか俺の眼前にはお嬢の顔が広がっていた。


「おう。使ってくれ。」


槍傷に効くか保証は無いが、福が嘘をつくとも思えない。

すっかり存在を忘れていた小筒を渡すとお嬢は「ありがとう」と言って石黒光興に駆け寄る。


「ありゃそんなに良い薬なのか。」

「ここいらじゃちょっとお目にかかれないくらいの上物さ。朝倉家の秘薬なんだろ。」

「まさか。物好きが作っていた自家製の薬だよ。」


薄暗い部屋の中、お嬢と円順が苦しそうに呻く石黒光興の傷口に薬を塗っていく。

暫くすれば荒い呼吸が落ち着き、口を半開きにして意識を失ったようだ。


「どうだ和尚、助かるか。」

「まずは落ち着いたがさて。あとはご本人の力次第よ。」


円順は血にまみれた手を合わせてから祈るように目をつぶった。


「さて。ここはちと手狭でのう。」


しばらくして祈っていた両手を下ろした円順が周囲を見渡して困り顔で笑う。

狭い一間にぎゅうぎゅう詰めになっていた男女は互いに顔を見合わせてから若手の家臣二人を残して福光寺を出る。

石黒党は何やら小声でコソコソ話していたが、寺を出た老兵達は数人がこちらに軽く頭を下げたかと思うとあっという間にどこかへ去っていってしまった。


「無礼な連中だな。助けたってのに礼も無しか。」

「武雄。そんなこと言わないの。無理やり助けたようなものなんだし、責めるようなことは出来ないわ。」


フンと腕組みをして不満を露わにしたが、お嬢にたしなめられた。石黒党が去って行った方角を睨んでいれば、桶に汲んだ水で手を洗うお嬢の背中を福が撫でていた。


「おつかれさん。」

「お福さん、ありがとうございました。」

「私は何もしちゃいないよ。お雪さんと和尚の力さ。それよか武の薬、まだ残っているかい。」

「えっと、それが。」


お嬢が申し訳なさそうに目を伏せ、濡れた手で俺に小筒を渡す。中を見れば薬は殆どなくなっていた。


「気にするな。道具は使ってナンボだ。」


安広からのもらい物が無くなったのは少し寂しいような気もするが、使いどころとしてはベストだったと思う。

横から小筒を覗き込んで来た福は心底残念そうな顔をしているが。


「ねぇ武、この薬の作り手に渡りをつけとくれよ。言い値で買い取るからさ。」

「そりゃ難しいぜ。コイツの作り手は越前一乗谷にいる。連絡するにも越前との国境は塞がれているしな。」


福はうーんと唸って「腕の良い薬師がいれば再現できるかしら。城端、いや上見の…」とブツブツ呟いているが放っておこう。

濡れた手を自分の小袖で拭いているお嬢の横に声をかける。


「お嬢も医術の心得があったなんて知らなかったぞ。」

「まさか。円順和尚の指示を受けて手伝っただけよ。あとは聞きかじった知識。清潔にする、止血するなら出血部位は高い位置に。とかね。」


ふうと息を吐いたお嬢は立ち上がって腰に手をあてる。


「あとは意識が戻るのを待つだけ。回復するなら話をつけて同盟関係に。話を聞いてくれればだけど。」

「命を助けたんだ。話くらいは聞いてくれるだろ。」


すっかり陽の落ちた福光寺で伸びを一つ。

いつの間にか福が用意していた松明を手に、俺達は帰路についた。

次回は7月3日(木)18:00投稿予定です。

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