九頭竜川合戦_玖
「なんだ、これ。」
ここにいた全員が同じ感想を抱いたと思う。
九頭竜川を挟んだ向こう側。その視界一面に人が蠢いている。今まで一見えていた田畑が見えない。道も、民家も、草木も見えない。
手で掴んで数えるのも嫌になるくらいの人数が右から左まで見える範囲全てに広がっている。
無数の『南無阿弥陀仏』の旗。読経。喧騒の声。地鳴りのような音が鳴り続いている。
南岸に布陣する一万の朝倉軍がまるで紙のような薄い防衛線に見えてしまうほど、一向宗の数は多かった。
「これと、戦うのですか。」
馬を並べた冬光が呟く。
「安広。お主がいらぬ事を言うからだ。言った通り九頭竜川より北が敵で埋まってしまった。」
「それを言うなら重光だって。山を三つ覆うだけの大軍を見てみたいと吹いていたでしょう。」
重光と安広は軽口を言う余裕があるらしい。
「こんな数は見たこと無い。加賀にはこれだけ動員する力があるのか。」
真新しい具足に身を固めた海衛門が槍に寄りかかりながらゲンナリとしている。その気持ちはよくわかる。
綺麗な田園風景は踏み荒らされ、方々では黒煙が上がっている。この様子じゃ竹田川にあった金津城どころか坂井の兵庫城、長崎城、石丸城も落城しただろう。中角館の方角からも黒煙が上がっている。
幸い、今のところは九頭竜川沿いに敵兵は見えず、坂井の各所に集結しているようだ。更なる援軍を待っているのかもしれない。
朝倉軍は渡河地点に馬防柵や矢盾を置いて簡易な防衛陣を構築している。あと数日あれば小さな砦くらいは作れそうだ。作れたとしても一面の大軍が押し寄せた時にどれだけ持つのか分からないが。
「五万と聞いていたがもう少し居そうよの。」
「そうですね。ですが荷駄も混じっているようですし実際に戦に出るのがどれくらかは見当もつきません。」
「敵も一度引いて兵を纏めるようじゃ。その間に我らの布陣も整う。そうすれば五分の戦となろう。」
本当に五分か?と突っ込みたくなるのをグッと堪えて敵を見る。石丸城が黒い煙に覆われている。
遠くに見える兵庫城からは黒煙は上がっていないようだった。
・・・
朝倉軍が布陣してから四日が経った。
概ね防衛陣地は完成し、要所となる四ヶ所、鳴鹿表、中ノ郷、高木口、中角には朝倉軍が布陣している。越前各所から集まった朝倉軍が各所に配置され大戦に備えて毎日緊張状態だ。
一向宗の数は日増しに増えており徐々に九頭竜川へと接近してきているのが見える。
バラバラだった一向宗も、昨日からは集団行動のような動きを見せており、粗雑ながら川向うに陣を構築し始めている。
重光、安広、俺、冬光、海衛門の五人は連れ立って九頭竜川沿いの小高い丘に立って敵陣を眺めていた。
「大野からの兵は間に合ったのか。」
「はい。鳴鹿表に布陣して一向宗と睨み合っていると。魚住殿の兵も加わって三千が布陣しています。」
「竹田川にいた多くの兵は無事に高木口へ布陣したようだな。」
「えぇ。父は中ノ郷に布陣しましたが、堀江殿は勝蓮華殿の指揮下のまま高木口に。」
安広がチラリと俺の方を向いたのが分かった。
九頭竜川に朝倉軍が布陣して二日目。重光の許可を得て高木口に向かった俺を待っていたのは、大勢の負傷兵と白髪の髷だった。
「堀江殿は此度の戦で多くの一門衆を討たれています。その仇討をする、と士気は高いようです。」
安広が気遣うように教えてくれるが、そんなことは分かっている。
息子を失った親として、迫る一向宗から二度も逃げるなんて出来なかったのだろう。殿として最後まであの小高い丘に残ったのだろうか。三国湊にまたおいでと誘っておきながら勝手な爺さんだ。
間に合わなくて、ごめん。
頬を伝う汗を拭う。
「中角は小次郎殿が大将になったと聞いたが誠か。」
「ええ。家格からして中角の将は山崎長時殿。しかし長時殿はご高齢。体調を崩したと言って松木まで下がられました。」
「なぜ松木に。」
「松木には三門衆徒がいるのです。その指揮を執るつもりでは。」
朝倉家に味方する僧兵達は九頭竜川から更に南に布陣している。中ノ郷、高木口、中角のどこかが危うくなったら後詰として出てくるらしい。妙法寺の光照もこの一団に混じっている。
「それで小次郎殿が継いだか。中角にいる兵は二千。二千を差配する将とはどのような気持ちなのだろうな。」
重光が遠く川下の方を見ながら呟く。
数千の兵を指揮するクラスまで出世するには相当な武功が必要なのだろう。武功だけじゃない、運も必要だ。
「敵の布陣は分かったのですか。」
冬光が問いかければ安広が川上から順に説明を始める。
「鳴鹿表には超勝寺を中心に越前門徒が二万。朝倉景職殿を将とした三千と対峙しています。中ノ郷には加賀門徒と和田本覚寺の越前門徒が合わせて五万。朝倉軍本陣の我らは三千。高木口は越中門徒と甲斐、斯波の残党合わせて三万。勝蓮華殿を将に三千が迎えます。中角は雑多な勢力が入り混じっているようですが、数は三万。山崎小次郎殿を将に二千が守ります。」
とりあえず俺達の正面にいるのは加賀門徒と和田本覚寺か。それだけは覚えておこう。
それでええっと、敵と味方は合計で何人だ。
「敵の総数は十三万か。安広よ、これは誠か。荷駄と案山子まで数えておらんか。」
「北村殿から教えて頂いたのです、そう大きく間違ってはいないはずですよ。敵の十三万に対して我らは一万一千。後詰の三門徒衆の三千を加えても一万四千程。いやぁなかなかの戦況ですね。」
明るく笑う二人を俺と海衛門が怪訝な目で見る。
「敵に動きは。」
俺が聞くと安広は首を傾げた。
「わからない、というのが答えになります。どうやら陣を作っているようですがあれだけの人数を留め置くだけの兵糧は大変な量なはず。一気呵成に襲ってくると踏んでいるのですが。」
「烏合の衆じゃ、どうするかまとまらんのだろう。どうせならこちらから川を越えて討ち入ってやろうか。」
重光が小太刀の柄を撫でながら笑っているが冗談に聞こえない。「やれ。」と言われたら喜んで突っ込んで行きそうだ。
冬光まで「良いですね。宗滴様に進言しましょう。」なんて言ってノリノリだ。俺と海衛門がおかしいのだろうか。
ジリジリと暑い夏。兜の下で滴る汗を拭いながら日陰を求めて陣へと戻った。
・・・
戦いは唐突に始まった。
着陣して六日目。時刻は夜明け直後。まだお日様は半分も顔を出していない。
法螺貝の音、馬の嘶き、鉄が擦れる音、男達の声。粗末な小屋で寝ていた俺と海衛門は完全武装した重光に蹴り起されて九頭竜川に向かった。
「中角で敵が攻め寄せて来た。ようやっと始まるぞ。」
ギラギラした目つきの重光が馬に跨って嬉しそうに呟く。同じく寝起きのはずの葉雪はブルルと嘶いてご機嫌だ。
中角の方を見ると対岸の一向宗が蠢いているのが見える。中角の渡し目掛けて殺到しているのだろうか。
「来い。来い。早う来い。」
「うるさいぞ重光。恋する乙女か。」
ブツブツと敵を呼ぶ重光の殺気を察しているのか、高木口と中ノ郷の一向宗は動かない。いつもと変わらず低い念仏が響くばかりだ。
中ノ郷の朝倉軍は素早く陣を整え、弓に矢を番えて対岸の様子を伺っている。
「三人とも何をしているのです。早く本陣へ。」
一向宗を睨む重光の横で馬を並べていれば本陣の方角から安広が駆けてきた。厳しい顔をした安広が重光の馬を引きずり、興奮した葉雪を俺と海衛門がなだめながら本陣へと下がる。
陣幕の近くは警備の兵と使者が入り混じってちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。陣幕の奥に殿様が座っているようだが、人が多くて見えやしない。
「中角にて矢合わせが始まりました!敵は渡河の構えを見せております!」
「山崎殿から討ち入りの許しを求める使者が来ております!」
「高木口は一向宗が騎馬を押し並べている模様!」
ワーワーと騒がしい陣幕の隅に行けば北村のオッチャンに首根っこを掴まれた。
「良いところに来た。急ぎ中角の山崎殿に伝令を。『川を渡ることは許さぬ。よう守れ。』と。殿のお達しだ。」
えぇ、と面倒だと言う表情を全面に出すがオッチャンは気にしてくれない。
蹴りだされるようにして陣幕から追立てられる。周りを見るとどの兵も忙しそうに駆け回っている。いつの間にか重光と安広、海衛門もどこかへ駆り出されたようだ。
仕方ない。ひと走り行くか。
仮作りの厩舎に縛られたばかりの葉雪の手綱を解いて跨る。早々に開放された葉雪はご機嫌に嘶くが落ち着いてほしい。
「ちょいと激戦地まで伝令に行くだけだ。頼むぞ。」
中ノ郷の本陣を出て中角方面へ駆ける。道中は武具兵糧を用意する者や伝令に駆ける朝倉軍が多数いる。中角への道中、高木口を通った時に一際大きな声が聞こえた。ここも合戦が始まったのだろうか。
蠢く旗と男達の背中を駆け抜けて中角に着く頃には太陽が顔を出し切っていた。
中角の陣は小黒丸城と呼ばれる城に置かれている。城と言っても中角館とそう大差ない、平屋の建物がいくつかと、それを囲う土塀があるだけ。開け放たれた門をくぐって厩舎に葉雪を突っ込ませる。
番兵は多少驚いた様子だったが、ひっきりなしに伝令が駆け込んでくるのに慣れているのだろう。何も言わずに手綱を受け取ってくれた。
城内は扇の家紋が描かれた胴丸を付けた兵が多くいる。山崎勢だ。しかしその誰もが困ったような焦ったような顔をしてウロウロしているばかりだ。
とりあえず正面にある館に乗り込むが、中に小次郎はいない。小次郎どころか侍大将格の男もいない。
板の間に放られた地図らしき紙を片付けていた兵の首根っこを掴んで問いただす。
「山崎小次郎はどこにいった!殿様からの伝令だ!」
「こ、小次郎は…」
男は紙を抱えたまま九頭竜川方面を見る。
「まさか討って出たのか。」
重光みたいな無茶はしない、と思っていたが最近じゃ小次郎の方が何をやらかすか不安だった。
男を放って館を飛び出す。黒丸城を出て数十メートルも進めば九頭竜川だ。
場外は扇の描かれた旗の他、朝倉家やその他様々な家紋がはためいている。その旗を背負った男達は誰一人後ろを向かず、前だけを見ていた。
人波をかき分けて前に進むと、全員が見つめているのは川の中州。そこには対峙する二人の男がいた。
こちらに背を向けているのは若草色が目立つ鎧兜に身を包んだ男。山崎小次郎だ。
対するは緋色に金磨きの腹巻の鎧。熊のようなガッシリとした体格で、身長程もあろう大太刀を肩に担いでいる。坪江合戦で重光とやりあった河合藤八郎だ。
「おい、どうなってる。なんで小次郎があんな前に出ているんだ。」
矢の刺さった木盾から顔を覗かせている男に聞けば、男は目を輝かせている。
「大将同士の一騎打ちよ。」
おいおい、そんなことってあるのかよ。いや、それがこの時代の戦い方なんだろうな。映画だかドラマで見たような気もする。
見れば対岸の一向宗も固唾をのんで見守っているようだ。矢も礫も飛んでいない。飛び交うのは双方の大将を応援する声だ。
スラリ。と音が聞こえるような美しい動作で小次郎が太刀を抜く。いつもの小太刀じゃない、柄まで若草色の美しい太刀だ。
対する藤八郎は抜き身の大太刀を背負い直す。
先に動いたのは小次郎だった。
一足飛びに相手の懐に飛び込んでいく。距離は六歩程。あっという間に太刀が届く位置まで潜り込んだ。
受ける藤八郎は背負った大太刀を捻る。刃に反射した陽の光が小次郎の動きを僅かに阻害する。その瞬間、藤八郎は横殴りに大太刀を振るい、小次郎の踏み出した足を薙ぎ払いにかかった。
小次郎は間一髪の所で踏みとどまるが、たたらを踏むように中途半端な態勢になる。そこを藤八郎の太太刀が返刀で振りぬけば、細い身体が横凪に吹き飛んだ。
「小次郎様!」と悲鳴のような声が朝倉方から飛ぶが、当の小次郎は二三回って態勢を立て直した。
上手く受け流したのか、見た目ほどダメージは受けていないようだ。あれ、笑っていないか?
口角が上がった小次郎が中段に太刀を構えて立ち上がる。次に動いたのは藤八郎だ。
ドシンドシンと足音が聞こえるような大股で小次郎の眼前に迫り、大太刀を振るう。最初の一撃とは打って変わって鋭く、驚くほど滑らかな太刀筋で小次郎を追い立てる。
受ける小次郎は大太刀の勢いを太刀でいなし、最小限の動きで刃を躱す。鉄と鉄が擦れ、弾ける音がする。数度刃を交えては攻守が変わったかのように小次郎が攻め、また数度打ち合ったら次いで藤八郎が攻める。
決定打が無いままどれくらいの時間競り合っていたのだろう。均衡は藤八郎の一撃によって生み出された。小次郎が攻めに転じた瞬間、藤八郎が力任せに大太刀を振るい、小次郎の太刀と一際大きな音を立ててぶつかり合う。バキンと甲高い音が響き、鉄の塊が宙を舞う。
「あぁ。」と誰かの息が漏れた。折れた小次郎の太刀が回転しながら落下していく。
小次郎が、また笑った。
バキン。ともう一度嫌な音が響く。
甲高い音を立てて、折れた小次郎の太刀が地面に落ちた。
次いで鈍い音を立てて、折れた藤八郎の大太刀が地面に落ちる。
「勝負を急ぎましたね。それとも小太刀は飾りと思いましたか。」
いつもの小太刀を右手に下げ、根本から折れた大太刀を握りしめる藤八郎に対して小次郎が呟く。
熊のような藤八郎が一歩下がる。逃がさぬと小次郎が一歩迫る。
「これまで。」
藤八郎が諦めたように項垂れた次の瞬間、勢いよく砂を蹴り上げて逃げ出した。
「卑怯だぞ!」
俺が叫ぶより早く、小次郎の小太刀が走っていた。
背を向けた藤八郎の足を払い、バシャンと水しぶきをあげて大男が倒れる。上半身が九頭竜川から這い上がるより早く、小次郎の刃が緋色の鎧を貫いた。
九頭竜川が紅く染まり、緋色に金磨きの腹巻の鎧を着けた大男が起き上がることは無かった。
朝倉方から大歓声が上がり、男達が太刀や槍を天にかざす。
小次郎は一礼してから悠々とこちら側へと帰って来た。歓迎する男達と団子になりながら俺も小次郎のもとへと駆けていく。
「小次郎!」
「武雄殿。重光殿へ土産が出来ました。」
水しぶきを拭う顔がまたイケメンで困る。クソ、俺もこれくらい顔が良ければ。
いやそうじゃなくて。本題を伝えなければ。
「殿様からの伝令だ。川を渡るなって。」
「そうでしたか。先ほどの一騎討ちでは渡りきっていないので大丈夫でしょう。」
小次郎がニコリと笑うと、対岸からドンドンドンと大きな地鳴りが聞こえて来た。
「どうやら二番手が出てきたようです。」
藤八郎の遺体を回収している一向宗の横から一人の男が出てきた。
今度は黒色縅の鎧を着た男だ。手槍を振りながらこちらを睨みつけている。
「中村。勝てますね。」
中村と呼ばれた青年がギラギラした目つきで頷く。
「お任せを。」と一言だけ告げてズンズンと中州へと歩いていってしまった。
「武雄殿。宗滴様に伝令を。ここは守り切ります。下知あらば加賀まで進むとお伝え下さい。」
次の一戦も見たいがそうもいかない。
ニコリと笑う小次郎に肩を叩かれて葉雪のもとへと駆けていく。
後ろからはまた大きな歓声が上がっていた。
もっと語彙力があれば…と悔やまれます。
次回は5月2日(金)18:00投稿予定です。




