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武勇伝  作者: 真田大助
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都の薬売り_弐

その日は朱丹の一室を借りて夜を過ごした。と言っても寝たのは俺と安広の二人。甚兵衛は別の場所で寝ていたらしい。

翌朝はすっかり慣れてしまった薬の匂いを漂わせながら大通りで三人並んで歩く。今日は上京の視察だ。荒れた家々、活気のある露天商。道端に捨てられたように転がる人。どれも数年前と変わりない光景の中、上京へ入るための関所まで来れば、欠けた胴丸に汚れた肌をした男が四人。槍を持って立っている。


「止まれ。これより先は上京である。何用か。」

「某は薬売りにございます。上京の方々へご挨拶したく参りました。」


安広が深々と頭を下げ、甚兵衛がそれより深く頭を下げる。俺も一応下げておく。


「薬売りか。どうにも鼻につく臭いじゃ。」

「臭くて敵わん。払うもん払ってさっさといね。」


番兵達は鼻をつまんで手を振る。甚兵衛がサッと進み出て一人の番兵に小袋を握らせると、さっさと関所のみすぼらしい門が開いて上京へと踏み込む。

関所が見えなくなったところまで来てようやく安広がニコリと笑った。


「なるほど。臭いとは便利なものですね。」

「便利かと言われれば際どいぞ。見ろ、人目を引いている。」


かなり広い通りを歩いているのだが、風向きのせいだろうか、何人かの身綺麗な人物が鼻を抑えながら迷惑そうにこちらを見ている。


「そうでしょうか。気にしすぎですよ。」と呆けたことを抜かす安広をせっついて、目的の通りまで急がせる。

上京に入ってしばらく歩くが、下京と大差ない様子だった。焼け落ちた館が目立ち、覇気の無い顔をした男達が力なく片づけをしている。そんな中、綺麗な土塀に囲われた館が見えてきた。


飛鳥井家(あすかいけ)です。二人とも、粗相の無いように。」


安広が着物の袖を整え、甚兵衛も息をのむ。

館の前には槍を持った番兵が二人。関所で見たようなみすぼらしい格好ではなく、綺麗に磨かれた胴丸に小さい烏帽子みたいなものまで被っている。門は閉ざされており中の様子がうかがえない。

飛鳥井家(あすかいけ)は有力な公家らしく、その末端でも良いから接触したい。と言う安広に着いてここに来た。有力な公家なら俺達みたいな一見さんはお断りされるのでは。と言ったのだが「どうしても行かねばならぬのです。」と力説する安広に説得されて着いて来ている。

安広が番兵に近づくと、警戒した視線が向けられる。


「何用か。」

「某、敦賀で薬を売っております敦丸屋の安兵衛と申します。腹痛、解熱、痛み止めとして良く効く薬を持ちましたので、ぜひご覧に入れたく。」

「間に合っておる。帰れ。」

「ではここにいくらか置いて参りますので、もし入用になりましたら下京の…。」

「不要である。これ以上問答するなら容赦はせぬぞ。」


ギロリと睨みつける番兵からは殺気すら感じる。これは取り付く島もないだろ。


「これは大変失礼いたしました。お目汚しをどうぞお許しください。」

「ほらやす、安兵衛。いくぞ。」


甚兵衛が深々と頭を下げ、俺が安兵衛こと安広の腕を取って来た道を引き返す。

ものの数分のやり取りだが、番兵からは明確な殺意が向けられているのが分かる。命が軽いこの時代、これ以上粘ったら斬り捨てられるに決まっている。番兵の視線を背中に感じつつ、足取りの重い安広に向かって小言の一つでも言いたくなる。


「やっぱり無理だって。飛鳥井家ってのは名門なんだろ。せめて殿様からの正式な使者でもないと可能性なんて無いだろ。」

「それは分かっていますが。」


分かってるのかよ。名残惜しそうに何度も振り返る安広を引っ張って横道に逸れる。


「何だって飛鳥井家にこだわるんだ。」

「飛鳥井家は歌道に書、蹴鞠まで文武両道を体現した名家。その御一門をぜひ拝んでみたく…。」


呆れた。私利私欲じゃねぇか。お前ってヤツは。と安広を見れば、首を振って否定する。


「飛鳥井家は蹴鞠のお家。きっと怪我もあろうと思い、薬が必要と踏んだのです。」

「必要かもしれないが名家ならお抱え医師ぐらいいるだろう。」


安広の薬がどれだけ効くのか分からないが、名家に食い込むならまだまだ知名度不足だろう。

はぁと一つ大きなため息をついた時、首筋に嫌な感覚を覚えた。


振り返り、腰の小太刀に手をかける。

道は人が横に三人並べば一杯になる程度の道幅。その細い道に一人の男が立っている。

長身。小綺麗な着物に太刀を携え、小さい烏帽子を被っている。パッと見は公家に仕える身分の確かな武士だろうが、異様な殺意を纏っているのを感じた。

その顔は逆光で暗く、伺えない。


「見慣れぬ者だな。何用か。」


男が低い声で呟く。甚兵衛は一歩下がり、安広が一歩前に出る。


「某は敦賀で薬を売っております敦丸屋の安兵衛と申します。飛鳥井家様へ薬の売り込みに参りましたが門前払いでございました。まだまだ未熟と同輩に窘められましたので、これより国元へ戻ろうかと思っていた次第にございます。」


俺の横に立った安広がニコリと敵意の無い顔で笑う。両手は腰に添えられているが、いつでも太刀の柄に届く位置だ。


「薬売りにしては大層腕の立つ小者を連れておるな。」

「都は物騒と聞き及びました故。お上りと笑い下さいませ。」


「後ろは誰もいない。」と甚兵衛が小声で話す。走れば逃げ切れるか。と言うかあの男はなんで急に絡んで来たんだ。野盗にしては身綺麗だが。


「近頃付け火が相次いでおる。その木箱の中、改めさせてもらいたい。」

「おや。検非違使の方でしたか。そうは見えませんでしたが。」


相変わらずの笑顔で安広が問えば、男が一歩前へ踏み出す。


「この近くに仕える一介の武士よ。何も無ければ荷を改められても問題あるまい。」


これが朱丹で話してた武士の強盗のやり口か?木箱の中には薬と路銀くらいしか無いが、盗られたら困る。


「さぁ。荷を。」


太刀の柄に手を掛けた男が近づいて来たその時、背後から複数の足音が迫って来た。

挟み撃ちかと振り返れば、関所で見たようなみすぼらしい格好をした男達が抜き身の太刀を持って走って来ているではないか。太刀を握る者、大きな木箱を抱える者、派手な布に包まれた大きな荷物を背負う者、暴れる女性を抱える者。十名程の団体が俺達を弾き飛ばす勢いで走って来る。


「どけ!どかぬなら斬り捨てるぞ!」


先頭を走る髭もじゃの男が叫ぶ。どう見ても盗賊の一団が一仕事終えた帰り道だ。

最後尾にいた甚兵衛はピョンと横に飛び退き、推移を見守る構えを取る。安広はどうする。


「無頼の輩。逃すは道義に反します。」


太刀を抜き、構える。いいね。そうこなくっちゃ。

さっきの男はまだ距離がある。まずは突っ込んでくる野盗の一団が先だ。

小太刀を抜いて安広の一歩後ろに付ける。先頭の髭もじゃは安広にくれてやる。その後ろは俺がもらう。


「御免。」


先頭を走る髭もじゃの首が宙に浮いた。たたらを踏むような足取りでドウと地面に倒れ、手にしていた太刀が地面を転がる。


「助太刀致す。」


血の付いた太刀を振り、さっきの男が俺達の前に立つ。

「いつの間に。」と呟く間もなく野盗の一団は物言わぬ骸となって転がっていた。


・・・


「ま、待て!我らは細川家の家臣だぞ!我らに手を出すと…。」


ドサリと音を立てて最後の一人が倒れる。転がる首を見向きもせずに血の付いた太刀を眺め、小さくため息をつくその男の顔に見覚えがあった。

延暦寺の慈明と一緒に上京へ来た時に会った、時瀬家に仕える豊川って武士だ。


「お助け頂きありがとうございます。」


安広と甚兵衛が頭を下げると、男は丁寧に太刀を拭ってから納刀する。


「手向かう覚悟、見事であった。」

「構えただけで何もしておりませぬ。全てはお武家様のおかげにて。」


安広はニコリと笑うと、道端で肩を抱えて震える女性に近づいて行く。拘束はされていないようだが、だいぶ返り血を浴びてしまったようで怯えているのが分かる。

「怪我を見ます。」と声をかけた安広に警戒しながらも、顔に付いた血を拭われると安心したのかポロポロと涙を流しはじめた。


「怪我はないようです。さぁ、この薬をお飲みなさい。心が静まります。」


甚兵衛の抱えていた木箱から一包みの薬を差し出し、水の入った瓢箪と一緒に渡す。怪しいことこの上ないが断る力もないのだろう。女性は言われるがままに薬を飲み、大きく息を吐く。


「その方、錦小路(にしきこうじ)家の者か。」


鋭い目つきの男、豊川が震える女性に問いかければ、女性はウンウンと何度も頷く。


「見知った家の者だ。某がお連れいたそう。」

「それそれは。どうぞお頼み申します。」


これ幸いと安広が二三歩下がったが、「待たれよ。」と止められる。


「事情を知った者は多い方がよかろう。同行を頼みたい。」


「それは…。」と安広が断る素振りを見せるが、太刀の柄に添えられた手を見て諦めたように項垂れる。正直、三人がかりでも勝てる気がしないし、逃げ切れる気もしない。

ふらつく女性を安広が支えながら、五人は通りへ向かって歩き出した。


・・・


焼け落ちた門。欠けた塀。煤まみれの中、辛うじて焼け残ったのであろう屋敷の前に立っていた。

俺達の前ではこの屋敷の武士だろうか、数人の男があれこれ豊川と話している。


「錦小路家。知らぬ家名ですが、恐らく家格は高くないでしょう。苦労しているようですね。」


安広が囁くように呟く。確かに門も小さいし屋敷の庭も狭い。豊川と話している男達もどことなくくたびれた格好に見える。困ったようにワイワイと話している一団から豊川が抜け出して来た。

相変わらず鋭い目つきだが、どこか困ったような顔にも見える。


「敦丸屋と言ったな。すまぬが一役買ってくれぬか。」

「如何なさいましたか。」

「あの女中は錦小路家の者で間違いなかった。しかし問題なのはそれを助けたのが某と言うこと。錦小路家には我が主に払うだけの謝礼を用意出来ぬのだ。しかし助けられたのは事実であり、それを無かったことには出来ぬと言う。そこでだ。お主らが助けたことにすれば礼も出来て体裁も立つと提案しようと思う。」

「しかしそれではお武家様のお立場が無いと言うもの。我らは何もしていないのに褒美を頂くようなものにございます。」

「某は良い。主に迷惑をかけたくない。多少だが褒美も出れば付き人も都で良いものが食えよう。」


安広の後ろに控える俺と甚兵衛をチラリと見る。バッチリ目が会ったが特に豊川の反応は無い。まぁ一度会っただけだし、あの時は小坊主だったから覚えているはず無いか。

眉間に深い皺を作り腕組をしている豊川を見て「これ以上粘っても無駄だ。」と判断したのか、安広が頭を下げた。

豊川は少し安堵した表情を浮かべて「助かる。」とだけ呟くと、さっさと錦小路家の方に戻っていく。


「致し方ありません。褒美だけ頂いて帰りましょう。」


こちらの声が聞こえない距離まで豊川が遠のいたのを確認してから安広がコソコソと話しかける。

異論無しだ。戦う気満々だったからその気概を買っての褒美とでも思えば良い。貰えるモノは貰っておけ。


「敦丸屋。参られよ。」


こちらを振り返った豊川に呼ばれ、三人揃って前に進み出た。

煤が付いた縁側の上には男が三人。左右に控えるのは武家だろう。太刀を携えてやや後方に控えている。中央にいる男は顔色の悪い痩せ男だ。歳は三十代か四十代か。細い烏帽子も相まってなんだかひどくやつれて見えた。

庭に膝を着いた状態で豊川が控えており、俺達は豊川の手前まで進み、同じように膝を着く。


「こちらが女中殿をお助けした敦丸屋にございます。」

「これはこれは。此度は当家の家人を救ってくれたとか。礼を申すぞ。」

「いえいえ。そこなるお武家様のご助力もあってのこと。我らだけでは到底敵いませんでした。」

「あいや。これら三名がよく対峙したからこその結果にございます。某は何も。定基(さだもと)様、ぜひお褒めの言葉を。」


定基(さだもと)と呼ばれた顔色の悪い男がオーバーリアクション頷き、扇子を振りながら感謝の意を述べる。安広もそれに合わせるように台詞がかった声色でお礼を言って頭を下げる。この三文芝居は必要なのだろうか。


「ちと気になったのだが、お主らは薬師かえ。」

「はい。敦賀、越前にて薬を売り歩いております。此度は都にて我らが薬を売り込みたいと意気込んで参りました。」


顔色が悪い定基は「そうかそうか。」と頷きながら俺と甚兵衛が背負う木箱を頻りに見ている。安広は商機と思ったのか、ニヤリと口角を上げているのが見えた。


「ここでお目通り叶いましたのも何かのご縁。もしよろしければご覧になっては頂けませぬでしょうか。」

「おお、そればぜひ。中原、秀直(なおいえ)を呼んで参れ。共に見分しよう。」


やつれていた評定が少し明るくなったオッチャンは、控えていた武士に誰かを呼びに行かせるとズイと身を乗り出して来た。

滋養強壮に効く薬なんてあったかな。

木箱を安広に渡しながらそんなことを考えていた。

次回は2月25日(火)18:00投稿予定です。

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