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武勇伝  作者: 真田大助
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都の薬売り_壱

ジリジリと肌を焼くような日差しの中、重い木箱を背負って歩く。滴る汗が小袖を濡らすが、その生温い感覚が不快感を増す。

下京と呼ばれる地域は相変わらず無法地帯だった。上京へと続く道には関所が設けられ、誰であろうと通るには番兵に銭を払わないといけない。


「変わらねぇな。」


俺の呟きに反応して、横を歩く甚兵衛が木箱を背負い直しながら話しかけてくる。


「都は荒れる一方だ。先月も上京で大きな火事があったらしい。御所を直すこともままならない中、公家の屋敷も荒れ放題だとよ。」

「下京も同じですね。どこぞの家中の兵と野盗の区別もつきません。」


手ぬぐいで顔を拭きながら安広が答える。

俺達三人はくたびれた格好をして下京を歩いている。木箱背負った若者二人と中堅商人といったところだろう。安広は太刀を。俺と甚兵衛は小太刀を腰に差しているが、下京を歩く商人やゴロツキも皆武装しているので咎められることが無いのは幸いだ。

「ここですね。」と安広は一軒の古びた家の前で立ち止まった。【朱丹】と書かれた看板が立てかけられており、開いた戸の中からは独特な匂いが外まで漂っている。あまりの匂いのキツさからか、通りを歩く人も【朱丹】の前は大きく避けて歩いている。


「凄い匂いだ。」

「そうですか?これくらいは調薬していればよく嗅ぎますよ。」


鼻を塞ぐ俺と甚兵衛をよそに安広はさっさと家の中に入っていく。

覚悟を決めた表情で甚兵衛が続く。仕方ない、と俺も覚悟を決めて匂いの中心地へと踏み込んだ。


・・・


「某が京の都に?」


そうだ。と殿様が頷く。

盛夏を迎えた敦賀は近江の国境も落ち着き、気持ちの良い海風が吹き抜けていた。金ヶ崎宮の一室には殿様、北村のオッチャン、一乗谷から来た安広と俺が座している。


「左様。朝倉元景の件以降、細川家はしきりにこちらの力を削ごうとしておる。都に人を出して探らせたいが如何せん銭も人手も足りぬ。そこでだ。一乗谷で何やら悪だくみをしておるお主と敦賀にいる悪童の二人で銭と人手を補おうと思うてな。」


ちょっと思い当たる節が無いので隣に座る安広を見ればダラダラと汗をかいている。

おいまさか。


「そ、某は悪だくみなど。」

「責めてはおらぬ。しかし武家でありながら座へ出入りしていれば風評も立とう。」


殿様が扇子で風を起こしながらニヤニヤと笑えば、安広は「面目次第も…。」と深々と頭を下げている。安広の悪だくみは明や越中から仕入れた生薬を基に薬を調合し、越前の薬問屋を通じて小銭稼ぎをしていることだろう。銭を稼ぐのは商人の仕事。武士が銭勘定するのはみっともないと言う風潮なのでコッソリやっていたようだ。

一応殿様の許可は得て薬問屋に卸していたはずなのでもうちょっと強く出ても良いと思うが、まぁ黙っておこう。

ちなみに俺が悪童と言うのは言いがかりなので勘弁してほしい。


「下京に懇意にしておる問屋がある。朱丹と言う薬問屋でな。当主の性根は悪いが薬は良く効くと評判よ。そこに自慢の薬を売り込みついでに都の仔細を見て参れ。無論、朝倉家家臣としてではなく、敦賀朝倉宋滴御用達の薬問屋、【敦丸屋】としてだ。」


安広は「はぁ」と気の抜けた返事をするが殿様はお構いなしに続ける。


「細川家の動向が分かれば良いが深追いは不要。都の情勢、幕府の動向、摂津、播磨、近江の一向宗。噂でも何でも良い。」

「某の配下から一名お付けしますが、腕はあまり立ちませぬ。都には多くの影もございます故、油断されませぬよう。」


と殿様、北村のオッチャンに背中を押されて敦賀を追い出された形だ。北村配下、室山甚兵衛が一乗谷からあるだけの薬を運んで敦賀で待っていてくれた。


「で、今の都ってどんな状況なんだ。」


敦賀を出て疋壇城を超え、海津を超えたあたりで安広に聞いてみる。


「変わらず荒れているようです。火事や日照りもあり、御所の修復すらままならないとか。」

「細川家の当主、細川政元だっけか。そいつはどんな男なんだ。」

「室町幕府で権威を振るっています。昨年は敵対した摂津守護代の薬師寺元一殿を打ち負かして自害させていますので、武力面でも侮れないでしょう。ですが権力に溺れてか生来の性格か。周囲に当たり散らすことも多いようで敵ばかり作っているみたいですね。最近では味方だった河内の畠山家とも上手くいっていないとか。」

「その細川政元はどうして朝倉家を嫌っているんだ。」

「簡単に言えば細川政元殿が指示する将軍、足利義澄様を朝倉家が指示していないからですね。大殿は前将軍の足利義尹(よしただ)様を指示しています。いわば政敵派閥を潰そうとしているのです。」


足利将軍家の派閥争いか。遠い昔に勉強したようなしないような。登場人物が多すぎて覚えられなかったことは覚えている。

上のことは殿様や頭の良い連中に任せておけば良いか。


「目的地の朱丹屋、だっけか。安広はその薬問屋のことは知っているのか。」

「えぇ。一乗谷で何度か番頭とやりとりをしました。当主とは会ったことはありませんが、名は朱玄と聞いています。既に知らせは行っているようですから、我らが朝倉家中の者と知って迎え入れてくれるでしょう。」


【敦丸屋】として振る舞うのはあくまで都の中で怪しまれないようにってことか。


「で、肝心のこの薬は売れるのか?」


背負った木箱を揺らして聞けば、自信満々の表情で安広が人差し指を立てて解説を始めた。


「もちろん。既に一乗谷の朱丹屋にも卸しています。腹痛、解熱、痛み止めによく効くと評判なのです。朝倉家で作られたとは言えませんので越前の某所で作られたことにしていますが、なかなの売れ行きですよ。」

「朱丹屋で小銭が作れれば都で良い飯も食えるな。」


重い木箱を背負う甚兵衛と笑いながら湖畔の道を進むと、見た事のある光景が広がっていた。

いや、正確に言うなら「面影を残した光景」だった。真新しいその関所と町は、俺の記憶とは乖離していた。

「坂本だ。」と甚兵衛が呟く。遠くに見える関所には相変わらずやる気のなさそうな番兵が立っている。坂本は数年前に大火に見舞われた。多くの家屋が焼かれ、一時は殆どの町民が去ったと聞く。

関所を超えて坂本の町に入ると、まだ新しい家々が並び商店が人を呼び込んでいる。


「ここも大分栄えていますね。以前よりも活気があるように感じます。」

「延暦寺より多大な支援があったと聞きます。それ故町衆は延暦寺に頭が上がらないとも。」


安広と甚兵衛が辺りを見渡しながら歩く。町の外れ、福光屋の看板がかかっていた建物は、馬場になっていた。

先を行く二人から数歩遅れて、辺りを見渡す。


キラキラ光っていた青い帯も、太い猫背のオッチャンもいない。


賑やかな通りの中、少しだけ胸にくるものがあった。


・・・


朱丹屋は外からみたら民家のような造りだったが、中に入ると商家のような間取りになっていた。土間があり、売買を記帳するための机。一番の違いは所狭しと箪笥が並び、異様な匂いが立ち込めている点だ。土間には人がいないが、奥の方で何人かが作業しているような姿が見えた。


「御免。越前より参りました、敦丸屋にございます。」


安広が声をかけると、薄暗い部屋の奥から一人の坊主が出て来た。歳は四十代後半だろうか。シミが目立つ丸顔だ。


「おお、よういらっしゃいましたな。朱丹屋の当主、朱玄にございます。」

「敦丸屋の安広にございます。」


安広が名乗ると朱玄はガハハ、と豪快に笑い声を上げた。


「敦丸屋さんね。よう聞いておりますよ。お武家さんにしておくとはもったいないとか。おっとこれは失礼。ここで立ち話もなんです、大したおもてなしは出来ませんがどうぞ奥へ。」


ペチンと剃り上がった頭を叩いて朱玄が奥に入っていく。大丈夫かこのオッサン。一抹の不安を覚えながら安広に続いて草履を脱ぐ。が、甚兵衛は木箱を背負ったまま立ったままだった。


「甚兵衛、行かないのか。」

「上がれる身分じゃないからな。ここで荷を見てる。」


いつまで経っても身分の差ってのに慣れない。これが当たり前と思っている甚兵衛は当然のように俺の木箱を背負ってそこに立っていた。

少し遅れて上がると、奥の部屋にはいくつもの木箱とそれに薬を詰める坊主達がいた。

薬師はみんな坊主なのか。それとも調薬の影響で…。うすら寒い想像が走り自分の頭を守るように触っていれば、また朱玄のガハハと笑い声が聞こえる。


「心配なさらずとも匂いで毛が抜け落ちたりはしませんがな。ここにいる薬師は皆、元は寺の坊主でしてな。還俗して薬師をやっておるんですわ。」


「念仏唱えるより儲かりますからな。」と言うと周りからも笑い声があがる。随分と金に正直な男達だ。気に入った。

朱玄に連れられて更に奥に進むと小さな庭の見える一室に通された。上座を空け、左右に並ぶように朱玄と安広が座る。とりあえず安広の隣に座ると、それを見計らったように小坊主が水の入った椀を持って入って来た。本当に寺みたいだな。


「ここなら外に声は漏れません。お隣さんは朱丹の蔵ですからな。」

「お心遣い痛み入ります。」

「なんのなんの。朝倉様はお得意様ですから。特にこれから一向宗との戦も激しくなりましょう。存分に支えさせていただきますわ。」


ニンマリと笑う朱玄にちょっと不快感を覚える。薬が売れると言うことは怪我人や病人が出ること。それを商機としているのは分かるがどうにも嫌な気持ちだ。


「朱玄殿。本日参りましたのは…。」

「はいはい、都の情勢のことですやろ。一乗谷の番頭から聞いておりますわ。」


安広の話しを遮って朱玄が一枚の紙を広げる。A4サイズの和紙に書かれた都の地図のようだ。


「今いらっしゃる朱丹がこの辺。ここが御所。こっちが比叡山でこっち方面が丹波、下に続くこの線が大和へ続く道ですわ。」と朱玄が何か所かを指さして説明する。


「応仁の乱以降、あちこちで小勢り合いや付け火が続いてましてな。伊勢の政所様や細川様がなんとかしようとしてますがどうにも変わりませんわ。商人も都に来ては夜盗や武家に荷を奪われて逃げ帰る有様。近江に行く者もいますが坂本の大火みたいなこともありまして、どこも安全とは言えませんな。最近じゃ尾張の津島や駿河の駿府に行く者も多い。あぁ、もちろん北の一乗谷さんを目指す商人も仰山おりますよ。」

「都で羽振りの良い商家はありますか。」

「どこも同じような有様ですわ。少し目立てばすぐに武家さんに奪われますからな。付け届けの方が高くついて叶いません。」

「武家に奪われると言うのは。」

「文字通りですわ。荷を襲われたと思って代官に訴えればその代官所に奪われた荷車があるんですから。それも『捨て置かれた物だった』なんて言われるもんで。たまったもんじゃありまへん。薬だけやない、米や味噌まで根こそぎですわ。」


武士より盗賊の方が正しい呼び方だな。その後も安広が色々聞いたが、代官所、幕府も取り締まりが出来ていないらしい。自分の懐を暖めるのに忙しいらしく、武士だか盗賊だか分からない武装勢力があちこち乱立しているらしい。


「公家衆は大層困っておられるようで。お抱えの武士がいる家はなんとかなっていますが、それすら持てない公家さんはもう見るに堪えませんわ。先日の火付けなんて騒ぎに乗じて公家の娘さんを拐かしたなんて話も。」

「惨い話しです。」

「しかしそれで得する者もおりましてな。延暦寺さんなんて大層儲かってますよ。裏じゃ逃げ込んだ町民を売り払っているなんて噂も。」


やってそうだなー。俺が言うのもなんだけどさ。眉を顰める安広を見てなんだか申し訳ない気持ちになる。


「お武家さんの話しでしたら細川様の噂は絶えませんな。政元様はご隠居したと言うのにまだ表で口出しされておりますからなぁ。それに随分と気性に波があるとか。お付きの小姓は生傷が絶えないわ女中も手を付けられては難癖付けて追い出されるわとえらい評判ですわ。最近じゃ特に寝所に近づく者があると斬り捨てんばかりに怒ってらっしゃるようで。」

「お味方の畠山家すら見限ったようですからね。細川家の家督は澄之殿に譲られたのでしたかな。」

「そりゃ随分と昔の話しですわ。しばらく前に阿波の分家から一人養子を迎えられてその方に家督を譲ったって話しで。名前は確か澄元様だったか。もちろん澄之様と澄元様、その取り巻き衆でよう揉めておられますがね。」


登場人物が多すぎてよくわからないが、どの家も家督争いばっかりだということは辛うじて分かった。

ぬるい水を啜りながら分かった顔をして朱玄の話しを聞く。


「そうそう。こちらとしてはもう一つ肝心なことがありましてね。例の薬、見せてくださいな。」


朱玄が手を揉みながらすり寄ってくると、安広は距離を確保するためかやや大げさに着物を整え、懐から一包みの粉末を取り出した。朱玄はそれを零さないように両手で受け取るとじっくりと眺め、匂いを確かめ、ひとなめする。


「なるほど。こりゃ手前共の薬とは大分異なりますな。」

「製法や材料は明かせませんが、効能は知っての通りです。こちらで取り扱って頂けるのであれば、幾ばくか優先的にお渡しすることも検討しましょう。」


朱玄はまたニンマリと笑い、薬を大事そうに包みなおして自分の懐にしまう。


「一乗谷の番頭へよく言い付けます故、何卒良しなに。」


まん丸の頭が深々と下がり、安広の口角が上がっていた。

次回は2月19日(水)18:00投稿予定です。

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