知る
歩くだけで玉のような汗が噴き出る夏。教景屋敷では休みなく剣術稽古が行われている。
「四半刻に一度は身体を休めて水を飲め。長く戦うには適度に身体を休めよ!」
「ただし敵は待ってくれません。一人が休むためには二人が前に出るのです。」
「お前たちはただの足軽では終わらさんぞ。ここで飯を食ったからにはしっかり殿に奉公せい!」
重光と小次郎による稽古はただ個人の力量を伸ばすだけでなく、一軍の将としての要素も加わり始めていた。
木刀を振るうのは俺、九郎兵衛、海次郎、幸千代の四人。春蘭軒は春に引き続いて剣術稽古は早々にリタイアしている。
「良いか。大将自ら剣を振るうは敗北よ!しかし裏切りや下劣な策により本陣に敵が忍び込むこともある。一撃を防ぎ、己を律するためにも剣の腕を磨くのだ!」
陽が傾くのが先か、俺達が倒れるのが先か。ギリギリの体育会系シゴキを何とか乗り越えて本日の稽古は終了。互いに礼をしてから地面に倒れるのが日課になってきた。
「そろそろ鎧兜を着て水練もせねばな。」
「それは良いですね。この暑さです、彼らも喜びましょう。」
日陰に逃げ込んで倒れる俺達をよそに鬼コーチ二人が恐ろしい話しをしているが、幻聴だと思いたい。なんとか重い身体を引きずって井戸で冷たい水を浴びる。
「そういえば九郎兵衛、景豊様は大丈夫なのか?」
ただでさえ黒かった肌がより黒みを増した海次郎が九郎兵衛に声をかけた。
「父上が乱心した、という話しなら大丈夫だよ。根も葉もない噂さ。父上を貶めようとする策だろうね。」
「そうだよね。九郎兵衛とシュンライケンのお父上が家臣を斬るなんて思えないもの。」
白い肌が真っ赤になってしまった千代丸が安心したようにうなずく。
数日前から一乗谷で流れている噂。敦賀郡司の朝倉景豊が自身に意見した家臣の一人を切り捨てた、というもの。
九郎兵衛は気丈に振舞っているが、この噂が事実であることはきっと気が付いているだろう。
俺が噂を耳にしたのは一乗谷に広がる前。忍びの室山甚兵衛から伝えられた。なんでも京の某から届いた文を景豊の家臣が誤って開封してしまったらしい。その家臣は、差出人の名に見覚えが無かった故に何か仕込まれているのではと景豊を思っての行為だった。と弁明したが、その日の内に首を落とされた。
私信の文を覗き見ることが罪だとしても即日打ち首は異常だと噂が広まり、かえって景豊への不信感が増すことになってしまっている。これに対して朝倉本家は特にリアクションをしていないところがまた怖い。全てを知って泳がせているのか、それとも些事と切り捨てているのか。
文はおそらく朝倉元景からのものだろう。謀反に関するものだった故に口封じしたのだろうが、悪い方に転がらないといいけど。
「いやだね、お家争いだなんて。九郎兵衛と春蘭軒に何か言ってくる輩がいたらすぐに教えろよ?俺達がぶっ飛ばしてやるからな!」
真っ黒な腕をまくって海次郎が力こぶをつくって見せる。それを見て笑う九郎兵衛の顔は、夕陽の影が深く差し込んでいた。
・・・
重光の剣術稽古以外、俺は萩原爺さんに付いて仕事をこなしている。
日中の仕事は大したことは無いのだが、問題は日暮れからだ。三日に一度のペースで呼び出されては忍びからの報告内容の整理、いざ戦になったらどう動くべきか、兵を集めて動かすには何が必要か。そんなことを叩きこまれている。
「お前はまだ幼い。己の力で敵を討つのは難しい。しかし頭を使えばお前でも敵を討てる。己の成すべき事を成すのじゃ。」
口癖のように、己に言い聞かせるように萩原爺さんがつぶやく言葉だ。
これも噂話だが、爺さんは家督を息子に奪われたらしい。いや、体裁としては譲ったことになっているが、実際には首元に刃を向けられて家督を移譲。家を追い出されたところを殿様が受け入れているとか。本当かどうか聞く気も無いが、あの態度を見れば追い出されるのもなんとなくわかる。
だが同時に、萩原爺さんと接してきて悪い人では無いとも思っている。口も態度も悪いが、正論と持論を持ち、いろんな情報を基に考え、家のためを思っての発言をしている。かなり優秀だと思うが、自分の考えを相手に叩きつけるから敵を作るんだぞ。
「聞いておるのかこの小坊主。いいか、戦になりそうなのは加賀一向宗だが、加賀一向宗が立てば越前一向宗も立つ。これを防ぐことは出来ん。しかしその勢いを知っておくことで被害を抑えることが出来る。その方法を考えるのじゃ。」
「立つ前に抑えることは出来ないのか?怪しい坊主を片っ端から暗殺するとか。」
「そのようなことをすれば一向宗の憎悪を助長するだけよ。やるなら根絶やしじゃ。」
根絶やしって…ずいぶん苛烈なことを言うな、と嫌な顔をしてしまうが、萩原爺さんの目は真剣だ。
暗い室内の中、ロウソクの灯りが鋭く光る眼を際立たせる。
「半端なことをするでない。やるか、やらぬか。それだけよ。」
なんというか、命の軽さにまだ慣れない。慣れてはいけないことだと思いつつ、慣れねば漬け込まれると戒める自分もいる。
「とりあえず暗殺も根絶やしも一旦無しで…。」
「ならばまずは一向宗の拠点の動向を探るのが良かろう。今動けるのは室山甚兵衛しかおらぬ。上手く使え。」
「隠忍術の人数は増やせないのか?甚兵衛ばっかり酷使してかわいそうだ。」
「金が足りぬ。大殿に目を付けられぬように動くには今以上は厳しいのう。」
世知辛い世の中だ。しかし土地を持たない殿様じゃ今の規模が限界か。
「次は景豊殿の噂についてじゃ。これはもうだいぶ広まっておるが、どこぞの敵の策であるということになっておる。景豊殿は亡き景冬公の息子。景冬公の偉業を思えば、これしきの噂で敦賀郡司を外すことは大殿には出来ぬだろう。」
景冬ってヤツは知らないが、親の力が偉大ってことか。その力を上手いこと使えれば良いけど。
放っておけばそのうち敦賀郡司を罷免されるのだろうか。そうなったら九郎兵衛と春蘭軒はどうなる?
嫌な考えが脳裏をよぎる。
「それともう一つ噂がある。お主が若党を名乗ったとな。」
ドキリと心臓が音を立てる。春先に山崎家で重光が紹介してくれた件か。すっかり忘れていた。
「えぇと、外で重光がそう紹介したこともありましたなぁ。」
「既に殿の耳にも入っておる。重光は後で叱っておくが、お主に非は無い。まだ早いが、お主を若党として認めることになった。」
これは喜んで良いのだろうか。正直、小者と若党の違いもよくわからん。
それ以上に案外アッサリなことも拍子抜けだ。
「呆けた顔をしよって。若党になったとて大して変わらん。大きく変わるのは許しを得れば騎乗できる身分ということか。あとは家を持つことも出来る。家はまだ早いが、馬術稽古は初めても良いかもしれんのう。」
出世すると仕事が増えるってのは古代から変わらないんだな。
嬉しさよりも大変さを感じる、ジワリと湿った嫌な夜だった。
・・・
まだまだ夏の盛り。今日は教景家総出で鷹狩に出ている。
ちなみに殿様の鷹好きは一乗谷じゃ有名だ。育てた鷹は百発百中で獲物を捕らえると評判で、京に献上されたこともあるとか。
ちなみに庭にある鷹小屋では、育てた鷹に卵を産ませて孵化させようと実験している。まだ一度も成功していないようだが、殿様曰く「もうあと少し!」のところらしい。本当か?
俺としては鶏小屋の方が望ましいのだが、こっちで鶏を見たことがないのでまだ流通していないのだろうか。
定期的に鷹狩をしていることは知っていたが、今日はやけに規模が大きい。いつもは留守番の子供たちも駆り出されて、総勢百名近くの男達が列をなして歩いている。
何でも自慢の一羽のデビュー戦らしく、数日前からウキウキいている殿様を何度か見かけた。今日も馬上で機嫌よく周囲の男達と話している。
一乗谷を出て着いたのは藤島という地。眼下には森林と村が入り混じった景色が広がっており、大きな寺があるのも見える。のどかな風景だ。一行は小高い丘の上で荷ほどきを行い、各々着替えて鷹狩の準備をする。
大人たちは胴丸を付け、籠手や脛当を結いつけてまるで合戦に臨むような格好だ。
俺達子供はサイズの合う胴丸が無いので、小袖を結い上げただけの恰好で待つ。
今回の目的は丘の下にある小さな林。ここにいる小動物を追い込む。
指揮をとるのは殿様、朝倉教景。派手な陣羽織を着て馬に跨り、手には大きな扇を持っている。
その左右には地味な鎧を着込んだ北村のオッチャンと真っ黒な鎧で身を固めた杉本のオッチャン。
さらにその周りには法螺貝や太鼓を抱えた男、大きな旗を持った男などが殿様を中心に円を描くように構えていた。
ビュウと湿った風が走り抜けた後、馬上の殿様が扇を振るい、横にいる男が太鼓を数回叩く。
「指示が出たぞ!走れ!」
杉本のオッチャンの声を背に、俺達は一斉に走り出す。鷹狩はただ鷹を遊ばせるだけではなく、軍事訓練の要素が大きい。太鼓の音と回数によって俺達は決められた陣形を作り上げる。
教景家の男達は刀を差し、槍や弓を手にしている。俺達子供は短刀と長い木の棒だ。男達の役割は獲物を追い出して追い込むこと。飛び出た獲物は鷹が仕留める。
小さな林を左から半分囲うように布陣する。今回は横一列になって右方向へ獲物を追い出す作戦だ。
教景家の男達が林に沿って横一列になって配置につくと、それを確認した殿様が扇を振るうのが小さく見えた。太鼓が一定のリズムで鳴り始める。前進の合図だ。
「行くぞ!前へ!」
杉本のオッチャンが俺達の背後を馬で駆けながら指示を出すと、男達は声をあげながらゆっくりと林に向かって前進する。
「武!楽しいな!」
「心臓が早鐘を打ってるみたいだ!畑仕事と同じくらい楽しいよ!」
左からは海次郎、右からは幸千代の楽しそうな声が聞こえる。合戦の疑似体験だもんな、楽しいのはちょっとわかる。
ちなみに九郎兵衛と春蘭軒は少し前に敦賀城に戻っている。鷹狩の話しを聞いたらきっと参加したがったろうな。
林は手付かずなのか、足元は地面が見えないほど枯草が溜まっている。木々も鬱蒼と生えており昼だというのに薄暗い。そんな中でも大声を出しながら木の棒を振るって進むのは童心に返ったようで楽しい。あれ、この場合の俺は童心のままなのだろうか。
くだらないことを考えていれば隊列から数歩遅れていた。遠くから鳴る太鼓の音が速くなる。駆け足の合図だ。これ以上距離を放されないよう慌てて駆け出したところで、何かに突っかかって思いっきり地面に倒れ込んでしまった。
見れば腐りかけた木の板が転がっているではないか。誰だこんなトコに不法投棄したヤツ!
恥ずかしさを紛らわすために足元を蹴ると、明らかに人工的な木の板が地面の下に見えた。なんだこれ。まさか太古のお宝…!
顔を上げてあたりを見るが、教景家の男達はだいぶ先を進んでいる。それ以外の人影はない。しめしめ。
ざっと足で枯草を払うと、木の枝と枯草の下に十枚ほどの木の板が並べられていた。
ゴクリと生唾を飲んで木の板に手を添えれば、案外簡単に持ち上がった。
板の下は結構な深さの穴になっていて、底にはいくつも茣蓙が放られている。
え、もしかして、これは死体とかじゃないですよね。見なかったことにした方が良いのでは?ウン、よし。見なかったことにしよう。
触らぬ神に祟りなしってな。
「何をしておる。」
そっと木の板を戻そうとしたところを背後からいきなり声をかけられ、驚いて穴の中に落ちてしまったのが運の尽きだった。
・・・
「大丈夫か、武。」
上から心配そうに覗き込んでいるのは杉本のオッチャンだった。
俺はと言えば、うまいことケツから落下したものの尾骶骨を強か打ってしまい悶絶している。
「姿が見えんから何をしておるかと思ったら…で、なんだそれは。中を開けてみろ。」
呻き苦しむ俺をよそに杉本のオッチャンは顎で茣蓙を差す。クソ、死体だったら最悪だしお宝だったとしても没収されちまう。運が無かった…。
左手でケツをさすりながらそっと茣蓙の一つをめくる。その中身は刀や槍、鎧兜だった。
いや、もしかしたら年代物で良い値が付くお宝の可能性も…。
「大鎧に胴丸か。随分と古いな。それに錆びておる。碌に手入れもしておらんようだが…。」
なんだよガッカリだよ。他にもいくつか茣蓙をめくるが、中身はどれも同じようなものばかりだった。
「もう良いか?上がりたいんだけど。」
「おう。ほらつかまれ。」
杉本のオッチャンの手を握って穴から這いずり出る。
土を払いながら杉本のオッチャンが来ている鎧を見ると、確かに穴にあった鎧と比べて身体にフィットしているように見える。
穴にあったのは四角い鉄板を重ねただけというか、古めかしい印象のあるものだった。が、一応確認してみる。
「この穴の値打ちのあるお宝じゃないのか?」
「値打ちなどない。もう数十年も昔に使われていた古い鎧兜じゃな。刀も数打ち。それにあの汚れじゃ中身まで錆びておってもおかしくない。」
「なんだ…。ここにまとめて捨てられているだけか。」
「いや。捨てられておるのではない。おそらくは一向宗の宝よ。いざという時にこれを使って立とうとしておるのだろう。」
え、それって不味くないか。反乱のための武器ってことだろ。
「丘の上から寺が見えたろう。藤島超勝寺と言ってな、この辺に影響力を持っておる一向宗の寺よ。」
「一向宗ってことは敵か。」
「おう。おそらくは超勝寺の息のかかった連中がここに隠したのであろう。まぁ放っておけ。」
「なんでだよ。敵なんだろ?この武器、回収しておかないと大変なことになるだろ。」
「むしろこれを使ってくれれば荒くれ者を討つ名目にもなる。捨て置くのが一番よ。」
「捨て置いて謀反でも起こされたら…。」
「それこそ好都合。謀反を名目に根切にするまでよ。それに今、これを見つけたと騒ぎ立ててものらりくらりと躱されるだけ。不要な問答よ。」
ガハハと笑いながら杉本のオッチャンは木の板を元に戻し、散った枯草をその上に放る。
「武。一向宗を甘く見るつもりはないが、奴らには指揮をとる頭が足りん。戦になれば我らの敵ではない。燃え上がった火は順に消していけば良い。燃え残った灰は良い肥料になり、そこから良い村が育つというものよ。」
木に繋いでいた馬に跨り、楽し気に笑う。
「さぁ進むぞ。一人抜ければそれを補わんといかん。海次郎と幸千代に怒られるぞ。」
穴を避けて進む杉本のオッチャンを見て、憮然とした気持ちを落ち着けるために少し遅れて歩き出した。