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武勇伝  作者: 真田大助
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囲炉裏の火は既に消え、室内を照らすのは高窓からの月明りのみ。

それでも暗闇と比べれば格段に明るく、かざした自分の手の細さを確認するには十分だった。


ここに来る前、何をしていたか。

俺は令和の時代に生きていた。車に乗って、適当な生活をしていたのを覚えている。

誰かと安い居酒屋に行き、安い酒をしこたま飲んでいたのが最後の記憶だ。

いくら記憶をたぐっても親兄弟友人、それどころか自分の名前も顔も思い出せない。

野球をした、車を運転した、喧嘩をした。そんなことは思い出せてもいつ、誰としたのかを思い出せない。

ついでに今が何時代かもわからない。松は明応(めいおう)九年って言ってたが西暦何年だ。

戦国時代っぽいが、松も行山(ぎょうざん)も織田信長と徳川家康を知らなかった。行山は頭が悪そうだから知らないかもしれないが、自称賢い松も知らないとなるとそれより前の時代だろうか。

勉強嫌いだったので歴史なんてほとんど覚えていないが、とにかく大昔にいることは間違いない。


伸ばした細い手を降ろし、今の状況を考える。


何かを思い出そうとすると断片的にこの時代の記憶が浮かんでくる。

この身体がもつ記憶なのだろうか。


理由も何もわからないが、俺は武という小僧でここは比叡山延暦寺だ。

歳は十歳。赤子の頃に延暦寺の山門に捨てられていたのを拾われたらしい。

捨て子なんてよくある話しで、延暦寺では身寄りのない子供を育てているようだ。

育てるといっても修行と称して朝から晩まで雑務をさせているのはどうなんだ、とは思うが。


意識が戻ってから会った人の顔を思い出す。


俺を見つけた坊主頭が慈明(じめい)。アイツが主に読み書きを教えている。

真面目に修行しているからか、怠けている者や粗雑で殺生をする山法師のことが嫌いらしい。


先ほどの大男は行山(ぎょうざん)。山法師百人を束ねる組頭で見込みのある小僧に武術を教えている。

頭をすっぽりと白い布で覆い、手には薙刀、腰には太刀を差した山法師と呼ばれる僧兵だ。


世話をしてくれていた生意気坊主が松。歳は八つ。頭は良いが性格に難ありで周囲となじめていない。

悪いヤツじゃないがどこか人を蔑むような言動をするからいつも面倒を起こしている。


他にも何人か顔と名前が浮かぶがちょっと後回し。

まずは現状確認が大事だって誰かが言っていた気がする。


とりあえず数時間前の行山と松の話を思い返そう。

昨年、比叡山延暦寺が焼き討ちされた。焼き討ちをしたのは管領細川。

攻め寄せる軍勢を前に山法師衆が立ち向かったが多勢に無勢。山上まで攻められて多くの伽藍堂(がらんどう)が焼かれた。

民からの布施だけでは再建もままならない中どうしようかといったところで、比叡山延暦寺で一番のお偉いさん(=天台座主(てんだいざす))が朝廷を通じて足利家から金子を巻き上げてきたとか。


そんなことがあって最近は延暦寺全体が浮かれているらしい。

延暦寺のお偉いさんは日頃は寺にはいないらしく、浮かれついでに宴会でも開こうと(名目上は害獣駆除だが)山法師衆が狩りを始めた。その狩りに参加している最中に武が行方不明に。

探してみれば足を滑らせて崖下に転落していた、という顛末のようだ。


思い出したらなんだか背中が痛くなり、固い床の上で寝がえりをうつ。

今は葉月らしい。何月だよ。ジメジメと暑いから8月か9月くらいだろうか。


クーラーは無いが、衣食住は最低限揃っていそうだ。

衣服、着るものは袈裟と呼ばれる着物と袴。ゴワゴワして肌触りは悪いが少なくともぼろ布で生活することはなさそうだ。褌に慣れるにはもう少しかかる。


一番大事な食事がとにかくダメだ。囲炉裏で煮られていたのは芋、赤黒い米、豆、猪肉が味噌で煮込んだものだった。味噌の良い匂いがしたので一杯もらったが芋は苦い、肉は臭くて固い、赤黒い米は汁を吸ってべちゃべちゃと酷いものだった。これでも豪勢な食事だと言うから希望がない。これなら俺が作ったほうが絶対にマシだ。

そういえば松は肉が入っているからと手も付けずに出ていったが、確かに坊さんだから殺生は避けるべきなんだろうな。俺は気にしないが。

山法師はそういったことを気にしないらしい。そんなんだから真面目に修行してる連中とそりが合わないのは当然だろう。表立って喧嘩をしているわけじゃなさそうだが裏じゃ権力争いが起きていると松がまことしやかに話している記憶がある。


住む場所はいえば、宿坊と呼ばれる建物で三人一組で寝起きしている。

俺と同室なのは松の他に皆心(かいしん)という坊主だ。

皆心身の回りの世話をしつつ修練と称して延暦寺の雑務をやらされている日々を過ごしているらしい。児童労働は法律で禁止されているって知らないのか。


明日の夕方には宿坊に戻らなきゃいけないらしく、気が重い。


深いため息をついていれば、いつの間にか寝入ってしまっていた。



・・・



翌朝。

顔面に水をかけられて目を覚ました。


「おはようございます。掃除の時間ですよ。」


ムスッとした顔の松はそれだけ言うとさっさと床の雑巾がけを始めた。

どうせなら美少女に起こされたかったぜ。布団という名の布を丸めて隅に寄せ、松と並んで雑巾がけをする。

松曰く、この薬師堂の掃除が俺達の仕事らしい。見よう見まねのつもりだったが身体に染みついているのか、思っている以上の効率で身体が動くのが不思議だ。

床の次は壁。最後に仏像。昨晩は意識していなかったが、2m程の仏像が鎮座していた。木造で所々欠けているが大切なものだと感じてしまうのは武の中に僅かでも信仰心があったからだろうか。

ちなみに俺に信仰心は無い。信じているのはギャンブル神様と腹が痛い時のトイレの神様だけだ。

並んで掃除をする松の身長は俺よりも小さく、やはり小学校低学年くらいにしか見えない。いや、人の事は言えないか。自分の手足も負けず劣らずに細く、十歳にしては身長も低い気がする。へこむ。


掃除を終えて薬師堂を出ればまだ薄ら暗い。大きな欠伸をして伸びをするとなんだかスッキリとする。昔、キャンプで山奥へ行った時にやたら深呼吸をさせられたな。あの時は何とも思わなかったのに、今はなぜだか心地良く感じる。

二三回深呼吸をすると、かいた汗が冷えるのを感じる。いまは初夏くらいだろうか。


スッキリついでにストレッチをしてみるが思っていたより身体に痛みを感じない。これならこの青臭い薬とは早々にお別れできそうだ。

腰に手を置いてのけぞっていれば不審者を見るような顔をした松と目があった。


「なんですかその動きは。頭をうっておかしくなりましたか。ほら次は炊事棟(すいじとう)です。急ぎますよ。」


やれやれ。ラジオ体操は伝統ある日本文化だぞ。これだからお子様は困る。寛大な心を持つ俺は幼い松にラジオ体操の良さを説きながらと連れ立って歩き出した。

薬師堂から少し山道を登れば大きな木造家屋が現れた。ようやく日が差し始めた時間だというのにもくもくと煙が立ちあがり、俺達と同じくらいの小坊主が配膳台をもって忙しそうに出入りしている。これが炊事棟か。

中に入ればたくさんの膳に料理が並べられており、小坊主達はそれを受け取って慌ただしく出ていく様子が見て取れる。まるで競争の激しいバイキングだ。


俺達も小坊主に交じって配膳台を受け取ったら今度は薬師堂とは反対方向にしばらく山道を下る。するとこれまた大きな建物が見えきた。あれが宿坊だ。この宿坊だけで50人程が寝起きしている。他にもいくつかの宿坊があり、山全体で数千人以上が住んでいるらしい。腹を空かせながらいくつか部屋を抜けて自室へと向かう。


「おはようさん、武。もう怪我は大丈夫なんか。」

「おかげ様で。」

「武はそそっかしいからなぁ。でも無事で良かったわ。気を付けなはれや。」


クククと笑いながら糸目をさらに細くして笑う関西弁坊主が皆心(かいしん)。同室の先輩で俺と松の指導係だ。

延暦寺では先輩坊主に小坊主がついて世話をする。普通は先輩坊主一人に対し小坊主も一人のはずだが、俺と松の素行が悪いせいかなぜか二人付きだ。

ちなみに食事も先輩坊主が食べてからと言う圧倒的体育会系の組織だ。


皆心の食事を片付けた後は宿坊の掃除。板の間の上に敷かれた布をしまい、また雑巾がけをする。その後、皆心を送り出してからようやく朝餉にありつける。今日の朝食は味噌で煮た赤黒い米。以上。先輩方の膳には納豆と木の実があったはずだが、どうやら俺達の口には入らないらしい。差別反対!


味噌風味の汁を掻き込んだら、昨日先輩方が着ていた袈裟(けさ)を抱えて水場へ。松から渡された灰汁(あく)をもみ込みながら丁寧に洗う。何度も松にダメ出しを受けながら、ついでに自分たちの袈裟と褌を洗って手早く干す。

竹竿に袈裟を括り終えたら講堂へ。講堂では慈明らの教えのもと、写経や読経。仏に使えるとは何たるかを教わる。恐ろしく眠くなる時間でもあり、最も苦痛な時間だ。


鐘の音が鳴れば松と別れて山腹の開けた場所へと向かう。山法師の行山らと武芸の鍛錬だ。木刀や杖を振るい、弓を射る。これは性分に合っているようで、特に大太刀の扱いでは小坊主の中でも特に優れていた。


また鐘が鳴れば水源に行って水を汲み、洗った袈裟を片付けた松と合流して宿坊前で皆心先輩を待つ。

修練から帰ってきた先輩の足を洗い、荷物を部屋まで持って行く。


その足で炊事棟へ走り、また皆心の食事を持って宿坊へととんぼ返り。

今日の先輩方の夕餉は豆の入った赤黒い米と葉物の漬物、大根の入った味噌汁、豆腐。

配膳し、食事が終わればそれを片付けて今度は湯を持って宿坊に戻る。


皆心の身体を湯で拭き、袈裟を預かったら畳んで一か所にまとめる。

これまた畳み方が雑だと松の小言を聞きながら終えると、日が落ちきる前に炊事棟に戻って俺たちの夕餉。豆の入った赤黒い米と大根が消えた味噌汁をすすって宿坊に戻る。


夜は宿坊の囲炉裏を囲んで先輩坊主の話を聞いて終わり。



「ただの雑用係じゃねーか!」

「そんなもんですよ。」


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