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【2】

「Mmmmm~♪」

 廊下を歩きながら無意識にハミングが零れていたのに気づき、加代子は慌てて唇を引き結んだ。

 もうすっかり耳に、加代子自身に馴染みきった『せいらのハッピーラッキーたいむ』のミュージック。


「御幸さん、あの……」

 後ろから唐突に呼び掛けられ、瞬時に硬直してしまう。

 ぎこちなく振り返ると、同じクラスの女子生徒である竹内(たけうち)が立っている。漢字がすぐ出てこないが「はるみ」と呼ばれていた。

 積極的に前に出る性格で常に級友の中心にいる竹内のことは、特に会話を交わした覚えはなくとも印象に残っている。


「ねえ。今の曲ってさ、──『はぴらき』、だよね?」

 彼女が顔を寄せて囁くように口にした単語に、心臓を鷲掴みにされた気がした。


「え、……え!?」

 頭が真っ白になって声も出ない。

 こういうときはなんと答えるべきなのだろう。(とぼ)けて知らない振りで通すのか、潔く認める、のか。


「あ、えっと、あ、あの……」

 しどろもどろの様子で、「何も知らない」では通らないのはもうわかっていた。

 そもそも『はぴらき』などという意味不明な問い掛けに反応してしまった時点で、肯定したも同然なのだ。

 しかし、どうしても言葉にならない。


「あー、ゴメン。言い難いよね。『Vの配信観てる~』なんてさ」

「そ、でも……! わ、私は恥ずかしくなんか、ない、から──」

 声が震え、語尾が消え入りそうになりながらも、それだけは伝えたかった。

 加代子自身には「“星来”の配信を観ている」ことを恥じる気持ちなど一切ない。


「え!? やだ。あたしはそんな、『恥ずかしい』とか思ってないよ! だってあたしも観てるもん。でなきゃ音楽なんて知るはずないでしょ」

 焦ったように身体の前で両手を振りながら、竹内が力説して来た。


「そうじゃなくてね、ホラ、『Vライバーの配信なんて陰キャオタクが観るもの』って偏見持ってる奴いるじゃん?」

「あ、そう、なんだ。あの、誤解してごめんなさい……」

 早とちりに顔が赤くなるのがわかる。

 目を泳がせ挙動不審を晒す加代子に、いつも友人に囲まれて自信満々に見えるこのクラスメイトは何を思うのか。

 興味のない人間でも名前くらいは知っている超有名配信者ならともかく、“宙崎 星来”はファンの贔屓目から見ても一般的な知名度は間違っても高くはないだろう。

 だからこそ、まさかこんな身近に「リスナー仲間」がいるなどと想像したこともなかった。


「ねえ、もし御幸さんがイヤじゃなかったら、“星来”さんや『はぴらき』のこと話せない?」

 竹内の提案に黙って頷く。

 単に話し相手がいない程度の状態にはもう慣れた。しかし、露骨に避けられたり嫌がらせを受ける覚悟までは決められていない。

 人気者のこのクラスメイトに疎まれたら、周囲も追従して四面楚歌になるかもしれないと不安だった。


 放課後、竹内に導かれるまま高校の最寄駅近くのカフェに入る。


「御幸さんはいつから“はぴらき”観てるの? あたしはねえ、一年の終わり頃からだからまだ三ヶ月くらい? もともと配信観るの好きだったんだけど、ずっと推してたVさんがちょっとしたスキャンダルで引退しちゃてさあ。もうあんまり人気者はヤダな、でも誰でもいいわけじゃないし、ってなるべく人少なそうなとこ回ってたんだ。で、“星来”さん見つけて『あ、この人素敵! 好き!』って!」

 ドリンクを買って席につくなり、彼女は堰を切ったように早口で話し出した。

 あまりの勢いに口も挟めないでいる加代子に、一息ついた彼女が恥ずかしそうに呟く。


「……ゴメン。あたしよく『見た目と違う』って言われるんだけど、実はめっちゃオタクなのよ」

「そ、そう、なんだ。知らなかった」

 オタク。確かに、よく例えられる「好きなことを早口で捲し立てる」姿そのものだ。


「以前の推しVさんのことで落ち込んでたから、結構影で笑われてたみたいなんだよね。『あんなもんに夢中になって』とかって。……だから“星来”さんのことは誰にも教えてないんだ。御幸さんが初めて」

「わ、私も誰にも言ってない。竹内さんに訊かれなかったら今も──」

 初めて打ち明ける相手が加代子でいいのか。

 そう感じつつも自然に答えていた。


「ねえ、もうあたしは友達?」

 唐突に問い掛けられて、加代子は何も考えられずに首肯する。


「だったらさあ、名前で呼んでよ。治美(はるみ)って。あたしのハンドル“パルフェ”なんだけど、リアルで呼ぶのはさすがにキツイでしょ」

 “パルフェ”、……確かにリスナー仲間にいたと思い出した。

 毎回来るとは限らずとも、「常連」には入っているだろう。


「は、治美、さん……?」

 恐る恐る口にした加代子に、治美が笑う。


「なんで『さん』よ〜。ちゃん付けか呼び捨てでいいって! ね、あたしはなんて呼んだらいい? 加代子ちゃん? あ、その前にハンドル教えてよ」

「え、と。“望夢”。あ、希望の望に夢の──」

 現実にハンドルネームを口にしたことなどなかった。常に文字入力で。


「え〜! “望夢”ちゃん!? うわ、まさかあの“望夢”ちゃんに会えるなんて! ……あ、そっか。『御幸さん』だから?」

 大仰に驚きを表す彼女に面映ゆい気分になる。そう、あの配信内で“望夢”は「有名人」なのだ。


「うん。あ、あの、……できたら名前じゃない、方が。古臭いしあんまり好きじゃないの」

「え!? そう? 突飛なキラキラより落ち着いてるし、あたしも古い方よ? ──じゃあ『ミユ』ちゃんでいい?」

「いいよ、……治美ちゃん」

 渋々切り出した加代子に、お世辞という感じではなく素で返してくれた治美に心が温かくなる。

 あまり遅くなってもまずいから、と話を切り上げたのは二時間後。


「ミユちゃんてなんていうか大人っぽくて、あたしたちみたいなのとつるんでバカ話するのくだらないと思ってるのかな、って感じだったんだ。でも違ったね〜」

「全然そんなんじゃ……。ただ話し掛ける勇気なかっただけ、で」

 カフェを出たところで治美が改めて掛けてきた言葉を、首を振って否定する。

 “星来”の配信で彼女にコメントを拾ってもらうのが嬉しかった。リスナーとも、“望夢”から返事(リプライ)する気になったからこその繋がりだった。

 配信で、ただ何もせずにディスプレイのこちら側から見つめるだけだったとしたら? 「同接人数」の一人には数えられても、それ以上何も起こるはずがない。

 コメントして、反応があって、それがすべての始まり。


 ──現実も、同じ。


 学校で。

 中学でも高校でも、挨拶したら必ず返って来た。仕方なくでも話し掛ければ、誰もがきちんと向き合ってくれていた。

 ただ加代子が受け身のまま、見つけて受け入れてくれる「誰か」を求めて漫然と待っていただけだ。

 クラスメイトは加代子の保護者ではなく、……対等な存在なのに。


「ミユちゃんて良い声だよね。もしかして声楽とかやってた? 『はぴらき』のあの曲も完璧に音取れてたし!」

「まさか! 歌は好きだけど声楽なんて……」

 驚きのあまり、答える声が上ずってしまう。


「あ、歌好きなんだ? じゃあさ、今度カラオケ行かない?」

「……うん、行きたい」

 普段なら行きたくとも反射的に引いていただろう。しかし、新しい友人との楽しい時間が加代子の背を押した。


「ミユちゃん、部活入ってなかったよね? もし他に予定なかったら早速金曜にでもどう?」

「大丈夫。私の予定って学校と、……『はぴらき』くらい、だから」

 すんなりと肯定する加代子に、治美がスクールバッグからスマートフォンを取り出している。


「あたし、よく友達とカラオケ行くんだ。このちょっと先の店。学割で安いしフリードリンクだし、そこでいいかな?」

「私はどこでも……。カラオケなんて親としか行ったことない、から」

 駅からカフェの反対側を指差す彼女に、これもまた正直に告げた。


「お、金曜の四時から空いてる! らっきー。じゃあ予約入れていい? 二時間? 三時間?」

「四時からだったら二時間、が」

 スマートフォンを操作して空き状況を確かめていたらしい治美が確認して来るのに、遠慮がちに返す。


「わかった。そうだよね~。っと、はい予約完了!」

「ありがとう。……金曜日、楽しみ」

 ぽそりと呟いた加代子に、彼女は「あたしも」と明るく笑った。


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