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清明の結婚  作者: 木苺
Ⅱ キャラハン
12/42

キャラハンの持つ対人スキルと自己認識

 キャラハンにとって、学校とは、自分がすでに自学自習で身に着けていたことを、教師達が「落ちこぼれ」とみなした子供達が理解して実行できるようになるまで教えに行く場所でしかなかった。


 しかも なまじクラスメートだから あくまでも「グループ学習」の形式で。

 つまり「共に学び教えあう」風に。


 それゆえ 言葉遣いも 相手に合わせてわかりやすく、しかも相手が気分よく学べるように細心の注意を払わなければならなかった。


 そして クラスメートたちは キャラハンを自分にとって都合の良いティーチングマシーンとして利用しつつ、「できた~」と担任に褒めてももらうことを楽しみに教科を身につけていった。


 つまり 教師たちは「教える労」をとることなく、問題をすべてキャラハンに丸投げして

 キャラハンが指導した子供達といっしょに、「できる喜び」「それを誉める教師」としての満足感を味わったのである。


 言い換えるならキャラハンは幼い頃から10年にもわたって、義務教育学校の中で すでに教師という名の大人たちによって搾取され続けていたのであった。

クラスメートへの教科指導と生活指導を一手に引き受けさせられながら。



 おかげで 彼女の在籍したクラスは 常に地域で一番の優秀学級に成れたので、

学年末の次年度のクラス編成では 無能で野心的な教師達が 彼女を自分のクラスに引き込もうと争っていた。

(その争いに負けた教師達が 自分のクラスの保護者会で あれこれべらべらしゃべるものだから 彼女は地域の大人達から変な形で注目されて 大変居心地の悪い思いをしたものだった)


 だからこそキャラハンは、「自学自習」と「相手に合わせて教える・伝達する・指導する」スキルだけは飛びぬけて磨き込まれていたのだが・・


◇ ー以下、社会人となったキャラハンの心のつぶやきー ◇


そんなもん(=「相手に合わせて教える・伝達する・指導する」スキル)、

自分の人生を手に入れる役にはたたないわ


 むしろ 相手に合わせて伝えていくことが習慣化してしまうと、

 駆け引きのタイミングをはずしてしまう><。


子供の頃に無理して身に着けた「相手に合わせて伝える」スキルを封じて、

 本来私が持っていた「社会で生き抜くための対人スキル」を復活させるには、ものすごく集中力が必要で 疲れる><


 おまけに 腹ただしいことに、本来の自分らしくあろうとするたびに、学校で執拗に私を脅しつけていた教師達の怒声が頭の中に響いて 当時押し殺していた恐怖感がよみがえるのだもの、ほんと理不尽すぎて 嫌になる。

 それでも 理性をフル動員して、恐怖なんぞに足をとられることなく やるべき交渉は成し遂げてきたけど、ホント疲れる。しんどい。


 学生時代のセミナーで、「対人関係における自分にとっての一番の課題を話せ」というお題で、 そんなことをうっかり話したら、


『現実逃避』『今を生きてない』なんてえらそうなことをほざく教師に痛烈に批判され、


「現実に対応しているからこそ、人からは交渉がうまいと評価され、信頼されています。


 でも その影では 私はものすごく苦労してつらい思いをしていることを これまで誰にも話せなかった孤独感と、

 私の物腰は、周囲から「恵まれた育ちゆえに身についたもの』と見なされ、

 そういう扱いをされることにより、発言者の意図とは無関係に、私のこれまでの人生(=必死に頑張って来たこと)すべてを否定されていると感じてしまうやるせなさと、


 発言者が言葉と共に負の感情をぶつけたり、逆に私が発言者に対して好意を感じていたときには、互いの距離をより強く感じて 己の存在のむなしさに絶望してしまう、


そんなギャップを埋めたいと思っていること

 それが私にとって今一番必要なこと=課題だと思ってお話ししたのですが?」

と問いかけたら、教授が怒って赤点つけられたんだよなぁ。


 演習中は 私が出した話題に触発された学生たちが いろいろ自分の対人関係の悩みを私に向かって話し始め、


 私を含めたグループディスカッションの中で

『今日は キャラハンにしっかりと話を聞いてもらえたおかげで、深い話までできて良かった。ほかの人がキャラハンと話すのを聞いていて、自分だけの悩みではなかったと気づき、自分の課題を受け入れる勇気も湧いた』と口々に感想を述べるのを

教授はニコニコしてほめていたくせに。


「傾聴と話す勇気」がテーマの講義と抱き合わせの演習だったのに・・


 あとから あの教授と対立していた別の教授が、あの一幕をほかの出席者から聞き知って、あの教授の追い落としに利用したという落ちまでついたけど。


 あの教授が退官前に、わざわざ私のところまできて、「嫉妬心から赤点をつけたことを反省している」と言いに来たけど、

あの赤点のおかげで、私の就職戦線が厳しくなったことへの謝罪もせずに自分は関係ないと言い張ったのにはあきれた。


 まあ、赤点について採用面接で 「私が教授に反論したことが不適切とみなされたのではないかと思う」と説明した所では落ちて、

「その後の展開で 私が教授の役割をのっとったとみなされ

その行動が場にそぐわないと判断されたのではないかと思います」と言ったところでは高評価で採用されたけど(笑)


 そんなん 当時の私は二つの可能性を思い浮かべつつ その両面に気をつけようと反省はしたものの、実際には教授の態度にすごく心が傷ついて、どっちの推理が正解かまで判断できなかったよ。



 おかけで、『聴く力』「聞き取り能力」というのは、その人の役職・立場とは無関係に、

本人の知性(これは性格も含めて本人の自己研鑽のたまもの)と

当人の理解力(生まれつきの能力)に100%依存し、

その力のどっちか弱い方にひきずられるのだと思い知ったわ。


 この見解が 間違いではないことを確かめるために かなりその手の情報収集・観察と分析もしたけど。


 そして 権限を持つ者のプライドを傷つけると ひどい目にあうということも再認識


 おまけに自分について語るときにも、相手の理解力の範囲内で無難に収める必要があると再度認識してしまった・・


 筋金入りの臆病路線にはしりたくはないものの、内面的な話はTPOのみならず

 相手の聴く能力内に収めることとしてしまうと、

 ようは他人に話せることはないとほぼ同義になってしまいましたねぇ、現状では。




そもそも、授業時間外では、悪ガキどもの憂さ晴らしの対象として教師どもから利用され

授業中は みんなに便利なティーチングマシーンとして利用されるなんて

こんな矛盾した存在に置かれていたということそのものが、一般の人からは理解されないのよ。


 でも そういう摩訶不思議なことが成立するのが、”学校”という名の密室の怖いところだわ。



 外面的には ”私が「よそ者」で、地域での立場が全くない存在だったから、いいように利用された”という説明がつくんでしょうけど・・

実態は 『孤立した空間への拉致・監禁・執拗な暴力による支配下に置かれていた』だけのことでしかないわ。


だって 私の心は どれほど傷つき 打ちのめされても、心だけは自由だったから。


そして 「心の自由」を守るために 私は何度も物理的にも社会的に殺されそうになったけど

それでも何とか生き抜いたわ。


でも 生き抜いたあと、形の上では「自由に生きる立場」を手に入れたのに、

立場を手に入れるための戦いの中で 心身に刻まれた傷の苦しみにうめく羽目になるとは思わなかった。


言い換えるなら、他者と親密な関係を気付く上において必要な、「自分の感情を自覚する能力」を復活させたら、過去に封じ込めた苦痛までもが 日々の生活でたびたび想起されるようになってしまって、「今」の「自分の立場相応の対応」をとることがむつかしくなってしまったのである。


 踏んだり蹴ったり (;´д`)トホホ とことんうんざり・理不尽な人生だと思った。


くっそ 縁側で日向ぼっこする猫になりてぇ~と思ったが、

もはや そのようなイリュージョンに逃げることすら望まぬほど 冷めてしまった自分に

とことんうんざりしたキャラハン。


「泣くのが嫌なら さぁ 歩け」という主題歌は 何と残酷なんだろうと思いつつ

それが 人生ってやつかも と思った次第。


(おまけ)


♬人生 楽ありゃ苦もあるさ♬

♬あとから来たのに追い越され 泣くのがいやなら さあ歩け♬


水戸黄門の主題歌「ああ 人生に涙あり」の 上記2フレーズしか思い出せなかったのが

キャラハンの人生でありました。

 彼女は 「涙の後の虹」の存在を思い浮かべることすらできなかったのです

 自分の人生に 虹が差す時があるとは思えない、そんな「自分が置かれた立場」を直視したくなかったから


ちなみに キャラハンが 「泣くのが嫌」だったのは、「泣く=感情を消費する=気力が枯渇して

ますます 日常生活の困難の度が増すだけ」という物理的環境の中に閉じ込められていたからです。


それでも 書物を通して、筆舌に尽くしがたい「子供の涙」を流しつつ、ひとかどの大人になった人物たちが、大人になったとき それぞれ 社会人としての役割を果たす中で、自分より後に生まれた子供たちが流す涙に思いを寄せたメッセージを発しているのを見たから、自分も頑張って歩き続けて大人になろうと頑張ったのが キャラハンの子供時代~20代でした。



エーリヒ・ケストナーやイギリスの児童文学者の作品を翻訳された方々、それらを良心的価格で出版・販売し続けた岩波書店・1970年代 岩波が出版した児童書を全巻購入された司書の方々に心からの敬意を!


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