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清明の結婚  作者: 木苺
Ⅱ キャラハン
10/42

キャラハンの心情

キャラハンが 今までの人生を振り返るときに思い出すこと。それは・・・




教師達は、いじめ体質だったり欲求不満ではちきれそうな扱いにくい子供達が、

いじめ衝動や八つ当たりの的に、弱い子を選べば、その子が登校拒否になって自分の指導力のなさが露呈する、

泣き騒ぐ子がいじめの対象になれば保護者達から「指導力のない担任」とみなされる、それが嫌で、


問題児たちの憂さ晴らしの対象として、忍耐力のある私をいじめの的として固定することにより、

「いじめ常習犯の問題児達も、僕の教室では特に問題を起こすことなくすごせてます」と、あたかも己の指導力が優れているかのように吹聴する方略をとった。



 私なら 自分の身を守りつつ 問題児達のいじめ衝動の発動を最小限に抑えつつ発散させる対応がとれるから。


 教師達にはそれだけの力量がなく 問題児達を抑えようとして、その子らが学校中に響き渡るような大声を出したり器物を破損させたり学校の外に飛び出させてしまうことしかできなかった。


 私なら あの子たちを落ち着かせることができる。

 一言二言の罵声を浴びさせられはするけど。


 でもあの子たちの欲求不満解消&抑制係を押し付けられていた私がどれだけ傷つき、エネルギーを浪費させられていたかを考えようともせず、自分の尻ぬぐいを私に押し付けた、「教師である」という立場を利用して、児童・生徒に過ぎない私を利用した。



私が真正面から あの子たちによる私への暴力行為を止めようとすれば、

それは 必然的に 機先を制するための大声での制止を伴う。人目につく。


なので、教師たちは、

「女のくせに男とけんかするとは!」とありもしない言いがかりをつけて 人気のない教室に私を呼び出したあげく、


呼び出された私が、「いじめっ子をなだめる役を 単に同じ組になっただけの生徒である私に押しつけるのはおかしい、生徒指導は担任の仕事であって、私の役目ではない!」と抗議すれば、


校門が閉まるまで私を物置部屋に閉じ込めて「お前ならあいつらの相手ができるんだから ちゃんとやれ。それをしないのは怠慢だ」と責めたてた卑怯な教師達。



 なぜ 私が 学校行事の時には必ず あの問題児たちばかりを集めたグループの引率役をやらされなければいけなかったのか!!



 そして たまに外部指導員から、私が教師の代用をさせられたり、いじめのターゲットに固定されていることを注意されると、


今度は意図的に「あれが攻撃の的にされても、『自尊心が低くくて何も感じてないから大丈夫』だの『自己主張の弱いいい子ちゃんだから、あれはあの子の責任』と言いふらしたり、


より一層巧妙に 私がいじめの的になるように、担任が率先して問題児達を誘導し、私が教室内で受けている実態を口外しないように暴力的に脅す道具として 問題児達を利用した。

「あいつはチクリ屋だ」とでたらめを言って問題児達を煽るなどした教師集団。



はっきりって 腕力をふるうしか能の無い男の子たちを力で撃退することは 私にとってむつかしいことではなかった。


 ただし 私の腕や足に目立つあざができたけど。


ただ 目立つあざができると、私の母が 大騒ぎして 学校に怒鳴り込んで 逆に教師から恫喝されて 怯えて自殺未遂を図ったり、

ヒステリックに私に向かって「あんたのせいで 私が怒鳴られた」と叫びながら包丁をもって襲ってくるなど錯乱したから、

 そして 私としては 母が錯乱するような事態は避けたかったから

私は自分の心を殺して、言葉のみで事態に対応せざるをないところにまで追い込まれてしまった。


思春期までなら、腕力を使えば男子の4・5人軽くいなせたし、思春期以後でも 1対1の肉弾戦で負けない程度のスキルが私にはあったのに。


現に、校内の完全に死角になるところで、肥満少年を蹴りまわしてカツアゲしようとしている所や、立場の弱い女の子に集団暴行を始めていた現場に、偶然出くわした私が、非行少年たちを恫喝して追い払ったことも一度や二度ではないし、以後 その非行グループが校内での活動をやめたのも事実だもの。


 本気で殴り掛かってくる奴を相手にするときは、相手の力を利用してすっころばせることが簡単にできる。しかも 校内暴力犯罪というのは、完全に第三者の目の無い所で起きるから、

相手も面子を気にせず、勝てない・争うことに利がないと見ればすぐに引くのよ。


 集団内における第三者の存在を前提にする「いじめ」とちがって、暴行・金目当ての校内暴力犯罪は、「ばれないこと」「迅速に効率的に行うこと」が重視だから。

 非行少年たちは、私の性格も実力も見抜いて、校内での暴力犯罪はやめた。


その一方で、学校という檻の中で目いっぱい暴れる(校外では暴力おやじたちに殴られるだけ)の悪ガキどもは、教師という後ろ盾を得て、私にギャーギャーまとわりついていた。


 本来なら あの子たちは 私がいなければ 目いっぱい教師に反抗して憂さ晴らししていたのだろうに、それを受け止められない軟弱卑劣教師どもめが、私を生贄に差し出したのだ。


 私がいない時には、ほかの「まじめちゃん」と担任が名付けた生徒やハンディキャップ持ちの生徒をいじめのターゲットに差し出していた教師たち。


 その現実を前にして 一介の生徒に過ぎない私に何ができたというのだ?



 しかも ずるがしこい教師どもは、母が私の弱点だと見抜いたのちは、ことさらに私と母の関係を歪曲していじめっ子たちに言いふらした。


それを聞いた悪知恵の回るいじめっ子たちも、

なにか気に入らないことがると、それが私とは全く無関係なことがらであっても、私の前で大騒ぎしたあげくに 最後は担任の所へ「私のことが気に入らない」と言いたてて、学校の外へ飛び出していくようになった。

 私をだしにすれば 自分達が学校の外へ飛び出してもとがめられないと 状況を読んで、

 私の存在そのものを利用することを覚えたのだ。


なにしろ担任には、悪ガキどもを指導する力がまったくない。

悪ガキどもが 気ままなふるまいをしたら その原因が私にあると でっちあげることによって自分の責任を回避し、「悪しき私を罰すること」で己を正当化してしまうのが担任の常習的手口だったのだから。


そのために、私を呼び出して、私が外が暗くなって校門が施錠されるまで、空き教室に閉じ込めたり、


「そんな理不尽な扱いを受けるいわれはない」と私がさっさと下校しようとすれば、

数人の男子教師が徒党を組んで私をとり囲んで狭い部屋に押し込め、ねちねち 意味不明の言葉喚き散らして私を攻め立てた。


「何があった。あいつを怒らせたお前が悪い」しか言わない連中に数時間も問い詰められてもどうしようもないし、こちらが真面目に返答してもしなくても同じだもの。


 それが小学校に入学して半年くらいしてからはじまり義務教育終了まで10年間も続いた。



 はじめて知らない教室に一人で呼び出されたときはびっくりした。


 最初は「先生の言うことに間違いはないのだから、納得いかない時には、自分にわからなかった点を明確にして先生に尋ねなさい」と親から言われたとおりにしたら、いきなり平手打ちをされたし

2度目からは「暴力反対!」と言いながら身をかわしたり教室から逃げ出したら、

ほかの教師の目に留まり、「なにがあった?」と聞かれて正直に応えたら、担任からうそつき呼ばわりされて、さらに人目のないところですごまれた。

 担任もいじめっ子も「男は全て敵」と幼い私が思ったのは無理はないわ。



 さすがに10代にもなれば、

 教師や生徒も、「あくどい奴」と「見て見ぬふりをする小心者」・「完全に見ないことにする卑怯者」・「いじめに迎合する品性卑しく下劣なタイプ」に分かれることに変わりはない、幼きも大人も 人間の性根というのは大した違いはない、と気が付いたけど。



あの手この手で人を迫害する教師達も、執拗な嫌がらせを展開した問題児達も 本質は全く同じなんだろう。


 ただ 男子児童は私とにらみ合いをすれば あっちから逃げていくが、

担任はいったんひくとみせかけて後日ほかの教師を引き連れて私を呼び出し執拗ないじめを繰り返したり、それでも無理なら校長・地域の有力者たちまで巻き込んで私を誹謗して私の母親を呼び出してなぶったからたちが悪い。


それが2度・3度とくりかえされたら、大人により監禁される時間がもったいなくて

いじめっ子たちの行動を適当にあしらい、私の感情を押し殺した日常を送る方が 被害が少なくてましと考えることになった。


 だって 担任が「教師」という立場を利用してあくどく動き回れば、私は食材の買い物一つもまともにできなくなったもの。



 突然 店屋の人から「あんた たちが悪いらしいな」なんて言われた時はびっくりした。


「えっ どういうことです?」と聞き返して、おっちゃんが誰から何を聞かされたかを知ったときは驚いたし、

その誤解を訂正すれば訂正したで また「怖いおなごだ」といううわさがひろがって、

今度は、見知らぬやくざな風体の男達から「あんた 有名人だな、ちょっと顔かせ」なんて声かけられたときはほんと怖かった。


 ああいうときは相手の雰囲気を見て、毅然とした態度ではねのけるか、

「知らない人についていってはダメと言われてますので」と子供ぶって逃げるかなどなどのテクを行使して さりげにかわしたけど・・。


 本職のやくざは、子供を嚇す手口に関する社会的許容範囲をわきまえて駆け引きするから

 こっちが 常に大通りの人目の多い所しか通らないように気を配っていれば、

 さほどの大事にならないのだ。


(一文にもならない脅しはやらない、快楽の為のいじめの相手にするには、当時子供だった私では 手数がかかりすぎて割に合わなかったというだけのことだけど。)



 とにかく 子供の身では、権力をかさにきた担任を敵にまわせば、町での暮らしそのものが脅かされることになった。

 そんな学校に通うのが義務だったなんて><


 おかげで 私は 対等の立場でこっちを見下してくるズルい人や敵対する人に反論しつつ 自分の立場を固める駆け引きを磨く機会をうばわれてしまった。

 そして 同じ階級(貴族・元貴族)集団の中で生きるため必要なスキルを磨くこともできなくなってしまった。


 やくざと付き合いたくないのに、やくざのあしらい方を覚えたって何の意味もない。 



 最初の頃は 私も 問題児に対して普通の対応をしていたけど、

 あの子たちが 私を思い通りにできなくて癇癪を起すたびに、

 担任は いじめっ子たちの前で私だけをなじったり

 私に昼食も食べさせずに説教しまくったり

 私を連日呼び出しては 何時間も監禁するなどのあらゆる手段を講じて、私の口をふさいで、私をいじめのターゲットに固定しようとやっきになっていた。


 それで しかたなく、私が問題児達を適当にあしらって騒ぎを最小限に収めるテクニックを行使するようになると、

 今度は 私を問題児達の攻撃衝動発散の為の生贄として差し出すだけでなく、

 問題児達が衝動的行動をとりはじめるや、衝動を私に私に向けるように積極的に誘導し始めたときはほんとあきれた。


 それ以後の 教師達の小ずるい卑劣な手口の数々を10年間いやというほどみせつけられ

 こっちも 面倒だから 教室の中では ひたすら気配を消すスキルを磨いたりしたせいで


いつの間にか、「言い返しのスキル」がさび付いてしまい、

今になって、こんな苦労をすることになるとは、子供の頃は思いもしなかったわ。

 せっかくがんばって 今の地位まできたのに・・・



 あーあ あの頃、教師か言いがかりをはねのけることができていたら、よかったのに。

 親が学校に呼ばれて、教師から罵倒された親がショックのあまり1か月も寝込み、

 その後 学校関係のことでたびたび錯乱するようになったものだから、

 最初は親のことを心配して、やがて親の介護に忙しくて、

 もう親が呼び出されるようなことはしないと決めたのが、まずったかなぁ・・


しょせん 自己中な教師と自己中な親に囲まれていた私って かわいそー

それを認めるだけでも情けないけど、子供の頃は そこまで直視するとまじで死にたくなったから、すべてを飲み込んでひたすら大人になれば自由が手に入ると信じることにして頑張ったけど・・


しかも、そのうえ、やくざから声をかけられた一件のあとで、私は知ってしまったのだ。

校内でいじめの生贄にされた子は、たいてい校外でやくざや非行グループから暴行されて妊娠していた他学年の現実を。

 私の場合は たまたま そうなる前に、暴力的に脅されている生徒達を助ける為に、校内で非行グループと対決して決着をつけていたので、性暴力のターゲットにされずにすんだだけ。


 学校でいじめの的にされるということは、地域で「餌食にしてもよい」とフラグが立つのと等しい現実を知ってからは、その地域の在り方そのものを私は嫌悪するようになった。


 もちろん 「おぞましい現実」を知ってからは、「何人たりとも 私に指1本ふれさせない」気概を持って、男どもを寄せ付けないオーラをまとってその地域で過ごすことにしたのだけど。


 その一方で、校内いじめの対象から私が外れた場合、私よりも弱い子が生贄にされたその果てを考えると、校内いじめをみすごすことができなくなってしまった。


 私は、地域で「番を張る」気がなかった。

母という最大の弱みを抱えていたら そんなことができるはずもないことも理解していた。


 その一方で 私が生贄役を外れることによって、ほかの女の子が悲惨な境遇に突き落とされるのを知らぬふりをすることができなかった。

 それができるくらいなら、私は 直接私に危害を加える母を見捨てていた。


 情を優先して母を守った以上、ほかの子まで助けられなくても、わかりきった結末(クラスメートが性奴隷になること)を見ぬふりはできないと思ってしまった。


 正義感なんてものではなくて、単純に 自分が嫌悪していた連中と同列の行ないをしたくなかったから。


 自分の身を守るだけでなく、不義に加担しない生き方をしようと決め、それを実行するだけの力を身に着けようと日々努力している己の在り方を根本から否定するようなふるまいはしたくなかったから。


 世の中には「xxのためには仕方のない」と言い訳したり 己の振る舞いを正当化するためには何でもありの理屈を述べる人間が跋扈しており、そういう輩が 理不尽な状況を作り出しているのだと知っていたから、そのような状況に憤りを抱いていた身としては、それに加担するような選択ができなかったのだ。


だから 私の所属学級内でのいじめは許さなかった。

 憂さ晴らしをしたいだけの悪ガキどもを「言葉と威圧」=「気合だけ」で制止することは、すごく疲れた。


暴力に気合で対抗するなんて・・学級内でのいじめを止める為だけに通学するなんて

そんなことをしても 私にとって 何の利もないことは百も承知で、

ただ「義務」だから無理やり学校に通わされているだけの理不尽な状況で、赤の他人のために自分の気力の余力を使い果たすだけの毎日。

 (なにしろ 家に帰れば 厄介な母親の介護と精神的ケアに私の気力の大半が根こそぎ使われるのだから)


あの頃も「私にとって、好ましくない事態をもたらす選択をしなくてはならないとは。。」と残念には思った。

だから、「もっと他の選択ができる立場を持った大人になりたい」と思った。


そこから、「社会的に強い立場とは 己にとって好ましいと思える選択枝を複数持てる立場である」と認識した。


そして 認識するだけでは 自分の生活は楽にはならない。

やっぱり 相応の立場を得るには「力」が必要と思ったし、

結局 「人間が生きてい行くためには力が必要、問題は その力が いかなる力であるか、

いかにしてその力を手にするかによって、人ととしての価値が決まるのだろう。

その一方で、その人の欲する「力」のありよう、その人た「力」を手にするために選ぶ手段そのものが、「その人の価値観」を示すのだと 気づいた。


だから私は、「人を踏み台にすることなく社会的な立場を手に入れたい」と自分の生き方を決めて、その時々にできる限りのことはしつつ、より強い能力のある大人になるべく努力は続けたけど・・


ほんとしんどかった。しかも 私と異なる価値観を持つ人からは、私のそういう生き方そのものが「自己満足」と決めつけられ それがまた「見下し理由」になるのだろうということもわかっていたので、「価値観の違う人間とのつきあい」は ほんとしんどい、ほどほどの距離をもちたいと思った。


と同時に、「ほどほどの距離を保つことのできる立場のちがい」ってのが・・結局のところ社会的階層というやつなのだと、気づいて、再びがっくり来た。


母が無頓着に下町に居を構えた愚かさ、私の出自(=私の親族)が属する階層云々にまつわるもろもろの状況=私の置かれた「立場」が内包する矛盾まで見えてしまったから。

 そして こればっかりは 無力な子供の立場では 直視に耐える内容ではないと思って

 自分の立場でできること=勉学にいそしむことに決めた。


と同時に、校内で暴れまわる悪ガキどもと、私とは、「家族由来で 矛盾した立場に置かれて 己の成長力をまともに展開できない」という点では全く同じだなと実感してしまった。

 そのせいで 悪ガキどもを軽蔑できなくなってしまって ほんと やりきれないと思った。


 それでも 私は 憂さ晴らしに人を傷つけたりしないぞ!と そこはあいつらとは根本的に違うんだと思うことにして己を慰めた。もともとそういう生き方を選んだ結果、しなくてもよい苦労を背負い込んでいたのだから、それくらいのプライドでも持たなきゃやってられるか!プライドなんて日常生活では何の役にも立たぬものだけどと思いつつ。


 頭では、あの子たちはああいう生き方が正しいと考える親の元で育っただけ、

 私は「人を傷つけてはならない」と教えられて育った結果、こういう結論にたどりついただけと知っていたけど、10~12の子供だった私には、論理的に気づいたことを すべて受け入れるだけの余力はなかった。己の気づきがそのまま絶望につながった。自分は逃れようのない苦痛に満ちた袋小路に閉じ込められていると感じられて。


だから、自分の気づきを封印して、その気づきを生かせるだけの「力」を身に着けることを最優先に生きることが 子供である自分にとって可能な選択であると判断し、自分が大人になってから

この気付きをもとに行動に移すぞ!と決意するのが精いっぱいのことだった。



 どんだけ あの地域から速攻で 出たかったことか。

 しかし どれだけ調べても 法で認められた保護者が名目だけでも同居していないと 未成年が暮らせない。

 たとえ自分と親の生活費を私が稼いでいたとしても 名目だけの親との同居がなければ

 進学できないという現実の前に すべてをあきらめてあの家にとどまり続けたひどい日々。


 やっと成人して、成人と同時に独立して手に入れた「自由」なのに

 「自由」を使いこなすスキルが いささかさび付いていたことに気づくなんて皮肉><


  

 そのスキルをブラッシュアップしようとしても、大人になってから磨きなおすのって無理っぽい。

だって、その手の指南をする人達って、かつて人をいじめて 他人の心を自分の思い通りに動かす手管を磨いた連中なんだもの。笑えるわ!

 (キャラハンは、大学の研究室レベルから民間のものまで

  各種の「自己啓発セミナー」なるものにも参加して 

  その手の講師たちのうさん臭い性格・本性までもしっかりと見極めていたのだ。)


しかも 子供のころから、何度も絶望のあまり死にたいと思い、自殺を避けるためには「気づき」を封印せざるを得ないと判断して、己の生々しい感情を「生きていたくないと思うほどほ激しい苦痛」と一緒に封印してきた結果、

「自分の感情を自覚すること」すら鈍らせてしまい、それがまた、大人としての社交に影響を及ぼしていると気づいた時には、ほんと がっくり来た。


 何のために ここまで 生き延びて、15年以上にもわたる苦労の末に「大人」としての立場を手に入れたのか!と。


その時、「これまでの苦しみを思えば、今更 死ぬに死ねぬわ! ここで死んだら無念すぎる」と思ってしまった。

 そして そういう自分を「とうとう死神とすら縁を切ることになったのか」と 笑ってしまった。


なぜなら 生きることこそが苦しい、「死とは苦しみの無い世界=救い」とかつて(=10代の頃)は思っていたから。その「死」すら拒否するとは、もはや 自分は 「救い」を求めることすらやめたんだなと思った。


そして「仕方がない、腹をくくって生きるしかないよなぁ、これが大人になるってことか」と思った。それが キャラハンの20代だった。


※ ここで描いている教師たちの言動は、当時「でもしか」教師(=教師にでもなろか・教師にしかなれない)と呼ばれた教師達の行動・教育委員会の対応を、異世界に仮託したものです。


 当時 今でいう「登校拒否」(当時はそのような言葉すらなかった)や自殺者(全国紙と識者は死んだ子の性格とその家庭や育ちに問題があると盛んに書き立てた)もでましたが、


 今にいたっても その子供たちの名誉は回復されていません。



 その子らへの 追悼の意味もかねて 「フィクション」として 「異世界の学校の教師の行動」として これまでも描いてきたし、今後も 時々とりあげるかもしれません。


 通学を続けることなく 中学の卒業式に出ることもなく消えていった子供たちが、都市部では

どの学年にも複数いた時代(当然 女子は水商売 男子は〇暴の構成員しか行き先がなかった。

 良くてラブホの支配人)と 似通った学校に キャラハンも通っていたという感じで描きました。


だから 今のメディアが学校問題に何を書いても、「また嘘八百で 『報道』を装った創作物語で荒稼ぎかよ」としか 私は感じないし、だったら、異世界物語の中で、あくまでもフィクションとして私の知っている世界を描くわ! と思った次第。


だって物語の世界なら 本人の努力と根性で巻き返すチャンス、それが蜘蛛の糸のように儚いモノでも 天からの助けの糸を、確実にそれを必要とする者のところに降ろすことができるから。


リアルにおいては、不遇な者は とことん搾取され続け

「弱者をネタに創作した」記者と それを流布するメディアだけが濡れ手に泡の大儲けをする社会なので、

被害者には希望の持ちようがないではないかと本当にうんざりしているので、

せめて 物語の中で 理不尽な立場に置かれた人間に巻き返しのチャンスを届けたいと思うのです。


人間 絶望的状況におかれれば、たとえそれがフィクションであったとしても「希望の夢」がなくては 生き残れないと思うので。


リアルで 私の手の届かない人のために このような物語を書いています。

 現実世界では 限定的な力しか持たぬ私にできる 精一杯のこととして。


そして 一人一人の子供たちが どんな環境であろうと 自分の人生をかちとり

いかなる状況でも 善良な人が生き残る可能性が少しでも増やす社会になりますようにと

いつも願いつつ仕事をし、己の力不足を知るがゆえに 祈っております。


また 同じような理念で献身されている方々の健勝も祈っております


そしてなによりも 回り合わせの悪い環境に置かれた子供たちが

リアルにおいて 少しでも人との出会い運に恵まれますように

あるいは 頑張って生き抜いて 己の手でチャンスをつかみとれますようにと

 祈っております。 祈るしかできない「力たらずの大人」でごめんなさい。

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