余談ー2 世間は本当に狭い
感想欄を読んで、そう言えば小西行長は、元をただせば宇喜多家の家臣だった気が、とネット検索を掛けて確認してみました。
小西行長の実父は堺の商人の小西隆佐ですが、小西行長は次男(三男説等もあります)だったこともあり、備前福岡の豪商阿部善定の元手代だった源六(後に魚屋九郎右衛門と名乗り、呉服商を岡山下之町で営んだとのこと)の養子となったそうです。
そして、その縁から宇喜多直家の下に小西行長は仕えるようになり、更に当時、三木城を攻めていた羽柴秀吉の下に宇喜多家の使者として、小西行長は赴きました。
そこで、羽柴秀吉に気に入られて、宇喜多家から羽柴家に仕官替えをしたことから、小西行長は豊臣秀吉の武将として出世していくことになります。
又、黒田官兵衛の祖父、黒田重隆は近江出身との説が有力ですが、播磨出身との少数説もあります。
どちらにしても、黒田重隆は故郷を離れて、17歳の頃までは備前福岡に在住しており、その後で播磨に移住して目薬を売って財を成し、赤松氏に、更に小寺氏に仕えることになったとか。
その縁から、黒田重隆の墓は備前福岡、現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡の妙興寺にあるとのことです。
世間は狭いと感じます。
自明なので本文では省きましたが。
備前福岡と備前西大寺間の道程は約8キロ程とそんなに離れておらず、吉井川水運で直に繋がっています。
これで完結します。ご感想等をお待ちしています。、