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アメジストネイル

 閉店まであともう少し。

 そう思っていた矢先。

 玄関先に来客の気配を感じ、扉を開けたエドはそこに佇む人物を見て顔をこわばらせる。

「お久しぶりでございます。奥様」

 深紅のドレスに黒い襟巻をした一人の貴婦人。

「リリーは?」

 挨拶などお構いなしに、我が物顔で入ってくる女性にふつふつと湧き上がる感情を感じながらも、

「どうぞこちらへ」

 なるべく平静な様子を装って、貴婦人――エブリン・アスセーナスを迎え入れる。

 エドは今日の予定を思い返しながら、夫人の来訪予定はなかったはずだと頷く。

 時刻は午後六時。

 ネイルサロンの営業時間は午後七時まで。まだ店を開ける時間ではあるが、今日は夕方予約のお客が早めに終わったので、店をたたむ用意をはじめていた。

 アリはリリーの夕食の用意のためキッチンに居り、エドが玄関付近の掃除と片づけをしていた所、今に至る。

 夫人がいつも忘れた頃に事前連絡もなしにやって来るのは、まあいつものことなのだが。

 夕食が遅くなることをアリに伝言しなければと、頭の片隅に留めながらリリーのいるサロンに案内する。

 扉まで来るとノックなしに夫人は自身で部屋に入って行った。その様子に、知られない様にため息をつく。

「久しぶりね」

「お母様?」

 片付けのためテーブルの上を拭いていたリリーは驚いた様子でこちらを振り返り、背筋をしゃんと伸ばす。

「ちょっと時間ができたから寄ったの。お願いできるかしら」

「わかりました」

 リリーは硬質な声で頷くと、片付けていた道具をもう一度棚から引っ張り出す。

 エドがソファーを引くと、夫人は腰かけ、

「飲み物はカクテルがいいわ。なければ泡」

 聞いてもいないのにそんな事を言う。

「かしこまりました」

 エドは涼しい顔でそう答えるが、内心夫人のことはあまりよく思っていない。リリーの母親であることは間違いないので、容姿はまあ似ている部分はあるが、考え方や性格、何もかもが正反対。時折、本当に親子なのだろうかと思うことがある。気配を消すように部屋を出ると、キッチンに向かう。

 良い香りが漂う扉を開けた。部屋の中にいる人物は、もちろんエドの存在に気が付いているはず。

「奥様が来たの?」

「ああ」

 エドの声にはよくわかるなと言う驚きの声色も含まれている。

「時期的にそろそろでしょう? それにあの方。先日の夜会で『そろそろ飽きたからネイルを変える予定』だと話してみたみたいだったから」

 アリはネイルサロンの情報収集の参謀だ。事前にどこかでそんな話を仕入れていたのだろう。特別驚く様子もなく、料理の手を止め、グラスを出す。

「今日は何を飲むかリクエストはあった?」

 いつもエドの前でも丁寧な口調を崩さないアリが、そんな言い方をするのは珍しかった。自身のローテーションを崩されたことに気分を害している。そんな感じ。

 二人がアスセーナス夫人をよく思わないのは理由がある。

 貧民街でリリーと出会い、馬車に乗って子爵家に初めて行ったその日。夫人は、『なぜ、そんなのを屋敷に住まわせるのか』冷たい視線と辛らつな言葉を浴びせた。高揚していた気分が一気に黒く塗りつぶされる感覚を覚える。リリーはそんな母親の言葉をいなして、二人に衣食住と、学びを与えてくれた。それは一人でも生きていける、もしくは他の屋敷の貴族の使用人として十分に通用するレベルものである。見た目もたんだんと洗練され、数年たてば、誰も二人が貧民街の出身だとはまさか思いわないだろう。時間が経って、子爵夫人の対応は、一般的な貴族なら当たり前のものだろうとだんだん思える様になり、それからはあまり気にならなくなった。

 そんな時。

『私の使用人にしてもいいわよ』

 エドとアリを呼び止め、夫人はぬけぬけとそんなことを言い出した。ガチンと頭を殴られた様な衝撃。とっさに二人は顔を見合わせ、あり得ないと。無言であったが二人の気持ちは一つであった。

 リリーに見つけられ、ここまで育ててもらった想いがあるので、他の方に仕える気持ちはないと申し上げると、夫人は顔色一つ変えずに『そう』と言って、そのまま。

 それについては、今までリリーにも話したことがなかった。

 

「カクテルか泡(←シャンパンの事)」

「了解。お嬢様はお酒を飲まれないのに――あの人のためだけにお酒を用意するなんて、なんだか」

 アリがぶつぶつと文句を言いながら、カクテルを作っていると、ベルが鳴った。リリーが呼んでいる。ベルの鳴らし方によって意味があり、今回は二人をサロンに呼んでいる鳴り方だった。

 アリとエドは顔を見合わせ、頷くとキッチンを出てサロンに向かう。もちろん、アリは作ったカクテルとチョコレートを持って。

「失礼いたします」

 サロンに入ると、リリーは困った表情をして二人を見ている。何事かと思ってそちらに向かうと、

「二人にも手伝って欲しいことがあるの。一緒に話を聞いてもらえないかしら?」

 リリーは頭を抱えていた。それに対してアスセーナス夫人は全くリリーの困り顔など気にも留めないといった様子。

「かしこまりました」

 そう言って、エドはリリーの斜め後ろに控える。アリもサイドテーブルにカクテルなどを出して、エドの横に立つ。

「私のお友達のロザリンド・フランジスのことなんだけど」

 リリーはその名前を思い出す様に復唱し、頷く。

 エドはその名前を聞いた事がある。しかもごく最近。ロザリンドはフランジス伯爵の奥方。

「フランジス伯爵――確か、最近亡くなったと」

 リリーは言葉を確かめる様に、ゆっくりとそう言い、アスセーナス夫人は頷く。

「そう。それでロザリンドは夫のである伯爵殺害の容疑がかかって拘留されているの。私は何度も騎士団に抗議をしているのだけど、全くこちらに聞く耳をもたない始末。ロザリンドさんは無実だわ。それで、貴女に彼女を救い出す手助けをして欲しいの」

「えーと、それをどうして私に? 私はただの子爵令嬢でしかないわ」

 リリーはとぼけた声でそう言うが、実は最近噂になっている。ネイルサロンの訪れた客の厄介な問題を解決してくれると、まことしやかに。

「噂は聞いているわ。王女様が行方不明になった時も貴女の助言で見つかったと。ネイルサロンもそうだけど、私も最初は子爵令嬢らしからぬことに関しては否定的な意見しかなかったけど、最近はずいぶん丸くなったの。だから、貴女能力を存分に使えることには大歓迎。今回はその能力をロザリンドのために使って欲しいのよ」

 アリが得たその噂はもちろんリリーの耳にも入れている。しかも夫人に言われたことは否定できない事実でもあるので、何か言いたそうにしたが、ぐっと歯をかみしめ押し黙る。ただ、エドとしては、その事実を抜きにしても、

 

 なぜ、ロザリンド・フランジスが無罪だと確信しているのか。

 なぜ、リリー達がそれを請け負わなければならないのか。

 

 聞きたいことは色々あるが、聞いても夫人はのらりくらり、よくわからない持論を展開させるだけなので、聞くだけ無駄だということも充分わかっている。

 だから、何も言わない。

 そして、アスセーナス夫人は”イエス”以外の答えを良しとしないということも充分に分かっている。しぶしぶリリーは、夫人の話に頷いた。

「……その、フランジス伯爵が亡くなった、いえ殺害された時の状況は、お母様はご存知でしょうか?」

 フランジス伯爵が亡くなった記事は新聞で見たが、詳細については詳しく書かれていなかった。ましてや、妻が夫殺しの容疑で拘留されていることなど。おそらく、何等かの圧力がかかり、情報統制が行われているのだろう。多分、目の前の人物などが……そう考えていると、アスセーナス夫人がエドをちらりと見たので、すっと目を反らす。

「ええ。私がわかる範囲なら」

「救い出すことが出来るかどうか……私自身、子爵令嬢の端くれの身分ですので、どこまで力になれるかはわかりませんが。ともかく、そのフランジス夫人はどうして、拘留されているのか。まずその辺りの事情を知らなければ、私も動くことも真相を導き出すことも出来ませんので、教えていただけますでしょうか」

 アスセーナス夫人は優雅に、カクテルを一口飲んで、こくりと頷く。

「さる高貴な方が主催された夜会での出来事よ」

「一体どなたですか?」

 名前を隠されていては、どうしようもない。リリーはそれで聞いたのだろうけれど、アスセーナス夫人はむっとした表情を見せる。

「ハスキンス公爵」

「……っ」

 リリーは息を飲んだ。

 ハスキンス公爵は現国王の弟の叔父にあたる人物だ。(国王と弟は異母兄弟)

「まさか、公爵様の屋敷で殺人が起きたなんて大々的に報道できないでしょう?」

「仰る通りです」

 フランジス伯爵の死がここまで、新聞社に書き立てられないのは、そう言った事情があったのだとエドも納得する。

「私も、公爵からお招きを受けて夜会に参加していたのです――私は伯爵殺害なんて全く関わってもいないわ。だってそもそもメリットがないでしょう? 同じアスセーナス子爵家に名前を連ねる貴女ならわかると思うけれど――それで、公爵家ではメインの夜会が開かれる会場とは別に、ちょっとした休憩室の様な小部屋があるの。小部屋と言っても公爵家ですから、ここのサロンの部屋の二倍ぐらいはあって、応接室の様な立派な造りよ――矢張り、時には人様には聞かれたくない話をする場合もあるでしょう? そういった時のための部屋と言っていいかしらなね。フランジス伯爵はその小部屋の一室で、背後から一突き。刺されて亡くなっていたの」

「凶器は?」

「その小部屋には、ちょっとしたコレクションが置いてあって、その部屋には、公爵家の家紋が入った特注のサーベルが飾られていたのね。詳しくは私もわからないのだけど、ハスキンス公爵を遡ると、当時は軍神として崇められる程の、能力を持った方がいたみたい」

「凶器は部屋にあった――そうすると、部屋に入ったものであれば、いえ、フランジス伯爵に気付かれずに部屋に入ったものであれば、誰でも犯行は可能だったと。伯爵はその夜会の招待客だったのですか?」

「それがねぇ、伯爵はもともと招待状など貰っていないはずなの。それは、奥様のロザリンドがそう話していて」

「じゃあ、伯爵はどうしてその夜会に?」

「そこが、色々と話のややこしい部分――奥様のロザリンドは夜会に参加していたのだけど」

「お一人で?」

「ええ、そう。ロザリンドさんのご友人が夜会に参加されていて、そのご友人に会うために。参加することは夫であるフランジス伯爵には前々から話をしていて、伯爵もご存知だったと聞いたわ」

「お二人の夫婦中は? 立ち入った質問ですが」

 夫殺しの容疑で捕まっているくらいなのだから、リリーは遠慮気味であるが、まずそこを聞くのが定石だろうとエドは思う。

「悪くなかった。いえ、多分良かったと思うわ。ただ」

 アスセーナス夫人は言葉を切ると、真顔になってカクテルを飲む。ふうと息を吐いて話を続けた。

「フランジス伯爵は、多分今、五十歳ぐらいかしら。貴女も多少の知識はあると思うけれど、彼はもともと騎士団に務められていたの。特に前線の方で。戦地に赴くために若いころは各地を渡り歩いていらっしゃったのだけど、数年前に体がついていかなくなったからと、引退されて伯爵家を継承して、ようやくロザリンドさんとご結婚。当時ロザリンドさんはまだ十代だった」

「ずいぶんご年齢が……あ、失礼しました」

 リリーは思わず口をついてでてしまったあけすけな物言いに、罰の悪そうな表情を見せる。貴族間では年齢差などそれ程重要視されない。見られるのはどちらかと言うと家格の問題。

「はあ。貴女はまだそんなことを言っているのね――貴女もお姉様を見習って」

「お母様お言葉ですが、今はフランジス夫人のお話を。私もそれほど暇ではないのです」

 リリーは変に話を進められては困ると思ったのか、きっぱりとそう言い返す。

「そうね、それはまた今度。ともかく、ロザリンドさんを早く助けてあげなければいけないの。それで、えっと……ああ、お二人のご夫婦仲のお話ね。ロザリンドさんは利発な方だし、可愛らしくて素敵な方。今まで縁遠かった伯爵もそれで心酔しまったのでしょうね。結婚した途端にロザリンドさんにべた惚れで。重すぎる程の愛ね。どんなに説明してもロザリンドさんの不貞を常に疑っていたわ」

 エドはその話を聞いて、なんだかなと思う。

「では、伯爵は奥様の不貞を疑って、夜会にお忍びで来られ、何者かの殺されたということでしょうか。でも、それだと、犯行が衝動的なもので、余計に奥様に疑いの目がかかると」

「なぜ、お忍びだと疑いがかかるの?」

 わからないとでもいう様にアスセーナス夫人は小首をかしげる。

「もともと伯爵が来るのを知っているなら、小部屋に呼び出して犯行に及んだ――計画的な犯行が考えられ、この仮説が通ると思いますが、来るはずのない人物が殺害されたとなると、衝動的に殺害されたと考える方が自然かと。例えば、奥様となんらかの口論があってとか」

「だから、ロザリンドさんは犯人ではないわ」

「わかっております」

 子供っぽいアスセーナス夫人の言い方リリーはため息交じりにそう応戦する。

「ふう。でも、確かに貴女の言う通りかもしれないわね。だから騎士団もかたくなに首を振らないのかも。それと、亡くなっている伯爵を見つけたのはロザリンドさん自身なの」

「ロザリンドさんは伯爵に呼び出されて小部屋に行ったのですか?」

「まさか。ロザリンドさんと会場で会って話をしたけれど彼女、全くフランジス伯爵は来ているなんてこれっぽちも考えていない風だったわ。ただ、ボーイに手紙を渡されて、それで、それであの部屋に行ったのだと。私、その話を聞いて、誰かに仕組まれているのではないかと思ったの」

 貴族はポーカーフェイスが基本で、絶対に腹のうちを他人に晒してはいけないというのが夫人のモットーであるのが、珍しく取り澄ましていた表情を歪める。

 そんな表情を見せるのは初めてかもしれないとエドは驚いた。

 恐らくリリーも一緒だ。何も言わずに彼女は自身の母親を凝視した後、大きく息を吐いた。

「フランジス伯爵夫人が一刻も早く無罪放免される様に私も手をつくして見ますが、それには、お母様ももちろん、協力してくださるのでしょうね?」

 リリーの返答に顔を上げた夫人は、もういつもの表情でゆっくりと頷く。




 翌日ネイルサロンは定休日であった。

 普段でならば、だらだらと朝を過ごすのだが、昨日のこともあり、休む暇もなく、リリーは朝早くから出かける。

 大きな夜会を開く時、家の使用人だけでは、足りないためメイド・使用人派遣会社からスタッフを募ることが多い。リリーはエドをれて大手派遣会社のリット派遣に赴いていた。

 アリには他で情報収集を依頼している。

 建物に入ると、受付嬢リリーを見て、笑顔で挨拶をした。

「リリー・アスセーナスと申します」

「アスセーナス様、……子爵家の」

 受付嬢は貴族名鑑について良く教育されている。ネイルサロンのオーナとして来るよりも、子爵家の令嬢と名乗った方が早いとリリーは察知し、貴族令嬢の振る舞いを見せる。

「ええ。母が、さる高貴な方が主催された夜会で、こちらの派遣会社から派遣されたスタッフメイドと使用人の働きぶりに感銘を受けまして。今後、我が家で夜会を催す際の参考にしたいと思いましてお伺いしました」

 リリーの言葉に時折頷きながら、受付嬢は、

「かしこまりました、ありがとうございます。担当者を呼んで参りますので、どうぞこちらのお部屋でかけてお待ちください」

 案内されたのは、小さな応接室。貴族用なのだろう、こじんまりとしているが、調度品はどれもしっかりとしたものである。

 リリーはソファーに座り、エドはその後ろに立った。ソファーに座ったらいいと言われたけれど、公式な立場ではしっかりと使用人としての役割を果たすべきだと主張し、そのままいる。

「お待たせしました」

 慌てて入って来たのは、ちょび髭にふっくらとした顔、ひとの良さそうな中年の男性である。

「リリー・アスセーナスです」

 リリーは立ち上がり、握手の手を差し出す。

「あ、ありがとうございます。私、コリン・マップと申しまして」

 マップはいそいそと、自身の名刺を差し出す。リリーがそれと受け取り、ゆっくりとソファーに座るのを見て、マップも正面のソファーに座った。

 エドはちらりと名刺に視線をやる。役職はマネージャー。この会社ではそれなりの立場にいる人なのだろうと思った。

「今後の参考のために、お話を伺いたいと思いまして」

 リリーは子爵令嬢の仮面をかぶって、さらりとそう聞いた。

「ええ、もちろんです。さる高貴な方の、夜会で弊社の存在を知ってくださったということなのですね」

「はい。私は参加していないのですが、母が――ハスキンス公爵の夜会に」

「ああ、そうでしたか」

 公爵の名前を出しただけで、マップはしゃんと背筋を伸ばして頷く。

「皆さん、公爵家のお屋敷の方々だと思っていたのですが、よくよく聞くとこちらの会社から呼ばれたスタッフの方もいらっしゃるとのことで、母が絶賛していました」

「アスセーナス夫人が……そうでしたか、誠にありがとうございます」

「いえ」

 リリーは控え目にそう言うが、もちろん、アスセーナス夫人はそんな言葉は一言も述べてはいない。言ったのは、ロザリンド・フランジスを救ってほしいという話だけ。そのためには、当時の関係者にひとつひとつ話を聞く必要があると、リリーが判断し、ハスキンス公爵の使用人にアポを取れないかと夫人に伝えた所、『公爵はちょっと変わった人物でね。人嫌いなところがあるから屋敷の使用人は最低限の身の周りのお世話をする人物しか置かないの。だから、夜会の事で聞きたいのなら、派遣会社を直接たずねることね』そう言って、このリット派遣会社を教えてくれた。夫人が言うのには界隈では有名な会社であるらしい。

「まず、当社のシステムを」

 マップはいくつかの資料をテーブルに置いた。ちょうどその時、先ほど受付にいた女性がノックと共に入って来ると、リリーに紅茶を出す。

「ご要望に応じて、メイド、使用人の派遣を致しております。派遣の時間と人数、仕事内容に応じて金額をご案内させていただいておりますが、貴族の方々はご要望が多岐に渡る場合があるので、金額については都度、応相談と言う状況でご案内しております。あ、ただ当社のスタッフは様々な場面に対応が出来る者ばかりですのでご安心下さい」

「今、こちらにスタッフの方はいます? 少しお話を伺ってみたいのですが」

「ええ。もちろんです。お呼びしましょう」

 リリーハスキンス公爵の屋敷で仕事をしていたものがいいと注釈をつけた。それが目的なのであるが。

 マップは急ぎ足で部屋を出て行き、少しして一人の青年を連れて戻って来た。

「彼はうちの稼ぎ頭のボイス」

 マップに紹介されたのは、二十代後半くらい、切り揃えられた髪の毛にすっとした顔立ち。見た目だけで言えば、かなり育ちの良い家庭出身なのだろうかと思われるが、市井出身なのだそう。何とは聞かなかったが、彼の生まれもったスキルが今の仕事に相性がよく、ここまで仕事が出来る様になったのだと言う。

 マップが資料を取りに行くと、部屋を出て行った時にリリーはすかさず、エドに視線をやる。エドは心得たとばかりに、袖の下をボイスにつかませる。そのボイスは目を一瞬目を見開いただけで、何事も無かったかの様に、リリーを見た。

「私に何か?」

 頭がいい。ボイスは自身が今ここで何を求められているかと言うことを正確に把握できるのだ。

「先日の、ハスキンス公爵の夜会。貴方はあそこに?」

「おりました」

 リリーの問いにあっさりと頷く。

「あの夜会で事件が起ったことは?」

 表情を変えず、「存じております」ボイスは頷く。

「率直に伺うわ。フランジス夫人に手紙を渡したのは貴方?」

 ボイスはすっと目を反らし考え込む仕草をみせた。

「騎士団にもそのことについては聞かれましたが、正直覚えていません。貴族の方から、貴族の方へ、我々は秘密裏にメッセンジャーとしての役割を期待されているのは事実ですが、どなたが、どなたかにと言う部分までは、はっきりと覚えておりません。ただ、あの日、手紙をお渡しした貴族の方がいるのは事実ですけれど」

 ボイスがそう言い切ったところで、意気揚々とマップが部屋に戻って来るのだが、応接室に漂う何とも言えない雰囲気にあわあわとしていた。

 

 

 〇


「貴方どう思う?」

 帰り道の馬車の中でリリーはエドに問いかける。

「あの、ボイスと言う男のことですか?」

 リリーは頷く。あの男は食わせ物だ。多分真顔で嘘がつけるタイプの人間だろうとエドは思う。

「黒ですね。でも証拠がない」

「そう」

「けど今の段階ではあれ以上の追求できない。仕方がありません。ある程度こちらに手札が揃わなければ」

 馬車が停まると、一人の見たこともない女が何事もなく乗って来た。

「何かつかめたことはあった?」

 いきなり馬車に乗って来た女に驚くでもなくそう言葉をかける。

 新聞記者風の女性は深いグリーンのベルベッドのワンピースに髪の毛をきっちりと纏め、眼鏡をかけていたが、その眼鏡をとり、凝りかたまった肩をほぐす様に首を回す。スキルが解除され、そこには見慣れたアリの姿。バッグからペンと小さなノートを取り出し、口を開く。

「ええ。もちろんです。フランジス伯爵と夫人の夫婦仲ですね」

「伯爵と夫人は一年程前にご結婚されたばかりで、私が聞いてる話では二人の関係は良好だと。そう聞いていたのだけれど」

 エドもフランジス伯爵の話は耳にしたことがある。そもそも貴族の結婚なんて、年齢差は当たり前。だからそれ以上の事情について首を突っ込んでまでは知ろうとはしていなかった。

 そもそも、ネイルサロンのお客でもない。

「結婚に対して、伯爵の方が最初はそれ程乗り気ではなかったのようですが、周囲から身を固めた方がいいとすすめがあって結婚を決めた様です。実際に結婚をして、妻にぞっこんになった様ですね。まあ、戦場を渡り歩いて来た様な人ですし、安定した妻の存在に心落ち着いたのかもしれません。それから、奥様の方ですが、彼女は社交界にデビューした当時から、その容姿もあって、噂の絶えない方でした。誰とご結婚されるのか、色々と噂をされてきて、実際に求婚される方も多かったようです。そんな時に、彼女のご実家に大きな借金が出来てしまい……その時に求婚された、一番金持ちの家の男性と結婚をした様ですね」

「それが、フランジス伯爵だったのね」

 アリはリリーの目を見て頷く。ロザリンド・フランジスは人妻となって今でも可憐な水仙の様な女性だと形容されているのは有名な話だと、その辺りの情報まではエドも知っていた。

「そんな妻だから、束縛して常に不貞を疑ってい、妻が一人で行く夜会に招待状も貰っていないのに忍びこみ、そこで殺害された。――そう考えると、もしかしたら、不審者と思われて殺害をされた。そんな可能性もあるのでしょうか?」

 エドは考えこむ口調で、顎に手をやりながら、そう自分の意見を述べる。

「確かに」

 リリーもエドの意見に同調した。アリだけが意味深な表情で頷きながら、言葉を発する。

「お二人の仰る可能性も考えられなくはないのですが、そうではない理由が二つ程ありまして、まず一つが、ハスキンス公爵とフランジス伯爵の関係。奥様のロザリンドは独身の頃から、なにかとハスキンス公爵に目をかけてもらっている様です」

「それはなぜ?」

 リリーの疑問は最もだ。名前のある公爵が、まだうら若い令嬢に便宜を図るということは、他の理由を感じさせられる。

「単純に、ロザリンド様のご実家と公爵家に繋がりがあったようで、その関係でフランジス伯爵とハスキンス公爵の関係も、他人ではなかった様なの。だから、フランジス伯爵について、ハスキンス公爵の使用人は誰もが知っている人なのよね。だから、流石に不審者として言われる事はないわ。それと、実はフランジス伯爵も奥様には内緒で、招待状を受け取っていた様なの」

「では、ハスキンス公爵もフランジス伯爵に招待状を送ったことはもちろんご存知なのよね?」

「恐らく。……なんとなくこれは私の勘ですが、そこになにか今回の事件のからくりの様なものを感じてしまうのです」

「まあ、兎に角。本人に会って聞いてみるのが一番だわ」

 アリは変装の装飾品を全て外し、メイドとしてのアリ・ミルズの姿にもう戻っている。

 三人をのせた馬車はハスキンス公爵家に向かっていた。

 

 本来ならば、子爵令嬢のリリーがおいそれと行ける様な場所ではないのだが、今回は、アスセーナス夫人がハスキンス公爵に手をまわし、リリーが来訪できる様に取り計らってくれていた。アスセーナス夫人は公爵と面会について難色を示していた――公爵の方から断られるだろうと言っていたのだが、そこはリリーとしては譲れない。しぶしぶ、アスセーナス夫人からアポを取ってもらったが、思ったよりもすんなりといったらしい。夫人が言うには、ロザリンドの無罪を証明するために、リリーの訪問を許してほしいと言えば、公爵は二つ返事で了承してくれたという。

 話を聞いた時、噂に聞く、ハスキンス公爵はかなり気難しいタイプの人間だと聞いていたから、簡単に了承してくれたという夫人の話を疑う訳ではないが、エドは少しだけ違和感を覚えていた。

 馬車がゆっくりと停まる。目の前には王城かと思われる程の立派な屋敷がそびえ立つ。

 この屋敷、いや城でパーティーを開こうというのなら、確かに派遣メイドが必要になる訳だと頷かざるを得ない。

「どうぞ。お待ちしておりました」

 馬車が停まると同時に、屋敷から幾人かの使用人が出迎えてくれる。その筆頭は老年の紳士。恐らく、このハスキンス公爵家のバトラーだろうと、その身のこなしから察しがつく。

「恐れ入ります。リリー・アスセーナスと申します」

 リリーは執事と思われるその男性にも丁寧なあいさつを述べる。

「いえ、こちらこそご丁寧に。ハスキンス公爵で執事を勤めさせていただいております、ウォールナットと申します」

 執事のウォールナットが恭しい挨拶をしている隙にエドはさっと馬車とおりて、リリーに手を差し出す。アリは屋敷には入らず、そのまま馬車で待つため、下りずに迎え出た使用人に深々とお辞儀をする。

「ハスキンス公爵様はご在宅でいらっしゃいますか?」

 リリーはエドの手をとり、ゆっくりと馬車を下りながらそう聞く。

「もちろんです。アスセーナス夫人からお約束のお話をいただいておりましたので。どうぞこちらへ」

 開かれた大きな観音扉の上には、古代文字で何やらかかれている。新しいというよりも、もうずっと代々受け継がれて来た屋敷――城なのだとエドは感嘆のため息を漏らす。

「皆さまは、こちらの屋敷は初めてでいらっしゃいますか?」

「ええ。私はあまりに夜会には出ませんので。すみません」

 リリーはまさかそんな質問を逆にされると思っていなかったのだろう、少し声が上ずっている。

「いえ、謝ることではございません、お嬢様。この屋敷について簡単に説明させていただきますと――昔々は要塞として機能しておりました。この屋敷、要塞を創建されたのは、今から四百年程前のアンバー王国の皇帝。四百年前はあの道の向こう側は異人館が集まった一帯でして、異人館に住む方々を王都に入れる検問所の役割をこの建物が担っていおりました」

「では、もし異人館に住む方々から刃を向けられたとしたら、ここが王都を守る砦の役割も果たしていたということですのね」

「左様でございます。ですから、要塞と表現させていただいたのです。その後、増改築を繰り返して、今ではここに要塞がある必要がなくなりまして、この屋敷も住居としての役割の方が大きくなりました。ですが、その当時の名残として今でも玄関の上に、古代文字を用いた、守護陣が残っております。もし宜しければ、お帰りになる際でも見上げて見てください」

「その陣は今でも役割を果たしていらっしゃるのですか?」

「ええ。大半の力は失われておりますが、微弱ながらまだ」

「すごいですね」

 エドも内心、ウォールナットの話に感心していた。

 ウォールナットは一際重厚な扉の前で立ち止まり、ノックをする。

 中から声は反応は無いが、構わず、そのままドアを開けた。

 いつもそうなのかもしれない。

 部屋の中の景色が見え、エドは思わず声が漏れそうになる。

 長い年月もろともしない重厚な家具たち。

 植物をモチーフとした美しい壁紙に著名な画家の絵画が展示されている。

 書籍の絵で見たことのある、数百年前の王朝時代に流行った建築様式が見て取れる。

 部屋の手前は応接セット。

 その奥の執務机に座る一人の人物。感じた印象を一言で言うと、気難しそう。切り揃えられた髪の毛から覗く眼光の鋭さは、公爵としての風格を感じせる。

 現代のハスキンス公爵、その人だとすぐにわかった。

 リリーは一歩部屋に踏み入れると、令嬢の基礎マナー本通りのお辞儀をしてみせる。

「リリー・アスセーナスでございます。本日はお時間をちょうだいしまして……」

 そのまま教本通りの口上を述べようとしたところで、公爵に止められる。

「本題に入ろう。こちらも、この後の予定があってね」

 公爵は謝罪の言葉を口にするが、こちらとしてもその方が有難い。子爵令嬢であるのだが、令嬢らしからぬリリーの金メッキがいつはがれるのかと、エドとしても心配している所であった。

「ありがとうございます。では、早速。夜会が開かれた日の事なのですが……」

「ロザリンドが犯人だとは私は筋違いも良いところだと思っている。我が家で開いたパーティーであんな事が起こってしまい……彼女を救いだそうとすべく、対応を進めている所ではあるが」

 公爵は苦い表情を浮かべる。

「旦那様はロザリンド様は犯人ではないと、確信され、騎士団にかけあってはいるのですが」

 執事のウォールナットもそう言葉を付け足した。

「では、公爵様は他に犯人がいるとお考えで?」

 リリーは静かにそう聞いた。

「まあ、結論としてはそうなるだろう」

「これは私の個人的な意見として伺いますが、公爵家の警備体制の堅牢さに対して、外部から侵入したものの犯行と言うのはあまり考えにくいと思うのです」

 リリーはそう言うが、その言葉には内部犯の犯行の可能性はないかと言う意味合いも含まれている。

「そう言ってもらえるのは、ありがたいが、我が家も万全ではない」

 公爵はさらりと言葉を返す。

「現実問題として、公爵家の堅牢な警備体制を破れるとするならば王宮騎士団、魔術師として第一線で活躍されている、もしくは王家の秘匿にされていますが、暗部の人間でしょう」

「そんなやつらに襲われたんじゃ、我が家はひとたまりもない」

 公爵は自嘲気味に笑う。エドには笑う公爵の面白さが全く理解できない。

「ですが、そうなると逆になぜフランジス伯爵が公爵家で狙われなければならないのかという疑問が湧きあがって参ります」

 フランジス伯爵は王家に忠実で、根っからの武人体質。金儲けに全く興味がなく、利も害も及ぼさない、中堅貴族の代表格の家柄である。

 そんな伯爵が王家こぞっての精鋭部隊に狙われる理由についても、アリの情報網からは一切上がってこなかったことも知っている。万が一、フランジス伯爵の暗殺を企てた一味が存在するとしたならば、伯爵家で。もしくは、伯爵家を出た馬車を襲撃したらいい。わざわざ公爵家でやらずとも。

「まあ、確かにそうであるが」

「そうではないと、内部の方の犯行の可能性が出てきてしまいます」

 リリー今後はきっぱりとそう言った。フランジス夫人が容疑者として拘留されている理由もそこにある。外部からの犯行が考えられないと、夜会に来ていた招待客もしくは公爵家の誰かの犯行に考えられる中で、フランジス伯爵に対して、動機が考えられそうな人物が現状フランジス夫人しかいないのだ。

「……もしくは、彼自身が自殺を図った可能性は考えられないか?」

 公爵は妙案とばかりに、立ち上がる。

「自殺でしょうか?」

 逆にリリーは顔を顰める。

「そうだ。伯爵はロザリンドとの夫婦関係に悩んでいたと言う。それで、精神的に追い詰められ、自殺を図った」

「わざわざ公爵様の屋敷でですか?」

 リリーは素っ頓狂な声を上げる。

「場所は問題ではない。精神が追い詰められている場合はいつそうなるかはわらかない。たまたまこの屋敷で思いつめてしまったのだろう」

 公爵は確信を持ってるのか強い口調でそう言った。そのはっきりとしたもの言いには、流石にリリーも反論する材料を持ち合わせていなかったようで、公爵には聞こえないほど小さな声で唸った後、口を開く。

「ちなみに、公爵様はフランジス伯爵に招待状を送られたのですか?」

「招待状のリストの管理は、執事のウォールナットに全て任せている。その辺りはそっちに聞いてくれ。ともかくロザリンドは犯人ではない。私が保証する」

 公爵はただ、ロザリンドの無罪だけを繰り返すばかり。それ以上の情報を聞き出すことは出来ないだろうと思ったのか、リリーは話が途切れた所で立ち上がる。他の屋敷の使用人に誰からどんな話を聞くべきか。エドは次の算段を考えていたのだが、リリーは足を進めず、ふっと再度公爵を見た。

「最後に伺いたいのですが、フランジス伯爵が夜会にいらしていたこと自体はご存知でしたか?」

 公爵は一瞬押し黙り、すぐに首を振った。

「さあ、私は他の招待客の対応やらなんらやで追われていましたので」


 公爵の執務室を出て、まず執事に招待客のリストについて聞いた。

「リストを見せていただくことは可能でしょうか?」

「もちろんです。旦那様から、ロザリンド様をお救いするために必要なことであれば、ご案内するように申し付かっておりますので。こちらへ」

次に通されたのは、廊下の一番端にある質素な一室。

 一般的に見れば質素ではないのだが、なにせ公爵の絢爛豪華な執務室の後だと、どんな部屋もそう見えてしまうのは仕方がないだろう。

 ウォールナットはこの部屋について、自身の作業部屋兼書類保管庫なのだと言った。

「重要書類は全て、公爵様の執務室に保管しておりますが、その他の細々とした書類はこちらで一定期間保管し、管理しております。先日の夜会のリストは……ああ、これです」

 ウォールナットは棚から数枚の用紙を取り出し、リリーに差し出す。

「ありがとう」

 リリーは受け取った半分をエドに渡し、残りを自身の目で確認している。

 エドが受け取ったリストには、アスセーナス夫人の名前とフランジス夫人の名前は載っているが、伯爵自身の名前は載っていない。

「こちらにはフランジス伯爵様のお名前は載っておりません。こっちもだわ」

 リリーはそう言ってエドのリストを再度取り上げ、自身の目で確認する。

 もちろん、エドの言葉を信用していない訳ではないが、なにせ自分でやらないと気が済まない性質なのだ。

「伺いたいのですけど」

 リリーはウォールナットを見る。

「ええ、なんなりと」

「夜会には、招待状を持った人ではないと入れないのですよね?」

「左様でございます。入り口で、招待状を確認し、回収しております。そのため、どなたが来て、どなたが来ていないのかと言うことは、後程確認することも当然可能でございます」

 執事はそう言って、リストをとりだした、同じ棚から今度は封を解かれ、夜会の当日、回収し束ねられた招待状を見せた。

「単刀直入に伺いますが、フランジス伯爵には招待状は出していらっしゃらないのですよね?」

「ええ、リストにはございません。それに、実は、このリストを作成する際に、フランジス伯爵家には夫人の名前で出すようにと言われてまして――旦那様にはフランジス夫人をお呼びしておりますが、伯爵様には招待状を出さなくてよろしいのかと確認しました。そうしますと、いらないと仰ったのです。もし必要になった場合は、旦那様の方で用意すると仰るので、その通りに」

「公爵様が私的に招待状を、リスト以外の人に出すことできますか?」

「ええ、それは。リストを作った後に様々な派閥や力関係を考え……その各々の家柄のですね、追加で招待状をお出しすることは多々あります」

「その回収した、招待状を見せていただいても?」

「ええ、もちろんです」

 ウォールナットは、そこまで言わると思っていなかったのだろう。あわあわとしながらも、招待状の束をリリー預けた。束ねていた紐を解いて、一通、一通、リリーは宛先の名前とリストの確認し始めるので、エドはそのリリーの作業に手を出して、エド自身も宛先を確認していた。

 その中で、空白のものがある。

「あの、これは?」

 思わずその封筒を手に持って、ウォールナットに見せる。

「はい? ええと、……ああ、封筒に宛先が書いていらっしゃらないのですね?」

 ウォールナットはエドからその封筒を受け取り、中の招待状にも目を通して見ていた様だが、誰に向けて送られたものなのかは、わからなかった。

「確認してみて、リストに載っていた方は全員が来ていた様なの。ですから、それは……一体どなたに」

 リリーは見終わった最後の封筒を見終わった山積みの上に更にかさねる。その山が崩れそうになるので、エドは縛られていた紐でもう一度、かるくその封筒たちを束ねる。

「差出人に心辺りはありますか?」

 リリーの質問に、ウォールナットは全く心あたりはないと答える。

「追加の人があると旦那様から命はうけておりませんでしたので」

「ウォールナットさん以外の人が招待状に触れることは?」

「許可なく触れられるものではありません。厳重に、公爵様の執務室で管理されている書類ですので」

「ならば、公爵様が個人的に出された可能性になる訳だけれど」

「そうですねぇ………………」

 ウォールナットは困った様に首を傾げる。

 先ほどの公爵の様子から、聞いて素直に答えてくれる人ではないだろうと言うことはエドも理解していた。

 最後にフランジス伯爵が倒れていたという部屋に案内してもらった。

 小部屋と言っても、それなりの広さはあるちょっとした応接室と言っても過言ではない。

「お部屋に入った時、フランジス伯爵はこちらに倒れていらっしゃいました」

 ウォールナットはそう言って場所を指し示すが、もうそこには血痕も何もかも綺麗になっていて、伯爵の痕跡を示すモノはなにも残されていない。

「発見した時、伯爵はなにか言っていらっしゃいましたか?」

「いえ――フランジス伯爵夫人の大きな悲鳴を聞いて、この部屋に駆けつけたのですが、その時はもう既に」

「騎士団では伯爵夫人が犯人の可能性が高いと、様々取り沙汰されていますが、客観的にどう思われます?」

 リリーの言葉にウォールナットは視線を彷徨わせる。

「個人的な、意見として。あくまでもその様にご理解いただきたいのですが――そうですね。フランジス伯爵夫人については、ご結婚前から、旦那様と……その色々お付き合いがありましたので、存じておりました。私が思うに虫一匹殺すことも出来ない様な方です。ですから、そんな方が殺人を犯したと言われても……驚きと信じられないと言った気持ちが素直に一番感じたことです。だからと言って、犯人が誰かと言うことまではわかりませんが」

 ウォールナットは言葉を選びながらをゆっくりとそう言った。エドはずっと彼の動向を凝視していたが、嘘は無いように思われた。

「公爵様は先ほどの話で、伯爵は自殺した可能性もあると話されていましたが、その可能性はあると思われますか?」

「私程度の者では、公爵様のお考えの足元にも及びませんので。旦那様がなにを根拠にああいった言い方をされたかは、計りかねます。ただ、伯爵様は背中にそちらの飾り棚の中に飾ってありましたサーベルを突き立てられ、うつ伏せに倒れていました。ですから、自殺でご自身で刺したとなると、どうやってと言う疑問が生まれるのでありまして」

 リリーとエドはウォールナットが指示した、飾り棚に向かう。そこにはまだ、サーベルや短刀がカラスショーケースの中に飾られている。その中で、サーベルの台座だけになっているものがあったので、そこに置いてあったサーベルを使用したのだろう。そう思うと生々しさを感じた。

「この棚には鍵がかけられていたのですか?」

「いえ、この棚に鍵はありません」

 ウォールナットはそう言って、ガラス棚を開けたりしめたりを繰り返して見せる。

「不用心に思われるかもしれませんが、当屋敷自体がそれほど他人の出入が出来ない様になっておりますため、当主の執務室以外の部屋についてはそれほど厳重に管理はされていないのです」

 まあ、この大きさの屋敷だ。一部屋一部屋厳重にとなると、それだけ人員も労力も必要とするだろう。公爵は限られた者だけを近くにおくタイプの人間だったようなので、一部屋一部屋よりも屋敷全体として管理をしたほうが効率的だと考えたのかもしれない。

「まさか公爵様の屋敷で無体を働こうという人間がいるとは普通は考えませんものね」

 リリーはガラス棚をまじまじと見た後、部屋をくるりと見回す。

「その当時、窓は空いていましたか?」

「いえ、施錠されていました。入り口のドアには鍵はかかっていなかった様です」


 それ以上は聞けることもないと判断したエドとリリーは礼を述べて、公爵家を出ると待たせていたアリが待つ、馬車に乗り込む。

 次の行先は、フランジス伯爵家。リリー達が伺うことは、アスセーナス夫人から先方に連絡をしてもらっている。

 フランジス伯爵の屋敷は、王都の外れにある大きな白亜の宮殿。

 伯爵の功績がみとめられ、国王陛下から直々に送られたものらしい。伯爵がこの国にもたらした功績の偉大さを感じずにはいられない。

 どんなに秘められた莫大な能力があったとしても、エド自身が生涯をかけてこの様な白亜の宮殿を国王陛下から賜ることは一生無いだろうと思う。つまり、どんなに能力があっても頂きの上にいるのはほんの一部の人間のみ。そのひと握りにフランジス伯爵が含まれていた。それだけのこと。

 玄関の前に馬車をつけると、こちらも執事や使用人たちがわらわらと出迎えに来てくれる。

「遠いところ、わざわざお越しいただきまして」

 執事の男は疲れた表情を見せながらも、リリーに対して最大限の礼節を持ってそう挨拶を述べた。

「リリー・アスセーナスです」

 リリーは控え目にそう言って、馬車を降り、屋敷の中に吸い込まれる様に入って行く。今回もアリは、馬車の中で待つためエドがリリーの後に続いた。

 案内されたのは応接室。

 白壁に品の良い調度品が並ぶ。フランジス伯爵夫人――ロザリンドのセンスだろうか。好感がもてるとエドは素直にそう思った。主が不在の屋敷であるが、掃除を絶やすことなく、また花瓶の花も、今摘み取って来たかの様な生き生きとした植物が飾られている。執事が、紅茶を持ってくるというのをリリーはやんわりと拒み、

「急いでおりますので……いくつかお尋ねだけさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 執事は居住まいを正し、すっと背筋を伸ばす。

「まず伯爵様について伺いたいのですが、伯爵が亡くなったのは、ハスキンス公爵の屋敷。当時、公爵様の屋敷では夜会が開かれていたということで、フランジス伯爵には招待状が一通届いていた。これは事実で間違いありませんか?」

 執事はこくりと頷く。

「ハスキンス公爵主催の夜会は、奥様宛に届きました。ご夫婦ですので、一つの招待状でお二人で入り口を通れば、参加することは出来ましたでしょうが、奥様はお一人で夜会に参加されました」

「では、フランジス伯爵はこちらの屋敷にいらっしゃったのですか?」

 リリーの鋭い質問に執事は表情を暗くする。

「奥様が夜会に出かけられ、間もなくして早馬が当家に参りまして、旦那様宛に手紙を持ってこられたのです」

「どんな方が?」

「その部分については騎士団にも聞かれまして……ただ、なにせ夜分だったこともあり、相手も急いでいたようで、会話もほとんどかわすことなく、手紙だけを受け取ったという次第なのです」

「手紙の中は見られましたか?」

「いえ。すぐに自室にいられた伯爵様へ届けました。封を解いた時に、中から招待状とメモ紙が出てくるのを見ました。ちらりと見えただけで、しっかりとは見ていませんので、間違いないかと聞かれると…………しかし、旦那様はそれを見るや否や、血相を変えてすぐに出かけられて」

 エドはここで、見知らぬ人からの手紙を確認せず、すぐに伯爵へ届けた執事の行動に疑問を持った。もし、エドが反対の立場なら、主人であるリリーに手紙を届けただろうかと。そう考えて、もしかしたら、伯爵より自身に届く手紙はどういった類のものでも持ってくるように命を受けていた可能性もあるかもしれないと考えに至る。

「伯爵が見られたと思われるメモ紙はありますか?」

 執事は引き出しから、一通の用紙を取り出し、リリーへ手渡す。

「どうぞ。騎士団には既にこの事実は伝えています」

 その言葉に頷き、その手紙に視線を落とす。


《妻が他の男と逢引をしている可能性がある》


 筆跡はあえてわからないように乱雑に書かれていた。

「そう言った質の悪い悪戯はたまにあるんです」

 執事は弁解めいた口調でそう言う。夫人のロザリンドは美しい女性だ。もしかしたら、そういった人物からのやっかみなども含めて、以前にもそう言った手紙があったのかもしれない。

「招待状は、ハスキンス公爵家で開催されていた夜会のものだったのでしょうか?」

「先ほども言った通り、私もはっきりとは見ていないので――――ですが、馬車の御者からの話ではハスキンス公爵の屋敷にそのまま向かったと言っているので、恐らくそうだったのだと」

「なるほど」

 リリーは用紙を執事に返却しながらも、頭は色々と働いているようで、唸り声をあげている。

「ハスキンス公爵の屋敷で、確認したあの差し出し人のない招待状は、フランジス伯爵に宛てられたもので間違いなさそうですね」

 エドは控え目にリリーにそう自身の意見を述べる。

「そうね。ええ、恐らく。でもそうなると一体誰があの手紙と一緒に招待状を? と言う疑問が生まれるの」

 リリーの言葉にエドも同意するように深く頷く。ハスキンス公爵の執事であるウォールナットは招待状は公爵の執務室で厳重に管理されていたというので、勝手に第三者が持ち出すことは難しい。じゃあ、逆に自身に届いた招待状を伯爵宛に流用したのかと、考えが浮かぶが、リストと照らし合わせて、招待状を出した全ての来賓が訪れていることを確認している。ハスキンス公爵はアンバー王国でも上位に連なる家柄の貴族だ。その家から招待状が届いて、参加しないと言う選択肢を選ぶ人はほとんどいないだろうと思う。

 リリーはそれ以上考えても答えが出ないと思ったのだろう。腕を解くと、執事に質問を投げかける。

「話をが変わるけれど、奥様のロザリンド様は貴方の目からみて、どんな方ですか?」

「執事である私が奥様について語るのはおこがましいとは存じますが」

「ロザリンド様を助けるのに必要な事だと」

「わかりました」

 執事は咳払いをして、ゆっくりと口を開く。

「年齢の割には大人びた、しっかりとした考えを持っていらっしゃる方だと、思っておりました。きちんと、自分の置かれた御立場を常に理解してわきまえていらっしゃる。ですから……様々奥様と旦那様をめぐっては噂も多くありました。貴族様の結婚について年齢差はわりとあるものだと、私としては理解しているのですが、なにせ奥様はもともと社交界にデビューした当時からその際立った容姿で人目を惹くお方でした。ですから、火のない所に煙は立たぬと噂が多々ありまして…………私自身も、結婚した当初はそういった事情に振り回されることもこの先あるのかもしれないと思いながらも、旦那様がお決めになった事に対して絶対的な信頼を置いていますので特に何も言いませんでした。それに、ほとんど仕事しかしていなかった旦那様がようやく念願叶ってのご結婚。嬉しさ半分。これから先の不安が半分。しかし、どんな方と結婚されようとも不安はつきものであると。そう腹をくくり奥様を迎え入れました……奥様をお屋敷にお迎え入れ、まず一番の印象は噂とは全く異なり、もちろんお美しいのは噂通りですが、浮ついた様子もなく、しっかりとした考えをお持ちの賢い方だと言うことです。不貞についても素敵な殿方があれば、ほんの一瞬、心揺れることはあるかもしれません。それは私自身も皆さんも一緒と思います。でも、それはそれです。家に帰って、現実を見れば、泡沫の幻想なのだと、しっかりと分別をつけることが出来る方だと私はそう奥様を理解しておりましたので」

 執事の話にエドは頷く。

「ですが、騎士団の方ではそうは思われなかったということですね」

 リリーの言葉にしょんぼりとした様子で執事は頷く。

「はい。仰る通りです。騎士団の方では、先ほどお見せした用紙に書かれていることを鵜呑みにして、奥様が実際に逢引をしていた現場に旦那様が遭遇し、口論がエスカレートしこの様なことになったのではないかと」

 まあ、この状況を第三者がみてそう考えるのもやぶさかではない。

「奥様は無罪だと?」

「もちろん。それに、じゃあ、逢引をしていた相手は誰なのかと問い詰めても、はっきりとした名前は出て来ません。そりゃあそうです。そんな人物はいないのですから――私を含めて、この屋敷の使用人は皆、奥様の味方でございます。もちろん、旦那様がお亡くなりになったことはとてもとても、……言葉では言い表せない程、悲しく思っています。しかし、奥様はなにかよくないことに巻き込まれただけで、他に犯人があると」

 執事は真直ぐな瞳で、リリーを見てそう訴えている。ロザリンド夫人がこの屋敷で使用人から厚い信頼を置かれていることのあらわれであろう。

「わかりました。あと、ロザリンド様はハスキンス公爵とは交友がもともとおありだったのをご存知でしたか?」

「奥様がこのお屋敷に来る、結婚以前のことは詳しく存知あげませんが、この屋敷に来られてからも、ハスキンス公爵からの招待状はよく届いておりまして、奥様は昔から細々と気にかけて下さるのだと、ハスキンス公爵について仰られておりました」

「伯爵様はハスキンス公爵とは?」

「いえ、旦那様は……まあ、奥様と一緒にハスキンス公爵の主催する夜会や内輪のガーデンパーティーなどに参加されたことはありましたから、顔見知りではあると思いますが」

 リリーは頷きながら、少し考えこんでいる様子だ。代わりにエドが執事に対して口を開く。

「今、伯爵夫人は騎士団に勾留されていると伺いました。差し入れなどは伯爵家から?」

「ええ。持って行ったものは全てチェックされますが、奥様が体調を崩されない様に、許されるお召し物と食事を毎日」

「直接伯爵夫人に会ってお話をと思っております。もし、お届けものがあるならば代わりに持って行きたいと思うのですが」

「かしこまりました。すぐに準備致します」

 執事はさっと部屋を出て行った。その様子をエドは横目で見送り、リリーを見たが、彼女はまだ何かを考えこんでいる様子であった。

 執事から受け取ったバスケットを持って、伯爵家を出ると馬車に乗ったその足でフランジス夫人が拘留さている騎士団へ向かう。

 ようやくアリがまとめた情報について報告を始めた。

「ロザリンド・フランジス夫人についてのよくない噂と言うのはありませんでした」

「誰か、不貞が疑われる様な方はいなかったの?」

 リリーはアリを見る。

「ご指示の通りよく調べてみましたのですが、該当はありません。もちろん顔見知り殿方は幾人もいるようで、会えば挨拶をかわすとか、会話をされるとか。その程度でして」

「それなら誰にでもいるわ」

 リリーため息交じりでそう言った。

「では、フランジス伯爵はありもしない不貞の疑いを常に夫人に持っていたと言うことなのでしょうかね」

 エドはどういしようもないなと思いながら。

「事実を集めるとそう言うことになるのでしょうね。ロザリンド・フランジス夫人が、誰もが口をそろえて稀代の悪女だと証言するような女性なら、フランジス伯爵の心労も理解はできるのですが、実際の彼女は噂の真逆です」

 アリはきっぱりと自身の集めた情報に対してそう断言する。

「夫婦の仲は悪かったのかしら?」

「うーん。どちらとも言えないですね。実は、お嬢様方が伯爵家の屋敷の中で話をしている時に、私こっそりと馬車を抜け出して、伯爵家の他の使用人に話を聞いてみたのです。そうしますと、ご夫婦仲を一方的に、悪化させていたのは伯爵様の方で、奥様の一挙一動に不貞を疑う始末。夫人はそんな事実は一切ないと、伯爵様に対して、誠心誠意、真心を持ってつねに接していらっしゃったと」

「そんな話を聞くと、なぜフランジス伯爵夫人が拘留されているのかその理由がわからなくなってくるな」

 話を聞いた上でのエドの率直な感想でもあった。

「ロザリンド・フランジス夫人は美しい方だと。ここについても皆さん、口をそろえて仰っていましたから」

「割と見た目で判断する人もいるのよ」

 アリの言葉を肯定し、リリーはそう言う。



 騎士団に到着し、ロザリンド・フランジス伯爵夫人の面会を求めたところ、思った以上にすんなりと、通してくれた。フランジス伯爵家からの届け物があると預かったバスケットを見せたことに効果があったのかもしれない。

 一介の騎士に案内されつれてこられたのは、牢屋と言うよりも質素な部屋である。

 厳重にいくつもかけられた鍵を外し、扉を開けた先には必要な家具だけが置かれた小さな一部屋。木製の椅子にちょこんと腰かけていた一人の女性がこちらを向く。

 疲労の色が滲むものの、確かに顔立ちの美しい、華のある女性であった。

「貴女は?」

 ロザリンドは警戒するように立ち上がり、体をひるませる。

「初めまして。リリー・アスセーナスと申します。フランジス伯爵家からお届け物を」

 リリーの言葉、エドは進み出て持っていたバスケットをロザリンドに手渡す。

「あ、ありがとうございます」

 困惑しながらも、礼の言葉を述べ、受け取ったバスケットの中身を開く。

 エドも中に何が入っているのかはわからなかったが、水筒とクッキー、あたたかなショールと簡易的な着替え。今、ロザリンドが着ている質素な黒のワンピースと同じものである。

「着替えていただきましたら、バスケットをもう一度伯爵家にお届けしますので。エド」

 流石に使用人とは言え、異性に見られるのは憚られる。エドは目隠しされ、アリが進み出ると、ロザリンドの着替え等を手伝う。

 拘留所ではお湯などない。

 伯爵家で用意した温かいお湯――時間が経って、少しぬるくなっているものを使って顔を洗い、体をタオルで拭う。着替えをし、アリが髪の毛を梳き、簡単にひとまとめにする。

 疲れている様子はぬぐえないが、食事はとっているのだろう。多分、伯爵の使用人たちがせっせせっせと、ここに通って出来る限りのお世話をしている。その努力の賜物であるとエドは思う。本当に伯爵家からの信頼が篤いのだと彼女の様子を見て改めて感じさせられる。

「ありがとうございます――あの、貴女がもしかして、アスセーナスの末娘さんですか?」

 さっぱりとした表情で戻って来た、ロザリンドはリリーにそうたずねる。エドは既に目隠しを取っており、ロザリンドの軽食や紅茶の用意を進めていた。

「はい」

「あ、やっぱりそうだと思いましたの」

 なぜかその時、ロザリンドは瞳を輝かせ、きらきらとした視線をリリーに向ける。

「お姉さんのリザさんにも、時折夜会などで会った時に親しくさせていただいています。もちろん、アスセーナス夫人にも。ですから、そのせいかリリーさんとも、初めてお会いした気がいたしません」

 そういって、美しい笑みを浮かべる。その表情に邪な感情は一切感じられない。リリーはほとんど社交を絶っているため、自分が外でどんな噂がなされているのか知る由もないが、ロザリンドからは非常に好意的に思われている様だ。

 アリはそんな噂についても多少は耳に入れている様だが、エドは特別聞きたいを思ったことはない。

 貴族ではまだ、女性は結婚するのが一般的だという、風習がまだまだ根強く残って言るので、リリー自身が他でどういわれているのか知ってもただフラストレーションがたまるだけだろうといつも言うので。

 目の前のロザリンドがリリーに送る視線から感じられるのは純粋な好奇心のみなので大丈夫だろうとは思うが、エドとしてはそれ以上話題は広げずに、本題に切り込めばいいのにと思うばかり。

「お会い出来て大変光栄です。お噂はかねがね。いつかもし、機会があったならネイルサロンにうかがってもよろしいでしょうか?」

「それはもちろんです」

 ロザリンドはアスセーナス夫人がいつも美しい手元をしているので、話題に上るのだと話を続ける。広告塔として意外といい仕事をしてる様だ。

「お姉様のリザ様も今度行きたいと、この前話していらっしゃいましたよ」

 そう言えば、リリーの姉のリザが来た事がなかったと思い出す。彼女が嫁いだ伯爵家はアンバー王国内であるが、王都からは少し離れた場所に住んでいるのだ。

「それは初耳でした。今度お姉様にお手紙を出してみます」

「ええ、きっと喜ばれますよ」

「私の母、とも仲がよろしいのですか?」

「いつもアスセーナス夫人にはよくしていただいています。……亡くなってしまいましたが、夫とは年齢的にも離れていることもあって、二人の間には色々とわだかまりがあり私なりに悩むこともありました。そんな時に夫人は嫌な顔一つせず、ご親切に話を聞いてくださって」

 アスセーナス夫人にもそんな一面があったのかと、表情には出さなかったがエドは内心驚いていた。

「母から、貴女の無罪を晴らして欲しいと。力になれることがあればと思って、参りました。少し、お話を伺えませんか?」

 ロザリンドから先程まで見せていた朗らかな表情がすっと消える。

「なんでも聞いて下さい」

 真摯な表情でリリーを見る彼女を見てエド自身、本当にロザリンドが自身の夫を殺害したのだろうか。そんな疑問がふつふつと湧き上がる。

「では、まずハスキンス公爵の夜会に参加した経緯を。もともとはロザリンド様だけ、お一人でご参加されるご予定だったのですね?」

 ロザリンドはこくり、頷く。

「それは間違いありません。実は――その夜会に来ていた、一人の貴族令嬢が私の友人で、来月隣国へ嫁ぐことが決まっている方なのです。行ってしまえば、気軽に会うことは難しくなります。ですから、アンバー王国で気兼ねなく会うのはこれが最後になるだろうからと。前々から夫にもそのことを伝えていて」

 ロザリンドからその貴族令嬢の名前を聞き、エドとリリーは顔を見合わせ頷く。ハスキンス公爵で見せてもらったリストで見た名前だった。

 それについてアリも、「ラグドギア王国の公爵家に嫁がれるという」そう言葉を付け足した。

「そうです。お友達はラグドギア王国のゲルナー家に嫁ぐの。先日、侯爵様が魔獣の襲来によって命を落とされ、急遽ご子息が家を継ぐ運びに。彼には婚約者がいなかったものですから、急遽私の友人が。夜会にも彼女に会うことが目的でしたので、ほとんど彼女と一緒にいました。それで少しだけ、お手洗いに立ち上がるとボーイが近づいて来て。私にメッセージを持って来たのです」

「そのメッセージカードは?」

「消える様に無くなってしまったのです。部屋に入って、夫が血まみれで倒れていた様子に私も気が動転してしまったので、その時カードがどうなったかなんて、記憶になくって。私が、夫の殺害されたあの部屋に行ったのはそのメッセージカードをもらったからなのですが、そのメッセージカードが無い今、騎士団の方々はそんなのは作り話だと仰られて――ともかく、騎士団の方々は、私と誰かが逢引をするためにあの部屋に向かったけれど、実際に居たのは私の夫で、そこからいざこざが起きて今回の結果になったのだろうと結論をつけられて」

 ロザリンドは大きなため息を吐き、疲れた表情を見せる。

「単刀直入に伺いますが、フランジス伯爵の殺害には全く関わっていらっしゃらないですね?」

 リリーの言葉に、ロザリンドは弾ける様に顔を上げた。

「もちろんです。誓って――確かに夫との関係で悩む部分もありました。ですが、多分ご存知だと思いますが、私が急いで結婚を決めたのは、実家の金銭的な問題が大きくありました。その部分で考えますと、夫には本当に助けられているのです。今でも大変な時は何も言わずに援助をしてくださいます。そのおかげで、我が家もそして我が家が管理する領地の方々も含めどれだけ助けられているか。その恩義は計り知れません。ですから、そんな方にひどい事などできる訳がないのです」

 エドはロザリンドのその話に非常に納得がいった。その話を聞くと本当に彼女は夫を殺害したのだろうか。そもそも動機自体が見当たらないそんな結論に至る。

「よくわかりました。ですがそうなると、夜会で手紙を差し出してきた人物についてですが……なにか心辺りはありませんか? 例えば、すごく懐かしい人物を見掛けたとか、特別貴女に用事がありそうな方が夜会に出席されていたとか」

 リリーの言葉にふるふるとロザリンドは首を横に振る。

「先ほども申し上げた様に、そもそも夜会に出席しましたのは友人に会うためでありましたし、確かに来賓の方に挨拶をかわしましたが特に……」

 リリーは頷きながら一寸考え込む。エドは扉の後ろの方を気にした。ここに来て大分時間が経っている。騎士団としてはそろそろエド達に帰ってもらいたい頃だろうと。案の定、見張りの騎士がこちらを何度か見ている。リリーようやくふっと顔を上げた。

「最後に伺いたいのですが、ハスキンス公爵とはお付き合いが長いのですか?」

「ええ。私が社交界にデビューした頃から何かと目をかけていただいております」

「もともと、ご縁のある方なのですか?」

 ロザリンドはふっと表情を曇らせる。

「それが全く。なので、気遣っていただけるのはとてもありがたいのですが、時折それを疑問に思うときも実はあるのです」


 屋敷に帰る途中の馬車の中、リリーはアリに調査結果の報告を求める。

 ハスキンス公爵の夜会に派遣業務で訪れていた、リット派遣のボイスについて調べさせてたのだ。

「ボイスは市井の出身です。兄弟に病気がちなものがいて、その家族の病院費用や生活費を稼ぐために早くから仕事に従事」

「ずっと、リット派遣に?」

「ええ。その様です。彼は、見目も良いですし、仕事の飲み込みも早いそうで――それに貴族相手の仕事の方が、少ない勤務時間で効率的に稼ぐことが出来ますから」

「まあ、確かに」

 エドはアリの説明にそう相槌を打った。

「ある意味……お金のためであれば。と言う一面もボイスにはあったのかしら」

「その可能性は多いにありますね。貴族の使用人の派遣は、基本的に大きな夜会などのパーティーがなければ仕事はありません。でも毎日毎日その仕事があるかと言われると、そうではありませんからね。仕事がない時には割のいい仕事を探していたみたいですし」

「なるほどね」

「それから、これが調査結果の」

 リリーはアリが差し出した用紙を受け取り、頷きならその用紙を凝視していた。

「そう言えば、ハスキンス公爵についても調べていたんだっけ?」

 それ以上ボイスのことについて話を広げられないと思い、話題を変えるべくエドはそう聞いた。リリーからアリに対する命は、ボイスとハスキンス公爵について調べる様にと言うことだった。

「公爵については……とくにこれと言って」

「ロザリンド夫人と伯爵との結婚式には参列されたの?」

 リリーの言葉に、アリは首を振る。

「ハスキンス公爵は王家の血筋を引く、アンバー王国でも指折りの家系で、現在公爵は外交官としても、国を支える重要な役割を担っています」

 エドはアリの言葉に頷く。ハスキンス公爵が赴き、いくつもの重要な条約を海外と結び、アンバー王国に多大な利益をもたらしていることは誰もが知る事実である。

「ロザリンド様が結婚したのは、かなり急なことだったのです。ご実家が不幸なことに様々な要因が重なって経営が傾いてしまい、性急に建て直しを図る必要に迫られました。本来貴族は婚約してからそれなりの期間があって、婚姻にいたるものですが、ロザリンド様の場合は、婚約からほんの数ヶ月で婚姻されております。その間、ハスキンス公爵は隣国を訪問されている時期で、アンバー王国にはおりませんでした。ですから恐らく、アンバー王国に帰国され、ロザリンド様のご結婚を知られたのだと。後、もう一つお嬢様より”ハスキンス公爵は本当に結婚されていないのか”と言う問題ですが、やはりその通りでございました。過去からさかのぼって可能性を一つ一つ調べてみましたが、やはりその事実はありません」

「わかったわ、ありがとう。念のため、ロザリンド様の生家に言って、ご結婚される前にどんな方から婚約の打診があったか確認してきて欲しいの?」

「婚約の打診ですか?」

 アリはわからないという様にそう呟いたが、リリーがよろしくと言ったので、迷いなく頷く。リリーはふっと顔を上げ、エドを見えると

「それから、エドに一つ頼みがあるの」

 エドはそろそろ言われるだろうと思っていたので、何でしょうと答える。

 

 〇

 

 リリーから言われたのは、リット派遣のボイスに会って、リリーから託されたいくつかの質問を聞いて来ること。彼の家の住所と今日は夜八時には仕事が終わり、家に帰って来れることがアリの調査で判明していた。

 お昼の明るい時に彼を待つのは流石に近所の目に触れるので、夜の方が有難い。

 エドは派遣会社で彼の身なりと見た目を見た時に、落ちぶれた貴族の子息ではないかと思っていた。それだけ彼は平民らしからぬ所作と見目を兼ね備えている。

 しかし、彼の家を見てその考えが全く違ったのだということに気が付く。ありふれた小さなその木造の建物。それはどれだけ落ちぶれても貴族が住む様な場所ではなかった。

 家の中には明かりが灯る。

 カーテンはあるが、あまりにも薄い布の様で、中でちらほらと人影が揺らめくのが見える。

 幸い、人通りはほとんどないため。ゆっくりとその家を観察する時間があった。一度、玄関のドアが開いて、出て来たのは小さな少年。恐らく、ボイスの弟。まとめたゴミ達を家の隣にある小さな納屋に運んで行く。その様子から子供も大人も関係なく家族で身を寄せ合って、細々と生活をしているのだろうと思われる。ボイスが割のいい仕事を選んで従事している理由を身を持って知った。

 そうこうしているうちに、通りの向こう側から、歩いて来る一人の男性。色々と買い物をして来たのだろう。ぱんぱんにモノがつまった買い物袋を抱え、途中途中走って来たのだろう、肩で息をしている。

 早く家に帰って、家族の世話をしなければならない。その使命感を持っているのは重々承知であるが、エドも重要な使命を背追ってこちらに来ている。

 小さく息を吐いて、走って来るボイスの道を塞ぐ様に立ちはだかる。彼は一瞬エドを見て、目を合わせない様にすっと視線を避け、よけようとするのを手でふさぐ。

「ちょっと聞きたいことがあるのだが」

 低く小さな声でそう言う。

 ようやくボイスは足を止め、エドを見た。

「なんだっ……て、あんたは今日の」

 エドは、とくに変装もせず、いつものお仕着せ姿でボイスの前に立っている。辺りは暗いが、よく見ればすぐにわかるのだ。

「ご主人から、いくつか質問を預かっている。時間は取らせない。報酬にこれを」

 そう言ってポケットから金貨を取り出す。彼にとっては喉から手がでる代物だ。案の定、眉間に皺を寄せていた彼も、表情を和らげこくりと頷いた。

「先ほども伺いましたが、本当に預かった手紙を伯爵夫人に渡したことはおぼえていらっしゃらないのですね?」

「ええ、と言いますか、渡してはいます。ですが、多く手紙を託されますので、誰が誰にと言う細かいところまでは記憶が定かではありません。俺は貴族でもなんでもありませんから、家名も顔も名前もそう簡単には一致しませんので」

「それは、さる高貴な方にそう答える様に仕向けられたのですね?」

 エドの言葉に一瞬言葉をつまらせるも、

「なぜ、そんなことをする必要が……馬鹿馬鹿しい」

 ボイスの言葉を相手にせず、ただ一枚の書面を彼に向かって見せる。

「失礼ですが、貴方の銀行口座を調べさせていただきました。とある高貴な方から直接多額のお金が振り込まれています。まあ、すぐに引き出されていますが――ご家族に病状がよくなく、大きな手術を必要とされている方があるという話も聞いています。それから――」

 言葉を進めるうちに、ボイスは顔色を変え、突然エドの言葉を遮る。

「それ以上は――家の前だ。やめてほしい。それより一体、何が望みだ? このまま騎士団へ直行か? しかし、俺は伯爵の殺人には関わっていない。まさかそんなことが起こるなんて、知らなかった」

 ボイスの正体は、汚れ仕事も請け負うなんでも屋で闇市ではちょっと名の知れた男だった。もちろん、本名を隠しているので、そう簡単にはわからない様にしているが、アリの手にかかればお手の物。

「騎士団に突き出しはしない。ただ、ここに貴方が行ったであろうことを書いていある」

 エドはもう一枚書面を取り出した。

 そこには、依頼をした高貴な人物の名前と【依頼を受けて、会場にいる伯爵夫人に手紙を届け、どさくさに紛れてその手紙を回収する。そのような指示を受け、実行した】と書かれている。

「この書面の事実に間違いがなければサインを」

 ボイスは何も言わずにエドが持つペンをとる。

「仕事が終われば、さっさと姿を消せばよかったのにどうしてそうしなかったのだと思っているのでしょうね」

 ボイスはサインしながらそう呟く。エドは何も答えなかった。彼の家を見れば、その理由なんて聞かなくてもわかる。

「まあ、色々そうは出来ない事情があった。それに今回のことがこれほど大事になるとは思いもしなかった。俺に疑いの目が向けれられな方のは幸いだとそう思って知らんぷりを通したが――まあアンタ等は俺を悪い様にはしないだろうから。これでいいか?」

 エドは内容を確認し、ジャケットの内ポケットへ書類をしまう。ボイスは金貨を受け取ると小走りに家の中へ入って行った。



 翌日、リリーの元に母親であるアスセーナス夫人から、事件の進展について報告するような書面が届いた。

「まだ二日しか経っていないのに」

 アリから渡されたその手紙を持ってため息を吐く。正確には一昨日の夜に夫人から依頼されたものなので、一日半ぐらいしか経っていない。

 リリーは今ちょうどキッチンで朝食を取っており、ソーセージを突き刺す手を止めてどうしたものかと考えている。本来であれば、子爵令嬢がキッチンで食事を取るなど考えられない話だが、”お母様の目もないのだから自由にさせて。それに大きな広間で一人で食事を取るのはなんだがいたたまれないのよ”と、言ってこの家に越して来た当初から、食事は全てキッチンでとっている。来客がある場合はその限りではないが。そんな、リリーの様子は見慣れたものだが、時折本当に貴族のご令嬢なのだろうか。もしかして、中身は全く別人なのではないだろうか、なんて不毛な考えが浮かんでみたり。

 そんなことよりも、今はまずは朝食をとってもらうのが先決だと考え、エドはすっとリリーの手から手紙を抜き去った。

「それでも、大分情報は集まったと思います」

 エドはそう言って昨日、ボイスに会って話をした内容と、そこで得た本人の署名入りの書状を見せる。

「食べる手は止めないでくださいね」

 アリはそう言って、焼き立てのスクランブルエッグを、リリーの皿の上にのせる。

「わかっているわ。今日も朝から予定がてんこ盛りだもの。せっかくの私の休みなのに――でも、二人が働いてくれたおかげで、なんとか目処がついたわ」

 リリーはそう言って、あつあつのスクランブルエッグをはふはふしながら口の中に放り込む。

「こんな事を言ってはなんですが、そんなに難しい事件ではなかったと思うのですけれど、……どうして騎士団の方では解決が難しかったのでしょうか」

 アリは洗い物をしながら、そう言った。

「さあ」

 エドは興味などないといわんばかりに肩をすくめ、テーブルに切っておかれた、パンをひとかけら口に運ぶ。

「色々と、四方八方から圧力やらなんやらがかかるのよ。だから、その対応に人をさかれて、実際の捜査にはあまり人をかけられないのだと思う」

 リリーはぽつりそう呟く。

「圧力? ああ、お貴族様の?」

 アリは水道の蛇口を止め、こちらを向く。

「そうお貴族様」

 リリーはそう繰り返すのだが、自身もそのお貴族様じゃないかと喉まで言葉が出かかって、飲み込んだ。

「アリは情報収集していたからわかるでしょう? 我が家、アスセーナス夫人やハスキンス公爵が恐らく、何度も騎士団に掛け合って、早く事件を解決しろとか、犯人を捕まえろとか。色々やっているのでしょう?」

「ええ。まあ」

 アリはそう言って、興味がそれたように、洗い終わった食器や調理器具をふきんで拭き始める。

「で、今日は騎士団に乗り込むのだっけ?」

 エドの揶揄する言い方に、リリーが、むっと顔を上げる。

「乗り込む。じゃなくて、おもむくの」

「はい、はい。じゃあ、早くしないと」

 エドはリリーの外出用意を進めるために、キッチンを出た。

 

 〇


「王宮に来るなんていつぶりかしら」

 リリーは馬車に揺られながら、目の前に現れる荘厳な城に向かってそう言葉を吐く。

 昨日向かった、ロザリンドが拘留されてた建物は、王宮から少し離れた場所ある拘置所だった。

 王宮にももちろん拘置所はあるのだが、歴史が古く、非常にかび臭い。エドもちらりと目にしたことはあるが、人が生活出来る様な空間ではなかったと記憶している。ただ、王宮の方が警護は厳重であるので、重罪犯などは、そのかび臭い牢屋に入れらることが多い。ロザリンドが収容されている建物は比較的新しく、設備がきっちりとなされているため、貴族や軽犯罪、もしくは一時保護の目的で仕様されることが多い。

 エントランスには、門番がおり、一人一人の来客に対して、行先とその目的について確認し書き留めている。

 エド達が乗る馬車もそこで停められ、行先を聞かれたが、貴族が止められることはまずない。もちろん、陛下に約束も取り付けてないのに会いたいということであれば、止められることもあるとは聞くけれど。

 馬車を停められ、門番から声をかけられリリーは、

「リリー・アスセーナス。騎士団に」

 そう答えただけで、門番は厳しかった顔を緩める。

「騎士団は向こうの建物です。あちらで、馬車を降りて中にお入りください」

 言葉遣いさえ、貴族用に大変丁寧に早変わり。

 リリーは会釈して、馬車の天上をつっつき、御者へ合図を送ると馬車はゆっくりと動き、門番が示した建物の方へ向かう。馬車の車内には、エドとリリーの二人。アリには、留守番を頼んでいる。彼女は基本、情報収集の際に変装をして出かけることがほとんど。それは、リリーの護衛の任となると、エドの方が適任である。スキルから考えても。

 馬車がゆっくりと停車すると、エドはするりと馬車を降りて、リリーに手を差し伸べた。

 リリーはエドの手をとってゆるゆると馬車を降りるが、その表情は硬い。なぜかというと、王宮に来るようにいつもよりもきっちりとしたドレスを身にまとっているからだ。彼女はコルセット付きのドレスを着るのを非常に煙たがる。普通の貴族令嬢はそれも逆じゃないのかとエドは思ったりするのだけど。

 御者は、向こうで待っててもらうように伝える。

 建物の中に入ると、騎士服の隊員や文官がひっきりなしに通り過ぎる。皆、引き締まった表情で、なにやら忙しそうだ。

「窓口はどこかしら」

 リリーがきょろきょろと周囲を見ながら歩いていると向こうから、はっとこちらを見て駆け寄ってくる女性が一人。

「リリーさん?」

「あ、サラさん」

 彼女――サラ・ブラインはリリーネイルの常連客の一人だ。第八王女の家庭教師として王宮に勤務しているのは知っていたが、まさか騎士団の建物で会うとは思ってもみなかった。

「やっぱり。そうかなと思ったのです」

「お久ぶりです。サラさんはお仕事でこちらに?」

「ええ。シャーリー様のアンバー王国での最後の夜会が決まって。その警備の打ち合わせに」

「もう、シャーリー様がこの国にいらっしゃるのもあとわずかなのですね」

 シャーリー第八王女は、エブラタル地区のいざこざに巻き込まれた誘拐事件などもあったが、無事に戻って来たこともあり秘密裏に事件は処理され、無事に隣国への婚姻の日取りが決まった様だ。

「そうですね。色々とリリーさんには本当にお世話になって……それより、なにかあったのですか?」

「ちょっと、用事で来たのですが、迷ってしまって。受付はどちらか教えていただいても?」

「もちろんです。ご案内します」

 サラがくるりと方向を変え歩き出したので、エドとリリーもそれに続く。リリーがネイルサロンをやっている関係で、エドはどうも他者の爪に目がいくクセが付いた。サラの爪は少し伸びてはきているものの、まだ綺麗に保たれている。ネイルサロンで販売しているネイルオイルをきちんと塗布しているのだろう。半月ぐらいで、彼女もまたネイルサロンに来るだろうかと考えながら、歩みを進める。

「デュラン隊長」

 サラは向こうから歩いて来る、一際オーラを放つ一人の男性を呼び止める。”隊長”と敬称するのだから、そうなのだろうと思う。精悍な顔立ちに、鍛え抜かれた身体。エド自身も有したスキルを利用すれば、どんな相手にも力を示せる自信はあるが出来れば、目の前の相手とは一戦交えたくない。出来ることならばと願う。

 デュラン隊長はサラに目を向けると、わかりやすく雰囲気を和らげた。

「ブライン殿、お元気そうでなにより。それよりも」

 朗らかな声だが、エドとリリーを見て、不思議そうな表情を見せる。

「こちらは、リリー・アスセーナス様」

 サラの紹介に、リリーは綺麗に淑女の礼を取る。

「君が、アスセーナス家のご令嬢か。お噂はかねがね」

 リリーは何と言って返していいのかわからないのだろう。笑顔を湛えたまま、小首をかしげる。どんな噂が流れているのだろうかと、エドは思ったが、警戒心は溶け自然と体に入っていた力はぬける。そんな内心は口にも表情にも出さずにやり取りを見守る。

「フランジス伯爵の件で」

 リリーが固い声でそう言うと、デュラン隊長はすっと表情を変える。

「私はこれで」

 空気を察知し、サラは自身の仕事に戻るとそのまま離れて行くので、エドは深々とサラに礼をする。

「こちらへ」

 デュラン隊長の誘導で案内された、応接室。

「では話を聞こうか」

 その表情は近衛騎士隊長として威厳に満ちている。

 

 〇

 

 その日の夜。

 リリーは昨日からの度重なる外出で、疲れていた。キッチンで夕食を取り、

「エドも今日は早めに休むといいわ。後はアリに任せて。アリは指示の通りに」

「かしこまりました」

 アリは、リリーと共にキッチンを出て、寝室へ向かう。

 エドも、リリーの指示通り自室に向かった。

 部屋にはベッドと一人がけのソファー、デスクと、チェスト。見慣れた部屋は必要最低限のものだけが置かれている。

『もっと、好きなモノを置いたらいいのに』

 いつかリリーがエドの部屋を見た時に言った言葉だ。

 お金が足りないのか。リリー自身が何か買ってもいいのだと言うが、丁重に断った。そもそも部屋を飾りつけることに興味がない。

 まず、デスクに向い一通急ぎの手紙を書き、上着のポケットに仕舞いこむ。

 それから、その上着だけを脱いで、ソファーに体をしずめると、天上を見上げた。

 確かにエド自身も疲れている。


 当初は。

 リリーに拾われ、アスセーナス家でリリー付きの使用人として仕事を始めた。このまま、自身の人生が過ぎて行くのだと思ったら、リリーが店を開いて独立すると言い始め、その勢いに巻き込まれ、自身も開業にあたって勉強しネイルサロンのオープンにこぎつけた。

 ここが着地点かと思いきや、今度はネイルサロンの客からもたらされる問題に巻き込まれるようになった。

 なんだかなと、常に変化していくこの環境にため息をつきながらも、次にどうなるかわからない。でもその反面、自分が生きているのだなとなんとなく感じてたり……………………

「………………エド」

 ふっと目を開ける。

 そこで、自分が眠っていたのだと気が付いた。

「時間よ」

 エドは首をまわして、ひとつ息を吐き立ち上がる。

「お嬢は?」

「玄関にいるわ」

 アリはそう言って、グラスを渡してくれた。

「うっ………………酸っぱい」

 何も疑いもなく口をつけた。レモネードなのだが異常に酸っぱい。レモンの分量を間違えていないかと抗議の目をアリに向ける。

「よく眠っていた様だから。その方が目が醒めると思って」

 ふふっと笑っている。

 脱いだ上着をもう一度羽織って、部屋を出た。後ろからアリが付いて来る気がした。

「例の連絡が来たのか?」

「ええ。もうお嬢様には伝えています」

 アリの声はいつもの凛とした声に戻っていた。

「了解」

 しかし、リリーはこうして物事の先読みをして手を打って対処する。この能力に異常に長けているなと感じずにはいられない。

 玄関にはリリーが既にきちんと外出用のワンピースドレスに着替えて待っていた。

「行きましょうか」

 エドはアリに、先ほど自身が書いた手紙を上着のポケットから出し、「至急頼む」と伝える。

 玄関を出ると、アリが既に馬車を手配していた。

 向かったのは、ハスキンス公爵家の屋敷。

「私、一人で向かうわ」

「しかし」

「エドはわからない様について来て」

 つまり、スキルを使ってリリーを護衛しろと言う注文だ。

「かしこまりました」

 リリーは馬車を降りて、公爵家に入って行く。誰もいない。執事も使用人さえも。だから、ドアを自分で開けて入って行くのだ。エドもその後ろから続くが、傍目からみれば、リリー一人だけが屋敷に入っていくように見えるだろう。エドのスキルはそう言う機能も果たしてくれる。

 昨日一度来ているので、場所はわかっている。荘厳な扉の前、リリーはノックをする。扉の向こうから声はないが、そのまま中に入る。

 公爵の執務室だ。中には、ハスキンス公爵が一人デスクに座っている。

 リリーの姿を認めると、立ち上がりこちらに向かってくる。

「夜分に失礼致します。お手紙をいただきましたので参りました」

 淑女の礼を取るリリーに対して、ハスキンス公爵はわなわなと体を震わせ、ついには怒鳴りだした。

「お前のせいだ。全てお前のせいだ。なにもかもが上手く行っていたんだ………………お前が、あんな風にしゃしゃり出てこなければ」

 リリーは真直ぐな瞳で何も言わずに伯爵を見ている。

「私が彼女を助け出すはずだったんだ。そうすれば、彼女は私に対して命以上の恩を感じるだろう? そうすれば念願の夢が叶う、そう、そのはずだったのに」

「では、フランジス伯爵を殺したのは公爵ご自身であるとお認めになるのですね?」

 リリーの言葉に公爵は我に返ったとばかりに顔を上げ、気持ち悪い笑みを浮かべる。

「ああ、あいつは簡単だった。ロザリンドに心酔していたからな。ちょっと悪い噂をにおわせて」

「ロザリンド様が不貞をはたらいているかもしれない。秘密裏に招待状を送るので、自身の目で確かめてはどうかと。そう伝えたのですね」

「ああ。そうだ。彼は疑いもせずにのこのこ、この屋敷にやって来た」

「それで、部屋に一緒におられた、公爵が……」

「そうだ。あの男は私の言葉を疑うということを知らなかった。騎士と言う職業の者たちは純粋で信じやすい。ちょっと演技を入れて語ってみればすぐに信じてくれる」

「外交官として幾多の手腕を発揮した貴方にとっては。ですね」

 ハスキンス公爵はリリーの言葉に顔をしかめ、わなわなと体を震わせる。

「ロザリンドは、私が娶ろうと、あの子の両親に何度も掛け合っていた。しかし、年齢がなかなか追い付かず、そうこうしている間に私に隣国での仕事が入り……仕事から帰ってくれば彼女は人妻。両親に問いただせば、領地の不作でまとまった金が必要だったのだ。そう言った。金が必要なら手紙でもよこしてくれれば、いくらでも用意したのに」

 エドは気配を消して、リリーとハスキンス公爵のやり取りを聞いている。

 まず、思ったのはフランジス伯爵夫人がハスキンス公爵と結婚しなくてよかった。そこに尽きる。もしかしたら、彼女の両親はハスキンス公爵の本性を見て、彼がいない隙にもっともな理由をつけて娘を嫁がせたのかもしれないと思うほど。

 リリーは何も答えず、顔色も変えず、ハスキンス公爵を見ていた。彼はそんなリリーを見て笑う。笑うという言葉の表現が正しいかどうか――ともかく彼は、口角を上げ目を細める。その表情は一般的な笑顔ではなく、悪魔の様に狡猾で歪んだ彼の表情がその人格と全てを表している様だった。

「ここまで話を聞いたのだ。お前、この後自分の運命がどうなるかわかるな?」

「………………」

 リリーは公爵にそう言われても何も答えない。

「まあ、いい。この屋敷には私とお前しかいないのだから。でも……そうだな、すぐに壊してしまうのは惜しい気もする。どうせ、未婚なんだろう? 私が娶ってやってもいい。破格だと思わないか? 子爵家の箸にも棒にも掛からぬ令嬢が公爵の名を名乗れるのだから」

 悪趣味な男だと思って、リリーを見ると、握った手が震えていた。そろそろ潮時だ。

 ハスキンス公爵がリリーに襲いかかろうとしたその時に、玄関の方から多数の足音が屋敷に響き渡る。流石に公爵もはっと顔を上げた。執務室のドアが開くと、そこから出て来たのは、デュラン隊長。

「ハスキンス公爵。フランジス伯爵殺害の容疑でご同行願いたいのですが」

 デュラン隊長の有無を言わせないもの言いに、公爵はすっと背筋を正す。

「君、一体なんの権限があって私の屋敷に入って来るのかね。一体なんの証拠があるのと言うのだ――アスセーナス家のご令嬢? ああ、彼女とはビジネスの話をしていただけだ」

 公爵はそう言ってにたりとリリーを見る。


 《ああ。そうだ。彼は疑いもせずにのこのこ、この屋敷にやって来た》

 《それで、あの部屋に一緒におられた、公爵が……》

 

 エドは録音していたボイスレコーダーの再生させる。

 執務室の中に、公爵の声が響き渡る。もうこれで言い逃れは出来ないはずだ。公爵も流石に状況を悟ったのか、みるみるうちに表情を曇らせた。

「ではご同行願いましょう」

 幾人かの騎士が、公爵の周りを囲む。触れようとすると、ハスキンス公爵が手を薙ぎ払い、ふんっと鼻を鳴らして執務室のをで行く様子をみた。

「大丈夫ですか?」

 エドがリリーに近寄っていくと、体のこわばりを解いてふうと息を吐いていた。




「ロザリンドさんがお礼を言ってたわ。それから、ネイルサロンに来たいって。予約はどうやってしたらいいの、と聞かれたから、予約なんかしなくていいのよ。と言っておいたわ」

 リリーネイルに訪れた、彼女の母親――アスセーナス夫人はふふんとそう言った。

「え………………流石に、予約していただかないと。他にもお客様がいらっしゃいますので――エド。後で、フランジス伯爵様に」

「かしこまりました」

 ロザリンドは夫殺害の容疑を免れ、フランジス伯爵家の女主人として勢力的に切り盛りをしていると聞く。

「でも、ロザリンドも伯爵の当主として忙しいのよ」

 リリーのやり方に納得がいかないのか、アスセーナス夫人は口をとがらせる。

 予約せずに来るのはこの人ぐらいだ。逆に予約しないで来られると、ネイルの施術には二時間から長いと三時間時間がかかる。その時間をまるまる待っていてもらうことになるので、こちらとしても予約をしてもらわないと困るのだ。

 リリーはアスセーナス夫人の話を聞き流しながら、もくもくと作業を進めて行く。

 時間は午後八時。

 リリーは夕食も取らずに、作業を進めているが、アスセーナス夫人に至っては、ワインとそれにあう軽食を所望され、現在満足気な表情を浮かべている。

「…………はい。あと、こっちの手をライトに入れてもらったら、終わりです。そっちの手、みせて下さい」

 夫人は左手をライトの中に入れ、反対の手リリーの方に差し出す。

「まあ、こんなネイル初めてだわ」

 エドは夫人の横の空いた皿を片付けるべく、近くに寄って見ると、夫人のネイルは紫。なのだが、ところどころ薄い部分と濃い部分、白く細線で模様が描かれ、

「天然石のアメジストをイメージしてデザインしたのですけど」

 リリーはネイルオイルを塗布しながら、そう言った。

「素敵ね。アメジストって、石自体に意味があって………………亡きフランジス伯爵様はやり方が少しわかりにくかったけれど、あの人はあの人なりにロザリンドの事を想っていたのよ」

 夫人の横顔はどこか淋しそうであった。

 アメジストの意志言葉は、誠実・高貴・真実の愛………………



 

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