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白フレンチネイル

「リリーさん。今まで本当にありがとうございました。今日が最後になります」

 アマベル・ヨークは神妙な表情で、リリーにそう告げた。

 ここは、アンバー王国の王都の一画にあるネイルサロンの一室。このサロンのオーナーのリリーは、アマベルの目の前に座り、彼女の爪を整えている作業の手を止め、顔を上げる。

「えっと、どこか地方へ転勤されるのですか?」

 アマベルはリリーがネイルサロンを開業した初期の頃から通ってくれている常連のお客様の一人である。すらっとした手足に、理知的なグリーンの瞳。市井出身の彼女だが、官僚試験に合格した才女。現在、王宮の文官として仕事をしており、今回の彼女の発言についても、何等かの事情で地方の方にしばらく仕事に赴かなければならないとか、そういった事由だとリリーは思う反面、いつもの彼女と今日の様子が大分異なることも気になっていた。

 いつもなら、きっちりとした髪型と、清楚な色のワンピースドレスで来店するのに、今日来ているのは、薄汚れたグレーのワンピース。髪の毛も一纏めにはしてあるが、所々乱れており、極めつけは、顔は青白く明らかに生気を失っている様な漢字だった。

 一体、彼女に何があったのか。

 聞くにも憚られる凄みのあるオーラを纏ったアマベルに対して、リリーもそう簡単に、話に触れずことが出来ずにいる。当たり障りのない会話をして、淡々と作業をしていたところ、冒頭のアマベルの言葉である。

「いえ、転勤ではなく私……あと二時間後に断頭台にのぼらなければならないのです」

 その声は非常に落ちついたもので、ネイルが終わったらどこその店に行くと、そのくらいのニュアンスで彼女は言う。最初は何を言われたんか一瞬、わからなくなった。リリーは脳内でなんども言葉を復唱し、断頭台というのは、あの死刑の断頭台のことだろうと結論に至る。

 何よりも自身の死を前にして、澄んだ目のアマベルの冷静さが不思議でたまらない、リリーは彼女の雲を掴むような感じで、珍しくあたふたと目を白黒させている。

「えっと………………、すみません。状況が全くわからないのですが、アマベルさん。一体、何があったのですか?」

 冗談とも思えないアマベルの言葉にしどろもどろになりながらもリリーはそう聞いた。アマベルは目を見開いた後、俯く。

「どこから話したらいいでしょうか……そうですね、二か月前に、こちらに来た時に私、結婚が決まりそうだとお話したのは覚えていらっしゃいますか?」

「ええ、もちろん。とても嬉しそうなご様子でした。だから、その結婚が決まって、なにかの事情で転勤されるのかなと、そうも思ったのですけれど――だって、以前、運命的な出会いを果たしたと話されていましたよね?」

 リリーは実際にアマベルとその婚約者が出会った時のシチュエーションを聞いていた。

「ええ。今でもその時のことは昨日の事の様に覚えています。仕事の帰り道、角を曲がった所でばったりと鉢合わせて――あんな、絵にかいた様な出会いがあるのかと私も未だに信じられない程でした」

 アマベルは微笑む。よく見るとその目にはひどく疲労の色が浮かんでいる。

「そう、そうでしたね」

「私その時、ひどく急いでいて、驚いた拍子に荷物を道端にばらまいてしまって。彼は親切にそれを拾って下さって、家まで送ると言ってくれたのがきっかけで彼とのお付き合いに至って」

 今から五か月程前に、きらきらとした瞳でアマベルは同じことを語っていた。

「順調に二人は関係を育んで、結婚も秒読みなのだと……」

「そうね。そうだったらどんなによかったかと思うのだけれど……その、私と婚約をしていた彼――ジョン・ブルームが亡くなったの。彼を殺害した犯人が私だと」

「……っ」

 リリーその言葉を聞いて、彼女が一瞬何を言っているのか、理解が追いつかなかった。真直ぐな瞳のアマベルの目から嘘は見えない。だんだんとその言葉が、彼女の周囲で現実に起きた事柄なのだと強くリリーの中で実感させられる。

「今から一か月ほど前に、馬車が火災になって乗客が亡くなった事件を。新聞にも載りました。ご存知でしょうか」

 リリーのは記憶の探る。

「一か月前? いつごろかしら?」

 アマベルが五月三日であると日付を伝えると、リリーはエドを呼んで、その日と前後の新聞を持ってくる様に伝えた。その間、リリーは作業を進めますと前置きをして、

「この状況で、すみませんが今回、デザインはどうされますか?」

 立ち止まってしまった、遅れを取り戻すべく、手際よく作業を進める。

 いつもなら、アマベルから今回はこんなデザインがいいと提案があるのに、今日はそれもない。先ほどのショッキングな話もあり、大分調子がくるわされている。それをなんとかいつものペースに戻す様に冷静に、そう言葉を発する。

「今日はリリーさんにお任せでお願いしたいの」

 その言葉には自身の死を目の前にした、彼女の覚悟が感じられた。リリーは息を呑む。

「もちろん大丈夫です。……例えばこんな感じにしたいとか希望はありますか?」

 デザインをお任せでと言ってくれるお客様はいらっしゃる。ただ、アマベルからそれを言われたのは初めてだった。いつもとは明らかに違うその状況に、リリーも自ずと緊張感を漂わせる。

「特にありません。全部、お任せでお願いします」

「わかりました――――よく、ネイルサロンに来てくださいました」

 感謝の意味と、なぜそこの状況下でネイルサロンに来ることが出来たのだろうか。リリーの言葉にはその二つの疑問が混ざり合っていた。だって、彼女の話が全て真実だとしたら、現在、死刑執行を待つ囚人――彼女は収監中の身でなければならない。

「有罪だと審議で確定が下された後、私は独房に収監され、自分の死だけを待つ身でした。ただこの国では、独房に入った囚人に対して聖女様が教誨に訪れてくれる制度があるのです。それで、担当してくれた方が、聖女ナズナ様と仰って彼女もこちらのネイルサロンを贔屓にされていると、親近感を抱いて、色々な話しをしました。ナズナ様は熱心に私の話を聞いて下さって、それで、私を不憫に思ってくださったのか、最後にこういった機会をと、手配してくださったのです。それと」

 アマベルがそう言った所で、エドが新聞の束を抱えて部屋に入って来た。

「こちらです」

 リリーは失礼と一言断り、アマベルの手を離して新聞記事をめくる。まず、五月三日の新聞をぱらりとめくり、紙面の内容を確認する。飲みに行ったあとに戻らなくなった亭主の行方不明の記事などは掲載されていたが、お目当ての記事が見当たらなかったのか、ばさり紙面を置くと、次に五月四日の新聞をめくり、手を止める。

「先ほど仰っていたのは、これですか?」

 リリーは見開いたページを見やすく折って、該当の部分をアマベルに指し示す。

「ええ。そうです」

 新聞記事の見出しは小さいものの単純明快に書かれている。記載の内容は以下の通り。


【謎の馬車火災

五月三日未明。実業家ジョン・ブルームが乗車していた馬車から出火。現場は閑静な住宅街であったため、あたりは一時騒然となった。必死の消火活動で、中から身元不明の遺体が発見された。ジョン・ブルーム氏と連絡が取れないこと。また、馬車から身元不明の遺体が発見されたが、身につけているものから、その遺体はジョン・ブルーム氏、本人であると見られている。騎士団は事件について、現在捜査中であるとしかコメントしていない】


「この事件について、アマベルさんが犯人であると、容疑が確定したのですか?」

 リリーはなかば不審めいた表情で顔を上げる。その紙面の内容からはただの不審な事故であったと。そうとしか書かれていない。

「その時の状況を、新聞には書かれていないことを説明しますと。まず、場所はクロス通り」

「本当に住宅街の真ん中なのですね」

 クロス通り沿いは王都の中でも新興住宅地と呼ばれる場所だ。昔は農地だったが、農業の生産技術の向上によって、農地は王都からもっと、地方の広大な土地で、大規模におこなわれる様になった。そのため、王都で使われなくなった農地が住宅へと姿を変えて行くことになる。そういった場所は他にもいくつかって、特にクロス通りはその中でも高級住宅地に該当する地域である。

 その様な場所で、深夜に起った事件。当時は騒然としたことだろうとか想像するのはたやすい。

「もちろん現場にはジョンと、彼の御者が。五月三日は、お昼は暖かかったのですが、夜になって非常に冷え込みがありました。馬車で家に到着したジョンは先に御者に家に入って、暖炉を温める様に命じ、その時に御者が玄関の前に小包があるのに気がついて、家に入る前に馬車の中にいるジョンにそれを渡してから家に入り、灯りと暖炉を準備して、再度馬車に戻ると、火が上がっていたと」

 アマベルは口を閉ざした所で、リリーは質問を投げかけた。

「その小包と言うのは一体どんなものだったのですか?」

 玄関に置いてあったものをなぜ、わざわざ馬車まで引き返して、渡す必要があったのだろうか。家の中に運んで届いていましたと、主人に伝えればいい事ではないだろうか。そう疑問が、リリーの中で湧き上がっていた。

「その小包もろとも燃え上がってしまったので、実際の所は不確かなのですが、御者の証言からはこれくらいのもので」

 アマベルは手で小さな小箱ぐらいの大きさを作って見せる。

「それから、彼が亡くなる直前、私は彼とレストランで食事をしていたのです。ちょっと行き違いがあって、私は先に家に帰ったのですが。そして、彼が家に帰ると玄関の前に小包があって、差出人は私だと証言している者がいるのです……私としてはその小包について全く覚えがないのです」

「疑う訳ではありませんが、本当に覚えがないのですか? ただプレゼントをしたことを忘れているだけとか、そう言った可能性は?」

 リリーの言葉に、僅かに眉間に皺を寄せながらも、首を横に振る。

「裁判でも、事情聴取でもその点は何度も聞かれましたが、全く身に覚えがありません。それに、実は、この事件が起こるまで、彼がクロス通りに住居を構えていることも知らなかったのです」

 アマベルは流石にしょんぼりとした表情を見せる。結婚を前提にお付き合いを重ねていた二人であったのはずなのに、彼女は本当にジョンの家を知らなかったというのか。非常にセンシティブな話であるが、リリーは丁寧な言葉でその辺りの事情についてたずねる。

「彼は、自身の仕事についてアンティークを取り扱っていて、商品を個人に販売をしていると話しを聞いていました。ですから、お客様のご要望に応じて、国を右へ左へ。時には国境を飛び越えることもあった様で。ですから、商品を保管する事務所があるとは話に聞いていますが、それがどこにあるかはまでは聞いていませんでした。そんなお仕事ですから、普段はホテル住まいをしていると。そう聞いて、その言葉を疑ったことはありませんでした」

「今回事件があったクロス通りの住居がその事務所だったのでしょうか?」

 事務所と言っても簡易的な住居として使用されている場合もある。何を隠そう、リリーネイルも一階はサロンだが、二階以降は住居スペースになっている。

「それが、騎士団の調査では彼の倉庫兼事務所は王都から離れた場所にあって、クロス通りの建物は登記も含めて間違いなく彼の住居であったと。近隣住民の方からは、仕事の関係上、不在にされていることもあったみたいですが、家に灯りが灯り、在宅の様子もあったと。道ですれ違えば軽く会釈を返してくれるくらいの印象があると証言があがっているのを聞きました。それで……話は戻りますが、その家の前にあった小包。もちろん私は全く覚えのないものですが、それが馬車の中で爆発し、火災を引き起こした要因であるそうです」

「なるほど」

 アマベルがなぜ、犯人だと疑われているのかがリリーの中でストンと理解が出来た瞬間である。

「私は断じてやっておりません――何度もそう証言しました。けれど」

「そもそも、レストランで一緒に食事をしていて、アマベルさんが先に帰られたのだとしても、その小包を家まで運んで帰って来ることは可能なのですか? それに、爆発物の小包を用意しているということは、かなり計画的に考えられたものだと思いますが」

「単純に考えて私もそう思いましたら。もしかしたら、もともと仕組まれたもので、私は上手い事誰かに罪を被せられたのかもしれないと。

 裁判では、私がレストランを先に出ましたが、彼はしばらく粘ってレストランでお酒を飲んでから、家に帰ったとその時に状況を聞きました。それから、その時間を計算すると私に犯行が可能だと――私は、レストランからそのまま家に帰りました。でも、そのアリバイを証明してくれそうな人物は誰もいません。ついには、小包を持った私をのせた辻馬車に乗せたと証言する御者も現れて――まあ、彼の証言は曖昧で、そんな気がするというくらいのものですが、一体何がなんだか………………そんなことを言われると、無意識に私は犯行に及んでしまったのかと思ったりもしたけれど、私はやっていない。そう思っているのですが」

「アマベルさん自身が、誰かに恨みを買っている可能性は?」

「身に覚えはありません。もしかしたら、知らずのうちに誰かにご迷惑をかけている可能性はあるかもしれませんが」

 アマベルの瞳が不安に揺れる。

 リリーは何もそれに答えず、作業を続けていると、アマベルは話しを続けた。

「………………こんなお願いをするのは、大変差し出がましいことだとは思っておりますが……聖女ナズナ様にもありのままの私のことを話しますと、非常に同情してくださって、それで、リリーさんは今までも様々なお客様の相談事に対応してくださっているから一度相談してみてはどうかと、聖女様の権限を使って私を、今日このネイルサロンまで送り出してくれました。差し出がましいお願いだとは承知しております、少しでも構いませんお力になっていただけませんでしょうか」

 リリーは顔をあげ、アマベルと視線を絡めた。

 ばっさりと否定して話を終わらせようか。しかし、二時間後に断頭台にあがらなければならない彼女に対して、このまま見過ごしてしまっていいのだろうか。思考を巡らせる。

 そんなリリーを見て、アマベルは口を開く。

「あの、無理にはと申し上げません。もうここまで来たら、どうしようもないことは、自分でもわかっております。それに、万が一のことがあっても覚悟しております。リリーさんの責任は一切ございませんので」

 そんなアマベルに対して、リリーに断るという選択肢は断たれた。

「私は人よりも想像力が優れているとは思います。並べられた事実から、普通の人が思いつかないようなことを考え出すのが、趣味みたいなものなのです。ですから、私がどこまでお力になれるかわかりません。聖女様やアマベルさんの希望に答えるだけの能力ではないかもしれませんが、もし何かできることがありましたら」

 ひと思いにそう言ったリリーに対して、アマベルはふっと表情を緩ませるも、その瞳には断固とした覚悟の色が取れる。猶予時間はあとわずか。

「一体どこまで出来ることがあるだろう」

 天を見上げ聞き取れない程、小さな声でそう言った後に、そばにいたエドを引き寄せて耳打ちする。

「かしこまりました」

 エドは慇懃な礼を見せた後に、早足で部屋を出て行った。

「じゃあ、まず状況を整理したいのですが、よろしいでしょうか?」

 リリーの言葉にこくりと深く頷く。

「話を伺った上で、少し疑問に思うことがありまして。騎士団はなぜ、アマベルさんが犯人だと? その動機は? 伺った状況からはその御者も犯人の可能性があるかと思うのですが」

 犯行現場にいた、第一発見者はブルーム氏の御者。アマベルが覚えのないといった、小包をあたかもそれらしく持って行くことが出来る人物である。もちろん、辻馬車の目撃証言は一旦横に置いてだが。

「確かに、状況的には仰る通りです。私もその可能性を指摘しました。そもそも玄関先に置いてあった小包をなぜ、家に持って入らずにわざわざ馬車に届けたのか。その問いについて、差出人が私となっていたので、早く主人に届けた方がいいと。善意でそうしたと話してました。それから、捜査で犯行の機会はあるが、彼には全く動機がないと」

「動機?」

「御者の男は――クラッチと言う、初老のずんぐりむっくりとした小柄な男で、私も裁判の席でまじまじと彼を見ましたが、どうも嘘がつけない男だと印象を受けました。つまり――失礼かもしれませんが、素直とかっていう言葉よりも、嘘をつくほど頭が回らないと言う感じの」

 リリーは頷いて、話を聞いている。確かにバレる嘘しかつけない人も中にはいるものだ。アマベルは話を続ける。

「クラッチは男やもめで、病身の母親を看病しているそうなのです。仕事と雇い主がいなくなると、たちまち生活が立ち行かなくなるから、殺害する理由がないと」

「クラッチにとっては良い雇い主だったということね」

「彼の裁判での発言の節々から私もそう感じました。母親の体調が悪い時は仕事を休んで付き添ってもいいと。それから、母親のお医者様もジョンが紹介していたようです。出来た人だったので」

 そのリリーの言葉に傷ついた表情を見せる。

「時々その優しさが、少しだけ怖いと思ったことがありました」

 懐かしむその言葉にはどこかナイフの鋭利さも感じられた。

「御者のクラッチは動機がないと結論付けられたということですが、なぜアマベルさんが? ずっとお二人の関係を見ていた訳ではありませんが、お会いする度にお話を伺った様子からは仲が良くて、お二人の関係は上手くいってらっしゃると思っていましたが」

「実は………………ちょうど彼が亡くなる直前、食事をしていたレストランで喧嘩をしたのです」

「喧嘩ですか?」

「些細な事でした。彼は仕事で各地を飛び回っている様な生活ですから、結婚したら、私の今の仕事を辞めて自分について来てほしいと。実はこの事については以前から、それとなく言われていました。その度にやんわりと話を受け流していたのですけれど、もしかしたらそれが良くなかったのかもしれません。でも、私は自分の今の仕事に誇りを持っています。出来れば結婚してからも何等かの形で続けて行きたいとそう思っていたのです。今回がいい機会だと思って、私は自分の考えを改めて彼に話しました。彼はいつも優しくて、真剣に私を話しを聞いてくれる人なのですけれど、今回は虫の居所が悪かったのか、『普通は仕事を辞めて夫を支えるべきだろう』そう言い放って。それで」

 アマベルはそこまで行って口を閉ざした。リリーはそれについてどう答えていいものかと思案している。夫婦、恋人間の意見の相違は、ままあるものだとそう認識していたが、なにせ自分はそんな立場に置かれたことがないため、どう答えたらいいのかわからなかった。アマベルはふうと息を吐いて話を続ける。

「私は彼にそう言われて、カチンと頭に来て、そのまま家に帰りました。でも家に帰ってから――彼が久しぶりに休みが取れたのでと、予約してくれたレストランだったのに。――後から考えて、なぜあの時もっと彼に寄り添って言葉を伝えられなかったのかと。もっと自分が冷静であれば。いつも、いつもそう考えて」

 アマベルは、はらはらと涙をこぼす。

「すみません」

 リリーがそっと用意したハンカチ受け取ると、涙をぬぐった。

 その様子からは、そんな彼女がなぜ犯人扱いされるのか、不思議でたまらないと言う思いだけが湧き上がっていた。

「それだけの行き違いだけなら、誰にでも起きることだと思うのです。なのにどうして?」

「私が、レストランを出た後に彼も少しお酒を飲んで、店を出たそうです。その時従業員に、『彼女に婚約破棄の話をしたら、激高された』と苦笑いで話をしたそうなのです。それについては、御者のクラッチにも同じ様な話をしていたと」

「え? ですが、アマベルさんから伺った様子では、そんな話はその時に一切なかったのですよね?」

「はい。婚約破棄なんて言われませんでした。その事については、裁判でも事情聴取でも何度も説明したのですが、逆に保身のために嘘を重ねていると言われて。だから、前々から関係が崩れていて、今回決定的なことば――婚約破棄を言われた腹いせに爆発物をプレゼントに仕立てて送ったのだと言われてしまって。御者のクラッチはその包みを見て、仲直りの品だと、そう思ってジョンに持っていたとそう話していますけど」

「……」

 それを聞いて、あまりにも出来過ぎた話だなと印象を受ける。

「誰かが、嘘をついている」

「はい?」

 リリーの小言はアマベルの耳には届かなかったらしい。なんでもないと笑顔を作って見せる。

「アマベルさんは御者のクラッチとはよく話す間柄でしたか? 何か、彼と確執を感じたりとかそう言ったことはありませんでしたか?」

 アマベルにはもう涙の跡は見えない。少し考えた素振りで、

「いえ。会ったことがあると言っても顔を合わせるぐらい。特に会話を交わした訳でもなんでもありません。彼を馬車まで見送った時に、クラッチがいたというぐらいですね」

「それは、ジョンさんと出会う前も含めてですか?」

「ええ。私が記憶して言る限り。それにクラッチも裁判でジョンの婚約者である私について、それ以上もそれ以下の認識も無かったと。そう証言しているのを耳にしました」

 リリーはこくりこくりと頷く。

 そこまで話をした所で、扉のノック音と共に、先ほど部屋を出て行ったエドが戻って来た。いつもは冷静沈着な彼であるが、珍しく息を弾ませ、まとめた髪の毛が一筋、こぼれ落ちている。

「お待たせしました」

 そう言って真っ先にリリーの元に。一通の封書を手渡した。それを開き、一瞬見た後に、

「ありがとう。それと、アマベルさんに何か飲み物を、それから……」

 リリーは再度エドに耳打ちをする。エドは、いつもの表情で、かしこまりましたと小さく一礼し、部屋を出て行った。

 難しい表情で、手元の紙とにらめっこし、リリーはふっと顔を上げる。

「私からこういった話をするのは大変言いにくいのですけれど、アマベルさんの遺言書を確認させていただきました。こちらに書かれた内容に嘘偽りはありませんか?」

 持っていた書状をアマベルの目の前に差し出す。まさか、自身の遺言書の写しを見ているとは思いもよらなかったのだろう。彼女は目を大きく見開くも、内容を確認し頷いている。

「ええ。間違いありません」


【遺言書


遺言者 アマベル・ヨークは、下記の通り遺言する


私の全財産を、ション・ブルーム氏に相続する



聖歴 20XX1年2月1日


アマベル・ヨーク】



「貴女の財産の受取人は、ジョン・ブルーム氏ですね?」

「財産と言っても、お貴族様みたいに莫大なお金がある訳ではありません。ですが、王宮でのお仕事は、頑張った分だけ報酬がもらえましたから。散財するところも、そんな時間も無かったので、蓄えが少し出来たぐらいなものです。――ジョンは、彼の両親は幼い頃に事故で亡くなって、いきなり路上に放り出された様な人生だったと聞いています。こつこつと、努力を重ねて今の自分になったとよく話しを聞いていました。優しいけれど、どこかいつも淋しそうな表情があるのが印象的でした。もしかしたら、そんな所に惹かれたのかもしれません。ともかく、もし私が何かの理由で死ぬことがあっても彼一人でも生きていける様に、遺言書を作りました」

「遺言書の事はジョン・ブルーム氏もご存知だったのですか?」

「彼にも話していました。ジョンはそんなお金は受け取りたくないと拒否しましたが、それでも、何かあった時のために私が彼に何かしたいと、そう思ってしまったこともありましたので」

 リリーはそこで、目を閉じた。

 ほんの一刻であったが、長い沈黙に感じられた。

 ぱっと目を開けると、「まず、ネイルを仕上げましょう」そう言ったので、アマベルは頷く。

 施術の間、二人に会話は無かった。

 リリーは無言で、作業に集中していたが、恐らく頭の中では事件の事について組み立て、考えているのだろうと見て取れる。途中で、もう一人の使用人のアリが紅茶を持って来た時も、目もくれない様子だった。

 リリーはベースまで塗布し終わると、今度は爪全体に色をのせる。だが、その色はアマベルの肌に近い様な色で、馴染んでしまうほど、赤やショッキングピンクとは対照的ないろで、目立つ色ではない。

「綺麗だとは思うけれど」

 思わずぽつりと心の中の声が口に出て、アマベルは、はっとして詫びの言葉を矢次に述べる。

「ふふ。大丈夫です。アマベルさんの潔白であるという意味を込めて、白にしようかと思ったのですが、爪全体を白にしてしまうのは面白くないと思って。冬の時期なら綺麗かもしれませんが、そうではありませんからね」

 アマベルはリリーの言葉に首を傾げる。リリーは全ての指を一旦、ライトに入れる指示をして、新しいカラーのコンテナ――交りっけのないホワイトを取り出す。筆で色をすくうと、アマベルの爪の先端にだけ白を入れる。ネイルベッド(爪のピンク色の部分)は避けながらも自然なラウンド型のネイルベッドを描く様に、白で爪先を描く様な感じだ。シンプルであるが、爪がしゅっと見えて、美しい。

「フレンチネイルって言うんです。シンプルだけど、自己主張があるというか、派手ではないけれど、爪が引き立って見えるデザインだと思ったので――じゃあ、ライトにお願いします」

 アマベルは頷きながら、ライトに自身の手を入れる。それからは無言で、ひたすらにリリーは作業に没頭している。

 左右全ての指にフレンチネイルが施され、トップジェルの塗布が終わった所で、再度扉のノック音が響く。

「どうぞ」

 リリーの言葉と共に中に入って来た人物に、アマベルは目を見開いた。

「失礼致します。お時間ですので、迎えに参りました。それから、アマベル・ヨークの刑執行に当たって、異議申し立てがあると伺いましたが」

 入って来たのは、中年の鋭い視線を彷徨わせる一人の男。アマベルにとって彼は見覚えのある顔だ。

「アマベルの裁判を担当された、検察のライトさんですね?」

「如何にも」

 リリーは、一瞬手を離して、ライトに向かって社交儀礼的な挨拶をかわす。

「恐れ入りますが、現在施術がまだ終わっておりませんので、そちらのソファーにおかけください」

 リリーは硬質な声で言うが、ほとんど施術は終わっている。まだ作業があるとするならば、ネイルオイルを塗る作業ぐらいのものなのに。

 また、扉のノック音。今度は誰かと思えば、「失礼します」と入って来たのは、エドである。お盆にはティーカップをのせ、ソファーに座るライトに一つ差し出し、リリーの側に行って、一つ書状を渡す。

「ありがとう。見つかったのね?」

 リリーの言葉に、エドはこくりと頷き、そのまま部屋を出て行った。エドから受け取った書状を見て、顔色を変える。

「私としましても、彼女だけではなく他にも関わっている事件などがありますから、そろそろ本題に入らせていただきたいのですが」

 紅茶に口をつけながら、痺れを切らしたライトはそう言って立ち上がる。

「――私から、一つだけ伺いたいのが、馬車で亡くなったのは本当にジョン・ブルーム氏だったのですか?」

 リリーの言葉にライトは眉間に皺を寄せる。今更なんの話をと、悪態を今にでも述べそうな表情だ。彼は一つ咳払いをして冷徹な声で彼女の疑問に返す。

「馬車で発見された遺体は、焼けこげてしまっており、その見た目からは判別はつきかねました」

「では、ブルーム氏では無い可能性もあるということね?」

「ええ。まあ仰る通りでして、こちらとしても最初はその可能性も捜査の視野に入れておりました。しかし、遺体の人差し指から彼がいつも身につけているという指輪が発見された事。また、事件後、ブルーム氏と一切の連絡が取れない事。また同氏の姿が消える様になくなってしまった事から、馬車で発見された遺体はジョン・ブルーム氏だと確定されました。それについて何か?」

 ライトは絶対の自信がその言葉の節々から感じれたが、リリーは今、手に持っていた書状を彼に差し出す。

「こちらをご覧になって」

 ライトは片眉を吊り上げながらも、つかつかと歩みより書状を手に取った。部屋の中に無言の沈黙が流れたが、ライトはその書状を確認して、表情を七変化させている。

「これは……」

 ようやく顔を上げた時のライトの声には先ほどの威厳は消え失せ、心なしか震えている。

「こちらの独自の情報網を使って、調べさせていただきました。情報の信憑性については間違いございません。アスセーナス家の誓って」

「これについて、アマベル・ヨーク――彼女には?」

「まだ話しておりません。私からご説明させてただいても宜しいでしょうか?」

 ライトは頷く。ふらふらとしながら、先ほど座っていたソファーにもう一度体を沈め、頭を抱えていた。

「リリーさん、一体?」

 アマベルは驚いた表情で、リリーとライトを交互に見てる。

「お辛いお話になるかもしれません」

「大丈夫です。私自身の死に直面している今ですから、これ以上何が起こっても問題ありません」

 少しの間があって、リリーは口を開く。

「ジョン・ブルーム氏はこの国でお尋ね者の詐欺師なのです」

「え?」

 アマベルは先程そう言ったものの、大きな声を出して、ぎょっと大きく目を見開いている。

「先ほど確認していただいた遺言書ですが、名前がオカシイと思いまして、少々確認させていただきました」

 リリーはそう言って、再度遺言書をアマベルの前に突き出す。

「”ジョン・ブルーム”ではなく、”ション・ブルーム”となっております」

「ええ。それは私も気になってはおりましたが、遺言書を作成する時に彼に聞きましたの。そうしたら書類上は”ション”で間違いないと。亡くなったお母様が出生証明を出す時に、あわてていたものだから、間違って記載してしまったと。そそっかしくて、でも素敵なお母様だったと、目を細めて話をしていました」

 アマベルはその場面を思い出したかの様に懐かしむ表情を見せる。リリーは真直ぐに見据えたまま、

「多分それが彼のやり口なのだと思います。ション・ブルームは過去にも同じような手口で、婚約をほのめかした女性に遺言書を作成させ、多額のお金を巻き上げているのです。大抵は、大きな屋敷に眠る病身に臥せった女性を、商人のふりをして屋敷と女性の懐に入り込み、関係を築き上げると遺言書を書き換えさせる。女性の死因は病死ですから、不審に思った人があっても、誰も彼に対して手出しをすることが出来ません。ですが、今回に限っては……」

 リリーの言葉を聞きながら、アマベルは次第に表情を曇らせる。

「……その話を聞いて思い出したのですが、実は一年程前に行った健康診断で、心臓の付近に影があると診断されたことがあって、王宮の医師も慌ててすぐに、精密検査を受けた方がいいと言われ」

「大丈夫だったのですか?」

 リリーは表情を硬くする。

「ええ。急いで王都にある有名な医師が在籍する病院にかけこんで、検査をしてみましたら、たまたまそう影があるように見えただけで、特別なにもなかったのです。だから、そのままにしていたのだけれど、忙しかったのもあって王宮の医師にはそう報告をしていなかったから、もしかしたら私のカルテにはそのまま情報がまだ残っているのだと」

「そうだったとしたら……」

 リリーはそう言葉言いかけて、口をつぐむ。アマベルは何を言わんとしているのか悟ったのだろう。大丈夫だと頷いた。

「リリーさん。もうこの状況下で私にそんなに気を遣っていただかなくても大丈夫です。もう、失うモノなんてありませんから……」

「じゃあ、私から言わせてもらおう」

 先ほどまで放心状態でソファーに座っていた、ライトがようやく意識を取り戻したかの様に体を起こす。

「ション・ブルームは、何等かの方法で王宮で保管しているカルテの情報を手に入れ、次のターゲットを君に定めた。今までのこの男の手口からみると、何気ない状況を装って君に近づき、婚約者としての立場を確保した。しかし、いつまで経っても君の体調が悪くなる様子は見られない。このまま金が手に入らないのであれば、別れをとも思ったが、ションは別れと金が一緒に手に入る方法を思いつく。それは自分自身を偽装殺人し、その容疑を全て君になすりつけることだ。………………ああ、なんてことだ。捜査も裁判も全てやり直しではないか。そもそも、ション・ブルームは現時点でも生きているのだとすると、あの死体は一体? それに彼はどこに潜んでいるんだ?」

 検察のライトが、アマベルの婚約者が生きていると示唆した時、ほんの少し表情を驚かせたが、それだけで、後はただ無表情でライトの言葉を聞いていた。

 リリーは、傍らに置いていた新聞紙を片手に持つ。

「新聞に行方不明になった方のものがいくつか載っておりましたが、まだ見つかってない方はいらっしゃいませんか?」

「まさか、他の誰かの死体を自身の身代わりに?」

 ライトはリリーの言葉に驚愕した表情を述べる。

「証拠がある訳ではありませんが、恐らく。指輪を死体にはめたのも本人でしょう。それと、今回の事件についてはション・ブルーム一人ではこなせる様な代物ではありません。共犯者がおります」

「共犯者? 一体?」

「御者のクラッチです」

「ですが、彼は容疑者から外れたのでは? 彼の証言は何度が実際に目と耳にしておりますが、嘘をついている様には」

 そう口を開いたのはアマベルだ。

「もちろん、ション・ブルームの殺害には関わっておりません。彼はクラッチにとって良い雇い主です。彼を失う事はクラッチ自身の人生の失落に繋がる。でのそれは裏を返せば、クラッチはそれだけション・ブルームに対して、依存していた。彼の言うことは絶対だった。そう考えると、どうでしょう?」

「……なるほど。玄関にあった小包も全て、あらかじめ用意してあり、ション・ブルームの指示で行っていたことであると」

 ライトは腕を組む。

「恐らく。その辺りの事実関係や、王宮の情報をどうやって盗み出したかについては本職の方にお任せ致します。辻馬車の御者が彼女をのせたという証言も、恐らくお金を彼に持たせ証言させた虚偽のものでしょう……それで、今知りたいのは、ション・ブルームがどこにいるかと言う話だと思うのですが」

「そうだ。彼を捕まえることが出来れば、アマベル・ヨークは晴れて無罪放免だ」

 検察のライトは少々皮肉交じりの声色織り交ぜてそう言った。

「それについて、少々危険を承知で一つ提案があるのですが?」

 リリーは、神妙な声でそう言って、アマベルを見る。

「私に出来ることであれば、なんでも。こうなった以上、幕引きは自分自身の手でと思っていますので」

 リリーはその言葉を聞いて検察のライトを見る。彼もわかったとばかりに頷いた。

「ション・ブルームの潜伏先はわかりません。彼は、人に取り入るという大変優れた気質がありますので、痕跡を見つけた所で、もう彼はそこにいない時かもしれません。彼を探し出すのは至難の業です。ならば、探すのではなく彼、本人に出てきてもらうのが一番手っ取り早いと思うのです」

「出てきてもらう? 一体どうやって?」

 検察のライトは首を傾げる。

「アマベル・ヨークの処刑については王都全体に触書が回っています。それを利用するのです。恐らく彼は処刑所に、必ず訪れます。貴女の死を見届けるために」

「まさか」

 アマベルは悲痛な声を上げる。

「そのまさかです。お金を手に入れるためには、貴女の死をきっちり見届けなけれならないのです。逆にそれが遺言書の条件でありますからね。チャンスは一度きり。このまま処刑は中止せずに行い、集まった群衆に紛らわせて騎士団を配置させてください。そこで、アマベルさん」

「はいっ」

「貴女は、ション・ブルームの顔を一番よく知っています。彼が現れたら合図を送ってください。それで彼を捕らえるのです」

――つまり、貴女と出会った瞬間から彼の策略は始まっていた。その言葉は飲み込んで、リリーは頷いてアマベルを見る。



 〇


 アマベルは、処刑人に連れられて、断頭台に上がる。

 本来であれば、そのまま頭を黒い袋に覆われ、断頭台にのせられるのだが、処刑人の一人が、

「最後になにか言うことはないか?」

 そう聞いた。

 アマベルは視線を彷徨わせ、一つの場所を見て、きっと目を見開いた。

「あの男です」

 指先がつやりと光り、一人の男を指した。

 



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