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ブルーマグネットネイル

 アンバー王国の王都に住んでいるなら、フリッツ商会を知らない者はいないだろう。

 フリッツ商会は家具や装飾品、宝石からお菓子や食料品まで、国内しいては海外から様々なものを買い付け、商会の直営店で販売している。商品は貴族向けの高級品から庶民向けのリーズナブルなものまで。フリッツ商会が扱う商品は多岐に渡る。 

 何を隠そう、リリーネイルで使用している、机や棚、ソファーなどもフリッツ商会で揃えている。もちろん出資は祖父母であるが。

 

 フリッツ商会の現社長の妻である、サマンサ・フリッツは心痛な面持ちでリリーネイルの扉の前にいた。ネイルサロンに通い始めたきっかけは、王都で噂になっていたのと、リリーの母方の祖母がフリッツ商会の血縁者であったので、その伝手もあってネイルサロンが出来てすぐの頃、訪れたのがきっかけである。実際に、リリーにネイルの施術を初めてしてもらった時、爪に色を施すという発想がなかったので驚いた。それと同時に自社で同じような業種を展開できるかどうか考えて、ネイルサロンは商材だけ揃えても、技術を持ったスタッフがいなければ成り立たないだろうと分かったので、フリッツ商会でネイルサロンを開くのは無理だと断念したが、完成したその出来栄えを見て、一気にサマンサはファンになった。

 サロンの扉が開き、中からリリーの使用人である、銀髪の青年が顔をのぞかせる。

「ご予約済のお客様でいらっしゃいますか?」

「ええ。予約をしておりました」

「お待ちしておりました。フリッツ夫人、こちらへ。何かお預かりするものはありますか?」

「じゃあ、これだけ」

 羽織っていたショールを手渡す。銀髪の青年――エド・ヴァルマは、ロッカーと呼ばれる、鍵のついた箱の中に丁重にショールを仕舞う。扉を閉め、鍵をかけると、サマンサにその鍵を渡す。

「では、こちらへ」

 エドについて行った先、辿り着いたのはいつものサロン。扉の向こうでリリーがいつも通りの笑顔でサマンサを待っていた。

「こんにちは。フリッツ夫人。お越しいただきありがとうございます。こちらのソファーへ。………お飲み物は何か希望はありますか?」

「……そうね、何か温かいものを」

「甘い方がいいです? あまり甘くない方がいいですか?」

「少し甘いものでお願いできますか?」

「かしこまりました」

 リリーはすっとエドに目配せした後、サマンサが座るソファーの机を挟んで正面の席に座る。サマンサはぼうっとしていたこともあって、二人のやりとりは他にもあった様に思えたが、記憶に残らなかった。

「では、手を見せていただいても?」

 柔らかく人懐っこい声にサマンサはどこかほっとして手を差し出す。

「うん、うん。割れたりとかは大丈夫そうですね。じゃあ、オフしてケアしていきますね」

 白いガーゼの様なもので口を鼻を覆ったリリーは”ネイルマシン”と言う魔道具で爪の表面のジェルの部分だけを丁寧に削っていく。最初は『これでジェルの表面を削ります』と言われ、そのネイルマシンと言う機械を見せられた時、ゴクリと息を飲んだ。ひどい痛みを我慢しなければならないのかと思っていたが、実際に今まで痛みを感じたことはない。慣れればそういったものなのだと理解している。

 ジェルが削れるとその粉で手は真っ白なる。それを柔らかなブラシで払いながら、

「今日は色やデザインはどうされますか?」

 と、リリーが聞く

「えっと……まだ、全く決めていないんです」

 いつもなら、何かしら考えてネイルサロンにやって来るのだが、今日に限っては、そこまで考えている余裕は全くなかった。リリーに聞かれて、今そう言えばと思い出したくらいである。

「うーん。何か希望はありますか? こんなテイストがいいとか。例えば、シンプルなもの、可愛い感じとか、キラキラさせたいとか」

 こくり、こくりと頷きながら、空っぽの頭をフル回転させる。

「じゃあ、少し変わった感じ。私が普段チョイスしない様な」

 思わずそんな言葉が口をついた。困らせてしまったかと思ってちらり、リリーを見たが、顔色ひとつ変えず、ただうーん。と、唸っている。

「最近、新しく仲間入りしたカラーがあるので、試してみましょうか?」

 サマンサは”新しい”と言う言葉に弱い。フリッツ商会に常日頃から関わっているかもしれない。

「じゃあ、ぜひそれでお願いしたいと思いますが、どんな色ですか?」

「そうですよね。見た方が早いですよね」

 リリーは作業の手を止め、後ろの棚からいくつかのコンテナを取り出す。

「カラーの種類があって。こっちから、オレンジ、ピンク、紫、ベージュ、ブラック、レッド、ゴールド、ブルー」

 全てのコンテナを開けて、中を見せてくれる。キラキラと煌めいたその色にサマンサは心を奪われる。その煌めきは、今までで見たラメともパールとも異なる。見方や光の当て方のよって、色合い違って見えた。

「これは?」

「マグネットジェルと言います。ジェルの中に、微量ですが鉱石がふくまれており、……ああ、もちろん、人に害を及ぼさなものです。塗布した後に、磁石を近づけることで、きらめきと模様を変えることが出来るんです」

「じしゃく? マグネット?」

 聞きなれない単語に思わず聞き返すと、リリーは考えこんだ様子で、「私が考案したものです」と、言った。

 星の銀河の煌めきの様にも見えるその色を纏えば、少しだけ心が軽くなるだろうか。

「じゃ、ぜひチャレンジしてみたいです」

 リリーは顔を上げると、笑顔で頷く。

「わかりました。色はどの色にします?」

「じゃあ、ブルーで」

 ブルーとってもアクアマリンの様なものではなく、サファイアの様な濃い色であった。リリーは少し目を見開くも、すぐに笑顔になる。

「かしこまりました。フリッツ夫人のいつものイメージとは違う感じですね。でもいいと思います」

 リリーにそんな風に言われて、サマンサは必死に口角を上げて微笑んだ。サマンサの心は暗く立ち込めている。実は今の心情にぴったりだと思って、ブラックをチョイスしたのだけれど。

「私の普段のイメージってどんな感じですか?」

 だから思わず、そう聞き返してしまったのかもしれない。

「そうですね、ふわふわした感じで、妖精さんみたいだなと………………あくまでも私、一個人の見解なので、そう思う人もいるんだなぐらいで聞き流していただければと思うのですが」

「妖精?」

 サマンサは思わず素っ頓狂な声を上げる。確かに夫がサマンサを褒める時、そんな言葉を言ってくれたことがあったが、それはあくまでも夫から妻へのリップサービスだと思っていたので、他の第三者から言われるとは思ってもみなかった。

「すみません、ご不快に思われたら。……もし、色に例えるとするならば、パステルカラーが良くお似合いかなと。そんな風に想います。だからと言って他の色が全く似合わない等、そんな事はありませんから」

 リリーなりに、気遣ってくれているのだと、その気持ちが嬉しかった。

「ありがとう」

「いえ、私の言葉のチョイスがイマイチだったのだと思います。爪の形は今のままで大丈夫ですか? 伸びた分はカットして」

「ええ。いつもと同じで大丈夫」

「かしこまりました」

 リリーは手際よく、爪の形を整えながら、話を続ける。

「それより、お疲れのご様子ですが、何かあったのですか?」

 サマンサは視線をゆらり、泳がせる。

「主人は忙しい様で。ラグドギアから職人を迎え入れて――それは機密事項でした」

 ぼうっとしてしまっていたからか、言葉にして、はっとする。

「大丈夫です。サロンでお話された内容について口外は致しませんので。それより、サマンサ様がお疲れのご様子かと思って」

 サマンサはそう言われて一瞬、体をこわばらせる。でも、今日のサマンサ自身の態度からそう言われるだろうなと言うことは予想していたので、ようやくその話がきたかと言う印象でもあった。

 でも、もしその話を彼女が振ってきたら、彼女に相談しようとも思っていた。

「実は、……少し長くなるかもしれませんが、聞いていただいてもいいですか?」

 一人で悶々と悩んでいても答えが出ない。だからと言って夫に相談する勇気もない。もちろんサマンサマと夫は仲が悪い訳ではなく、むしろ良好であると自負している。だからこそ、なかなか言い出しにくいこともあるのだ。

「もちろんです。お役にたてるかどうかはわかりませんが、私でよければ」

 リリーはそう言って人の良さそうな笑みを浮かべる。

「少し、込み入った話なのですが……」

 そう話を切り出した所で、部屋の扉が開き、出鼻をくじかれてしまう。後ろを振り返ると、エドが飲みものを持ってくるところだった。

「お待たせしました。ちょうど焼きあがるところだったので、ご一緒にお持ちしようと思いまして」

 ソファーの隣の再度テーブルに紅茶と焼きたてのクッキーを並べる。

「いただいても?」

「もちろんです」

 クッキーを手に取る。小さいものだったので口の中に放り込む。

 ほろほろと口の中でくだけ、バターの香りが鼻おぬける。紅茶はアップルティー。ほんのり甘味があり、とても飲みやすい。

「美味しい」

 心からの言葉だった。

「ありがとうございます」

 エドはそう言ってパタリ扉を閉め出て行く。少しだけ元気がついた。リリーはジェルを塗布する用意を初めている。

「先ほどの続きですが」

 そう前置きすると、作業しながらもでもいいですかとリリーが言うので、もちろんと頷く。

「一昨日のことです。夫がちょうど急遽お客様に呼ばれて不在でして、そんな時にお客様の来店がありました。あの、王国劇場で最近、『プロポリス』と言う、新しい舞台が上演されていることは?」

「ええ。とても評判がいいと。他のお客様からもちらりとその話を聞いたことがあります」

「その舞台監督を務めているのが、レック・ナービスと言う、新進気鋭の」

「ああ、確か隣国から来たという噂の」

「仰る通りです。隣国のナービス商会と言う大きな商会の末のご子息さんで、芸術の方が肌に合ったのでしょう。早くに家を出られて、芸術の、舞台の道にまっしぐら」

 サマンサは一気にそこまで行って、紅茶を飲んだ。

「割と私生活も派手だと。そんなあまり良くない噂も聞いたことがありますが」

 控え目にリリーはそう言った。右手にベースジェルを塗布しながら。

「私もそんな噂は耳にしておりました。ただ、フリッツ商会にお見えになれば、お客様はお客様ですし。それに、舞台が成功され大変な富を得たということは間違い無い事も存知ておりました。ですから、”海の至宝”を見たいと言われれば、断ることも難しいと思って」

「一体、レック・ナービスは、夫人に何と言ったのですか?」

 サマンサはぐっと施術されていない方を手を握りしめる。

「『アンバー王国に滞在中はフリッツ商会を贔屓にしたい。どれだけ商会に権力があるかどうかは、実は社長夫人の秘蔵宝石を見て決める様にしている。それを見せろ』と。そんなものは無いと一度は跳ねのけたのですが、『自分も隣国の大きな商会の息子で内情は充分に承知しているのだと。もし出来ないのなら、王国劇場の関係者全て、フリッツ商会には行かない様、厳命を出す』なかば脅されてまして」

「夫人が持っている、一番最上級の宝石が、”海の至宝”なのですね?」

 サマンサはこくりと頷く。

「夫が留守のそんな時にわざわざもめ事も起こしたくないと思いましたので、見せるだけならと思ってその時、私頷きましたの。でもそれが全ても間違いなのだと。今になって………………それから、すぐに金庫から宝石をもってくると言いましたが、ナービス氏はこの後、すぐに打ち合わせがあるので、一時間後に滞在中のホテルに来るようにと言われました。その時の私は、もう覚悟が決まっていましたらから、一時間後に、宝石を持ってナービス氏のホテルの部屋に。宝石を見せてすぐに帰ろうと思ったのですが、あの悪魔みたいな男は『ここで二人でいたことが噂になってもいいのか?』と、脅迫してきました。もちろん、やましい事は一切ありません。ただ、宝石を見せたそれ以上のことは一切なにもないのです。でもそんな事を言われてしまうと、私も一瞬、動揺してしまって、その隙をついて、ナービス氏は私から力づくで宝石を取り上げ、ホテルの部屋から私を放り出したのです。もう、一瞬何が起ったのか、その時はホテルの廊下でぽかんとしてしまって。近くを通ったボーイに声をかけられて、やっと意識を取り戻して。それから、何度か彼の部屋をノックしましたが、応答はなし。仕舞いには、『あまり五月蠅くするようなら騎士を呼ぶ』と、言われ。……どうにかして、宝石を取り戻したいのですが、どうしたらいいのか」

 サマンサは最後の方、声を震わせ涙声になっていた。施術をしながらなので、ずっとではないが、リリーは時々顔をあげ、頷きながら話しを聞いてくれた。

「そんなことが……まず、夫人がご無事でなによりです。なんとか、その宝石を取り戻す方法があればいいのですけれど……ちなみに宝石はどんな?」

「ブルーダイヤです」

「まあ」

「とても珍しいもので、大きさ、質の共に大変良いものでした。夫から、このレベルのブルーダイヤはもう出回ることは無いだろうと。本当は、商品として取引することも考えた様ですが、私の誕生日にプレゼントしてくれたものです。本来であれば、先ず第一に夫に相談するべきなのでしょうが、なにせそう言った経緯もあるものですから、相談するも気が引けてしまって。夫に愛想をつかされたらと思うと」

 サマンサは言葉にして、それが一番自分が恐れていることなのだと自覚する。ダイヤが無くなっても生きてはいける。でも、夫に見放されたら? これからどうやって生きて行けばいいのか。生きて行く気力全てがなくなる。そんな自分は間違っても想像したくない。そう強く思う。

「それはないと思います。フリッツ社長は、夫人を溺愛していますし、なんならナービス氏の身の危険の方が……あ、いえ、なんでもありません」

 リリーの最後の方の言葉が聞き取れないので、聞き返したが、慌てて否定されたので、よくわからなかった。ともかくサマンサとしては、

「出来れば穏便に、宝石を取り戻したいと思っているのです。何かいい方法はないでしょうか」

 リリーは「少し考えるのと、確認する時間をくださいますか」と言い、サマンサはそれに頷いた。リリーはベルを鳴らして、エドを呼び出す。

「お呼びでしょうか?」

 音も立てず、すっと扉が開く。

「レック・ナービスと言う人物について出来るだけ調べて欲しいの」

「かしこまりました」

「フリッツ夫人がお帰りなる前までに必ず報告を」

 エドは少し目を吊り上げた様な気がしたが、すぐに従順な礼を見せ、部屋を出て行った。

「情報が来るまでは、ネイルを仕上げたいと思いますので。じゃあ、このマグネットジェルを塗布しますね」

 リリーは先ほど見せたコンテナから筆ですくい上げ、サマンサの爪に塗布する。かなり爪に色がのるといつもよりも派手かなと思ったが、まあ、これはこれでいいかと思う。リリーは見たこともない細長い銀色の棒の様なモノを取りした。

「それは?」

「先ほど説明した磁石です。これでこうすると……ちょっと見え方が変わりますでしょう?」

「ええ、本当。不思議ね」

 リリーがネイルに銀の棒を近づけると、見え方が変わるから不思議だ。サマンサは言葉も忘れ、リリーの作業にただ魅入っていた。みるみるうちにネイルが仕上がる。

「あとは、トップを塗って仕上げですが、こんな感じで大丈夫ですか?」

「ええ、とっても面白い。こんな事も出来るのね」

「ありがとうございます」

 リリーがトップジェルで仕上げている所、ノック音と共に、エドが部屋に入って来る。

「これを」

「そこに置いて」

 エドの方を見ずリリーはそう言った。慣れているのか、机の傍らに一枚の用紙を置いて、そのまま部屋を出て行く。サマンサはエドが置いて行ったその紙が気になっていたが、後ろ向きに置かれているので何が書かれているのかはここから見えない。多分、先ほどサマンサが話した件でのことだと予想はしていたが。

「はい。じゃあ、こっちの手をライトに入れてもらったら終わりです」

 左手をネイルライトの中に入れる。リリーは筆をぬぐって、キャップをすると、ぺらりと紙を取った。

「良ければご覧ください。先ほど、話を伺った、ナービス氏のことですが、彼、裏では相当あくどいことをやっていますね」

 サマンサは差し出された紙を見る。そこには、実家を飛び出した後、芸術の勉強の傍ら、お金がなく違法ドラッグの密売や、窃盗集団に加わって、良くない仕事をしていた経歴が書かれている。

「これは……でもこんな、まさか」

「ええ、全て表には出ていないナービス氏の事情です。何かある度に実家のナービス商会の方で火消し、隠蔽をしていたようで」

「なるほど」

「ですが、気になるのは、今はお金があるのになぜこんな事をしたのか。それに”海の至宝”と字名がつく程のブルーダイヤを盗んだところで、売りさばけないでしょう。正規のルートなら足がつきますし」

 確かにと、サマンサは頷く。実家のナービス商会を通してなら出来るかもしれないが、あそこはかなり全うな商会だ。多分、問題を起こす末息子について、煙たく思っているだろうから、手を貸すことはしないだろう。それに、もし宝石の流出がバレたら、ナービス商会の看板に大きな傷がつく。

「もう一つ思うことは、旦那様のフリッツ社長は非常に頭の切れる方と存じております。未だ、本当にこの事態を本当にご存知ないのですか?」

「ええ。多分。今朝もその話は話題にならなかったし、いつもと様子も変わらない様に思いました。私からももちろん話しておりませんし……」

 ちょうど左手を入れていたライトが消えた。手を出すとリリーは硬化具合をチェックしながら、白いペ―パーで爪の表面を拭き上げ、気になる箇所にやすりをいれる。最後にネイルオイルと言う花の香りがするものを、塗った。

「完成です。気になる箇所はありませんか?」

「大丈夫です」

 サマンサは両手の爪を見る。いつもと違う自分の爪に新鮮でそれからキラキラとして、素敵だなと素直にそう思った。

「それから」

 リリーは真直ぐにサマンサを見ている。

「先ほどの宝石の件ですが、私の意見ですけれど、やはり旦那様に包み隠さず相談されるののが、一番の解決の早道だと思うのです。もしそれで何かあったら、ネイルサロンに駆け込んできてください。私に出来ることでしたら力になりますから」

 サマンサはふうと息を吐いて、自身のネイルをもう一度見た。少しだけ、心が落ち着いて来た気がする。

「勇気を出して相談してみます」



 リリーの前ではああ言ったものの、いざ目の前い夫がいると、どう話を切り出したらいいのか。心臓の音で食欲が進まない。

「どうした?」

 ダイニングで、夫と向い合わせに少し遅めの夕食を取っているところだ。

「いえ。なんでも」

 サマンサはパンをちぎると、スープに浸して食べる。

 大好きな枝豆のポタージュなのに、味がわからない。

「今日は、あのお気に入りのネイルサロンの日だったと思ったが、何かあったか、もし気に入らないことがあるのなら……」

「いえ、いつもは選ばないデザインにして私はとても満足しているわ。どうかしら?」

 サマンサは微笑んで、夫に爪先を見せる。

「へえ、そんな風にも出来るのか。面白いな」

「ええ、とても。それにいつもネイルをしてくれるリリーさんも、とてもいい人で」

 サマンサはもう一度自身の爪を見て、覚悟を決める。

「それから、ちょっとだけご相談したいことが」

 夫は硬質なサマンサの声に一瞬にして空気を変えた。それに少しだけ腰が引けそうになるが、勇気を出して。

「実は………………」

 リリーに話した通りに、夫にもレック・ナービスとの間にあった出来事をそのまま話した。怒られるかと思ったが、サマンサの思った反応とは異なり、夫は次第に視線を彷徨わせそわそわとする。

「そのことなんだが、サマンサ。実は私からも話をしようと思っていたんだ」

「え?」

 サマンサの驚きはその言葉と、夫が上着の内ポケットに手を入れ、海の至宝を取り出し、立ち上がるとサマンサの首元にかけたことにもある。

「なぜ、それを」

 なにがなんだか、さっぱり訳がわからなかった。首にかけられた、ブルーダイヤを手に取る。間違いなく、サマンサが持っているものだ。見間違うはずがない。

「まさか貴方がレック・ナービス?」

 サマンサの言葉に夫はきょとんとして、ははっと笑い出す。

「なるほどその発想はなかった。しかし、断っておくが、私とレック・ナービスは別人だ」

「では、どうして?」

「話すと長くなるのだが」

 夫の話しによると、騎士団の方で、レック・ナービスが同じ手口で貴族や商会の夫人から宝石を強奪しているという通報が相次ぐも、決定的な証拠が手に入らず、捜査が難航していた。それで目をつけられたのが、我々フリッツ商会で、恐らく近日中にレック・ナービスが商会に行くだろう。決定的な現場を押さえたいので協力を頼まれていたと言うのだ。

「君が、あいつからホテルの自室に誘い込まれた時には腹が煮えくり返るかと思った。それから、乱暴に部屋から放り出されたことも」

「あれ全てを見ていたの?」

 夫はこくりと頷き、言いづらそうに、

「ほら、倒れていた君に声をかけて起こしたボーイがいただろう。あれは私だった」

「まさか……」

「いや、君があれだけ茫然自失になっていた。私も、もちろん見た目も声も変えていたから気付くはずがないんだ。だけれど、君をあそこから、遠ざけたタイミングですぐに騎士団があの男の部屋に突入したので、すぐにダイヤは取り返した」

「そう、そうだったの」

「私からも早く白状しようと思っていたのだが、なかなか言い出すタイミングがなくて……ごめん」

 リリーのアドバイスは本当にすごいと思いながら、二人で笑い合い食事を再開した。

 だけど、レック・ナービスがなぜ、そんな犯行を重ねていたのか、その理由は結局聞けずじまいだった。

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