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テラコッタのワンカラー

 サラ・ブラインは、気付くと何度もため息をついている自分に気が付く。

 億劫な気持ちを見ないフリして馬車を降りた。

 目の前には、何度も見慣れた白壁の家屋。ここは王都の一画にある行きつけのネイルサロン。

 いつもならここに来るたび、わくわくとした気持ちになれるのに、今日はどうしてもそんな気持ちにはなれない。こつこつとヒールの音を鳴らして、玄関扉までの石階段を上がると、ゆっくり、扉が開く。

「ご予約のお客様でしょうか?」

 顔を覗かせたのは、きっちりと皺のないお仕着せを来た、一人の女性。ネイルサロンのオーナーであるリリー・アスセーナスに仕える使用人の一人で、名前をアリと言う。とりたてて、派手な顔だちではないが、色素の薄い金髪に、白い肌。よく見ると、綺麗な顔立ちをしている。

「サラ・ブラインです」

「ブライン様。おまちしておりました。こちらへどうぞ」

 いつものやり取りなのだが、どうしてもため息が漏れてしまうのは仕方ないことだと自分に言い訳をする。

「お預かりするものはございますか?」

「いいえ」

 持っているのは小さなクラッチバック。手袋は脱いでバックにしまい、膝の上におく。それもいつものことだ。

 何度目になるかわからないため息を吐いて、アリの後ろに続く。

「どうぞ」

 アリが開いた扉の先は、いつもの施術室。

「お待ちしておりました。サラ様。お飲み物はいかがいたしますか?」

 エプロン姿のリリーが笑顔でこちらに微笑む。いつもだったら同じテンションで微笑み返せるのだけれど、今日はどうしてもそれが出来ない。

「何か温かいものを」

「かしこまりました」

 リリーは気にする様子もなく、ただ微笑んでつかつかとアリに近寄り耳打ちをする。アリが頷き、一礼すると部屋を出て行くのと同じタイミングで、リリーはサラの方に戻って来ると、ソファーを引いた。

「どうぞ」

 サラは手袋を乱雑に脱いでソファーに座る。

 リリーその机を挟んで正面に座り、

「では、両手を前にお願いできますか」

 その言葉にサラは両手をアームレストの上にのせた。

 言葉は何も発さない。頭の中がぐちゃぐちゃに混乱していて、上手く言葉が出てこない。リリーはサラを気遣ってか、特に何も聞かず、両手の爪の状態を確認し、作業をすすめる。いつもなら、何かしら二人の間に会話があるが、今日はなにも。

「今回はどうしますか?」

 リリーは作業の手を止めずに不意にそう聞いた。その声にはサラを責める気持ちは微塵も感じられない。逆に申し訳なくなってしまって、本当は漏らしてはいけない気持ちを吐露してしまったのだろう。

「お任せします。できれば、早めに今日は帰りたいと思っていて、…………本当は、私、ここに来ている場合じゃないんです。でも、あそこに居ても私なんて何の役にも立たないから」

 溜まっていた思いを言葉にだして、すっきりするかと思えば、逆に声が震えた。やっぱり、アレは現実に今、起こっていることなのだと痛感させられ、尚更怖くなった。

 リリーはこちらをちらりと一瞥する。

「早めにですね。かしこまりました。そうすると、あまり凝ったデザインは時間的に難しいので、シンプルにワンカラーはどうすか?」

 ワンカラーは爪全体に一色、色をのせるデザインだ。いつもは、リリーがおすすめするラメなどを加えたデザインをチョイスするこく、いつものデザインにも後ろ髪をひかれなくはないが、この状況下では、シンプルな方がふさわしいと思われた。

「そうですね。ワンカラーでお願いします」

「色はどうしますか?」

「どんなカラーがいいかしら」

「うーん。そうですね」

 一旦、作業の手を止めると、リリーの後ろにある棚からカラーチャートを取り出して見せる。

「シンプルなものがよろしければ、このあたり。ピンクやベージュかな。あとは、ボルドーなどのこっくりとした濃いめのカラーをワンカラーでいれても綺麗ですよ」

 リリーが指し示すカラーをみて、心なしかふっと気持ちが安らぎ、

 キレイだな。

 可愛いな。

 そんな気持ちが湧き上がる。

「濃いめでシンプルなカラーってありますか?」

 だからこそ、そんな無理難題を彼女に問いかけたくなってしまう。ノック音がして、パタリ、扉が開くと、アリがサラのソファーの隣、サイドテーブルにティーセットを置いた。その香りから、カモミールティーだと思った。リリーがうなっているのを横目にカップに口をつける。

「美味しい」

 非常に飲みやすくて本当に美味しかった。振り返ると、アリは恭しく一礼し、部屋から出て行く。

「こちらのテラコッタのカラーはいかがですか? 濃い目カラーの分類になると思いますが、肌馴染みがいいので、爪だけが悪目立ちすることはないかと思います」

 リリーが示したのは、オレンジとベージュを混ぜ込んだ様な温かみのある色だった。一目みて気に入り、この色でとお願いする。少しだけ、サラの表情が緩んだのを見逃さなかったのだろう。リリーは自然と、

「お忙しいのですね。とてもお疲れの様子ですし」

 目の下のクマも、気遣って言葉をかけてくれる。

「ご心配ありがとうございます。……あの、これから話をすることは外部には漏らさない様にお願いしたいのだけど」

 リリーは作業の手を止め、顔を上げると、こくりと頷く。

「実は、前にもちらっと話をしたことがあったかと思いますが、私は、第八王女シャーリー様の家庭教師をしておりまして」

 初めてリリーに会ったのはもう数年前になる。

 ネイルサロンを訪れたきっかけは王宮の女官が綺麗な爪をしていたので、どうしたのかと聞くとリリーネイルに行ったと聞いたから。

 最初は世間知らずの令嬢が、趣味程度ではじめた店なのだろうと思って、期待していなかった。しかし、作業をする彼女は真剣そのもの。幼いころから練習してきたのではと思われるほどの技術。なにより、他者に対しての観察眼の鋭さや、物事に対しての斬新で鋭い考え方。貴族令嬢らしからぬ、彼女の人柄に惚れ込んだのも事実。だからこそ、彼女を信頼してそんな風に話しを始めたのだと思う。

「そうでした。以前もお話伺いましたわ。王女様も非常に聡明な方で、素晴らしいお仕事にやりがいを感じていらっしゃると」

「ええ。そうなのですが、その……王女様が行方不明になってしまったんです」

 そう言い切った時、リリーは言葉を発さず、眉ひとつ動かさなかったが、明らかに空気が変わった。

「……爪の形はいつもと同じでいいですか?」

「あっ……はい」

 王女の話について根堀は堀聞かれると思っていたから、リリーのその言葉に少々拍子抜けした感じがあるのも否めなくない。

「ワンカラーだと、爪はいつもより少し長めの方が綺麗に見えるかなと思いますが、長さはどうします? いつもぐらいまで短くします? それとも長さを少し残しますか?」

「じゃあ、少しだけ残してもらおうかしら」

「かしこまりました」

 リリーはそう言って”やすり”と言う道具で爪の形と長さを整えて行く。

「王女様の……その、行方はわかりそうですか?」

 話が戻り、サラはため息を吐くと力なく首を横に振る。

「お出かけされた時に行方不明になってしまって。世間には、お忍びの外出だった事もあって、まだ公になっておりません」

「行方不明になったのは?」

「昨日の午後です」

「手掛かりも何も残されていないのですか?」

「その……王女様は第三王女様であるミネラ様と仲がよかったのです。ミネラ王女はご存知でいらっしゃいますか?」

「確か公爵家に嫁がれたと聞いていたと思いました」

「ええ、その通りです。それで、ミネラ様の公爵家にお忍びで出かけられた所、その馬車が襲われてしまったのです。多少お耳に入っているかと思いますが、ミネラ様の嫁がれたフォックス公爵家は、今微妙な御立場にあって、王家としては表立っては行動出来ない様な状況なので」

 現フォックス公爵はミネラ様の旦那様であるが、大旦那様と大奥様もまだ健在であるが、大奥様は隣国のモゼール王国の出身だ。二国間の友好関係を築くためだったのだが、最近は不穏な空気が漂っている。

「馬車と言うのは、王家の馬車だったのですか?」

「いえ、アレは目立ちますから。そうじゃないものでわざわざ。だから、私共もまさかと」

「その乗っていらっしゃった馬車自体は発見されたのですか?」

「街道から少し外れた林の中に馬車だけが残されておりました。御者と馬も王女様と一緒に消える様にいなくなってしまって……」

 矢次に飛んでくる質問にサラはスラスラと答えて行く。本来であれば、第三者に漏らすべきではないのだと心の奥底で思いながらも。

「馬車の車内に血痕や争った形跡は?」

「私は実際に見た訳ではないのですけれど、調べた騎士達の話では、血痕は見当たらなかったと。ただ、座席や天井などの内部はめちゃめちゃに、刃物で荒された形跡があったと聞きました。でもそれについては、もしかしたら故意的に傷つけられた様にも見えると。本来なら、傷つけるのが難しい場所にまで傷があったようで」

 リリーはそれを聞くと、一人でうなりながら、サラの爪の表面を白いペーパーで拭き上げた。

「うーん」

 大きくため息の様な唸り声を上げたかと思うと立ち上がり、カラージェルの用意を始める。

「ちなみに、現在シャーリー王女につかれている侍女の方は古参の方なのですか?」

「いえ、シャーリー様のお小さいころからお世話をしていた侍女が腰を痛めてしまったこともあって。現在はここ最近、募集をかけて応募してきた若い女性が」

 その言葉にリリーは、はっとした表情を見せる。

「もしかしたら、何かお力になれることがあるかもしれません。もしよろしければ私の方で少し調べさせていただいても?」

 リリーの申し出にサラは一瞬、どう返答すべきかと、考え固まったが、すぐに頷いた。

 それは今までの彼女との付き合いの中で、リリー・アスセーナスと言う一人の女性が信頼しての判断。それに、こちらとしても現状何も手掛かりがない以上、藁にも縋る思いでもあった。

「お願いできますか? 王女は隣国の王子と婚約が決まっている身でもございます。あっ、これもまだ公にはしていませんので、内密にお願いしたいのですが。それもあって、出来れば公にせず王女が戻るようにと仰せつかっている次第でもございまして」

「わかりました」

 リリーは笑顔でうなずくと、机に置かれたベルを鳴らす。

「お呼びでございますか?」

 ベルの音が鳴った途端に、アリが一礼し部屋に入って来る。

「仕事を頼みたいの。サラ様、一つだけお願いが」

「ええ。私に出来ることであれば」

 リリーは机の引き出しから、紙とペンを出して目の前に置いた。

「こちらに、王女様と一緒に行方不明になられたという御者と新しく王女様付になられたという侍女の名前を書いていただけませんか」

 サラはこくりと頷き、ペンをとると名前を書き並べた。書き終わった紙をリリーはアリに半分に折って手渡す。

「この二人について調べて欲しいの大至急。出来れば二人の因果関係も合わせて」

「いつまでに?」

「サラ様が帰られるまでに」

 アリは一瞬、顔を顰めるも、

「かしこまりました」

 そう言って、紙を受け取るとそのまま部屋を出て行った。

 リリーはふうと、息を吐いて、サラに向きなおる。

「情報が来るまでは、ネイルに集中しましょう。じゃあ、右手から、ジェルを塗布していきますね」

「お願いします」

 先ほどまで、出なかった言葉が少しずつ、出る様になった。サラ一人だけの力ではどうしようもなかった。だけど、リリーに話を聞いてもらって少し心が軽くなった。それから大丈夫だと。そんな風にも思える。なぜ、そんな確信が生まれるのか、わからないが、

「ライトに入れて下さい。硬化熱が出る場合があるので、熱いなと思ったら、出してもらって大丈夫ですから」

「はい」

 リリーはいつもそう言うのだが、未だかつて熱いと思ったことはない。じんわり温かいかなと感じることはあって。多分、単純にリリーの腕がいいのだろうと思っている。

「じゃあ、カラーを塗って行きますね」

 手際よく筆で動く度に、爪が色づく。

 その時点で、ひいき目かもしれないが、自分の手元がキレイだなと思わずにはいられない。

「よしっ、じゃあ、ライトに。お願いします」

 サラは右手をライトの中に入れる。

「ワンカラーって、初めてですけど、こういったシンプルなものもいいですね」

 色づいていく左手をみながら思わずそう言った。

「シンプルだけど色によって印象をがらっと変えられますしね。それにささっとできます。かくいう私もワンカラーが多いです」

 リリーは作業の手を止めずにふふっと笑う。彼女の手元は濃いピンク色。

「じゃあ、こっちもライトに。反対の手をこっちに。あとはトップを塗って仕上げになりますが、色の濃さはこのくらいで大丈夫ですか? 重ね塗りすれば、もっと濃い色にも仕上げられますけど」

「これで大丈夫です」

「じゃあ、このまま仕上げて行きますね」

 リリーはカラーのコンテナの蓋を閉じて(コンテナと言うのは小さなクリームケースの様な容器)、トップクリアジェルと書かれた、カラーの入ったものよりも一回り大きなコンテナを取り出す。筆をリリーがティッシュと呼ぶ、使い捨てのペーパーでふき取り、黒いコンテナから透明のジェルを筆ですくう。

 右手の親指から、丁寧にジェルをのせ、フォルムをつくる。

 何度も見ている光景なのだが、いつもどうやって。何を念頭に置いて作業しているのだろうかと思わずにはいられない。

 右手が終り、左手も後数本の指で終わり頃、こつこつと扉をノックする音と共に、アリが部屋の中に入って来た

「こちらを」

 真っ先にリリーの元に行くと、一枚の用紙を差し出す。その時、左手の最後の指、小指が終わった所だった。リリーはライトに入れる様、サラに促し、使っていた筆をティッシュで拭うと、キャップにしまい、アリから用紙を受け取った。

 何が書かれているのか、リリーの表情からは読み取ることは出来ないが、すっと顔の色をなくした時に、どきりとした。

 ネイルライトは六十秒経つと自動的に消える。ライトが一人手に消えたので、サラは手を取り出した。この後、どうしたらいいのかと思っていると、

「失礼しました。最後、チェックしてネイルオイルぬりますね」

 リリーは持っていた、用紙を机の脇に置く。サラは両手を差し出した。

 ペーパーに液体を含ませたもので、爪の表面をキュッキュッと拭き上げる。ところどころ、やすりをかけ、ネイルオイルを甘皮の辺りに落とし、爪全体に馴染ませていく。

「最後、ご確認いただいて気になる箇所がないか見ていただけますか?」

 リリーはいつもそう聞くが、そんな箇所は全くない。

「大丈夫です。ありがとうございます」

 サラは艶めく、自分の手元に見とれていた。

 はっと我に返って、顔を暗くする。――早く城に戻り、シャーリー王女の行方について、進展がないか確認して、サラ自身も捜索に加わらなければ。

 冷めたハーブティーを飲み干すと、バッグにしまい込んだ手袋を取り出す。

「あと、こちらですが」

 リリーは先程とは違うトーンで話を切り出すと、脇にのけていた先ほどの用紙を差し出す。

「先ほど伺った、王女様の件で。もし何かお力にられればと思いましたので」

「わざわざご親切に」

 サラはそう言って、受け取った用紙をみてぎょっとした。

「これは……」

「私も先ほど、確認したのですが、姿を消した御者と、今王女様についている侍女ですが、二人ともエブラタル地区の出身の方のようです」

「まさか。でも王城に務める際は厳格な審査があるはずで」

「サラ様が仰る通りなのだと思いますが、何事も抜け道と言うのはあるものですから。彼らがどうやって滑り込んだのか、そこまではわかりません。ただ、エブラタル地区出身だという情報は信じられるものです」

 エブラタル地区と言うのは、アンバー王国の郊外にある辺境地を指す。もともとは独立国家であったが、今から三十年程前、小競り合いがあり、アンバー王国が勝利。王国の領地になった経緯がある。

「エブラタル地区は、……私も行ったことはないので、詳しい内情はわかりませんが、非常に自分たちの土地と民族意識の高い地区で、今でもきっかけがあれば独立を望む革命家たちが水面下にいて」

「まさか」

 リリーの言葉にサラは息をのんだ。

「アリの調査では、御者の男は革命家の一人であると」

「……」

 サラは言葉が出なかった。この事態に対して、どう対応すればいいのか色々な考えが頭の中を駆け巡り、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。リリーは話を続ける。

「シャーリー様がお姉様の公爵家にお忍びで帰られたと仰っていましたね。もしかして、王家の馬車を使うと目立つから危険かもしれない。別で、手配をしたほうがいい。と、それを提案したのは侍女の方ではないですか?」

「……そうです、そうでした。でもまさか……」

「その時点で仕組まれていたのかもしれません。御者の男は人気の無いところで、王女が如何にも強盗に襲われた様にみせかけ、王女を誘拐。その時、馬車は置いて、馬だけでどこかに逃げたのでしょう。」

「でも……一体どうしたら?」

 いきなり流れ込んで来た情報量にサラはパニックを起こし、思わずそうたずねてしまった。リリーは、アリと目を合わせ、一つ案があると話を始める。

「これをどう判断するかは、皆さまの裁量かと思いますが、私が申し上げるのは一つの意見として聞いていただければと思うのですが、侍女さんはまだ王城にいらっしゃいますね?」

「ええ。ここに来る際にはまだ。ですが、お昼にはご実家に変えられると。確か、ご家族で体調がよくない方がいらっしゃるとかで」

 そう言いながらも、全てが上手く出来過ぎてはいないかと思わずにはいられなかった。

「ではお昼に退勤する侍女さんの後を悟られない様に尾行してはどうでしょう? 恐らくですが彼女は実家ではなく、王女様が攫われ、かくまわれている場所に向かうでしょうから」

 リリーの言葉に見送られ、サラはネイルサロンを出てすぐに馬車に飛び乗った。

 王城へ到着し、すぐに王女の捜索に関わっている作戦本部に向かう。この作戦本部を現在指揮しているのはデュランと言う近衛騎士隊長である。

「デュラン様、王女様の手掛かりは?」

 サラの言葉にデュランは力なく首を横にふる。彼も昨日からずっと寝ていないはずだ。無精ひげが生え、珍しくくたびれた印象が伺える。

「内密にお伝えしたいことがございます」

 隊長の隣には、万が一の場合に備えるため聖女様が控える。今ここに居るのはナズナと言う聖女だ。彼女がもつ聖女の力は非常に強いと言われている。

 聖女は裁きの光で魔獣を倒すだけでなく、回復系の術(聖女によって使える能力はまちまちだが彼女は使える)を行使してもらうためだ。

「私も話しを聞いてもよろしい?」

 ナズナがそう聞くので、もちろんですと強く頷く。

「じゃあ、こっちへ」

 三人は奥の部屋に移動する。

「こちらをごらんいただけますか?」

 サラはリリーから受け取った用紙を二人に手渡し、彼女から聞いた説明をそっくりそのまま話した。デュラン隊長は話を聞きながら次第に顔を険しくする。

「その、リリー・アスセーナス。彼女の情報は信頼できるものなのか?」

 サラは今までのリリーとの付き合いから、彼女は口が固く信頼できる人物であると確信をしていた。しかし、改めて聞かれると……。

「アスセーナスは……子爵家か。リリーと言うのは、そこの令嬢か?」

 デュラン隊長の言葉にこくりと頷くも、アスセーナスは王都ではそれほど耳にすることのない名前。名前も聞いたことのない貴族の令嬢の言葉が、王女の捜索に、どれだけ有用であるかデュラン隊長の疑念もわからなくはない。

 それでもリリーの持つ鋭い視点や、あの短時間での情報収集能力には舌を巻く。

「私、一個人の見解ですが、信用のおける方だと。この情報に関しても、何の見返りもなしに提供してくださった次第でございますし」

 そう言ったところで、次は機密情報をもたらしたと、怒られるのだろうか。リリーの意見が採用されなければ、それまでだとサラは腹をくくる。

「私もリリー・アスセーナス様がそう仰っているのであればそうなのだと。充分信用できるお方だとそう思っています」

 意外にもサラに救いの手を差し伸べたのは、聖女ナズナである。

 何故だろうと思って、ふと彼女の手元を見ると、リボンがあしらわれた黒の爪先がのぞく。

「聖女様までそう仰られるのなら、該当の侍女について、こちらで手配をしておきましょう」

 デュラン隊長は部下に指示を出すべく、部屋を出て行った。

「サラ様」

 聖女ナズナの問いに、サラはふっと顔を向ける。

「昨日から眠っていらっしゃらないのでしょう?」

「……ええ」

 精神的にも仮眠をとれるような状況ではなかった。

「あの仮設ベッドで少し仮眠をとった方がよろしいかと」

 ナズナは部屋の奥に設置された仮設ベッドを指さす。シーツなどは真新しく、ピンとしている。確かに、出来ることならひと息つきたい気持ちではあるのだが、王女のことが心配でならないのも事実。神経がきりきりと張り詰めており、目を閉じても眠れない様な気がする。

「大丈夫です。ベッドに横になって」

 その優しい言葉とは裏腹にサラはほぼ強制的にベッドに横にさせられる。

 聖女の冷たい手が額にあてられ、目を閉じた。冷たいと感じた手はじんわりと温かみを帯び、それからはアッと言う間。まどろみの中、意識を手放した。

 

 夢を見ていた。

 サラは宇宙にいる。星たちはゆっくりと公転し、その流れに乗ってサラ自身も回っている。その中で、自分は今いる世界のよりもっと大きな自然の摂理にいるのだと感じられた。

 画面が切り替わり、辺りは見たことのない都市が。大きな背の高い建物が立ち並ぶ。ネオンの明かり。

 サラはそれを知らない、今まで見たことのない光景のはずなのに、どうしてだか、その世界をその景色を懐かしいと思った。

――決して、戻ることのできないその世界。

 風の妖精に口づけされ、”本当は持ってはいけない記憶も持つ人が稀にいるのよ”耳元でそう囁かれぱっと目が醒める。

 

 

 きょろきょろと周囲を見ると、見覚えのある部屋。

 リリーネイルに行って、王女の失踪について情報を得て、聖女ナズナに仮眠するように言われ――眠ったベッドの上だった。

 目は冴えており、体もすっきりとしている。

 現実に戻ると、さっきの夢のことなど綺麗さっぱり忘れてベッドから立ち上がり、隣の部屋に向かう。

――王女様は……、


 先ほどまで、作戦本部として多数の騎士達が詰めていたその部屋は今や見る影もなく、がらんとしていた。一体なにがあったのかときょろきょろとしていると、すっと扉が開き、姿を現したのは白いローブを身にまとう聖女ナズナである。

「そろそろ起きられるころだと思いまして、ご気分は?」

 サラは大丈夫ですと頷きながら、

「王女様は、シャーリー様は?」

 詰め寄る様に聖女を見る。

「見つかりました。サラ様が持ってきてくださった用紙の、リリーさんの仰った通り」

 ナズナはにっこりと微笑む。

「では、やはりあの侍女が」

 聖女は心痛な面持ちでこくりと頷く。

「彼女の後を騎士達がつけておりまして、彼女は街道を外れ、王都の隅にある廃教会に」

「そこに王女様が? ご無事なのですか?」

「ええ。薬でぐっすりと眠らされた状態で、保護されました。命に別状はなくお怪我もありません。現在、薬師と他の聖女が交代でついておりますので」

「よかった」

 サラは大きく安堵の息を吐く。

 張り詰めていた神経がふつりと切れ、どっと疲れが押し寄せてくるような感じがあった。体がふわりとして、倒れそうになったところ、ナズナに支えられる。

「ありがとうござます。今、起きたばっかりなのに」

 ナズナはふっと微笑んだ。

「王女様はまだ、安静が必要ですから、貴女もゆっくりと休まれてください」


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