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ピールオフネイル

「遅れてしまい申し訳ございません。それに、ずいぶんとご無沙汰してしまって」

 夫のアシュトンと共に、不動産業を営んでいる、エリアナ・スピークスはあわてふためいた様子でサロンの中に入って来た。

 ついに王都にも敵国の軍隊がやって来るのではないかと噂が舞い込んだところ、王都の家を売り払って地方に引きこもろうと考える人が続出し、エリアナがてんてこ舞いになっていることはリリーも聞いていたので、実際にエリアナの疲れた顔を見て、前世でもネイルサロンの店が忙しかった頃、同僚が同じような表情をしていたなと思い出す。

「いえいえ、お気になさらないでください。こんな情勢ですからね」

「本当にもう、明日どうなるかわからないですものね」

 アンバー王国も新聞社もはっきりとは言わないが、アンバー王国が劣勢であるのは、火をみるより明らかであった。

 敗戦か、敵国の襲撃の知らせか。どちらが早いか、じりじりと迫りくるのを肌で感じながらも、いつもの変わらぬ暮らしと営もうとする、王都の雰囲気には刺々しいものがあった。

 一番苦しいのは、食料が手に入らなくなってきたことだ。

 アルコールや煙草などのし好品はほとんど手に入らなくなり、不満をかかえた市民たちが爆発し、衝突する現場に騎士団が介入する場面は、よく見る光景となりつあった。

 だからこそ、女性は陽が落ちてからの外出は控えざるを得なくなり、エリアナはその忙しい仕事の合間を縫って、なんとか来てくれている。それでも、現時刻は夕方の十六時。

 本当は午後二時に来る予定だったのだが、仕事の影響でこの時間になってしまった。

「でも、お忙しい中、わざわざ来ていただきありがとうございます」

 リリーは深々と頭を下げる。

「今日は絶対に、なんとしてでも来なければならないと思ったんです。最悪、ネイルの施術をお願いできなくとも、とにかく顔を出すだけでもと思いまして」

 エリアナの髪の毛は乱れ、ドブネズミ色の薄手のコートをまとっていた。本当に仕事の合間を縫って、着の身着のまま来てくれたのだろう。

「コート預かりますね」

 リリーがエリアナのそばに寄る。

「すみません。玄関のところのロッカーに仕舞うのを忘れてしまって……ともかく、一刻も早くこちらにと思っていたものですから。……ひどい色のコートでしょう?」

 エリアナが自虐めいた笑みを浮かべる。

「そんなことないです」

 慣れた手つきで、コートを預かる。

「主人が、この情勢ですから、外を歩く時はなるべくみすぼらしい恰好をするようにと、どこに仕舞っていたのか、このコートを引っ張り出してきたのです」

「旦那様の言う通りですよ。本当に今のアンバー王国は法なんてあってないのと同じ様な状況ですから。自分の身を守るのは自分しかないですもの」

 ちょうどアリが飲み物を持って来たので、カップののったトレイを受け取り、コートを玄関の方にかけてもらうように伝えた。

 机の前に座ったエリアナはようやく一息つけたと言わんばかりに、カップの紅茶を一口飲むと、

「ネイルサロンを休業されるという話は本当ですか?」

 その言葉とともに、リリーに強い視線を浴びせる。

「本当です。遅くなってしまい、申し訳ございません。お伝えしようとは思っていたのですが、色々と忙しくしていたこともあって」

「一体、なにがあったんですか?」

 エリアナがここまで強い口調でものを言うのをリリーは初めて見た。エリアナは我に返ったようで、

「ごめんなさい」

 と、言って、うつむく。

「謝らないでください。本当はもっと早く私がお伝えするべきでした………………それと、今日はどうしましょう?」

「それも相談したかったんです。休業されると言うのは一か月ぐらいですか? それであればいつもの感じでお願いしたいと」

「休業の期間はまだ、未定でして。恐らくもっと長くなると思います」

「そうですか……」

 どちらとも言葉を言い出しにくい、微妙な沈黙をやぶったのはリリーの方だった。

「あの、もしよろしければ、ピールオフと言って、ネイルマシンとか溶剤を使わなくても、自分でオフが出来るネイルがあるので、それにしてみましょうか?」

 気落ちした様子だったエリアナの表情が明るくなる。

「じゃあ、それでお願いします」

「かしこまりました」

 リリーがエリアナの手をとり、まず前回のジェルネイルの除去作業から始めた所で、

「それで、リリーさん。一体なにがあったのです?」

 エリアナの真直ぐな瞳にリリーは頷き、

「執事のエドを探しに隣国へ行く予定なのです」

「このさなかにですか?」

 エリアナが大きな声を出すのが当たり前だと、十分わかっている。

「そうおっしゃられるのはよくわかります。でも、エドが私達の助けを求めているの。手紙が来たのです。色々と見過ごせない事態が発生しているようですから」

「エドさん? あの銀髪の執事の方?」

「そうです。幼いころから、一緒でした。私とエドと、アリと。家族も同然の存在ですから」

「それはわかります。私も、もし、主人が戦地でなにかあったなら駆け付けたいと同じように思うでしょう。でも……」

「エリアナさんが仰りたいこともわかります。そして私が単身、戦地に向かうことの是非についても、もちろんわかっています。でも、それでもいかなければならないのです」

「リリーさんをそこまでかきたてる理由はなんなのですか? 教えていただいていも……ごめんなさい。立ち入った質問で。でも、みすみす友人をセンチに送るなんてこと、私は、やりたくないのです」

 リリーの事を”友人”と言ってくれた。ただ、それだけで、嬉しくて、この場にそぐわないかもしれないが、自然と笑顔になってしまう。だが、リリーは笑顔を打ち消し、

「エリアナさんは前世のこと覚えていらっしゃる?」

「ところどころですが」

「私は前世の家族を覚えています」

「私もなんとなくですが……でもどうして今その話を?」

「エリアナさんもなんとなく気付いているかもしれないのだけど、この世界には私達以外にも前世のキオクをもって、生まれ変わった、もしくはこの世界に生まれついた人がいると思うの」

 エリアナは真顔になり、視線を彷徨わせた後、ゆっくりと頷く。

「リリーさん以外に、ずばりとたずねたことはなかったんですけれど、もしかして……と思うことはありました。多分、私の仕事柄、割と多方面の人に会うことが多いからおのずとそんな機会もあるのだと思います。それで、何度かは」

「私も確信はないですけれど、気になったことはあって、何度も言いますけれど、確証はないんです。だから、表立って大きな声で言うことは出来ないですし、それに相手は、この世界に大きな影響を持っている人物なので」

「リリーさん以上に影響があると?」

 エリアナの言葉にリリーは思わず笑みをこぼした。

「もちろんです。私なんて大した影響はありませんよ、ただ、その人は――特に今のこの情勢では大きな影響を持っています。誰と、はっきりと申し上げるのは難しいのですけれど」

「その人物が、エドさんの窮地に関わっていると?」

「恐らく」

「そして、その人物を――A氏としましょうか。A氏はリリーさんの前世とも繋がりの深い方なのですか?」

「……まあ、ある意味深いですね。こちらから、繋がりを求めた訳ではないのですけれど」

 リリーは自分でも冷めた声でずいぶんと冷ややかな言い方になってしまった自覚はあった。

 目の前のエリアナが、蒼白になったことに気が付いて、

「ごめんなさい」

 と、急いであやまった。

「こちらこそ、言いたくないことを言わせてしまって、ごめんなさい。リリーさんにご事情があることも、何となくわかりました。私の言葉では引き留められないことも……」

「心配してくださったこと本当に感謝します。私はただ、それだけで、嬉しかったですし、心が温まる気持ちで一杯でした。でも、これだけはどうしても成し遂げなければならないので……」

 リリーはそれ以上、なんと言葉を続けていいかわからずに、作業に集中した。エリアナはそれ以上なにも聞かなかった。

 十本の爪のジェルオフ作業を置けた所で、エリアナを見る。

 サロンに入って来た当初から、ひどく疲れた様子であるのが、気になった。

「大丈夫です? 最近はお仕事も忙しいですか?」

 エリアナは弱々しく笑っただけで、何も言わない。

「差し出がましいことかもしれませんが、私でよければ、お話聞きますよ。」

 エリアナは微笑んだあと、しょんぼりとした。

「今日は私がリリーさんの話をと思っていたのに、結局こうなってしまうんですね」

「エリアナさんは十分すぎる程、私のことを気遣って、心配して下さっています。でも、やっぱりまずは、自分自身の不安事を取り除くのが先決です。それに、エリアナさんになにかあるままでは、私も安心して行けませんので」

「ありがとう。でも、特に何かが起こったと言う訳ではないんです。ただ、あえて言うと……ちょっと気になることがあって」

「どんなことです……? と、あ、その前にお色はどんな感じにします?」

「どうしようかな」

「ピールオフなんでストーンのせたりできなくはないですけれど、剥がす時、ちょっとしんどいかもしれないです」

「じゃあ、シンプルな色とデザインで。こんな感じはの色は?」

 エリアナが選んだのは、乳白色がかった桜色。

「ワンカラーにします? グラデーションにします?」

「ワンカラーでうっすらとした感じに。あんまりに派手なのはちょっと気が引けてしまうなと思って」

「承知しました。それで……話の腰を折ってしまって、申し訳なかったのですが、エリアナさんの心配事というのは、どういったことですか?」

「戦争の状況が劣勢であるのは言わずもがな、リリーさんもきっとご存知ですよね?」

「はい」

 メディアは一切報道しないが、アンバー王国が劣勢であるのは、王都に流れる空気感で誰もが知るところであった。

 アリの情報によると、さらなるサマン重工との関係の悪化で、兵器が手に入りにくい状況になっているらしい。その影響が絡んでいるのかは、わからないが、エブラタル地区で、デモが相次ぎ(これは環境推進委員会の革命家である前公爵からの情報だ。むしろ前公爵が先頭に立ってデモを引きおこしているようだった)そちらに王都に残る数少ない騎士団の人員がさかれ、王都の治安が格段に悪くなっている。

「食料なんかも、貴族の方はそうでもないかもしれませんが、配給制でアルコールや、煙草のし好品なんかはほぼ手に入らないような状況ですし」

「私も状況は一緒ですよ。逆に一般の市民の方の列を押しのけて、配給の列に並ぶ訳にも行かないので。貴族の方には、配給を利用できず、抱えていた使用人を大量に解雇したって話も聞くぐらいですから」

「リリーさんは大丈夫です? あの、紅茶なんかいただいても」

 エリアナは口つけていたカップのかしゃんと音たて、ソーサーに戻す。

「あまり大きな声では言えないのですけれど――と、言っても有名な話ですから、ご存知の方も多いと思います。私の親族に、フリッツ商会の者がいるので、その伝手をつかってなんとかと言う感じですかね」

「ああ、そうでした。このサロンの設えもフリッツ商会御用達だと話題になってましたものね」

「そうなんですか?」

 リリーが驚いた声を上げるので、エリアナが思わず笑みを漏らす。

「話題になっていましたよ。その頃は私もまだこちらに伺ってない時で、人気になってなかなか予約が取れなかったんですよね。一度来てみたいと思っていたのですけれど」

「それは大変失礼いたしました」

「いえいえ。懐かしいですね。あの頃はまだ平和で、自分のことと、自分の身のまわりの事だけを考えていたら、よかった――って、また脱線しましたけど、リリーさんは闇市の存在はご存知ですか?」

「聞いたことはありますが、詳しくは知りません。あまり関わりたくない存在ですし」

 闇市は無法地帯で、様々なトラブルが日々起こっていると噂話はよく聞いた。

 ただ、配給では手に入らないアルコールや煙草などが流通しているので、足を踏み入れる市民も少なくないのだとか。

 闇市自体が、違法地帯であるので、トラブルが起きても騎士団は介入しない。全て自己責任である。

 アンバー王国が国として機能している間は末席とは言え、リリーも貴族の一員である。アスセーナス子爵の家名を汚すことは出来ない。そのため、調査でもアリには闇市には踏み込まない様にと伝えていた。

「私も、今のところはありがたいことに闇市に頼らずとも、なんとか生活出来ているので、それで良かったのですが、主人がアルコールが好きなので、それだけが少しかわいそうにも思っていたんです。そんな時にヒックスと言う、一人の青年に会いまして」

「ヒックスさん?」

 リリーはピールオフのベースジェルを塗布し、ライトに入れるように促しながらそう聞いた。

「はい。彼との出会いは、私がちょっとお客様とトラブルになっていたところを助けてくださって」

「大丈夫だったのですか?」

「はい。家賃の滞納のことでちょっと口論に。そこにヒックスさんが入ってくれて、話はうまくまとまったんです。それで、お礼にとたいしたものでは出せないけれど、我が家に食事に誘いました。そうすると、主人と非常に意気投合しまして」

「ヒックスさんはどんな方なんです? エリアナさんから見て悪い方に見えるのでしょうか?」

 リリーの問いかけにエリアナは軽く首を横に振った。

「私が見る限りでは、彼は見た目通りの青年で。お人好しというか、逆に損してしまうような感じで。ただ気になる話を聞いたんです」

「どんな話です?」

「彼、一部の界隈では”死神”と言われているようで」

「死神? それはまた物騒なあだ名ですね。軍人あがりの方なんでしょうか?」

 どんなに温厚そうに見えても、ひとたび戦場に出れば人が変わると言う話はリリーも聞いたことがあった。だから、その類の人物なのかと思ったが、

「いいえ。戦争には一度も言ったことがないと。身体検査で引っかかるのですって。詳しいことは存知ませんけれど」

「それは本人から?」

「ええ。ちらりと戦争の話題になった時に、そんな風に話していました」

「そうすると、彼の何が一体”死神”なのでしょう?」

 リリーはジェルのコンテナを開け、ほんの少しだけ爪先にホログラムを忍ばせた。

 一見しただけではわからない。光にかざしてキラッとするくらい。

 エリアナはランバス(キラキラ、ひし形のストーン)きっかけでネイルサロンに来てくれたお客様で、彼女自身、きらきらとしたネイルデザインを好むのだということは今までのオーダー内容からそうだろうと思い、遊び心もあって使ってみたのだが、エリアナ自身は話に集中しており、その変化には気が付いていないようだった。

「彼、割と大きい店だとか、準貴族のお家に使用人として仕事をされていることが多かったみたい。それは、彼の人柄からもなんとなくわかる気がするの。でも……ヒックスが出入りした家では必ず死人が出るんですって。だから、気を付けた方がいいと、そんな事を言われたら、私、怖くなっちゃって」

「その話は誰から聞いた話?」

「ナイチンゲール社の記者の方から。不動産情報の掲載をしてもらうのに、やりとりがあるんですけれど、それで、そんな話を聞いて。今日遅くなったのも、いきなりヒックスが来るなんて言うから……主人は彼の事を疑う様子もないから心配で」

「ヒックスさんはお帰りになったのですか?」

「はい。彼を見送ってからこちらに伺いました。――忘れ物――なんてことがなければいいのですけれど」

 エリアナは蒼白そうな顔をしてる。よっぽど心配なのだろう。この時のリリーにはまだ何が、そこまで不安なのかまだわからなかった。

「今まで勤めていた先はどちらのなのです? その話は聞いていらっしゃいますか?」

「私も全てを知っている訳ではないのですけれど。でも直近では、マーシュさんと仰る方の家にいたと伺いました」

「マーシュさん? もしかして、目抜き通りにある、あのパン屋さん?」

 マーシュのパン屋さんは王都でも人気の店舗だ。店主はお酒が好きで、人の好い店主は時折、店の前にテーブルを並べ常連客と酒を飲みかわしている姿も見かけた。しかし最近その、店主が病気で亡くなったと聞いた。

 エリアナもその事実に気が付いたようで、ますます顔色が悪くなった。

 リリーは、アリを呼んだ。

「なにかございましたか?」

 つんと澄ました声のアリを近くに呼びよせ、

「ヒックスと言う青年についてちょっと調べて欲しいの」

 隣に立つアリを見上げる。

「ヒックス様? どちらの方ですか?」

 リリーは、エリアナを見た。彼女は首を横に振る。

「今はどうも失業中のようです」

「その前はどちらにお勤めだったか。もしくはどちらにお住まいの方がご存知ですか?」

 アリは丁寧な口調でエリアナに問いかけた。

「以前は、今リリーさんには申し上げたのですが、目抜き通りにあるマーシュのパン屋さんに。在籍していたのか、業者として出入していたのか、その辺りは定かではないのですけれど」

「お住まいは?」

「それも……そう改めて聞かれると、ヒックスのこと、名前以外のことはほとんど知らないみたいです。すみません、それだけの情報でわかります?」

「大丈夫です。お調べしてみます。では」

 目配せをしたアリは、そのまま部屋を出て行った。

「ヒックスさんが意図的にあえて、自分の情報を伝えてない。そんな風にも考えられるかもしれないですね」

 何の気なしに言ったのだが、思いの他、エリアナを不安がらせてしまった様で、リリーはすぐに謝った」

「大丈夫です。ただ、の杞憂であればそれでいいのです。でも、もしそうじゃなかったらと思うと……」

 「エリアナさん。もしかして、その噂話以外にも、ヒックスさんにのことについて、気になることがあるのでは?」

 エリアナは体をびくっと縮こませた後、視線を彷徨わせる。

 そして、覚悟を決めた様に息を吐き、口をひらいた。

「ここだけの秘密にしてください。ヒックスは、主人がお酒を好きなのを見抜いていて、よかったら伝手があるので、お酒を仕入れてあげようか。なんて言いだすのです。私はこんなご時世だからと断っているのですが、夫は今にも陥落してしまいそうな勢いで」

「なるほど」

 エリアナがこれほどまでに、心配する理由がようやくわかった。もし、お酒をもらってしまえば、ある意味弱味を握られているのと同義の状況に陥ってしまう。

 リリーはトップジェルの塗布に集中する。

 もしかしたら、ヒックスが善意でそうしてくれている可能性も捨てきれないとそう思い、アリからの結果を待たない限り、黒か白かを伝えるのは難しいと判断したからだ。

「ネイルはこんな感じでどうでしょうか?」

 ネイルオイルを塗りこみ、つやつやとした爪先をみたエリアナはぱっと表情を明るくする。

「ありがとうございます。ん? 先端に少しだけホロ入ってます?」

「よく気付かれましたね? ほんのりとしか入れてないのに」

「そりゃあ、わかります。いつもやってもらっていますからね。これで最後……じゃないですね、しばらくお願いできないのかと思うとちょっとだけ淋しいです。もちろんリリーさんの気持ちを尊重したいと思っているので、仕方のない事だと……」

「本当に……」

 ありがとうと、言葉は続けられなかった。

 ちょうどアリが息を切らせて部屋に戻って来たからだ。

「白だった?」

 アリから報告書を受け取り、そう聞いてみるのだが、彼女の表情から完全に黒だと言う事はすぐにわかってしまった。

 リリー受け取った報告書に視線を落とす。

「まず、ヒックスさんの行く先々で人が亡くなっていると言うのは、事実のようですね」

 

 ◇マーシュ家の大旦那様が胃潰瘍で亡くなる。

 ◇コナリー家の奥様が、自宅の階段から足を滑らせ、亡くなる。

  アリの調査報告書にはそう書かれていた。

「それ以外にもあったのかもしれませんけれど、直近ではこのに二件。どちらもここ一年の間に起ったことですから、確かにそう言われるのも仕方ないかもしれません」

「……ただ、不幸が続いた。それだけでは? ヒックスには何も関係ないように思われますが」

 リリーはアリを見て頷く。

「そうとも言い切れないのが、こちらです」

 リリーはアリから受け取った内の一枚をエリアナに見える様に机の上に置くと、エリアナは顔色を悪くした。

「これは本当ですか? ヒックスが闇市と深い関わりがあると?」

 リリーは頷いて、口を開いた。

「アリの調査を私は信じておりますから。それから、注目すべき点はこっちの方ですね」

 リリーはが示した先に、エリアナの視線が移る。

「粗悪品?」

「はい。闇市の粗悪品のお酒を横流ししているようです。多分、お酒のような――アルコールに似た別の液体を混ぜていたのだと思います。問いただしても、ヒックスさん本人は首を縦には振らないでしょう。恐らく見た目はきちんとしたラベルや酒瓶に入ったもので『期限の切れたものだから』と言って、流していたのだと思います」

 エリアナの唇がわなわなと震えている。

「でも、そんな体に悪いものを飲んだら……」

 エリアナは大きく見開いた。リリーはこくりと頷く。

「だから、亡くなってしまったのです」

「でも、そんなもの流石に飲んだら、素人でもわかるのじゃないかしら」

「そこが、彼のやり口の上手い所で、さっきも言ったけれど『期限切れの』と、説明することで、誰もが一瞬、味に違和感を感じたとしても納得されたのだと思う――それで、ここからは、私の推測ですが」

 エリアナは真剣にリリーを見ていた。

「亡くなったマーシュ家の大旦那様と、コナリー家の奥様。二人には共通点があるの」

「共通点、ですか?」

「二人ともアルコールが好きだった」

「それは……?」

「まず、マーシュ家の大旦那様の死因は胃がんとなっていること。戦前の頃はお酒が好きな方であるとのは周知の事実でしたし、お酒が祟り、病気を引き起こしたなんてことも、一部の親しい方には漏らしていたみたいです。本来であれば、この状況下で病気が良くなっているはずなのに、病状が悪化し亡くなっている。そして、コナリー家の奥様ですけれど」

「その方は、私も存知ておりますが、アルコールがお好きだったという話は、聞いたことがありません。むしろ、病弱な方と……」

「そこなんですけれど、逆にどんな病気を患っていたか、ご存知でいらっしゃいますか?」

「いえ、流石にそこまでは……」

「恐らく、奥様の病気はアルコール中毒だと思います」

「え?」

「醜聞になるからと、なかなかそうも言えることではなくって、病気で部屋に臥せっていると、そうしたのでしょう。多分、アルコールを飲んでふらふらの状態だったから、部屋に閉じ込めていたというのが真実かなと思います。ですから、事故が起こった原因はやはりアルコールでしょう」

「じゃあ、フラフラの状態で部屋の外に出て、転倒して階段から……」

「恐らくそうではいかと思うの、つまり、二人の死の要因になったのがアルコール。――ヒックスが横流しをしていた分でしょう。粗悪品だったから、いつも以上に酔いが回ったとか、体に悪影響を及ぼした。そんな状況だったのではないかしら」

 エリアナの表情からさっと血の気が引いた。

「でも遺族の方々は、まさかアルコールを横流ししてもらい、それが原因で亡くなったとは言い出せませんからね。ひっそりと葬儀を営んで、ヒックスには口止め料として多額の現金を渡して、解雇したのでしょう。それに味をしめたヒックスはもしかしたら……」

 エリアナはがたっと大きな音を立て、立ち上がる。

「私、あの男を騎士団に」

「エリアナさん、証拠がないの」

「でも」

「私の今の話は、事実から読み解いた、ソウゾウした結果をお話しているだけにすぎないの」

「じゃあ、一体どうしたら。主人がもし毒牙にかかったらと思うと……」

「対策は一つしかありません。ヒックスという男から遠ざかることです――アリ」

 アリは軽く一礼し、サロンを出て行くと、再び戻って来る。その時、長細い箱を携えていた。

「エリアナさんにお渡しして」

「こちらは?」

「正真正銘、フリッツ商会で取り扱っているウィスキーです」

 エリアナは驚きながら、ウイスキーの箱とリリーとを交互に見る。

「でも、商会では、今は在庫がないから販売をしていないと」

「店頭ではね。仕入れ量が少なくなっているのは、本当。でも、全く取り扱っていない訳じゃないから懇意にしているお客さまには販売をしているの――これは秘密にしてね。それで、ちょっと譲ってもらったの。エリアナさんのお家で、わざわざヒックスを頼らなくとも、お酒が手に入ることが、分かれば彼は離れて行くと思う。逆に嫌味を言われる様なことがあれば、お酒を横流しするとささやかれたと逆に言ってやればいいんだわ」

「ありがとう。でもいいの? ウイスキーなんてとても貴重なものなのに」

「私、アルコールは飲まないの。でも以前から、エリアナさんは嗜む程度に飲むと仰っていたので。これはほんの気持ちです」

 エリアナは少し戸惑っていたが、

「じゃあ、お言葉に甘えて受け取らせていただきます。きっと主人も喜びます」

「あと、アリ――エリアナさんのご主人には?」

「ご連絡いたしました。万が一があってはよくないですので、夕食をこちらでと。それでよろしかったですか?」

 リリーは頷く。

「私は、食事の用意をしてまいりますので」

 アリが出て行くのを目で追っていると、エリアナに袖をつかまれ、

「あの、どうして主人に連絡をしていただくまでの段取りが?」

「お時間がお時間だったので、どちらにしろこの後、エリアナさんひとりで帰られるのはちょっと危険だと思っていたんです。だから私としては、泊まっていただいてもいいなと思って、そのあたりの諸々も含めて、ご主人に連絡をした方がいいなと思ったんです。それならばと、もしよければ一緒に夕食をお誘いしてみて欲しいとアリはにはもともと伝えていたので。そうしましたら快く応じて下さったので。もう多分、間もなくいらっしゃるのかなと」

「本当に何から何まで……あの、これ。忘れてしまうといけないので」

 エリアナはハンドバッグの中から小さな包みを取り出した。

 包を開けると、リリーの名入りペンがあった。

「これ……?」

「私の実家が、そういった細々とした品物を取り扱っているお店を経営しているので、大したものじゃないんですけれど、旅の安全を願って」

 リリーは満面の笑みを浮かべる。

「ありがとう」

 

お読みいただきありがとうございます。

次を、少し長めにラストを予定しておりまして、年内には投稿したいと思っている次第ですが、もしかしたらちょっと遅くなるかもしれません。

どうぞよろしくお願いいたします。

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