プロローグ リリー11歳
――お嬢様に助けていただいた身ですから、誠心誠意お仕えいたします。
いつか聞いた言葉と誓いにいつわりなく、皺のないお仕着せを姿でせっせと部屋の掃除を終わらせていくアリの姿を、紅茶を飲みながらリリーは横目で見ている。
二人を屋敷に連れてきてから五年の月日が経った。
アリと、エドには、私が出来る限りの教育と衣食住を提供した。彼らはもともと、出来がいいのか、水を得た魚の様にメキメキと成長を見せる。
今では、二人が貧民街の出身だと思うものは誰もいない。立派なリリー専属の使用人である。
私、リリー・アスセーナスにはが五歳年上の姉がいるが、私が十一歳になったつい先日。とある伯爵家に嫁いで行った。
姉のリザには水魔法の才能があったのだと聞いてる。
ちなみに、スキルや能力は血縁に反映されない。ランダムで与えられるものだ。
三歳年上の兄、ハイドは子爵家の当主になるべく、勉学に励んでいる。ゆくゆくは、しっかりとした、妻を迎え入れるのだろうと言うことも感じ、その時には私も家を出なければならないと考えている。
小姑みたいになるのは嫌だ。
かといって、自分が結婚している姿が想像できない。それほど家格のない子爵家の娘であり、幸いにも借金などはないが、夫となる人の家に多額の持参金を持って行けるほど、裕福ではない。結婚に固執するならば自分の何倍もの年上の貴族の後妻におさまるのかと言う話になるがそれはご遠慮したい。
そうなると、やはり一人立ちしなければと思う。
エドがちょうど部屋に入ってきたタイミングを見計らって二人に私の今後についてそれとなく話した所、
「どなたかの家に嫁ぐと言う選択肢は全くないのですか?」
私よりも二つ年上のアリは、貧民街で会った頃とは打って変わり、丁寧な口調でそう聞いた。それを聞く度に、彼女の成長を感じて誇らしくなる。はっきりとそう言えば、難しい表情をされるのだけれど。
「あまり考えてないの。結婚して手に負えない様な人だったら嫌だもの」
特に貴族だと、外面はいいが裏では仄暗い噂がまとわりつく輩も少なくない。
お金があって、顔がよくて、地位もある。そう言った表の皮が良い人達はあまり良い噂は流れない。裏で何をしているのか、わからないから。
「騎士とか、魔術師とか自分の能力全うして生きている方を選んだらよろしいのでは?」
アリは最もな意見を述べる。
「そう言う、優良物件にあたる人はお金のあるお貴族様や商家の人間に取り込まれてしまって、私の出る幕はないのよ」
ふうと息を吐く。例えば、魔術師なら、一生魔術の研究をして暮らせる環境を全て保証するから、うちの娘と結婚しくれとか。それで、娘さんが可愛らしい方なら、魔術師だって断らない訳がない。
「まあ、おっしゃる通りですね」
エドは私のため息にフォローも同情もなく、さらりと話しをそのまま流す。
「では、将来はどの様に?」
アリの言葉に紅茶を一口。
私だって何も考えていない訳ではない。
「ネイルサロンを開こうかと思っているの」
「ネイルサロン?」
二人は聞きなれない言葉に顔を見合わせる。十年以上、この世界に生きてきて分かったことは、アンバー王国では、(他国には未だ行ったことがないのでわからない)爪の形を整える、概念はあるが、爪をのばしたりラメやストーン、ましてや色をのせると言う概念はない。
私が黙っていたので、アリが、「それはどういったものですか?」と、たずねる。
エドとアリの二人には私の持っているスキルのついて話してある。それと引き換えではないけれど、私も二人のスキルを知っている。
エドは【固有スキル:アサシン】
アリは【固有スキル:仮面】
エドは名前の通り、暗殺者としてのスキル。アリは一見わかりにくいが、様々な変装が出来ると言うものらしい。実際に二人がスキルを使ったところはまだ見たことがない。
「私のスキルで創った、ジェルと言うものを爪に塗布して、光をあてて固めるの。手か足の爪に色をのせて、絵を描いたり、デザインをしたり」
「爪に色をつけるのですか?」
エドは顔を顰める。
「実際にやってみせた方がいいわね」
私はクローゼットから、大きな箱を取りだす。中にはこつこつと、ここ五年。”創造”のスキルを利用して、私が創り出したネイル用品が入っている。必要なものを箱から出して、机に並べて行く様子を、エドとアリは何か言いたげな様子だが、口をつぐんで私の手元を見守っている。
「アリは右利きだったわね。慣れないことで、不安に思うかもしれないから、左手をちょっと貸してくれる?」
頷いて、アリはおずおずと左手を差し出す。その手を受け取り、一本だけやって見せたらいいだろう。そう思ってアリの人差し指を持つ。爪はもともと短く切り揃えられているが、軽くやすりをかけて、形を整え、プッシャーで甘皮処理を行う。
本当はネイルマシーン(ジェルネイルのオフや、ネイルケアに使用する道具)も欲しいところだが、この創造のスキル、思った以上に、一つ一つ、生み出していく度にごっそりと、何かが持って行かれる感じがして、どっと疲れるのだ。無限には創り出すことは出来ない。特に複雑なものを創り出すと、下手すれば一日寝込むことになる。だから、開業前には揃えたいと思っているが、ネイルマシーンを出すには二日がかりで頑張らなければならないと思っている。
今は一日、一つを目標にカラージェルや資材を創造している。
「下処理は終わり」
アリの手を一度離して、次にネイルライトを取り出し、机に設置する。
「それは何ですか?」
「見てたらわかるよ」
アリの言葉にふふっと笑みを浮かべながら、ベースジェルとトップジェル、筆を用意する。
ネイルライトは電池型――この世界で言うと、魔石型とでも言おうか。創造でつくり出したものは、見た目や使い心地は前世で使っていたものと相違ないが、私が意図せずとも仕様はこの世界に準じたもので出現する。つまり、ライトは魔石の力を通して動く仕組みになっている。魔石はどうしたかって? ――もちろん、念じれば出てくる。
派手さはないが、ある意味チートスキルだと今では感じている。
ベースジェルを筆にとり、アリの爪にのせ、フォルムをつくる。自分の爪には時間がある時に試してみたが、人にやるのはあまりにも久しぶりなので、手が震える。
肌に溶液が流れない様に、気を付け名がら、フォルムを整えて、ライトに入れる様に促す。
「硬化熱が出て、熱くなることがあるかもしれない。熱くなったら出していいからね」
「はい」
普段からあまり表情を崩さず、冷静なアリであるが、流石にこの時は、今までみたこともないほど不思議そうな表情を浮かべ、恐る恐るライトの中に手を入れる。センサーが反応して、私が何もせずともライトが光だしたことにびくりと体を硬直させ、驚いていた。なんだかアリの鉄仮面を剥がした様な気分で、してやったりと内心、にやけてしまうのはご愛敬。
時間が経つと、ライトは自動的に消える。
ライトから手を出してもらい、何色をのせようかと考えていた。箱の中のカラーのコンテナを見ながら、いずれはカラーチャートも作らなければとも思って頭にメモする。
「アリは――仕事柄、あまり派手過ぎない方がいいかな」
選んだのは薄いベージュ。
目立たないいが、肌の色と馴染んで、手先が綺麗に見える。そんな色。
一度、塗布して硬化。
少し薄いかなと思い、もう一度、塗布して硬化。
「うん。いい感じ」
最後にトップジェルでフォルムを形成する。
開業するまでには改めて練習が必要だなと思いながら、身近にちょうど良い存在があったと思いつく。
「今後はお母様に練習と、開業にあたっての広告塔になっていいただけるといいわね」
アリにライトに入れる様に指示した。
「子爵夫人にですか?」
「ええ、お母様はパーティーが好きだし、派手好きでしょう? イミテーションの宝石とかをのせて硬化することも出来るから、あの人向きだと思うのよね」
子爵家にあまりお金がないのは一重にこの母親のせいだと言っても過言ではない。彼女は衣装代だ、宝石代だと湯水の様にお金を使っていく。
”貴族がお金を使わずして、誰がお金を使うの”
これが彼女の持論。もちろん一理あるとも思うが、お金は無限にあるものではない。なによりよくないのは、その母を止める存在が我が家に誰もいくなってしまったこと。嫁ぐ前の姉が少し母に言っていたことはあったが、その姉も家にはもういない。父である現子爵は、母にべた惚れで何も言えない。
その話は一旦、置いておくとして――多分、派手なもの新しいものが好きな母はネイルをするのを嫌がらないだろう。その爪で夜会でもパーティにでも行って、上手く行けばいい宣伝になる。
「はあ」
アリは頷きながらも首を傾げている。確かに、そんなことを言われても想像もつかないだろう。私は前世で幾度となくやってきたけれど。
そう言えば、エドは一言も発さない。テーブルの向こう側のソファーでじっと私の手元を見ている。
「エドもやってみる?」
私の言葉に明らかに嫌そうな表情をして首を横に振る。
「つまらないの」
前世では、男性でも熱心に通ってくれるお客様もいたのよ。と、言おうとして、こことは全く別の世界の話なのだと思い出して、口を閉じる。
少しだけ、前世で生きていた私になつかしさを覚えて、胸の奥にその気持ちを押し込む。
ネイルライトが消えて、アリの左手を取り出すと、エタノールを含ませたペーパーでキュッキュッと拭き上げる。
「完成。つやつやしていて綺麗でしょ」
アリに向かって微笑む。彼女は驚きの眼差しで、左手の人差し指をまじまじと見ている。
「スゲー、一体、どんな原理なんだ?」
一言も発さなかったエドがそう言った。よほど驚いたのか、お飾りの口調がすべて削げ落ちてしまっている。
「原理を聞かれてもさすがにわからないけれど、光をあてて、硬化する。人の体に害もないものをと考えて創り出したものだから。違和感とか痛みはないでしょう?」
アリに向かってそう聞いた。彼女は手を裏返したり、にぎったり不思議そうにその動きを繰り返している。
「はい。光に当たった時にちょっと熱いかなと思いました。それから、最初は少し爪にはりついている様な印象はありましたが、今は全く。素敵な色ですね」
褒めてもらって素直に嬉しかった。
「色はいくらでも変えることは出来るの。青でも白でもこういった、ラメが入ったものを入れることもできるわ」
私はラメの入ったジェルのコンテナを開けて見せた。
「すごいですね。これを全てスキルで?」
「まあ、ね」
前世で知っていたとは言わなかった。前世ももしかしたら全て私の頭の中で創造した世界かもしれない。そんな感覚が抜けず、不安があったから。
「これはどのくらいもつのですか? まさか、半永久的と言うことはありませんよね」
「さすがにそれはないわ。もって、一か月くらい。だから、一度お客様になってくれたら、これをオフしてまた新たなジェルをのせて、と言うことになるのね。だから、お客様が定期的な収入源になってくれるって訳」
「なるほど」
「それに私が知る限り今の所、同業者もいなさそうだしいいビジネスになるでしょう?」
ふふんと笑って見せる。