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夜空の夕映えネイル 4

 次の週になると、フリッツ商会のサマンサから連絡が来た。

 サンプルや色々と見せたい資料ができたので、一度会いたいという話だった。ドロシアは特に予定のもなかったので、その日の午後に来てもらうことにした。

 サマンサは会うなり、ネイルを見て、

「ネイルサロンに行かれたのですね」

 満面の笑みでサマンサはドロシアのネイルに目をやる。

「紹介してくださったその日に。サマンサ様か連絡してくださっていたので、とてもスムーズに。本当にありがとうございました」

「とんでもない」

 なんとなく、ネイルサロンであの後どうなったのかと話を聞きたそうな雰囲気はあったが、あの時リリーに”屋敷では話をしない方がいい”と言われたのを思い出して、なんとなく話しにくそうな雰囲気を出して視線を逸らす。

 サマンサは天真爛漫な女性だが、さすがにそこは商人と言うか、空気をよむ力は人一倍あるので、ドロシアからそれ以上話をする気が無いのだとわかると、すぐに話を切り替える。

「東屋のいくつかデザインのサンプルが出来ましたのでお持ちいたしました。こちらと、こちらと……こちらですね」

 サマンサマは美しい糸で織り込まれたバックの中から、デザイン画を取り出すと、机の上に並べた。

「実は最近、アンバー王国でも最近”オリエント”のデザインが流行しているんですよ。ただ、屋敷を大きく改修するというのはあまり現実的ではないので、ドロシア様の様に庭の東屋だけとか、温室だけとか、一部だけを改修してみたいと仰られる方がわりといまして」

 サマンサが見せてくれたデザインはカラーで描かれおり、ぺらりとページをめくると、詳しい設計図などが一緒にはさみこまれていた。ドロシアはすくいあげるように用紙を手に取り、一枚一枚丁寧にページをめくる。

 玉ねぎ型の宮殿の形をしたもの。

 流れる様な屋根の形に、朱色が印象的な建物。

 木材を使用した他に比べると質素なもの。

「どれが、一番人気のデザインになるのですか?」

「うーん。どれも人気ですが、あえてどれかと言われるとこれですかね」

 サマンサは玉ねぎ型の宮殿を指す。確かにインパクトがあり、こんなデザインの建物でティーパーティーなどがあれば、話題づくりいも良いだろうと覆う。ただ、ドロシアとしては、もう少し落ちついた、あまり他の人がやっていない様な感じがいいかと思っていた。

「さる貴婦人の方が、この東屋を自邸に建設され”妖精の館”と名付けられたのです。美しい、でもどこか現実離れした空想的な魅力があると、そう感じて名付けられたと伺いましたわ」

「なるほどですね――逆に、一番人気がないのはどちらですか?」

 ドロシアの質問の仕方が風変りだったからか、サマンサは「ん?」と、言ったがすぐにいつもの表情に戻り、

「そうですね、こちらのデザインでしょうか。我が商会をよく利用してくださいるお客様はどちらかというと、華やかなものを好む傾向がある様に思われます」

「なおかつ、派手で目を引く?」

 ドロシアの少々、挑戦的な物言いにも全く動じず、少し笑みを深めて頷いただけだった。サマンサが指しているのは、木材を使用した他に比べると質素なもの。

「それは、その方によって感じ方が色々あると思いますので」

「私は大々的なパーティーで使うというよりも、ちょっと一人になりたい時や、――そうね、内輪で秘密のちょっとした話をするときなんかに使いたいと思っていたから、今サマンサ様が指している様なデザインがいいかなと。逆にみんなが好んでいるものよりも、あまりアンバー王国では見ないデザインの方がいいかなと思って」

 ちょうど、ノック音がした。執事のピーターが入って来たので、ドロシアはあれっと思う。

 紅茶を持ってくるように伝えていたのは、パメラにだったから。

 ピーターはドロシアの表情をよんでか、

「彼女には至急依頼したい仕事が出来ましたので」

 そう朗らかに言うのは使用人たちを事実上取り仕切っているピーターなので、彼がそう言うのならそうなのだろうと。ドロシアはそれ以上の事は何も言わなかった。ただ、ちょっとだけ、違和感を感じた。それだけのことで。

「ねえ、ピーター、庭を少しばかり変えようと思うの。もちろん、ジョグはちゃんとしてくれているわ。彼の仕事に不満があるわけではなくて、ただ、庭の雰囲気を少し変えようと思って――例えば、こんな感じの東屋を建てようと思っているのだけど」

 ドロシアは机に並べられたうちの一つのデザインを指す。ピーターはそれを一瞥し、作った笑顔をはりつける。

「奥様のご意見には私は反対することはありません。逆にそういったことであれば私よりも旦那様にご相談いただければと思うのですが」

「伯爵様はしばらくお屋敷に戻られないと」

 そのことはピーターも知っているはずだと思った。だから嫌味の様に聞こえたその声に口を尖らせたのだが、ピーターは驚いた表情を見せた。

「ドロシア様。私どもはあくまでおご提案している段階ですし、ゆっくりと時間をかけて決めていただいて大丈夫ですから。ぜひ伯爵様ともご相談ください」

 サマンサは慰めるようにそう言ったが、ピーターはこほんと咳払いし、邪魔にならない場所に、紅茶をおいた。

「あら」

 ドロシアはサマンサを見て首を傾げる。正確にはドロシアのネイルを見て。

「左手のこちらの爪、先端のところがちょっとかけていらっしゃるわ。一週間ぐらいでしたら、無料でお直ししてくださるのよ。お時間があるようでしたら、行ってらしたら?」

 サマンサはそう言うがドロシアが見るに特におかしな部分はない。ただ、リリーが“一週間後ぐらいに”と、そう言っていた言葉を思い出す。

 実は今日の午後の時間を指定されていた。もう少ししてから、爪がかけたとパメラに言って、ネイルサロンに行こうと考えていたのだが、サマンサがこう言ってくれたので、その流れに乗じることにした。

「ピーター。お茶を飲み終わったら出かけるわ」

「かしこまりました」

「ドロシア様。もしよろしければ、私もそちらの方にこの後、行く予定がありますの。よければお送りします。ご一緒しませんか?」

 サマンサからの親切心の申し出に断るわけにもいかない。むしろ、断るほうが不自然だと思われた。

「本当ですか。ではお言葉に甘えて」

 ドロシアはにっこりと微笑む。

「ではお帰りの頃に迎えに行けるように馬車を手配させていただければよろしいでしょうか?」

 ピーターの静かな声にドロシアは頷く。

「ええ。それから、この前渡した名刺の、ネイルサロンのお店にこれから伺いたいと連絡をしてもらえるかしら」

 ピーターはこくりと頷くと、サッと部屋を出ていく。サマンサはゆったりとした表情で紅茶を口にした。


 

 馬車に乗り込むと、サマンサとドロシアの間に神妙な雰囲気が漂う。

「先ほどは話を合わせてくださってありがとうございます」

 サマンサは先ほどまで浮かべていた微笑みを消して、真剣な表情でドロシアを見ていた。

「いえ、リリーさんからも今週来るようにと言われていたので、ちょうど良かったです」

 ドロシアはそう言ったが、サマンサの意図はそこではなかったらしい。

「実は、少し気になることがありまして……あの場でお話しできそうもなかったので……もしご不快に思われる内容でしたら、お詫びいたします」

「いえ、そんな。それでお話しとは一体?」

「クレイグ伯爵家の執事のことです。立ち入ったことを伺いますが、彼の採用はどのような経緯で?」

 まさかピーターのことを聞かれると思っても見なかったので、ドロシアは一瞬、目を大きく見開き、視線を彷徨わせた。

「私が、伯爵家に嫁いだ時にはもうすでに。屋敷のことを取り仕切っている立場でした。旦那様が直接雇用されたのだと。私もお屋敷に来てから、彼の、ピーターの事は頼りにしておりました。彼のことで何か?」

 あの短い邂逅のなかで、彼が粗相をしたのだろうかと。そう思った反面、本来であれば、貴族の屋敷の執事について意見をするというは、その家に対しての抗議とも取られる可能性があるので、あまり滅多なことでは、誰も口にしない。しかし、サマンサが前置きの言葉を添えて、わざわざこの場を設け話をしようとしているのだから、よっぽどのことなのだと感じ、自然と体に力が入る。

「彼…………その、私が、思うに、エブラタル地区の出身ではないかと」

「え?」

「紅茶を出された時に、チラリと見えたの。手袋で隠しているのだと思うけれど、手首にその模様があって」

 ピーターは身だしなみに余念がない。彼が乱れた服装でいたことは一度もなかった。つまり、ドロシアと顔を合わせる時はいつだって白い手袋をはめている。

「私は、ピーターが手袋を脱いだ姿を一度も見たことがないわ……まさか」

 素直に認めたが、最後、言葉を続けられないほどの衝撃を感じている。

 エブラタル地区は現在、アンバー王国の一部であるが、元々は一つの独立国家であった。今より三十年程前に戦争があり、アンバー王国の一部となった経緯がある。

 元々、民族意識の高い地域で今もきっかけがあれば独立戦争が勃発してもおかしくないと言われていおり、現実、それを望んでいる人が多数水面化で動いている。そんな話も噂では聞いたことがあった。でもそれは教科書の中での話であって、まさか自分の身近に差し迫った話だとは微塵も思っていなかった。

「エブラタル地区の出身の方は、非常に自分の出自に対して並々ならぬ誇りを持っていらっしゃる。ですから、その結束力の証として、エブラタル地区で生まれた方は体のどこかに円をモチーフとした刺青をほどこしていると」

 サマンサの言葉にごくりと息をのむ。

「まさか……旦那様から彼がエブラタル地区の出身であるとは聞いていないし、旦那様自身がエブラタル地区に縁があるという話も聞いたことがなかったかと」

「それは間違いないかと。現クレイグ伯爵は平民と言われていますが、血筋を辿ると、とある子爵家に辿り着きます」

「そうなのですか?」

 そんな話は聞いたことがなかったので、さすがにドロシアも驚く。

「はい。本人もおそらく薄っすらご存じかと。でも、公にしてしまうと後継とか色々な問題が起きるがわかっているので、あえて公にしないのでしょうね――少し話が脱線しました。話は戻しますが、クレイグ伯爵は彼がエブラタル地区の出自であることを知らなかったのではないでしょうか」

「ピーターの出自を?」

 サマンサはこくりと頷いたが、ドロシアはその意見には懐疑的だった。貴族の家の使用人を雇うのに、その者の出自を確認しないなんて話があり得るだろうかと。

「伯爵様はとても忙しい方です。奥様の結婚にあたって、失礼な言い方かもしれませんが、かなり急いで、屋敷も使用人もお揃えになったのでしょう。もしかしたら、伯爵様の目上の方からの紹介があった可能性もあります。そう考えると、巧妙に計画されていたのかもしれません」

 サマンサの言葉に背筋が凍る。

 ドロシアは今まで表面上のことした見てこなかったという自分の浅はかさを知り、この一瞬で、あの屋敷に戻ることが恐ろしく思われた。

「ごめんなさい。奥様を怖がらせるつもりはありませんでした」

 はっとしたサマンサはドロシアを手を握る。

「いえ、今までのうのうと、屋敷で生活していて、何も気が付けなかった私の責任です。サマンサ様は何も悪くありません。むしろ、無知な私を気付かせてくださいました」

 ドロシアはすっと深い思考に沈む。伯爵家にエブラタル地区出身のものがいると知れ渡ればラルフはどう思うだろう。――結婚式で視たあの光景がフラッシュバックする。

「ネイルサロンに着きましたら、リリーさんにこの手紙をお渡しいただけませんか?」

 はっと現実にもどり目の前のサマンサを見る。

「ええ、それはもちろん構いません」

 ふわふわとした意識のまま、差し出された封筒を受け取る。

「多分きっと、お役にたてると思います」


 ドロシアはリリーネイルの目の前で、

「また進展がありましたらご連絡します」

 と、言った馬車の中にいるサマンサに向かって礼をした。

 サマンサが言う進展と言うのが、屋敷の東屋や庭についてのことなのか、それともドロシアが今直面している悩みについてのことなのか。そんな野暮なことは聞かず。

 かつかつとヒールの音を響かせて石段を上がると、ゆっくりとドアが開いた。

「お待ちしておりました。どうぞ」

 先日の様に、もう名前は聞かれない。

「クレイグ夫人。サロンで主人がお待ちしておりますのでどうぞ。私はお飲み物を用意して参りますが、ご希望はございますか?」

「アイスコーヒーがあれば」

 頭のもやもやとした思考をすっきりさせるためにもきりっとした味わいのものが飲みたかった。

「かしこまりました」

 銀髪の執事は踵を変え、サロンは反対側の廊下に行ってしまった。そちらにキッチンがあるのだろう。

 一週間前に来たばかりなので、迷うことなくサロンの前まで辿りつく。

 ゆっくりとノブをまわすと、扉の向こうから慌ててドアに駆け寄る音と共に、ゆっくりとドアが開く。

「すみません、気が付くのが遅くなってしまって。どうぞお入りください」

 ドアを開けたのは先日、先日会った使用人のアリと呼ばれた女性だ。リリーは作業の机の上に並べられた資料を怖い顔で睨んでいたが、ドロシアに気が付いていくらか表情を和らげた。

「お忙しい中、約束の通り来ていただきありがとうございます」

 リリーは立ち上がり、一礼する。

「いえ、とんでもない。私もいつも伺うのが急になってしまって」

「お屋敷の方にはどのように話されたのですか?」

「左手のこの爪がかけてしまったからと。ちょうど、フリッツ商会のサマンサ様がいらして、サマンサ様からご指摘をいただく形で、参りました。もちろん、本当に欠けている訳ではありませんが」

 そんなのは口実で、ともかく誰にも疑われることなく自然な感じで屋敷を出ることが重要なのだと。ドロシアはそう理解していた。

 リリーはふうと頷く。

「わかりました。では、念のため……左手のこちらの指でよろしいでしょうか? 直したあとがわかりやすい様のこの一本だけデザインを丸ごと変えておきましょう」

 後ろに居たアリがソファーを引いたので、ドロシアはすっと座ったのを確認した後、アリは部屋を出て行った。リリーはすぐに作業を始め、左手の人差し指の表面を削り、他の指とは全く異なる色を重ねた。

「作業をしながらですみませんがこのままお話しても?」

 ドロシアはもちろんだと答えた。

「あまり時間がありませんので――というもの、一本のお直しなのにあまり長い時間滞在されても不審に思われてしまいますから。ですから、このままお話するのをお許しください。先日の話の続きになりますが」

 リリーがそう前置きを述べた所で、執事がちょうどアイスコーヒーを運んで来た。

「エド、ちょうどいいところに。地図を持ってきてくれないかしら」

「かしこまりました」

 銀髪の執事はエドと言うのだと知った。

「ちょっと話が混みあっておりますので。まず、クレイグ伯爵様に対して、あまり好ましくない勢力がアンバー王国内に存在することをまず申し上げます」

 ドロシアは特に驚かない。むしろやはりと言った感じだ。

「伯爵様は騎士団の双頭の一人とまで言われている方です。ですから、クレイグ伯爵が失墜すれば、皇帝の勢力を大きく削ぐことが出来ると。そう考えているのでしょう」

 リリーの説明に納得し頷く。しかし、伯爵家の妻として屋敷でただ漫然と過ごしているだけでは気が付けないことだった。

「そういった勢力があっても不思議ではないと理解は出来ます。しかし、一体誰がそんなことを考えるのでしょう?」 

 今の生活に、この社会に不満を抱くものがあるのだろうか。しかし、リリーは貴族令嬢としての暮らししか知らない。自分の見識の狭さを思い知る機会ともなった。

「現皇帝に対しての勢力ですが、よく思っていない者は貴族だけとは限りません――エブラタル地区の現状についてはご存知ですか?」

 最近、むしろ今、さっき聞いたばかりのその単語にドキリとする。

「……っ、はい。私自身、赴いたことはありませんが、もちろん存じております」

「彼らがどういった扱いを受けているのかは?」

「詳しいことは、あまり」

 ドロシアはふるふると首を横に振る。

「表向きはアンバー王国の一部で、王国の大切な住民たちだと国は言っているけれど、実際は使用済みの魔石の集積所。ごみ溜めだと言っても過言ではない状況だと。そんな状況で、アンバー王国に忠誠を誓うなんて無理でしょう。ほとんどの人はかつてのエブラタル地区を取り戻したいとそう考えてるはずです。ですから、彼らはクレイグ伯爵が失墜すれば、皇帝の勢力を削ぎ、自分たちの独立に踏み切れるのではないかと。そう考えている一派もある様でして」

 リリーは選びながら、ゆっくり言葉を吐き出す。

 生粋の貴族であるドロシアに対して配慮しているのだと感じるが、それでもガツンと頭を殴られるかの様な衝撃を感じる。

 その話を聞いて真っ先に思い浮かんだのは今の完璧な執事としてのピーターの姿。しかし、彼は今までどうやって生きて来たのか。

「ドロシア様?」

 あまりにもぼうっとしていたのだろう。思考が現実に戻ってきて、心配そうな表情のリリーと目が合う。

「ごめんなさい。私……」

「いえ、こちらこそ。できればこんな話はあまりするべきではないのだと。思っているのですが、ドロシア様の話から伯爵様の生死にも関わっている可能性があると思いましたので、やはりしっかりとお話をしたほうがよろしいかと思って」

 リリーは申し訳なさそうに項垂れた。

「いえ、多分私があまりにも何も知らなすぎるのです――そう言えば、ネイル完成したのですね。ありがとうございます」

 放心しすぎていたようだ。気が付くと左手の人差し指は、ストーンが散りばめられたきらきらと輝く爪になっている。

「いえ、こんな感じで大丈夫そうですか?」

「もちろん。大満足です。あと、――――すっかり失念していたのですけれど、サマンサ様からリリーさんに渡して欲しいと、お手紙を預かって参りましたの」

 サマンサは手持ちの小さなクラッチバックから取り出した手紙を差し出す。

 受け取ったリリーの表情はいつになく神妙であった。その場で開封し中を改めたリリーだが、眉間に皺をよせ、難しい表情で手紙を見ている。

「一体、何が?」

 他者への手紙なので、ドロシアがそう聞くのはルール違反とは思ったが、あまりにも気になってついそう聞いてしまった。

 リリーは、はたと顔を上げた。その時にはがらりと雰囲気が変わりいつもの表情に戻っていた。

「ごめんなさい。ドロシア様のことがすっぽりと抜け落ちてしまっていました――それで」

 リリーは手紙を置くと、天を仰いだ。

 ふと人の気配を感じて横を見るとアリとエドが壁際の立っていた。二人は無表情であるが、眼光の鋭さを隠しきれいていない。

 いつからそこにいたのかもドロシアは気が付かなかった。部屋を出て行ったものとばかり思っていたからだ。リリーは息を吐いて、

「ごめんなさい。――少し動揺してしまって。内容の飲み込むのに時間がかかっておりました。話を戻しますけれど、伯爵様を現皇帝の重要人物と睨んで、消したいと目論んでいる人物があることはお話しました。私の方では実際に誰が水面下で動いているのかと言うことまでは、情報がつかめなかった」

 リリーは”アリ”と呼んでいた使用人の女性にすっと視線を向けると、アリは顔を下げ申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「ですがサマンサマ様からの手紙で一端が明らかになりました――――サマン重工が動いている可能性があると」

「サマン重工?」

「魔石を採掘したりしている企業です」

「ああ、聞いたことがあるわ」

 アンバー王国に本店を置き、魔石についての造詣が深く。世界各地に鉱山と採掘権を持つ大きな会社であったと。そんな話を耳にしたことがあった。

「でも、サマン重工が関与するからと言って、リリー様がそれほど頭を悩ませる理由がなにかあるのですか?」

 企業が貴族に顔を売って幅を利かせることは、よくある話だ。

「まだ決定的な証拠がある訳ではありません。ただそういった動きがあるようだという情報だけですが。ただ、サマン重工は以前から、他のお客様のお話を伺っていただ中で、不審な動きがあることを警戒していました」

「それは黒ではなくグレーなのですね」

「ええ。立ち回りが上手いのか、尻尾をつかませないのです。ですから、今回のサマンサ様からのお手紙にも、確実に一枚噛んでいることはわかるのですが、どこで、何をと言う証拠までは手紙には書いていなかったの。多分、書けないことだったと思うの。表向きはアンバー王国の味方でいるけれど、そうでない一面があるみたい。その方が彼らに取っては利益があるのでしょう」

「利益と言いますと?」

 リリーの言葉の意味がよくわからなかった。

「戦争ですね。戦争はは武力行使を伴います。したがって一度戦火が勃発し、その渦が大きくなればなるほど、その時、利益を儲けるのは誰か? 魔石を使って武器などの製造を行っているサマン重工です。つい先日、新しい魔鉱山の採掘権を得たという話も聞きます」

「……まさか、戦争を引き起こすために?」

 ドロシアはあまりにも驚いてそれ以上の言葉が出てこなかった。反皇帝派についたのは、戦争を引き起こすため。あまりにも話が飛躍していると思う反面、リリーのその表情に嘘は無い様に思われた。

「私の考えすぎかもしれません。むしろ、考えすぎの産物だった方が良いのです。まだ、何も起きていないことですし、全てが推測でのお話になりますから」

「まさか、こんな難しいお話になると思っていなくて、なんだかすみません」

 ドロシアはただ、伯爵家をラルフをそして、自分自身を救うためだと思ってきたが、話は思いもよらない方向へ舵を切った。でも思えば、あの時みた王都の光景は戦争が始まった時のそれなのだと思うと、すんなりと理解できる部分でもあった。

「いえ、いつかはこうなるのではと思っていので」

 リリーはそう言いかけて、口を閉じた。その言葉の後に何を言いたかったのか、その言葉の意図はなにがあるのか、ドロシアにはわからなかった。リリーはややあって、再度口をひらく。

「ドロシアさん。これから申し上げることは全て仮定でしかありません。ですが……」

「お話を聞かせて下さい。これは私からお話して巻き込んだことです。私にもリリーさんが抱えてるものを背負う責任がございます」

 ドロシアは真直ぐにリリーを見た。

「近くない将来、きっと良くない何かが起きると思うのです。難しい注文であることは重々承知しております。ドロシアさんにはそれがもし起こってしまった場合には、冷静にその出来事を受け止めていただきたいと。実際になにが起こるかまではわかりかねますが」

「では、その出来事にまぎれて伯爵家に良くないことがふりかかると?」

「断言はできません。それと気になったのは、ドロシアさんが視たその白昼夢です」

「ええ? そのことについては前にもきちんとお話しました」

 あれ以来視ていない。しかし、覚えていることは全て話したはずだと首を傾げていると。

「ドロシアさんの話だと伯爵様が亡くなった理由について、――失礼な言い方で申し訳ないですが、”悪妻”のせいだ。と、そう言った。すると、一見、これから起きる出来事は反乱とか戦争とは全く関係のない事柄に巻き起こる可能性があるのではないかと」

 ドロシアはリリーのその話を聞き、なるほどと頷く。

「それと、私から一つの案、意見として聞いて欲しいのですが、今は伯爵と一定の距離を保っていた方がいいのではないかと」

「どうして?」

 ドロシアの不満気な気持ちが声色にありありと現れていた。

「伯爵様を排除したいと考えている一派は確かにあるのは間違いないと思うのです。そしてその一派はドロシア様の仕業だと見せかけて、自らの手はよごしたくないと考えているのではないかと考えられます。ですから、ドロシア様が悪女でいてくれないと利用できない。逆にその手段が取れないとなった時に、次のどんな強硬手段をつかって伯爵様に危害を加えようとするのか。そちらの方が危険極まりありません。もちろん、ドロシア様が悪女になりきる必要はないのですが、もし違う道に進んだ場合の危険性も考慮する必要性があるかと思ったので」

「では私が、もっと悪女になって敵に近づいた方が確実では?」

「その方法は有効であると同時に、ドロシア様の負担が大きいです。サマン重工も関わっているとなると、ドロシア様の身になにが起きるか予測もできません。ドロシア様の身に何かあっては……ですから、何もせず、素知らぬふりでただ、何か降りかかる出来事があれば、冷静に観察しながら過ごしていただければと」

 リリーのは頭に手をやって、悩まし気に目を伏せる。ドロシアはぎゅっと両手に力をこめる。

「私やりますわ」

「ドロシアさん……?!」

「伯爵家問題でもありますし、なによりも、アレを視せられた以上、どうにかしなければと私はずっと思ってまいりましたので。手立てがあるならやります。一人では、これからどうしていったらいいのか途方にくれていただけだったのですから」

 ドロシアは当たり前だとでもいう様に頷く。それは遊びでもなんでもなく。ドロシアの本気の意志である。

 未来を予知するような特殊なスキルも魔法もない。適正検査で知ったのは、自分の能力は軽微な風魔法が使えることくらい。ドロシアが貴族令嬢でなければ、誰でも外れくじを引いたと思うだろう。それに比べ、夫であるラルフ・クレイグが持っているスキルは【剣聖】と言う、一世紀に一人でるか、出ないかくらいの特殊スキルの持ち主。つまり、ドロシアとは雲泥の差である。

 ラルフに単独で伯爵位が与えられたのは(もちろん、貴族令嬢との結婚の条件も含め)貴族席籍を与え、ラルフを縛り付け、このアンバー王国から他国に流れてしまうのを恐れたから。

 それほど剣聖のスキルを持つ人物などは重要なのだ。

「私は、剣聖としてこの国に誠意を尽くす武人である旦那様を助けたいというよりも、旦那様だから助けたいとそう思うの」

 ほんの数回しか顔を会わせていないのだが、あの結婚式の日。はじめてラルフと目を合わせた時に感じた不思議な感覚。運命なんて知らないと思っていたけれど、もしそれが存在するのなら、多分それを指すのあろうと、直感的に感じていた。

 リリーは控えていた二人の使用人に目配せをする。

「わかりました。ドロシア様がそこまで仰られるのなら、私もお手伝いさせていただきます」

「心強いです。どうぞよろしくお願いいたします」



 ドロシアは屋敷に戻ると、夕食を取った後はそのまま自室に直行した。

 ピーターは帰りが少し遅くなったことを(彼の目はたかが爪一本でそんなに時間がかかるのかと言わんばかりに)心配していたが、リリーと話が盛り上がって遅くなったのだと伝えた。過保護にされるのは嫌ではなかったが、サマンサがピーターの手首の模様に気付いてから会うのは初めてだったこともあって、もやもやとした気持ちのままどう話をしていいのかわからなかった。上手く振舞えていただろうかと今でも不安な気持ちはぬぐえない。

 少しして、パメラが部屋に入ってきた。

「奥様、非常にお疲れのご様子だと伺って参りました。なにかお手伝いは必要ありませんか?」

 ドロシアはソファーぐったりと身をゆだねた姿勢からパメラを見る。

「ありがとう。ただ、少し疲れただけなの。じゃあ、――着替えるのを手伝ってもらおうかしら」

 ドロシアはソファーの手すりに手をかけて、立ち上がると、パメラをドアをしめさっとドロシアの元に駆け寄った。

「大丈夫ですか? なにか問題がありましたでしょうか?」

 パメラは心配そうに、ドロシアは見つめた。彼女は心の底からドロシアのことを心配してくれているのだろう。何と優しい侍女だろうかとそう感じたのだろうが、今のドロシアにとってはその優しさが怖いと思った。

「今、東屋を庭に建設しようとしているのはご存知? 誰かから聞いている?」

「ええ、もちろんです。奥様自らフリッツ商会とやり取りをされていることも伺っております」

「それで、――恥ずかしい話だけど、今までこんなやり取りなんてあまりしたことがなかったから初めて聞く事、見ることで頭がいっぱいっぱいになっているのね」

 少し心に黒い影がっ出来るのを感じたが、今はこう説明するのが最善だと思われた。

「そうでうよね。でもあまりにもお辛いのでしたら、執事や私どもになにか言っていただければ良いのですよ」

 ドロシアはパメラを見て微笑む。

「ありがとう。でも、せっかく自分で色々とできるのと、伯爵様からも了解を得てやっていることだから、頑張ってみたいと思うの」

 ドロシアの言葉にパメラは健気な妻だと印象を受けてくれただろう。

 頑張りたいと思っているのは嘘じゃない。だけど、この屋敷で今ドロシアが抱えているもやもやを誰にも話してはいけないと思うと心がきりきりする。

 とにかく疲れているのは本当だった。

 考えるのは明日、目覚めてから。

 そう思って、ベッドに入った。

 

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