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ギャラクシーネイル

「ねえ、リリーちゃん。聞いてちょうだい? ワタシね、失恋しちゃったかもしれないの」

 ユーリ・オリガはうるうると瞳に涙をにじませ、リリーに視線を向ける。

「それは、それは」

 リリーはユーリの左手を持ち、爪やすりで形を整えながらそう言った。

「ねえ、なんかもっとないの? ワタシお客なのよ? 『大丈夫?』とか、『ちゃんと夜眠れている?』とか、『話なら聞くよ?』とか」

「じゃあ、『話なら聞くよ?』」

 リリーはあくまでも作業に集中したまま、棒読みのセリフを言ってのける。

「傷心の可哀そうなワタシなのよ? もう少し優しくしてくれたっていいんじゃない?」

 ユーリはいじけているが、その声は可愛らしい女性のトーンではなく、テノールのまじりっけない男性のそれで。

「……先月いらした、時も同じセリフを聞いた様な気がしたんですがね」

 リリーはぼそりと言った。

「ん、まあ、そうかもしれないけれど過去は過去。今は今なんだから。今のワタシの話を聞いてくれたっていいと思うのよね」

 ユーリ・オリガ――本名かは不明。

 恐らく偽名、芸名かと思われる。

 ショーパブ:Lady Moon の歌手で、見た目は絶世の美女だが、性別は男。

 言葉を発しなければ妖精姫の如く。

 しゃべるとめっちゃ男。

 リリーが何も言わないでいると、

「ひどわ。割と長くこの店には通っているはずなのに。大切に思われていないのかしら」

 舞台上の悲劇のヒロインそのものだ。

「大切なお客様です」

 リリーは真面目腐ってそう答える。

 その言葉に嘘はなく、リリーネイルの数少ない大切な男性のお客様。そう思っているのは本当。

 ようやくユーリは満足そうな笑みを浮かべる。

「今回の想い人は一体、どなただったのです?」

 左手を終え、ユーリの右手を持つと爪やすりを始めた。

「ジョアン・ロスと言うの」

「あれ、その方って、最近お父様が亡くなった………………」

 リリーは思わず、はっとして顔を上げる。

 ユーリは困った表情で、長いまつ毛が伏目がちに揺れる。

「ええ」

 ロス家は貴族では有名なお金持ちの名家である。

「確か、今日、裁判が行われる予定なのでは?」

 さっきまでの勢いはどこに行ったのか、ユーリは神妙に押し黙る。

 それもそのはず、ジョアン・ロスは父親であり、ロス家の当主であるマーク・ロス氏殺害容疑で捕らえられているのだ。

 ユーリはたっぷりと沈黙した後、

「リリーちゃん、恋愛経験は?」

 と、他人行儀な聞き方をする。

「全くない訳ではありませんが」

「ワタシ、これから、裁判に乗り込もうと思うの」

 ユーリはいつもみたいな軽い感じではなく、重々しくそう述べた。

「のりこむ? と、仰いますと?」

 リリーは言葉の意味がよく呑み込めず、首をかしげる。

「私が犯人だと名乗り出ようかと」

「ん?」

「このままになんて出来ないもの。あの人がみすみす殺されていくのを見てられないもの」

 殺され、とユーリは言うが、それは死刑のことだろう。つまり、きちんと法の手続きを経てされる刑罰のことなのだが。

「とても、言いにくいことですが、罪を犯したのならば、きちんとその罪を認めて、裁きを受けるべきだと思います」

 リリーは固い表情でそう言った。

「もちろん。その通りよ。でも、彼は無実だわ。罪を犯していない人が裁かれるのは絶対に間違っている。そう思うでしょう?」

「それは、そうですが」

 冤罪はあってはならないこと。でもジョアン・ロスが捕まったというのなら、それにはある程度の立証事実があるからそうなっている訳で。

 しかし、ユーリはジョアンの無罪を全く疑っていない様子で、息まいてリリーの言葉に頷く。

「ユーリさんが、無罪だとそこまで思う理由があるのですか?」

「女の勘よ」

(男では?)そんな野暮な突っ込みをせず、リリーはかわりにため息をついた。

 ユーリの様子から、リリーが今引き留めなければ、本当に裁判所に乗り込んでいくかもしれないと思われた。それはユーリの自由だとも思いながらも、このまま行かせていいものかどうか、そんな気持ちもリリーのため息に入っていたのかもしれない。

「その事件のあらましを、聞かせていただいても?」

 その言葉にユーリは悟られない様に口角を上げる。もちろん、作業に集中しているリリーは気付かない。

「マーク・ロス氏が、殺害された時の状況についてはご存知?」

「一般的な、それこそ新聞に掲載されている情報くらいしか」

 まさか、リリー自身に影響があると思っていなかったので、その事件についてそれほど深く掘り下げて知ろうとはしなかった。

「ワタシもそれほど色々知っている訳ではないけれど、まあ、整理すると……まず、マーク・ロス氏はロス家の当主であり、アンバー王国でも指折りのお金持ちの名家。様々な事業を展開していて、その界隈で名前を知らない人はいないと言われるほどの」

「その位は私も知っているわ。彼の事業には身分・国籍関係なく能力で登用されこと。そういった事で評価されていることも」

 ユーリは頷く。リリーは言葉を続ける。

「ロス家では、マーク・ロス、妻とイザベル、使用人のドローレスがいた。秘書のマルティネス、一人息子のジョアンが生活していた。そのマーク・ロス氏が自邸の庭で殺害されているのが発見された。」

 リリーはお金持ちのと、聞いていたので、使用人の人数がいささか少ない様な気もするということをたずねると、マーク・ロス氏は堅実家で、それほど多くの使用人は雇わず、出来ること自分自身でと言うことをモットーにしていたと話す。

「もちろん、通いや臨時のスタッフは多くあったと思うけれど――それで、マーク・ロス氏は庭先で倒れているの発見されたの。発見されたのは早朝だった。騎士団の捜査によると殺害されたのは発見され前日の夜とのこと。家族はなぜマーク・ロス氏が庭にいたのか、その理由について検討がつかないと」

 ユーリがそう説明を付け加えたところで、リリーは、

「今日はどんなネイルにしますか?」

 そう聞いた。

 ちょうどネイルケアが一通り終わり、ベースジェルなどの用意をするために席を立ちあがる。

「キラキラする感じがいいわ」

 ユーリはそう一言。

「………………」

 リリーは小さく唸って、カラージェルのコンテナがつまった棚をあさる。

 ユーリのリクエストはいつも”キラキラする感じ”。

 毎回同じネイルにする訳にはいかないので(本人から強いリクエストがあればやぶさかでないが)いつも色などのテイストを変えて、異なるキラキラを提供するように心がけている。

 ふっとユーリはリリーを見て、頭のてっぺんから下に視線をなぞらせる。流石にそれに気付くと、

「なあに? ワタシに見とれちゃった?」

 と、妖艶な笑みを浮かべるのだが、

「ええ、そうですね」

 つれない返事をすると、ぷうっと頬をふくらませ、怒った表情を見せる。リリーはそれを気にする様子も見せず、思いついた様にカラージェルのコンテナから色を取って机に並べる。

「じゃあ、ベースジェルから」

 ユーリの右手から作業が始まった所で、

「先ほどの話の続きを」

 と、マーク・ロス氏の事件について話を戻した。

「彼が、庭先で殺害されていたのは話したわね」

「ええ、死因はなんだったのですか?」

「庭の植え込みにあった石で後頭部を叩かれていた。それが致命傷になったみたい」

「後頭部ですか……」

「ええ、それが、問題?」

 ユーリは小さく首を傾げる。

「話の内容から、犯人はそのマーク・ロス氏を庭先に呼び出して、その場で殺害したと思ったのですが、後頭部からと言うことですと、庭先に呼び出した人物ではなく、マーク・ロス氏が不意をつかれ、全く予期せぬ人物から襲撃を受けた可能性が考えられるかと」

「でも、去り際にやられた可能性もあると思いません?」

 ユーリの意見は最もであったが、

「もしマーク・ロス氏が自分を庭先に呼び出した人物を警戒していたならば、不用意に後ろを見せることはしないかと。そう考えると、呼び出したその人物について、敵意なく彼を呼び出したのかもしれませんね。それから――凶器は現場に?」

「ええ。遺体の近くに落ちていたそうよ」

「うーん。その状況でどうして、ジョアンさんが容疑者としてみなされたのです?」

 ユーリは表情を暗くする。

「それが巧妙な箇所なんだけれど、マーク・ロス氏が亡くなったのは発見された前日の夜だと捜査から断定されたってことは言ったわね? 当然、家の人全員のアリバイ捜査があって――」

 リリーは頷き、ユーリの言葉を待った。

「奥様のイザベル様はその日の夜は自室で本を読んで、そのままベッドに入ったと。その証言を裏付ける様に使用人のドローレス同じ証言そしているわ。秘書のマルティネスは暇を出されて、その日の夜はそもそも屋敷にいなかった。遠方の親戚の家で過ごしていたと調査はついているの様なの。で、翌朝屋敷に戻って来たときに」

「そのマルティネスさんが家に帰って来た時に、亡くなったマーク・ロス氏を発見したという訳ね」

 リリーは前後関係がようやく理解できたという感じで、確認の意味も込めてそう聞いた。

「ええ。そう。それで、一番よくなかったのがジョアンだったのよね」

 ユーリは沈痛な面持ちで話を続ける。

「マーク・ロスしが亡くなった日。本来であれば、ジョアンは父であるマーク・ロス氏から命令された仕事のため、ラグドギアに行くはずだったの。でも」

「ジョアン・ロス氏がラグドギアに行った形跡はなかった。と言う訳ね」

「そうなの。騎士団からの取り調べの際に、彼はそれを最初正直に話さなくって」

「後から、騎士団の裏付け調査が行われた際に、証言が一致しないことがわかって、それでなおさら疑われてしまったという訳ね」

 ユーリは無言で頷く。

「でも、彼は仕事を放り出して一体どこに行っていたのかしら」

 リリーの問いかけに、ユーリは歯で強く唇を噛んだ。

「恋人のエレーナの所よ。ラグドギアにいく前に彼女に会いに行っていたのね。でも、行ったわいいけど、会えなかったみたい。だから余計彼が疑われているのよ」

「恋人?」

 ユーリの想いが完全に片道通行なのだと。リリーは一瞬で理解したが言葉には出さず、ただ次に紡ぎだされるユーリの言葉を待っていた。

「エレーナは年上の、心優しいジョアンの理解者。絵にかいた様な可憐な人。彼女に足りないものを聞かれれば、爵位がないこと。貧民街の育ちの女性だということくらい。でもそんなことは些細なことで、傍観者は二人の交際を祝福していた。けれど、マーク・ロス氏だけは、二人の交際と結婚に反対していた」

「それで、マーク・ロスしに彼女との交際を反対されて、それに反発するようにジョアンさんが父親を殺害したと、騎士団は事件をそう見ている訳ね?」

「リリーちゃんの言う通り。騎士団の言い分も確かに筋は通っていて。でも、私、一つだけ気になることがあって」

「それは?」

 左右ともに全ての爪のベースジェルの塗布が終わり、リリーはカラージェルのコンテナを引き寄せる。

 手に取ったのはシルバーのマグネットジェル。光の加減と磁石の集め方によっては黒っぽくも見える。

「マーク・ロス氏がそんな時間に庭にいたことについて、奥様のイザベル様はまれに仕事で急な呼び出しがあって、家を出ることはままあることみたいなの。だから、夜に彼がいなかったことについてそこまで深く気に留めたなかったと言っているの。だから、まさか屋敷の庭にいたと思わなかったと話しているわ。でも、騎士団の方でマーク・ロス氏の足取り調査が行われ、捜査によると仕事で出ていった形跡はなかったと」

「それで、気になることとは?」

 言いよどんだユーリにリリーはそう聞いた。

「イザベル様は、仕事で外出したと思ったマーク・ロス氏がまさか家の庭にいるとは思わなかったと、そう証言している。でも、庭先で、殺人の一幕があったとしたなら、流石に家の中にいたとしても何か異変を感じたりするのではと思うのだけど。例えば叫び声とかね、そういったことは全く無かったのかしら? と、思って」

「そう言った証言は全くないの? 奥様だけではなく、メイドも含めて」

 ユーリは少し逡巡した後、

「そんな、証言はしていなかったと思うわ」

「そう」

 リリーはなかば納得のいかない返事を返した。

「あと、これは新事実。とある情報筋から聞いたの。マーク・ロス氏死体のそばにメモが落ちていて、そこに『お話があります。お庭』と書かれていたそうよ。紙は引きちぎられた形成があって、筆跡は女性のものだと鑑定されたそうよ」

「マーク・ロス氏には愛人が?」

 もしくは、敵対する誰かと言う可能性もあるだろうかと、リリーは思ったが、そこまで言うと話がややこしくなるため、言葉にはしなかった。

「さあ。そんな話は私も聞いたことがにないわ。でも、そんな証拠が出てきたってことは裏で上手いことやってたのかもね。夫が、仕事で外出したと思っていたら、女に会いに行く予定だった。その事実を知ったイザベル様の気持ちを考えると居た堪れない気持ちになるわ」

 ユーリがアンニュイな表情を見せる。彼がそう言った表情をすると、妙に色気にあてられる気がするので、リリーは頷く動作をするように顔を伏せる。

「マーク・ロス氏は、昔はね、かなり女性に対して節操がないと言うかずいぶんだらしのない一面があったそうなのよ。よっぽどいい男だったのね。私も昔の彼に会ってみたかった――なんて、冗談よ。今の奥様であるイザベル様にお会いされてからは、ずいぶんと人が変わって、今までの自身の振る舞いを恥じる様になったと。今ではそんな可能性はないと誰もが口を揃えて言っているわ。でも一部の意見では、その発見されたメモは、犯人が捜査を困惑させるために残した、偽造されたメモなんじゃないかって話もあるみたい」

「ふーん」

 リリーはマグネットジェルを塗布した上に、フィルムフレークを散らす作業をしていたため、しばし無言になった後、作業がひと段落した所でようやく口を開いた。

「ジョアン・ロス氏はまごう事なきアリバイがあった筈なのに、騎士団で事実確認をしたところ、虚偽の証言だと立証された。そこから彼が黒だと睨んだ――でも、ジョアンさんはどうして嘘をついたのでしょう? そんなのすぐにばれてしまう事だと、考えたら誰でもわかる事だと思うのに。最初から正直にエレーナさんに会いに行っていたとそう伝えたらよかったのでは?」

「それにジョアンは、結局エレーナには会えなかったから、言ってもアリバイにならないと判断したみたい。それで、いざラグドギアに行こうと思った時はもう深夜で、今更向かう交通手段もなく、家にはラグドギアに行くと伝えている訳だから、家にも帰れないと思ったって。それで、近くの宿に入って、一泊して翌日、ラグドギアに向かおうと。でも、次の日の朝になってみると、父親が死んだというニュースを見て、飛んで帰って来たという訳」

「エレーナさんに会えなかったと言うことは、ジョアンさんは前触れや約束なしに、彼女に会いに行ったということですか?」

「ジョアンが言うには、その日はエレーナとのもともと約束があったと。でも、エレーナは会う予定はなったと意見が食い違っていて。エレーナはそれも『犯人の仕業だ』そう主張していて」

「本当に約束はしていなかったのかしら?」

 リリーは念押して、そう聞き返すと、ユーリは難しい表情をして、

「もともとは約束をしていたのよ。でもラグドギア行きが決まったので、約束を取り消したと。エレーナはぼそりと言ってた」

「じゃあ、二人の約束が行き違いになっていた可能性が高そうですね。それが立証できればジョアンさんを救う手立てにはなりそうですが、それを立証するのは難しそうですね」

「じゃあ、どうしたら? なんとかして、ジョアンを救ってあげたいのよ」

 へらへらとしたいつもの軽い表情ではなく、真直ぐな眼差しでリリーを見つめる。それなりに長い常連のお客様であるが、ユーリがリリーの目の前でこんな表情を見せたのは初めてだった。

「犯人を。真犯人をつきとめるしかないでしょうね」

 リリーはつらっとそう言ってのけるが、ユーリは「はあ」と気の抜けた返事をする。

「エレーナさんとジョアンさんの交際について、奥様のイザベル様は肯定的な意見をお持ちだった?」

「特に反対していなかったと思ったわ。イザベル様はジョアンに対して、非常に寛容だし、身分にこだわりもない方だから」

「ユーリさんが気になると思われた点は他には?」

「些細なことなんだけど――イザベル様とエレーナの間に何か、壁がある気がするの。父であるマーク・ロス氏には反対されていた二人だけど、さっきも言った様に、エレーナとイザベル様の間は良好な関係だった。それなのに今は――どうもしっくりと来ないというか」

「なるほど――なぜ、マーク・ロス氏だけが、そんなに反対したのかしら?」

「さあ」

 ユーリはそのことについては大して気にもならないというぐらいに、ただ、首を傾げただけだった。

 リリーは手を止めてアリを呼んだ。

「亡くなったマーク・ロス氏について情報が欲しいの」

「かしこまりました」

 丁寧なお辞儀を見せ、アリはそのまま部屋から出て行く。

「マーク・ロス氏はジョアンさんを貴族の女性と結婚させたかったのかしら?」

 ユーリは頭からひねり出したという様子でそう言ったが、リリーは、

「詳しいことはわからないけれど、マーク・ロス氏はそこまでの野心家ではなかったと思ったわ」

「確かにそうね。ジョアンもそんなにがつがつとした人物ではなかったもの」

 ユーリは彼を思い出すと笑顔になってそれから、少し切なそうな表情を見せた。

「エレーナさんについて、改めてどんな方だったか聞いても?」

「天使みたいな女。私には持っていないものを何でも全部持っている。貧民街出身とは言っているけれど、擦れた部分が全くなくて。本当に見えない何かに守られて今ままで育ってきたようなそんな感じの人」

 無表情になるユーリはを見ないフリをして、

「どうして会えなかったのかしら。ジョアンさんはエレーナさんの家に行って不在だと。そう言うことなのでしょう?」

 リリーの問いにユーリは頷く。

「じゃあ、エレーナさん。彼女は一体どこにいたのかしら」

「………………まさかエレーナが? エレーナがマーク・ロス氏を殺害したと? ああ、でもそうするとジョアンが捕まった意味もわかるわね。彼女を庇って……」

 ユーリは思ってもみなかったと、驚いた表情を見せる。

「それはあくまで仮定の話。その可能性が全くないとは言い切れないけれど」

「でも、そう言われると確かにジョアンと結婚を反対されていたじゃない? 彼と結婚できれば、シンデレラストーリーで、一夜にしてお金持ちのマダムになる訳で。イザベル様は賛成しているのだし、マーク・ロス氏がいなくなれば。そう思ってもおかしくはないわよね」

 ぞくぞくとした確信めいた口調でユーリはそう言うが、リリーは冷静だった。

「ユーリさんの仰る可能性も、あるとは思うのですけど、先ほどご自身でエレーナさんについては天使の様な人だと仰っていたじゃないですか? だから、その可能性は低いのではと思う訳で。それよりもどうして、マーク・ロス氏が頑なに二人の交際に反対していたかと言う方が気になっています。彼は出自について寛容だと。彼の事業にも多数、貧民街出身の方がいらしゃると聞いていましたし」

「でも、パブリックでの活動と、プライベートでの考え方が全く同じになるとは限らないと。そういったこともあるのかしら」

「まあ、そうかもしれません」

 リリーはそう言いながらも納得できない様子をありありと現している。ユーリはふっと息を吐いて、

「もちろん。エレーナのと言うのはあくまでも可能性の話だし、現時点でそれを裏付ける証拠は何もない訳だから」

 リリーはカラージェルのコンテナの蓋を閉め、トップジェルの塗布作業にとりかかった。

「証拠………………そう言えば、マーク・ロス氏の死体のそばで発見された手紙はどなたか書いたものだったのかしら?」

 リリーの言葉に天啓を受けたかの様にユーリは、

「それが証拠よ。エレーナがマーク・ロス氏に書いたものなのよ。きっと」

「うーん。その可能性が無いとは言えないけれど」

 リリーが唸り声を上げたところに控え目なノック音がして、アリが顔を覗かせる。

「失礼いたします」

 お辞儀と共にてきぱきと部屋の中に入ると、リリーに数枚の紙を差し出す。

 リリーにお礼を言って、紙に書かれている内容を確認すると、難しい表情をしてみせる。

「どうもマーク・ロス氏は一枚岩ではないみたいですね」

 ユーリはリリーが言った言葉の訳を聞き返そうと口を開いたが、ライトに手を入れる様に言われ、言葉を発することなく、それに従い、空いた口を閉じた。

 作業に黙々と集中しだしたリリーに話かける隙がない。

 アリは紅茶を一旦下げた後、少ししてユーリに新しい紅茶を持って来た。

「これで完成です。いかかでしょう」

 ユーリの爪にネイルオイルを塗り込みながらそう聞く。

 シルバーと黒と、マグネットジェルがきらきらと、光の当たり加減によって絶妙に輝きを発する。

「とても素敵。ありがとう。……………それで、」

「単刀直入に申し上げますと、今回の犯人は妻のイザベル様と見ています」

「え?」

 ユーリは大きく目を見開いた。

「真相はおそらくこうです。マーク・ロス氏が殺害された夜。彼を呼び出したのはユーリさんが先ほど仰った様に、エレーナさんでした。残されたメモ紙の筆跡鑑定を行えば、すぐにわかることです。彼女は自身とジョアンさんとの結婚を認めてもらうべく、ジョアンさんがいない時を図って、直談判に訪れたのです。

 恐らく庭先で二人の話声が大きく響いたのでしょう。部屋で静かに過ごしていたイザベル様ははその声を聞きつけて、エレーナさんの助太刀をするべく、庭に降りて来たのだと思います。その時に耳にした会話の内容が衝撃的でした。マーク・ロス氏がそれほど反対する理由について――エレーナさんが彼の実子だと話したのです」

「まさか………………」

 ユーリはあんぐりと口を大きく開け、驚きのあまりしばらく固まってしまった。

「マーク・ロス氏は若い頃は女性の浮名を流す青年でした。隠していましたが実は子供がいたのです」

 リリーにアリが持って来た用紙のうちの一枚をユーリが見える様に差し出した。それは、エレーナの出生証明書。そこにはマーク・ロス氏の名前が入っていた。

「エレーナは知らなかったのかしら?」

「恐らくそうなのでしょう。貧民街の出身と言っても、人知れず、マーク・ロス氏は常に何等かの形で彼女に手助けをしていたのかもしれません。そこまでは今回の調査ではわかりませんでしたが――ともかく、エレーナさんは彼の実子でした。公表できなかったのは、ちょうどその時、今の奥様であるイザベル様と結婚が決まった時期だったので、そうするしかなかったのです。そこのことは奥様のイザベル様もあずかり知らぬことでした。

 庭先に行った直後、告げられたその事実にイザベル様はかなりの衝撃をうけたことでしょう、今までの自身の人生を否定された。そんな気持ちにもなったかもしれません。マーク・ロス氏、自身の夫を汚らわしく思った。衝動的に庭にあった石を持ち上げ、彼の頭を殴った。

 正面にいたエレーナさんは驚いた。

 我に返った、イザベル様はマーク・ロス氏を揺すりましたが、彼はもう亡くなっていた。

 ともかく二人はどうすべきか考え、エレーナさんはイザベル様はが疑われないように、自身の書いた手紙を身バレしそうな部分だけちぎって、現場に残した。外部の犯行に見せかけるための工作です。恐らく、メイドのドローレスはイザベル様の味方でしょうから、彼女の口裏を合わせているのだと思います。

 だけど、誤算だったのは、ジョアンがエレーナさんに会いに来ていたこと。エレーナさんと会えなかった事で、彼が容疑者として捕まってしまうとはまさか思ってもみないことでした。流石に二人はジョアンさんを犯人に仕立て上げたい訳ではありませんから。

 現在、次の公判を前に、ジョアンさんを助けるため、エレーナさんとイザベル様が二人で騎士団を訪れ自供しているそうです」

 リリーはアリの報告書を見ながら最後にそう締めくくった。

「そう。なんとも皮肉なものね」

 ユーリは小さくため息を吐いて、もう湯気のない紅茶に口を付けた。



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