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じゅわりピンクグラデーション

 リリーに手を預け、甘皮処理をされる様子を眺めながら、サラ・ブラインは大きなため息をつく。

「新しいお仕事は順調ですか?」

 ため息に呼応し、リリーはそう聞いた。

 サラはもともと市井の出身であるが、学校を首位の成績で卒業し、家庭教師としての道を歩み始める。女性であることが武器にもなった。

 つまり、うら若き教え子の令嬢とおかしな恋愛関係にはならないと言う点から、娘を持つ家からは重宝された。サラ自身も教え子に対しては常に誠実に接した。また、女性の家庭教師と言うのは相対的に少ない。その功績から、アンバー王国第八王女シャーリーの家庭教師としての職を得たのだが、王女も隣国へ嫁いでしまい、サラは紹介状をもらって、新しい環境――現在、フェアラザー家の屋敷で、令嬢の家庭教師の仕事を始めていた。

「仕事自体は順調なんです」

「なにか他に気になることが?」

 サラは言うべきか言わないべきか。

 一度口を開きかけて、また閉じて。

 ようやく、震えながらも言葉を吐く。

「私もしかしたら、人を殺してしまったのかもしれません………………」

 サラのとんでもない発言にリリーは思わず、「え」と、声を漏らし顔を上げる。

「今朝のことなのですが、……朝、目を覚ますとベッドの脇に血のついたナイフが置いてあって。――もちろん、私のモノではありません。ただ、最近、環境が変わったばかりで、寝付きが悪くって。悪夢をみるのです。時折、それがあまりにもリアルな感じを伴っていて。だから、ベッドの横に置かれたナイフを見て。もしかして私、本当に………と、そう思ってしまって」

「聞いた話で、特異スキルに他者の夢に介入する力を持っている人もいると聞いたことがあるけれど」

「フェアラザー家で、そういった特異スキルを持っている方がいるとは聞いておりません――実は、フェアラザー家の当主、ルパートさんは、若い頃冒険者をされていたこともあって、様々な話を聞く機会がありまして」

 そもそもそんな特異スキルを持つ人は何万人に一人いるかいないかの割合だ。名前を馳せる冒険者や力のある貴族にそういった者があると聞く。

「確か、双剣使いの方でその様な特異スキルを持った方いると。他者の夢や思考に入り込んで語り掛けることが出来るとか。ランクの高いパーティーに所属されていたけれど、怪我で引退したとか――話を戻しますけれど、お屋敷、フェアラザー家で亡くなっている方はいなかったのでしょう?」

「ええ、誰も」

 リリーの言葉にサラはこくりと頷く。

「そのナイフはどうされたのですか? ちなみにナイフはどんなものでした? 短刀の様な小さな?」

「短刀と言うにはもう少し刃渡りがありました。私はあまり見たこともないもので。ナイフはタオルにくるんでクローゼットの奥に仕舞込んでそのまま」

 フェアラザー家は郊外の方にあるため、もともと王都に借りた部屋があったが、通うには骨が折れる距離のため、サラは住み込みで勤めている。

「今日はここに、ネイルサロンに来る予定だったので、あまり考える暇がなくって。とりあえず、そうしました。朝すぐに屋敷を出たのですが、特にいつもと変わらない様子だったので、特に不思議な事は何もなかったかと」

 一拍間があって、甘皮処理を終えたリリーは今回どんなデザインがいいかと聞く。

「シンプルなデザインで。ピンクがいいです。屋敷のお嬢様――マーガレット様はピンクがお好きで。その影響ですね。デザインはお任せします」

 リリーはこくりと頷き、「かしこまりました」そう言って、ジェルのコンテナなどの用意をする。

「他に気になることがありましたら、お話聞きますよ」

 ベースジェルの塗布を始めたリリーはおもむろにそう言った。

「頭がおかしくなったのだと思われるかもしれません」

 思いの他、重症な声を出すサラにリリーの表情は硬くなる。

 右手の親指のベースジェルの塗布が終わり、ライトに手を入れた所で、息を吐いたサラは重い口を開く。

「フェアラザー家でお世話になって数日経った頃の話なのですが。夜中に神の声を聞きまして」

「神の声?」

 リリーは訝し気な声を上げる。

「はい。最初は夢かと思ったんですが、だんだん夢じゃないかも……と。ベットに入って、眠りにつく前とか目が醒める直前のまどろんだぐらいにそんな声が聞こえて」

「何度も同じようなことがあったの?」

「はい」

 サラは重々しく頷く。

「神の声はどんな言葉を?」

「夢うつつの状態なので、記憶が定かではない部分もあるのですが、『ここから立ち去れ』『災いが起きる』とかそんな事を」

「……」

 リリーは無言でベースジェルの塗布作業を続ける。

「それの極めつけが今朝の事だったので」

 リリーは優しくサラの話を促す。

「先ほどもお話した様に、朝起きると枕元に――正確に申し上げますと、サイドテーブルに血に濡れたナイフがあって、それを発見したと同時に耳元で”災いだ”と言われた様な気がしました。寝ぼけていたからそんな空耳が聞こえたのかもしれませんが……恐ろしかった。どうしたらいいのかわからなくなって、私は寝ている間に誰かを無意識に手にかけてしまったのかと……」

 リリーは顔を上げ、サラの表情を見ると、ライトに手を入れる様に指示する。何かなんだかよくわからぬまま、言われるがままにサラはライトに手を入れる。

「フェアラザー家の方々について、お話できる範囲で構いません。教えていただいても?」

「もちろんです。当主のルパート氏については、先ほどお話しましたね。あと、屋敷に住まわれているのは、奥様のレシュマ様。奥様はとても物静かな方で、本を読んだり、時折ご婦人の会でお出かけされたり。特筆すべき何かはないかと。あと、お嬢様のマーガレット様。私の今の生徒です。利発な方で、とても優秀でいらっしゃいます。他言無用ですが、実子ではなく養子にされた子なのです。ですが、皆さん、分け隔てなく接しておられています。あとは使用人のヘンリーとビセット。この二人は夫婦で元冒険者だと聞いています。二人が冒険者を引退されたと同時に、旦那様のルパート様がお二人をスカウトしたと話に聞いています。一見、冒険者には見えない、本当に普通の方々です。失礼な言い方だったかもしれませんが、でも以前にはかなり名の通った冒険者だったとご自身で仰っていました、当時の事は詳しくは教えてくれませんでしたが」

 依頼には守秘義務などもあるので、軽々しくは言えないとヘンリーが言っていたことをサラは思い出し、ため息をつく。

 あの血濡れたナイフが悪質な悪戯。

 だとすれば一体誰が犯人なのか。フェアラザー家の面々の顔を思い浮かべるが、とくに恨みを抱かれるトラブルはなく、誰がこんなことをしたのか心辺りもない。

 そこまで話終えた所、サロンの扉が開き、女性の使用人が丁寧なお辞儀と共につかつかとリリーの方に向かってくる。確か彼女の名前はアリと言ったと、サラは思い出していた。

「何かお呼びでしょうか?」

 リリーは作業を一旦中断し、メモとペンを取って何かを書き、アリに手渡す。

「急ぎ調べて欲しいの」

 アリは内容も見ずに、「わかりました」と言い、顔色一つ変えず部屋を出て行った。

「フェアラザー家の当主であるルパート氏については、多少ですが私も話に聞いたことがあります。冒険者に対して、非常に寛容であること。またお気に入りの冒険者があると、自身の財産をその方へ残すため、(しかもその配分がご家族よりも多い割合で)遺言書をしょっちゅう書き換えられるとか」

 リリーは作業を再開し、そう話した。

「ええ。情にあついというか、もろい方で。フェアラザー家の屋敷も郊外にあるため時折、魔物の襲撃を受けるそうです。私はまだ遭遇したことはありませんが。それもあって、冒険者との間柄をより近しく感じているのだと思います」

「冒険者の間では遺言書の事についてはどう受け止めているのかしら? ご存知です?」

「出入の業者の方から世間話程度に聞いた話ですが、遺言書についてはどうせすぐ書き換えられるのだから真に受けない様に。もらえたらラッキーと思うぐらいにしていると――そう言えば、つい先日も遺言書を書き換えるとかなんとか。話をしていらっしゃいました。私はあまり興味がないので、詳しくは知りませんが」

 リリーは桃色のカラージェルを何度かに分けて爪に塗り、グラデーションを作っていく。爪先にホログラムが少しだけ散らされ、きらきらがあると印象がまた変わるなと思いながら見ていた。

「サラさんはルパート氏から親しく接せられていますか? あの、これは変な意味ではなく、単純に親しみをこめてという意味です」

 サラはこくりと頷く。

「自分でこう言うのもなんですが、関係は良好だったと。ルパート様から、”アンタが娘をみてくれているなら安泰だ”と、そう言ってくれていましたから」

「なるほど」

 リリーはカラージェルを熱心に塗布している最中なので、返事がおざなりであるのだと理解している。サラは言おうか、言わまいか、悩んでいることがあった。このままで、話を終わらせるべきかとも思った。

 フェアラザー家は雇い主ではあるが他人様。サラが他人の家のことをべらべらと話ていいものか迷う部分はあった。しかし、今朝のナイフのこともあって、ついに胸に留めて置ける許容範囲をこえてしまった。

「実は、ルパート様から言われたことで、妙に気になったことがありまして」

「……」

 リリーはあえてなのか返事をしなかった。サラはためらわずに話を続ける。

「勤めた初日に当主のルパート様から言われたことなのですが、”屋敷の西の塔には近寄らない様に”そう固く言い含められましたの」

「西の塔ですか?」

「ええ。確かにお屋敷の西、一番端に古めかしい塔があるのです。むかしからずっとある様で、一体なにがあるのかときいたのですが、気まずい雰囲気で視線を反らされ”ガラクタなどが多数あって危険だから”と」

「サラさんはルパート氏の言葉通りではないと疑っているのね?」

 リリーは一瞬だけ視線をこちらに向けた。

「雇い主の家の事情にはなるべく深く追求しないこと。それが礼儀だと私は今までそう思って仕事をして来たのですが……夜な夜な窓を開けると、西の塔の方から人のモノではないような悲鳴が聞こえるのです」

 サラはそう言って、ぶるりと体を震わせる。

「フェアラザー家では動物を飼育されているとかそういったことは?」

「馬は何頭かいるのはみましたが、それ以外の動物が屋敷の付近にいるのは、見たことがありません。西の塔に危険な動物を飼っているということなのであれば、流石に最初からそう言ってくれると思うのですが。色々考えて、風とか木がきしんだ音が悲鳴に聞こえたのかもしれないと。そう自分の中で結論づけていたのですけど……」

「その事について、屋敷の人に聞いてみたことは?」

 リリーはカラージェルを塗布し終わった様で、コンテナの蓋を閉めながら、手をライトに入れる様に伝える。トップジェルの用意をしながら、筆をぬぐう。

 サラは漫然とその様子を眺めながら、ふるふると首を振った。

「奥様やお嬢様は全く知らないご様子です。ルパート様ご本人には聞けないのです。何か、その話題を避けている、そんな雰囲気で。だから聞いていません。ですから、それ以上のことはわからなくって」

 リリーがトップジェルの作業を始めたところで、控え目なノック音と共に、アリが部屋に戻って来た。

「お待たせしました」

 言葉遣いは丁寧だが、若干声色に怒りが混ざっているのは気のせいだろうかと、サラはふと感じたが、ちょうど左手の親指のトップジェルの塗布が終わった所だったので、ライトに手をいれる様に言われ、なにも言葉にせずその通りにした。

 手を空いたリリーはアリが持って来た、メモを受け取り、真顔でその内容を確認する。アリは一礼しそのまま部屋を出て行く。

「当主のルパート様は今年に入ってもう二度も遺言書の内容を変えていらっしゃるのね?」

「そうなのですか?」

 流石に回数まではサラも知らなかったので、驚嘆の声を上げる。

 リリーはそこで一旦、言葉を斬り、サラの手を取って、ジェルの続きの作業を仕上げてしまう。

「これで完成です。どうでしょう?」

 サラはつやつやとした自身の爪を見て、笑みを深める。根本から爪の先端にかけて、じゅわりとピンクのインクをにじませた様に、水彩でさっと筆をひいた様なピンクのグラデーションがかかっている。

「ありがとうございます。今日もやっぱり素敵です」

 言葉にするのは簡単だが、この色の具合をつくために、手間をかけてくれていることをサラはもちろん知っている。

 壁の時計を見た。

 時刻は十四時。

 遅めの昼食をとって、その足でフェアラザー家に戻るのだが、それでもフェアラザー家に到着するのは夜中になるかもしれない。なかなか遠いのだ。そう思ってため息がでる。

 では、と言って席を立とうとした所、リリーの言葉に引き留められ、

「伺ったお話と、こちらで調べた内容から、………………ちょっと言いにくいですが、不穏な空気を感じておりましまして。もし、宜しければですが、屋敷に戻られましたら、これから私が言う通りに動いていただけないでしょうか?」

 リリーのいつもとは違うモノ言いに体に力が入る。

 断る理由はない。

 頷いて、リリーの次の言葉を待った。

 

 〇

 

 王都からフェアラザー家の屋敷に戻って来たのは、ちょうど夜の十時を過ぎた頃だった。

 あらかじめ外出の予定があり、帰りが遅くなることは、朝の時点で伝えていた。裏戸の鍵は開いており、そこから屋敷に入る。

 人の気配はなかった。もう各々の寝室に入っているのだろう。

 最低限の明かりはあるので、足音を立てない様に静かに自身の部屋に向かう。人の気配はないのに、常に誰かの視線を感じる様な気がした。気のせいかもしれないと思ったが、妙な感覚は消えない。それを振り払う様に、サラ自身の部屋の扉を見つけると、飛び込んで部屋に入り、急いでドアを閉める。

 やっと、呼吸ができる。そんな心地になる。

 手袋を脱いで、部屋をあかりをつけた。

 今朝出て来た時と部屋の様子は何も変わらない。

 それを確認し、また大きな息を吐いた。

 リリーに指示された通りに動くべく、きりっと気持ちを持ち直して、一歩踏み出す。

 






「旦那様が、旦那様が………………」

 ベッドの中でぱちくりと目を覚ましたサラは廊下の向こうの慌ただしい足音を聞いて、意識がまどろみからすっと現実に覚醒する。

 ベッドを飛び出しガウンを羽織ると部屋の外に顔を覗かせ、

「どうしたのです?」

 ちょうど使用人のビセットが通りかかったのでそう聞いた。彼女の顔は蒼白で目を血走らせている。

「旦那様が亡くなって……」

「亡くなった? 一体、何が起きているの? ルパート様はどちらに?」

「お部屋に」

 ビセットは何かに怯えた様な、いつもとは明らかに様子の違う彼女に違和感を覚えながらも、とにかく向かわなければと思って、廊下を走り、ルパートの部屋に向かう。

 薄暗い廊下を走り、ルパートの部屋はすぐにわかった。扉が開け放たれ、中からこうこうと明かりが漏れ出ている。

 開け放たれた扉の中からは異様な雰囲気――それが、死の香りなのだとサラは本能的にわかった。

 ごくりと息を飲んで、足音と気配をできる限り消して、部屋の中を覗き見ると、絨毯の上に倒れた一人の男性。

 うつ伏せになっているので、顔は見えなかったが、着ているものなどからルパートだとわかった。羽織っているガウンは以前に彼が来ていたことのあるモノだったから。

 一瞬見て、ルパートにはもう”生”がないことは見てすぐにわかる。

 サラは身近な人の死に直面し、混乱している部分はもちろんあるのだが、それ以上に思考は冷静になった。

 

――なぜ、ルパート氏が殺害されたのか。


 明らかに殺人現場だ。

 冷静に状況を観察すると、ルパートの背中から血液の赤色がガウンに広がっているのが見える。

 彼は変わっていたけれど、気のいい人だった。

 フェアラザー家との付き合いはまだ短かく、それ以上の事は詳しく知らないがサラが思うに悪い人ではなかったと思う。

 以前、王女の家庭教師をやっていた経緯から、腹に一物抱えている人達はそれなりに色々見て来た。

 さわやかな仮面を張り付けて、その仮面の奥ではなにか良からぬことを考る。そんな人はたくさんいた。そんな人達と比べてルパートはとても普通だった。人好きする性格は恨まれるとはかけ離れているとサラは思っていたのだが――サラの知らぬところでフェアラザー家には問題が生じていたのだろうか。

 部屋の中に足を踏み入れよう一歩踏み込んだ所で、ルパートの背中に突き刺さったナイフが見えた。サラは思わずぎょっとする。そのナイフは今朝ほど自身の部屋にあったナイフと全く同じものだった。

「私? いや、あのナイフは………………」

 頭の中が大混乱していた所、誰かに引き寄せられる。その瞬間に冴えわたっていたいた意識は再び混濁する。

(目を覚まさなければ)

 そう思っても全てあとのまつり。

 ただ、睡魔に引き寄せられ、あがなえず目を閉じた。

 

  〇

 

 再び目を開いた時、サラはフェアラザー家の屋敷の自室のベッドであった。

 カーテンの隙間から陽のあかりが漏れる。

 だいぶ眠ってしまったのだろうか。

 枕元の時計を見ると朝七時。

 いつも起きる時間だ。

 昨夜の事はなにもかも全て夢だったのだろうか。

 

 ノック音がして、「はい」と声をかけると、扉が細く開きレシュマ夫人の悲痛な顔がのぞく。それを見て、全てが現実だったのだと思い知らされた。

「騎士団が来ているの。主人のことで――主人が今朝、殺害されている状態で発見されたのです」

「すぐに参ります、奥様」

 サラはベッドからでると、クローゼットへ向かう。

 一体、あれからどうなったのだろうか。

 今は考えてもどうしようもないと思い、手早く用意を済ませ、部屋を出た。

 

 ダイニングには家の使用人と家人が集められている。

「おはよう」

 部屋の真ん中で、騎士団の隊長クラスの制服を来た男はサラの姿を見ると、慇懃に挨拶をし、

「テイトと言います。家人からの通報で今朝、こちらに参りました。それで、揃った様なのでもう一度昨夜からの状況を整理しましょう。もう一度、お話していただけますか?」

 テイトは咳払いし、ビセットに話を促す

「はい。サラ様は昨日の朝、王都の方に用事があると、朝早くに屋敷を出られ、お帰りになったのは夜遅くでした。私どもはもう部屋におりましたので、何時に帰って来られたのか正確な時間はわかりませんが、夜中に旦那様の悲鳴が聞こえて……何事かと思って廊下を出ますと、サラ様が『なんでもない』と仰ったので、そうなのだと思って、部屋に戻って。しかし、朝旦那様の執務室に参りますと……まさかあんな事になっているとは思いもよらず」

「この女がルパート様を殺害したんだ」

 ビセットの言葉を遮り、ヘンリーがサラを指し、激昂しそう言い放った。

「気が動転しているのはわかるが、それぞれ話は要点をまとめて冷静に」

 テイトはヘンリーをなだめる様にそう言った。

 サラはいきなりのことで状況がつかめない。

 テイトはこほんと咳払いをし、

「つまりですね、家の方々は夜中にひっそりと帰って来た貴女がルパート氏を殺害したと。特にビセットさんは廊下で貴女がルパート氏の部屋に向かっているのを見たと」

 嘘だ。

 ビセットは嘘をついている。

 反射的に彼女に視線を浴びせ、

「それは、違います。そもそもルパート氏の部屋に向かったのは、夜中に廊下でビセットさんが騒がしくしていらっしゃって、何かと聞くと、旦那様が亡くなったと仰ったから」

「では、ルパート氏の部屋に行った事は認めるのですね?」

 冷静なテイトの言葉に喉が詰まる。頷くことしかできなかった。サラの言葉を聞いて、家人の皆は”やはり”と言う表情でサラを見ている。

 誰もが自分に疑惑を持っていたのだということを知り、それと同時にこれ以上何を言っても無駄なのだということも知った。

「何か申し立ては? それと凶器を部屋に隠しているんだろう? 今、騎士団の方で君の部屋を捜索中だ。発見出来次第、一緒に来てもらう――動機? それは後からゆっくりと話してもらえばいいことだ」

「凶器なんてありません」

 サラは強く反論するが、

「私が廊下で見た時、ナイフを持って………………いらっしゃいました」

 ビセットはダメ押しにそう言った。再度睨みつける様な視線を送ったが、状況は悪くなるばかり。拒否権はないのだとサラは判断し、口をつぐんだ。

 しかし、そこではてと思う。昨日サラは意識がある直前、ルパート氏の部屋を覗いた時には、彼の背中にナイフが刺さっているのを間違いなく見た。でも、このやり取りから察するに、死体からナイフが引き抜かれ、現在見つかっていないという事なのだろう。なぜか――そう考えた時に、昨日の朝、サラの部屋に置かれたあのナイフを思い出す。もしかしたら、サラ自身に犯行の濡れ衣を着せるために、わざと、死体から凶器を抜き、サラの部屋で発見させる様に仕組んだのでは、と。

 でもそうなると本物の凶器は?

 頭が痛い。

 大混乱を起こしている。

 階上から幾人かの足音がだんだんとこの部屋に近づいてくると、ばたんっと大きく扉が開く。

「テイト隊長。捜索しましたが、凶器と思われるナイフは全く見つかりません」

 テイトは顔を歪め、

「一体、どこに隠したんだ」

 言葉の鞭とはこれを指すのだろう。ぴしゃりとサラに向けて放たれた言葉なのだが、もちろんサラは答えられないし、ルパート氏を殺害したナイフがどうなったかは知らない。

 テイトが憤怒の形相でサラの向かって来て、あ、終わった。とサラは思い、目を閉じるが、体に衝撃はなく、聞こえたのは扉を叩くノック音だ。

「はい」

 テイトは動きを止め、イライラした声を震わせたが、入ってきた人物を見るなり、体をこわばらせ、最上級の敬礼をしてみせる。

「デュラン隊長」

 入って来た大柄な騎士服の男をサラは知っている。以前、第八王女のシャーリー様が行方不明になった時に彼に大きな力を貸してもらった。

 一瞬目があったが、すっと顔を反らしたデュランはテイトに目をやる。彼もサラのことを疑っているのかと思うとなぜか悲しくなった。

「ルパート氏の犯人はすでに捕縛済だ。君たちも早く引き上げる様に――ああ、そこにいる共犯者も一緒に捕縛するように」

 デュランがヘンリーとビセットを指したので、二人はデュランが引き連れて来た騎士達に身柄を捕縛され部屋から連れ出されていく。

 その様子を目を丸くしながらテイトは「一体?」と呟いた。

「西の塔は確認したか?」

 デュランはそう言って、後ろから捕縛した一人の男を引っぱりだしたが、サラは全く見たこともない顔だった。

 テイトの方はそうではなかったらしく、その男を見るなりわなわなと体を震わせる。

「グリフィン。まさか、こんなところに居たとは。今回の事件は全てお前が仕組んだことなのか?」

 グリフィンはにへらとほほ笑みを浮かべる。それだけで、グリフィンと呼ばれた男の精神状態を察知した。

「改めて紹介しよう。今回の事件の主犯格であるグリフィン。元冒険者で、双剣使いの凄腕と言えばご存知でしょうか」

 デュランの言葉にサラもはっとする。流石に顔は知らなかったが、冒険者のグリフィンは聞いたことのある名前だ。

「かつては冒険者として名前をはせ、その名前をアンバー王国に轟いたけれど、体を壊して現役を引退されたと」

 サラの言葉にデュランは頷く。

「一級指名手配犯のお前がこんなところに潜んでいたとは。一体どうやって忍び込んだ?」

 テイトは目の色を変えてグリフィンに向かって絶叫する。

 指名手配犯。そう聞いてサラは眉を顰める。

 グリフィンはぷいっと顔を背けた。目は落ちくぼんで、顔は痩せてこけている。冒険者とは言えない見た目だとサラは思う。

 代わりに口を開いたのはデュランの方だ。

「それについては、こいつの境遇に同情した、ルパート氏がかくまったのだ。極秘にね。冒険者時代から親交があり、彼の事情を知って、何も言わずに、そうした。むろん、家族の誰にも言わず」

 デュランは連れていかれた、ヘンリーとビセットの後ろ姿を目で探した。

「お前たちもグリフィンの仲間なのだろう? ――正確に言えば、元冒険者パーティーと言ったところか」

 不意に睨みつけれた、ヘンリーとビセットは振り返るとドギマギとして押し黙る。言葉にはしないが、つまり、グリフィンの仲間だと言っていると同義だとサラは感じた。

「この度は、ありがとうございます。ですが、デュラン隊長殿はどうしてここに?」

 テイトは最大級の礼儀をこめて、デュランを見る。

「匿名の密告があった。あの三人は名前を変えてここに潜んでいたのだろう。あとは君の方で頼む」

 サラはすぐにそれはリリーだと思った。

「かしこまりました」

 テイトは部下たちとともに、三人と引き上げて行く。

「ありがとうございます」

 サラはデュランに向かって深々とお辞儀をした。

「いや、自身の職務を全うしただけだ」

「ですが、来ていただけなければ、私、どうなっていたか……本当に感謝しかありません。ですが、今回のことは一体?」

 デュランはこくりと頷き、口を開いた。

「真相はこうだ。グリフィンの引退と共にルパート氏に誘われ、ヘンリーとビセットもこの屋敷に引き取られた。君も知っていると思うが、ルパートには変なクセがあった。彼はお人よしで上に流されやすく、気を許したものにすぐ財産を残そうとするため、よく遺言状の書き換えが行われた。ちなみに」

 デュランは一枚の用紙を出して、サラに見せる。

「これは?」

「現在の遺言書の写しだ。妻などにもパーセンテージが割り当てられているが、その遺産のほとんどがグリフィンに行く様になっている」

「ルパート様はこの遺言書から書き換えを検討していた…………」

 そう言えば、最近また遺言書を書き換える様な話をしていたことを思い出す。それと同時に、グリフィンがルパート氏を殺害した動機がここにあるのだと理解した。

「ここに現れたのが、娘のレシュマの存在だ。彼女は孤児で、最近フェアラザー家に引き取られた。それほど期待をされている存在ではなかったが、蓋を開けてみると、非常に優秀なお嬢さんだった。その彼女にしっかりとした家庭教師を迎え、娘の未来を見たルパート氏は、再度遺言書を書き換え、今度は全てを娘に残そうとした」

 遺言書を書き換えられるのを、阻止するために、ルパートを手にかけたのだ。恩を仇で返すとは。

「実際に手をかけたのはグリフィン。彼がルパート氏を殺害したといことなのですね」

 重々しくデュランは頷く。

「詳しい事は、彼らが捜査をしてくれるだろう。グリフィンは――冒険者時代の過度な肉体への負荷がたたり、精神もむしばまれた状態だった。そんな状態だったから、冒険者を引退せざるを得なくなってしまった。ルパート氏に引き取られ、この屋敷の西の塔で療養生活を送っていたそうだ。彼は時折自分でも制御できない発作に見舞われ、自身の双剣を振りかざすこともあったとか」

 彼の世話には普通の使用人では向かない。だから、ヘンリーとビセットがいたのだと思うと同時に、夜な夜な聞こえた悲鳴は精神を蝕まれたグリフィンの叫びだったのだと。デュランは話を続ける。

「ルパート氏にはお人好し。それが彼の良さであり、弱点でもあった。冒険者としての未来を失った彼に同情して、人として全うな暮らしが出来る様にと、自身の財産を残す約束をした。しかし、娘ができると対応はガラリと変わる。今まではグリフィンの事を第一に考えていたが、それが全て娘になる。それはルパート氏だけの責任ではない。誰だってそうなるだろうと思う。ルパート氏は自身の考えが変わったことをもしかしたら、グリフィンに話していたのかもしれない。彼は変な所で実直だから。とにかくグリフィンはまた、裏切られたと思い、遺言書が書き換えられる前にルパート氏の殺害を企てた――アスセーナスのご令嬢の使用人からの連絡によると、君の部屋に血に濡れたナイフが置かれていたと。もちろんその現物はこちらで回収している」

 その言葉にサラはほっとした。

「ええ、昨日ちょうど、リリーネイルへ行く予定があったので、それで相談して。そうしたらリリーさんが”夜に人をやるから、帰ったらそのナイフを渡す様に”と仰られて」

「そのナイフですが、アスセーナス嬢の執事から、私の所に。それで、調べてみますと、ナイフは双剣だと判明した。ちなみにナイフにこびりついていたのは赤いインクだった」

 デュランがそう言った所で、扉の方から「西の塔より双剣の片割れが発見しました」と騎士の声がする。

 それが、ルパート氏を殺害したナイフだったのだ。

「計画的な犯行だったのです」

 デュランはそう言って、大きなため息を吐く。

「当主の亡骸を今朝、ここの家人が発見した時、死体に凶器はありませんでした。ここがポイントです。駆けつけて来た騎士達が凶器を探すため、家宅捜索を行い、貴女の部屋からナイフが発見されれば、貴女の供述がどうあれ、容疑者としてひっ捕らえられる。その間に遺産を相続し、グリフィン達三人は姿をくらませる予定だったのです」

「でも双剣だとわかれば、グリフィンのことを疑う人も出てくるのでは? 遺言書の遺産相続人で彼の名前が出てくるのですから」

「彼らとしては誰かに疑いの目を向け、自分たちが金銭を相続し、逃亡する時間が稼げればそれでよかったのです。あと、貴女が見た悪夢や、神の声もグリフィンの特異スキルによるものだと判明していますので、もう悩まされることはないでしょう」

 まあ、これはアスセーナスのご令嬢の受け売りなのですがとデュランは頭を掻いた。

 サラはやっと大きく息が吐ける。昨日がネイルの日で本当によかったと思う。

「そう言えば、グリフィンのもともとの罪状とは?」

 デュランが”また裏切られた”と表現した言葉の意味も気になっていた。

「冒険者時代、彼らは四人パーティーだったのです。その内の一人が大きな裏切りを。その仲間を殺害したのがグリフィンだった。その時に彼は心にも体にも大きな傷を負ったのです。精神的に不安定な部分のある彼なので、今回の殺害の大まかな計画を立てたのは、ヘンリーとビセットなのかもしれないとも思っています。その辺りは追ってきちんと捜査がなされるでしょう」

 皮肉な話だ。

 だから、彼は遺言書を書き換えるルパート氏を以前の仲間と重ね合わせ、フラッシュバックし、殺意を抱いたのかもしれない。

 デュランは、昨日の朝に枕元にナイフが置かれた理由について、昨日サラ休みだったこともあり、血の付いたナイフをみれば、普通の女性であれば一日部屋にこもって、悶々とするだろうと考えた、計画だとも話した。その計画はサラ自身の行動によってご破算になるのだが。

 

 雇い主を亡くしたサラは奥方に、家庭教師の職を引き留められたが、さすがに一度は疑われた身であったので、職を辞し、屋敷を去った。

 その後、王立学園の校長に上り詰めるのだが、それはまた別の話である。


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