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パールジェルネイル

 この日、リリーネイルはこれから迎え入れるお客様の準備にあたって、いつもよりもそわそわとした空気が漂っていた。

「アリ、お茶の準備は? ――大丈夫ね。エド、玄関の掃除は? ――今朝のうちの終わってるのね。わかったわ」

 リリー自ら、アリとエドに確認を行いながら準備を進めている。リリーは人一番鋭い部分がある一方、多々無頓着な部分もあり、それを補うべくアリとエドがいるのであって、基本的に普段の掃除やお客様を迎え入れるにあたってのあれこれはいつもなら全て二人に任せっきり。そのためリリー自身がそうやって口を出してくるのは珍しいことである。

「気合が入っていますね」

 アリがリリーに微笑む。

「確かに会うのはいつぶりだろうか?」

 エドも軽い口調でそう答えた。

「旦那様のお仕事の関係で数ヶ月海外を渡り歩いてこられたと。以前アンバー王国に帰国して滞在された時は一週間ほどしかいっしゃらなかったから、私も会う時間がなかったわ。そう考えると………………一年以上かしら」

 リリーがそう言った所で、玄関の向こう、石段を上がる靴音が近づく。

「じゃあ、よろしくね」

 リリーは小声でそう言うと小走りにサロンの方に駆けて行く。

 エドとアリは顔を見合わせ二人、ため息交じりに笑った。

 これから迎える大切なお客様に入念に準備していたことなど微塵も感じさせず、軽い感じで今から来られるお客様を向か入れたいと言うリリーの意志が後ろ姿から見えた。だから、お客様をサロンに通した所で、久しぶりと、何事もなかったかのような表情を見せるのだろうとこの後の展開が手に取る様にわかる。一般の普通のお客様ならそのリリーの何でもないという演技に騙されるのだが、これから迎え入れる客はリリーの何枚も上手なので、そんなリリーの小さな嘘も見抜いてしまうのだろうとも。

「お待ちしておりました」

 ノックされた玄関のドアをゆっくりと開けると、エドは恭しく礼をする。

「久しぶりね」

 扉の前に立っていた女性はエドを見て花が咲いた様に微笑む。

「リザ様――いえ、トンプソン伯爵夫人」

「仰々しい呼び方は結構よエド。それよりリリーは? 久しぶり。早く会いたいわ。妹がネイルサロンを開いたってことはずっといつも噂には聞いて知っていたし、来たいと思っていたのだけど……なかなかね。やっと来られたわ」

 リリーの姉である、リザ・トンプソンはそう言ってエドをせかした。

 リリーと同じ色の、柔らかい茶色の髪を結い上げ、きっちりと仕立てられたドレスを着こんだその姿から外交官の妻としての地位が板について来た印象を受ける。リリーと違うのは、彼女の方が首から肩にかけてのラインが曲線的で女性らしさを感じさせる様な点であろうか。

「お待ちしておりました」

 廊下の向こうからアリがひょっこりと顔を覗かせる。

 アリとエドはアスセーナス家の屋敷で、夫人に対してはそれこそあまり良い印象を持っていなかったが、リリーの姉と兄に対しては、悪い感情は抱いていなかった。

 確かにエドとアリが初めて屋敷を訪れたこと当初は、疑心暗鬼の視線を向けられていたこともあった。しかしまあ、急に見も知らない子供二人が屋敷を中をうろうろすれば誰だってそうなるだろうと思う。その後のアリとエドの努力を見て、また二人が努力をすればするほど、正当な評価を下してくれた。

 アリの姿を見ると、リザはより一層笑顔を見せる。

「久しぶりね。またお茶を入れてもらえる? 海外が長かったせいか、アンバー王国で飲むものや食べるものが本当に懐かしくて美味しいのよ」

「もちろんでございます。お湯が沸きましたら、紅茶とシナモンのクッキーがちょうど焼きあがるのでお持ちします」

「嬉しいわ。私、アリのクッキーとっても好きなの」

 もちろん、アリもそれをわかって用意をしていたのだ。

 リザはショールをエドに手渡すと、案内されサロンへ向かう。

「どうぞ」

 エドが扉を開けると、テーブルの向こう側に固い顔をして座るリリーがこちらを見た。

「お姉さま。お久しぶりです」

 リリーはさっと立ち上がると、緊張していたのかぎこちない様子で淑女の礼を見せる。リザはしっかり者の姉で、リリーはアスセーナス家にいる時は彼女のことをとても頼りにしていた。

 リザは貴族や家に縛られるのが何より嫌いな、貴族令嬢にあるまじきちょっと変わった一面を持っており、その部分について他人からとやかく言われたないために、礼儀作法や自身の教養については人一倍努力をしていた。だから、他者が抱くリザの評価は、貴族令嬢らしかぬ考えを持つ変わった無教養な令嬢ではなく、教養があり様々な考え方を持った女性と皆が口を揃えてそう言った。リリーはそんな姉の事を誇らしく、尊敬していた反面、リリーが自由な生き方を選びたいとした時に、姉はリリーに対して教養や礼儀作法について厳しく指摘をするようになった。それはリリー自身のためであることは言わずもがなわかっているが、リザのレベルが非常に高いので、リリーが難儀していたのも事実。

 そんな姉の前でぎこちない礼儀作法を見せてしまったので、幼いころの様に起られるかと体を固くしたリリーであったが、聞こえてきたのは姉の軽快な笑い声だけだった。

「久しぶりね。大丈夫よ。二人だけの空間で”どんな時でも心を落ち着かせなければならない”なんて、小言は言わないから」

 言っているじゃないかと、つっこみをリリーとエドは飲み込む。リザは「素敵ね」と言いながら、サロンの中をぐるり一周している。

「ここが、おばあ様とおじい様に頼んで買ってもらった家なのね?」

「そうです。家だけとお願いしていたのですが、おばあ様の伝手でフリッツ商会から家具一式もそろえてもらうことが出来て」

「よかったわね。じゃあ、そのジェルネイル? 私もさっそくお願いできるかしら」

「もちろん」

 リリーの声にエドはすっとリザの座るソファーを引き、彼女は迷いなく腰をかけた。エドはゆっくりと扉を閉め、部屋を出て行った。

「どんなデザインがいいとか、希望はありますか?」

「うーん、そうね。私本当に全く初めてだから、わからないのよ。お任せするわ。でも強いて言うなら、来週からまた、主人の仕事の関係で、ラグドギア王国に行かなければならないの。だから、あまり悪目立ちしない、上品な感じがいいわ」

 リザの夫であるトンプソン伯爵はアンバー王国の有能な外交官である。もともとは男爵の三男で、爵位はつげないため、王宮での仕事についた。ただ外交官として仕事のするにあたって爵位があった方がいいとのことで一代限り、伯爵位を賜ったのだ。伯爵なのは、外交の仕事からある程度の爵位があった方がいいと王家が判断したらしい。

 家を継ぐ必要がないので、子供はあってもなくてもいい。爵位や家に縛られるのが嫌なリザだから、伯爵と出会うとさっさと嫁いで行った。普段から海外を飛び回って自由にやっているのだから、自分らしくあれるリザにとってベストな相手だったのだろうと彼女を知る人は皆、思っている。

 リザのリクエストに少し考えたのちに、頷くと後ろの棚から、カラー用のコンテナをいくつか出した。

「こういった色はどうです? そんなに色はつかないですが、肌馴染みの良い色にパールを混ぜているので、自然に綺麗な輝きが出ると思います。ラメだとぎらぎらとした感じがやっぱりあるので。でもパールなら綺麗にやんわりきらきらする印象かなと思って」

「すごくいい色ね。思っていた通りの色だわ」

 リザはリリーの用意した色に目を輝かせる。

「こっちはコーラル系、こっちはピンク系、あとこっちだとベージュっぽい感じ。どれがいいですか?」

 リザはじっくりと色を見比べてコーラル系の色を選んだ。ワンカラーとデザインも決まったので、リリーはもくもくと甘皮の処理はリザの爪の形を整えるべく爪やすりを取り出す。

「ねえ、ネイルサロンの噂と一緒に貴女自身の噂も聞いているわ。貴方の頭脳が騎士団を凌駕しているって。いくつもの難事件を解決したって」

 リザはニコニコ顔でリリーを見る。何となく今までの経験から嫌な予感がしたのか、苦笑いを浮かべた。

「別に何もしていないわ」

「そんな事ないでしょう? だって問題や事件が解決されている事実はあるのだから。いつもどうやって? どんな伝家の宝刀を持っているの?」

 以前、エドやアリにもリリーは同じことを聞いていた。しかし、コレと言った回答は特にないのだ。

「アリに――お姉さまもアリのスキルはご存知でしょう? 情報収集をお願いしているの。お客様から問われた内容について調べてもらって、私はその事実を聞いて、ただそれらをならべて情景を思い浮かべて考えるの………………ほら、私のスキルって”ソウゾウ”でしょう? でも、全部思いつきだから、思った事を並べて言ったというだけのことなのよ」

 姉をリザを納得させるために、急遽思いつきのようにそう言ったが、言って見てリリー自身もそうかもしれないと内心思ったのか、ほうっとした表情を浮かべる。

「そんな使い方もあるのね」

 リザは納得したと頷きながら、そんなリリーに相談したいことがあるのだと話を続ける。

「とある国で、ご婦人が毒殺される殺人事件があったの」

「殺人ですか?」

 リリーは声を潜めてそう返した。

「ええ。私が、モーゼル国に行った時の話。つい先日なのだけど――モーゼル国の騎士団で事件の処理をして、彼らは自殺だと断定したのだけど、私は殺人だと思っている」

 リザは事件の解決に至るまでは滞在できなかったので、現在どうなっているかわからないと、言葉を付け足す。

「モーゼル国の騎士団の方々はご婦人は服毒自殺をしたと。そう考えていらっしゃるのかしら」

「ええ。そうみたい。そのご婦人について………………マンロー夫人と言う方なんだけど。そうね、彼女については気位の高い貴婦人の中の貴婦人と言った感じ。本人も押しも押されぬモーゼル国の高貴な家柄の出身で莫大な資産を抱えている方よ」

「それだけ聞くと、自殺なんてあり得ないのではと、私は思ってしまうけれど」

 リザの話を聞いて、マンロー夫人に近しい人物として身近で二人の母親であるエブリン・アスセーナスを思い浮かべた。莫大な財産の有無については少し異なるかもしれないが、エブリンが落ち込んで自殺をするような人物かどうかを考えた時に、真っ先にあり得ないと思う。

「私も、亡くなる直前、晩餐の席で彼女と話をしたけれど、別に暗い感じも気落ちしているとかそう言った感じも無かった。でも、晩餐が終わって、部屋に帰って毒を飲んで、翌朝亡くなっている姿が発見されたの。その話を聞いて、本当にびっくりして――自殺だと結論づけられたのは、毒薬が夫人の部屋のピルケースの中から発見されたこともあって」

「マンロー夫人付のメイド達は薬の存在については?」

 リリーの問いにリザは首を横に振った。

「全く知らなかったみたい。マンロー夫人は美容にはめっぽう気を遣っていた様だから、美容に纏わる薬はいくつか飲んでいたみたいで、だから夫人のお部屋にピルケースがある事自体は別に珍しいことではなかった様なのね。薬についてとやかく言うと夫人の機嫌が悪くなることがあって、メイド達もあまり言えなかったみたいで」

「その毒薬が入ったピルケースは夫人の部屋に前からあったものだったのかしら」

 リザは首を振る。

「わからないと言っていたわ。とにかく色々なものがあるみたいで、メイド達も特に力を入れていたのは、ドレスや宝石の管理の方だったから。ピルケースの数までは数えていなかったみたいね」

 リリーは作業を続けながら、ふーんと唸った。

「マンロー夫人は貴族の中の貴族であるなら、自分で薬を買いに行くということはしないと思うのね。そうなると、どうやってその薬を手に入れたのかしら」

 リリーの的確な疑問にリザは思わず身を乗り出す。

「そうなの。騎士団は前々から夫人は悩んでいて、悩んだ末に自殺したのだろうって。薬も何等かのルートで前々から用意していたモノだろうって言うのだけど、どうもその信憑性が伴わないと言うか。じゃあ、そのルートはどっからのものだったのかって思うのよね。例えば、夫人の近しい方で同じように服毒自殺を図った方がいらっしゃって、と言うならまあわからなくもなけれど、マンロー夫人の家族もご友人もそういった方はいらっしゃらない様だったから」

「でも騎士団がそれほど、自殺だと断定するのだとしたら自殺だと断定される様な、何かがあったのでは?」

 リリーは作業に一区切りついたところで、ふっと顔を上げてリザを見た。水魔法を得意とするの彼女はリリーと違って淡いアクアマリンの様な瞳を持っている。時に柔らかく、理知的に輝くその瞳を逡巡させ、言葉を選んでいる様だった。

 エドがノックをして入ってくると、紅茶とシナモンクッキーをサイドテーブルに用意した。考え込んでいた瞳をパッと輝かせて、「ありがとう」と言って、紅茶に口をつける。

 リリーはエドにアリを呼んでくるように耳打ちをした。リザはシナモンクッキーに手を伸ばし、食べると顔をほころばせる。

「変わらないわね。本当に実家にいるみたい。懐かしいわ」

 リザの感想に微笑みながら、リリーはベースジェルなどの用意を整えて行く。程なくしてアリが部屋入ってくると、リリーはそこにいる様に目で合図を送る。

「ふう。――それで、モンロー夫人の話に戻るのだけど、どちらかと言うと夫人ではなく、旦那様のマンロー氏であれば、理由はなくはないの」

 リザはティーカップをゆっくりとサイドテーブルに置くと、表情を硬くする。

「マンロー氏にはなにか、借金や事件に巻き込まれた様なことがあったのですか?」

 リリーはベースジェルを塗布すると言ってリザの左手を持ちながらそう聞いた。

「私達がモーゼル国に行った理由にも関わって来るの。まだ、詳しくは言えないのだけど新しい魔鉱山が見つかったの」

 魔鉱山と言うのは、多数の魔石が採掘できる鉱山である。魔石は今やないと人々が生活を送れないほど、重要な存在なのだが、魔石を発掘できる鉱山はまだ少ない。

 アンバー王国でも魔鉱山があるのは一か所のみである。

 もともとの数が少なく、魔石が生成される原理はまだ解明されていないが、やはり魔鉱山が多く見つかる国と言うのものはあるもので、モーゼル国ではアンバー王国に比べ物にならないほど多くの魔鉱山が見つかっている。

「モーゼルに行ったのはその魔鉱山の採掘権に関わるお仕事のためですか? ――あ、ここのライトに手を入れてくださいね。もし熱くなったら一度手を出しても構わないので」

 リザはリリーの指示に従って、恐る恐るネイルライトに手を入れていた。

 話を戻すが、モーゼル国は魔鉱山が潤沢なため、新しく見つかった魔鉱山は採掘権を購入すれば、会社や国の所有物と出来る権利を認めている。モーゼル国で全ての権利を掌握すれば、莫大な富があるではないかと思われるが、魔鉱山の採掘には多くのリスクが伴う。それに加え、労働者の劣悪な環境などが度々問題視されることもあり、そういった悪い噂がつくと国の方で多額の賠償金を求められる場合も少なくない。

 それよりは、採掘権をそれなりの値を付けて売った方が、その後のリスクも少ないということだ。モーゼル国で今でも国営で運営している大きな魔鉱山はいくつかあるのだから。

「そうなの。アンバー王国のサマン重工が採掘権の取得に乗りだして。その交渉とかそれに伴う細々としたことで」

 ”サマン重工”――リリーは一瞬体をこわばらせた。

「どうかした?」

 リザはその一瞬の変化にも目ざとく気が付く。

「いえ、………………そう言えばサマン重工の社長である、スティーブン・シャーマン氏には以前、祖父母の家で会った事があるなとふと思い出して」


   シャーマン氏が笑った時、にっと歯茎が見えるほど口角が上がる。そこに見えた金歯。見覚えのある金歯。

   気持ちの悪い笑い方。

   既視感。……

   

 リリーはその時の様子を生々しく思い出していた。

「そうなの?」

 リザは初耳とばかりに驚いた様子で、若干身を乗り出しながら、その話の続きを促したが、リリーはやんわりと笑顔を作ったのみで、話を受け流した。

「それで、話の流れからすると、マンロー氏とシャーマン氏が争って、シャーマン氏が採掘権を得たと言うところなのかしら?」

 無理矢理にリリーはもとあった話の道筋に戻す。リザはそれを理解してかそれ以上シャーマン氏の話題をリリーには振らなかった。

「簡単に言うとそうね。本当は、その魔鉱山を見つけたのはマンロー氏で、そのままマンロー氏の所有物になる話だったの」

「じゃあ、シャーマン氏がそれを横取りしたということ?」

 少しの間があったのに、リザはゆっくりと頷いた。

「横取り……と言う言葉は、あまりにも直接的な言い方になってしまうから、そうとは言わないけれど………………その見つかった魔鉱山の採掘にあたって色々と整備が大変で。マンロー氏は魔鉱山の経営は全くの初めてなのよ。だから、ノウハウを知らなくてただただ、お金ばかりが流れて行ったという訳。そこに手を差し伸べたのが、サマン重工なんだけど。――あの会社は他国の貴族を含めて、非常に太いパイプを持っているから、色々と足場を固めて、結局はその魔鉱山の採掘権を自分の所に引き寄せたという印象かしら」

 魔鉱山を見つけて、放置することは固く禁じられている。それは、不正に魔石の売買されるのを防ぐことや、かつ魔鉱山自体が非常に危険な場所でもあるためだ。魔石が採掘できる様になれば、宝の山なのだが、それまでの道のりが非常に長く、尚且つ、お金もかかる。マンロー氏も魔石がもたらす莫大な富に心惹かれて、魔鉱山の整備に取り組んだのだろうが、途中で資金がつきたか、何らかの大きな問題が発生して断念せざるを得なかったのだろう。

「その反面、サマン重工であれば、潤沢な資金と魔鉱山に対してのノウハウがありますものね」

 サマン重工は、アンバー王国内と他国を含め、いくつかの、魔鉱山の運営を既に行い成功している。

「そうなの。だから、モーゼル国としても自国で見つかった魔鉱山で、あまり不祥事を起こしたくないということもあるのね。だから、やはり経験豊富なサマン重工に任せたいという気持ちは多くあったのだと思う」

「それでマンロー氏は?」

「お金をかけるだけかけたけど、得られるものは何も。ただ莫大な損失だけが残った感じね。でも、マンロー氏の方で運営している商会は、特に問題はないから、経営に大きな問題が発生しなければ、十数年でその損失もカバーできるのでしょう」

「でもそんな時にマンロー夫人が亡くなられたのですね」

 リザはこくりと頷く。

「私達が口を出すことではないのはわかっているのだけど、夫人の死を自殺で片づけてしまうのは、どうしても違う気がして。アンバー王国に帰って来ても、どうしても心に引っかかってしまって」

 リザの言葉が大きく影を落とす。

 ちょうどベースジェルを塗布し終わった所で、先ほどリザ自身に選んでもらったパールジェルのコンテナからジェルを筆で少しすくいとった。

「お姉さまは、もしマンロー夫人が他殺だと考えていらっしゃるのなら、一体どなたが殺害したと考えていらっしゃるのでしょうか?」

 リリーの鋭い言葉に、一瞬リザは体を固くする。

「わからない。――わからない。私は、――本当の事を言うと、シャーマン氏に対して何だか、そうね。言葉に表しにくいのだけど、黒いもや見たいなものが彼を覆っている様に見えて。表情は笑っているのに、目が笑っていないことがよくあって、シャーマン氏の腹の内が全くわからないの。だから、今回の採掘権についても、マンロー氏側の実力不足であると、事実がそうあって、どうしようもなく、シャーマン氏が経営するサマン重工で、魔鉱山の採掘権を得るに至ったわけだけれど、本当にそうだったのだろうかと、なんだか不安がぬぐえなくって」

 リザの言葉は暗にシャーマン氏がマンロー夫人の殺害に関わっているのではないかとも言える言い方だった。

「でも、マンロー夫人が亡くなったのは、完全に魔鉱山の採掘権がサマン重工に決まった後だったのでしょう?」

 採掘権とマンロー夫人の死は関わり合いがないのではないかと思われる。採掘権が誰に渡るか、決まる前であれば二人の間に利害関係があったのはわかるが。

「そうね。そう、だから私の考えすぎであまり関係のないことなのかもしれない」

「マンロー夫人は、魔鉱山の採掘権取得についてはどう考えていらっしゃったのでしょう?」

「私がその晩餐で話を聞いた感じだと、さして興味を感じていなかった様に見えた。多分、反対していたのだと思う。どちらかと言うと、夫のマンロー氏が人生をかけた事業として乗り出していたみたいだから。だから、彼の方が落ち込んでいた様に見えたわ」

 リリーはすくいとったパールのジェルをリザの爪に筆を走らせる。色づく爪にリザは顔を明るくした。

「………………お姉さまはシャーマン氏に実際にお会いして、彼についてどう思われましたか?」

 リザはすっと表情の色を無くす。

「そうね。やり手の経営者と言う感じかしらね。でも、第六感と言うのかしら、私はそれ以上は深く関わらない方がいいとそう思ってしまったの。何かがあるのではないかと思って、たまらない。リリーも先ほど会ったと言っていただけれど、逆にどう思ったの?」

「怖いな。と、そう思った印象がとても強いです」

 リリーは神妙な声でそう答える。下を向いて、カラージェルを塗布していたので、リザから彼女がどんな表情をしているのかは見えない。

「とても、不安に思っていることがあって。実は二日後にシャーマン氏からご招待をいただいているの。モーゼル国での魔鉱山採掘権取得の成功、今後も関わることがあるから。それで、もし何かあったらと得も言われぬ不安がぬぐえなくて―――それと、一点だけ。マンロー夫人が私達と会談をした時になにか恐れている様なそんな印象を受けたの。もちろん彼女は表情には一切出さない様な人だから、私の勘違いかもしれなかったけれど」

 リリーはそれについては何も答えず、もくもくと作業を続けていた。カラージェルの塗布が終わり、次にトップジェルを塗布していく。

 リザはだまって、リリーの作業の様子を見ていた。不思議そうにそれでいてどこか優しそうに。

「終わりました。どうですか?」

 リザの爪を薬剤をつけた柔らか布でふき取る。リザは自分の両手をまじまじと眺め、ニコリと笑った。

「素敵ね。流行る訳だわ」

「ありがとうございます。」

「これを落とす時はどうするの?」

「専用の薬剤を染み込ませるか、ネイルマシンで削って、その上にまた塗布していく感じですね」

 リリーは机の傍らに置いてある、薬剤とネイルマシンを指さす。

「じゃあ、自分ではどうしようもないのね」

 リザは肩を落とす。彼女は夫の仕事の関係上、海外を飛び回っているためアンバー王国に年間で滞在する期間はそれほど長くない。

「ネイルのもつ期間は一か月ぐらい、ですが?」

 その頃の予定を聞く意味も含めてリリーはそうたずねる。

「ぎりぎり帰って来れるかどうかというところね」

 仕事の関係でどこかに行く予定があるそうだ。リリーは引き出しから、新しい爪やすりを一本取り出す。

「お姉さま、これを」

「?」

 リザはきょろきょろと爪やスリとリリーを交互に見る。

「多分、一か月すると爪が長くなって、日常生活に支障がでるかもしれません。その時は、これで爪を削ってください」

 リリーは手本を見せる様に、リザの爪にさらっとやすりをかける。

「お姉さまがアンバー王国に帰って来れなくても自分自身、もしくは侍女が出来るネイルケアを、ジェルネイルだけではなくて、マニキュアも作った方がいいかしら」

 リリーは一人そう、つぶやく。小さな声だったからかリザは何を言っているのかよくわからず、首を傾げていたが、ふっと笑顔を見せる。

「ありがとう。気遣ってくれて。帰ってきたら、なるべく早く、来るようにするわ」

「お待ちしております」

 リリーは最後にネイルオイルをたっぷりとつける。リザは立ち上がると、爪やすりを小さなクラッチバックの中にしまい込んだ。

「亡くなったマンロー夫人の事についてはこちらでも調べてみますので、何かあればすぐにお知らせします。

 サロンから出て行くリザの後ろ姿に向かってそう言った。リザは振り返ってふわりとほほ笑んだ後、サロンの扉を開けたエドに伴われ、そのまま出て行った。

「アリ、話は聞いていたわね」

 扉が閉まったのと同時にリリーはそう言葉をつげる。

「心得ております」


 

 翌日。

 キッチンで朝食を取っていた、リリーの元にアリが、戻って来た。

「大丈夫?」

 アリを見た、リリーの第一声がそれだった。着替えたのか、きっちりとお仕着せを着ているが、顔色は青白く疲れた様子をしている。

「………………はい。早くお調べした方が良いと思って」

「無理したのね」

「……」

 アリがなにも答えないのでリリーふうとため息を吐いた。ちょうどキッチンに入って来たエドも、アリを見てぎょっとした表情を見せた。

「アリはそこに座って。今にも倒れそうな貴女をずっとそこに立たせたままでは居させられないわ。エド、アリにコーヒーを淹れて」

 いつもなら、自分の業務以外のことを押し付けられると何か文句を言わなければ気の済まないエドもその時ばかりは、何も言わずにコーヒーの準備を始める。アリは、頑なに座る気配がないので、

「ちゃんと座って」

 再度言われて、ようやく腰を下ろした。

「お疲れ様。それで、何かわかった?」

 エドはアリにコーヒーを出したが、リリーと自身の分も用意していた。

「はい。まず、マンロー夫人の件ですけれども、亡くなった当初はリザ様がおっしゃった様に、自殺だと断定された様ですが、捜査が進み、マンロー氏、本人が妻を殺害したことを自供しました」

 リリーはさして驚く様子もなく、コーヒーに口をつけて言葉を返す。

「動機は、魔鉱山の利権が得られなかったことによって、多額の借金をかかえたことにあるのかしら?」

 こくり頷いたアリは話を続ける。

「魔鉱山の採掘権取得の失敗にともない、マンロー氏残されたのは多額の借金。マンロ―家の財政で返せない額ではなかった様なのですが、マンロー家が運営する商会の経営も含めて実際にお金を握っていたのは、夫人の方だったと調査で判明しました。屋敷で働いていた使用人にも話を聞く事が出来て、二人で部屋にいる時は口論が絶えなかったと。マンロー氏は妻の承諾を得ないとお金を自由には使えない立場だった様で」

「なるほどね」

 アリの言葉にリリーは何度かゆっくりと頷く。

「じゃあ、夫が妻の飲み物にこっそりと毒薬を入れて、殺害した。その後、その毒薬を彼女の自室のピルケースの中に紛らわさせて、如何にも彼女が自殺したとみせかけたのね」

「騎士団もその線で、捜査を進め、毒薬の入手経路を突き止め、夫であるマンローを逮捕したそうです」

 そのやりとりと静かに聞いていたエドがコーヒーを一口飲んで、口を開く。

「でも、結果がわかってよかったじゃないか。リザ様は非常に心配していたんだろう? はっきりと事実がわかって、リザ様の不安は杞憂だとそう判明して」

 リリーもふうと、息を吐いて食事を再開した。

 何もなかったかの様に時間が動き出したに見えたが、アリは表情を一層暗くした。

「ご報告するかどうか、ちょっと迷ったのですが」

 そう前置きして、話を続ける。

「今回の調査にあたって、スティーブン・シャーマン氏についても調べを進めてみたんですね。そうすると、いろいろときな臭いことがでて来ました。――彼は表向きには、魔鉱山を経営する俊敏経営者として知られておりますが、裏では色々と。一番気になったのは宝石の裏ブローカーをしているようなのです」

 リリーは食事を継続しながら、アリを見る。

「そう言われても特に驚かないわ。魔鉱山ではまれに宝石なんかも産出されると聞くし。でも、その宝石を市場に出そうとしたら、結構色々な手続きが必要だと聞いているわ。だから、全てをその手続きを踏んでとなると、………………かなり難しいでしょうから」

 エドもリリーの意見に賛成するように頷いた。

「………………確かに仰る通りでございます。それで、リリー様は、ちょっと前に、フリッツ商会の奥方様が被害に遭われた、レック・ナービスと言う人物を覚えていらっしゃいますか?」

「ええ、確か、サマンサ様が持っている、”海の至宝”と言われる宝石を盗もうとしていた」

 アリはこくりと頷いた。

「当時、王国劇場で新しい舞台の監督を勤めていらっしゃった。その彼がどうして足のつきやすい宝石をわざわざ盗もうとしたか。疑問に思われませんでしたか?」

「確かに………………有名な宝石を盗み出して、その後どうするのだろうとは思っていたけれど、まさか」

「ナービスは、シャーマン氏とも繋がりがあった様なのです。もしかしたら、ラグドギア王国で話題になっている窃盗集団ともつながりがあるのではと、そんな噂も耳にしました」

アリの言葉にリリーは流石に食事の手を止めて、何もないテーブルの一点をただ見つめていた。アリは恐る恐る、

「リザ様にはどこまで報告いたしましょう?」

 質問を投げかける。

「――――そうね、お姉さまには秘密裏にシャーマン氏の事も含めてご報告して。もしかしたら、マンロー夫人が恐れていたとお姉さまが表現したのは、シャーマン氏を危惧してのことだったのかもしれない」

「マンロー夫人とシャーマン氏にはつながりがあったのだろうか?」

 エドの問いに、アリは首を横に振る。

「マンロー夫人は高位貴族で、多分様々な方と繋がりがあるでしょうから。その経験から、シャーマン氏に何か感じるものがあったのかもしれないわね――アリは、引き続きシャーマン氏、しいてはサモア重工の動向には気を配って」

「何か手を打つのか?」

 エドの言葉にリリーは否定の言葉を述べる。

「今はまだ何もしないわ」

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