さくらグラデーションネイル
「まさか………………あの時、話していたサロンが今やこんな、立派なお店になっているなんてね」
リリーの母方の祖母である、グウィネス・エインワースはネイルサロンをぐるりと見渡し、感嘆の息を漏らす。何度も来ているはずなのに、未だそんな言葉を口にする。いつもではないけれど。
貴族の子女が店を経営するというのは、まあ、あることだがそれを続けるということは並大抵のことではないことを身を持って知っている。リリーとしては幼い頃からこのネイルサロンを開くにあたって、構想も含めて十年以上の歳月をかけて下準備を行ってきたこともあり、成功してくれなくては困るので、この数年は特に必死だった。。
実は、買ってもらった屋敷で、ネイルサロンを開くと説明すると、反対された。
それは女だから、貴族だからと言うよりも、商売経営の大変さを知っての事だとリリーの知っている。祖母――グウィネス・エインワースは、フリッツ商会の血縁者で、彼女の出自は貴族ではない。フリッツ商会の成功と、それに伴う事業の拡大によって、やはり貴族との縁もなければと言うところで、エインワース家に嫁ぐこととなった。
リリーの母が貴族の振る舞いに対して、並々ならぬ自負を抱いているのはそこに理由があるのだろうとリリーは勝手に思っている。つまり、自身の半分の血が平民であることをどこかひけ目に感じているのだろうと。
「ありがとうございます。本当に色んな方に支援していただいて――おじい様は今日は?」
祖父もネイルの施術は受けずとも、祖母と一緒に度々ネイルサロンを訪れていたが、今日見えたのはグウィネス・エインワース夫人、一人であった。
「今、領地にいるわ。新エインワース家の当主の勉強もかねて」
エインワース家には息子――リリーからみると、叔父がいる。彼がいずれ伯爵家を継ぐ算段となっていると、話の節々にはよく聞いているが、ほとんど会った事がないので、あまり良く知らない。知っているのは現在、王宮の文官として重要な枠割を担っているということぐらい。
祖母はリリーを見るとニコリとほほ笑む。
「おばあ様も皆さまもお代わりなくお元気そうで何よりです」
和やかなムードで、グウィネス・エインワース夫人の爪に施していた、ジェルネイルの除去作業を始める。
「次はどんな、デザインや色が良いとか希望はありますか?」
「そうね……」
グウィネス・エインワース夫人は季節に合わせてネイルをするのが確か好きだと思い出して、
「春っぽい感じはどうすか?」
そう提案した。
「素敵ね。ぜひそうするわ」
リリーはふふっと笑いながら、ネイルマシンを使って、爪のジェルを丁寧に削っていく。マシンの音が大きく部屋に響きわたり、会話は自然となくなる。
除去作業が終わり、削った粉をブラシではらっていると、アリが紅茶を持って来た。
「そう言えば」
グウィネス・エインワース夫人がそう話を切り出すので、
「どうしたのですか?」
リリーは手を止めて、祖母を見る。
「いいのよ。作業は続けてくれて。だって、次のお客さんだっていらっしゃるのでしょう? 身内だからって、リリーに無理はさせられないもの。ただ………………」
まどろっこしい言い方をするが、こういった言い方をするときは何かリリーに相談したいことがある時だとピンときた。
「じゃあ、私は手を動かしながら、話を伺っても?」
「ええ、もちろん」
こう見えて、グウィネス・エインワース夫人は作法には色々と厳しい。人の話を聞く時はちゃんとその人の目を見て。と、昔から何度、注意させられただろうか。その厳しさがあって、自分自身の身に染みついているからこそ、貴族としてもネイルサロンの経営者としても問題なくやっていけるのだと思うけれど。
「私の実家――フリッツ商会で今、新しい事業を手掛けているの」
「そうなんですね。存知あげませんでした」
「ええ、内部のごく一部の人しかまだ知らないことなの」
「私がそれを聞いてもいいのですか?」
やすりで爪を整えていた手を止め、ぴょこんとリリーは顔を上げる。
「もちろん。貴女もフリッツ商会の一族に当たるのだから」
そう言われると、確かにそうかと思う。
「どんな事業なのですか?」
「うんと、一言で説明するのは難しいわね。――魔石を生活の中に取り入れて貴女も日々暮らしていると思うのだけど」
リリーはこくりと頷く。ネイルマシンもネイルを硬化するライトも、全て魔石頼りである。グウィネス・エインワース夫人はネイルライトを指して、
「例えば、このライトもそうだと思うわ。その仕組みについてはご存知? 魔石と言う小さな石の中に込められた魔力を外部に常に一定量放出して、その魔力エネルギーを利用してこのライト使えるのね。でも魔石から放出される魔力って、本当はかなり変動が激しいのよ。弱いと思ったら急に強くなったりとかね。でもそんな事になると、逆に負荷がかかって製品が壊れてしまう可能性があるの。だから、魔石を使った製品と言うのは、ほとんどその魔力の放出量を制御する装置が備え付けられているわ」
「その制御装置の部品のほとんどをラグドギア国から仕入れていたのでは?」
ラグドギア王国は研究者の国とも言われており、国のバックアップの元、様々な分野の研究者が多く存在する。その制御装置を開発したのも、ラグドギアの職人であった。そこから今となっては、ラグドギア王国の一大産業となり、多くの職人をかかえている。
「そうなの。でも逆に言うとても、莫大なコストがいつもかかっていて、値段が下がらないのね。ラグドギアは制御装置の価値を下げたくないから、出荷個数を制限して、値段も出来ることなら吊り上げて……だから魔石を使った製品は貴族以外の人にはなかなか製品が浸透しなくって………………それで、自分たちで開発してはどういかと今回、プロジェクトが立ち上がったのね」
「すごいですね」
お世辞ではなく本心からの言葉だった。フリッツ商会の慧眼にはいつもはっとさせられる。
魔石自体や、もしくは魔石を活用した製品が広まれば人々の暮らしや生活はもっとより良いものになるだろう。リリーは明るい未来の希望を感じながら話を聞いていたのだが、次第にグウィネス・エインワース夫人の表情が暗くなる。
「そうね。………………確かに、フリッツ商会としても非常に希望に満ち溢れたプロジェクトだった。あんなことさえ起らなければ」
「あんなこと?」
リリーがそう聞き返すと、グウィネス・エインワース夫人の声は一層低くなる。
「ヴィート・アダミーク――彼はこの事業を任せていた責任者の一人だったのですが、殺害されたのです。頭部を二度殴られて」
「二度も?」
「ええ。一度目は頭のてっぺん。二度目は後頭部、どちらかと言うと首に近いあたりを殴られたと」
「誰が一体、そんなひどい事を」
まさかそんな話が飛び出してくるとは思ってもみなかったので、リリーはグウィネス・エインワース夫人をふっとみる。重苦しい彼女の表情からその話が嘘ではないことを知った。
「わからない。まだ、わからないの。騎士団にもきちんと捜査を行ってもらっているけれど、現時点で手掛かりは何一つ………………」
「事件があったのはいつです?」
リリーは常にアリに情報取集をするようにお願いしていたが、そんな話は初耳だった。
情報取集に力を注いでいるのは、リリーが前世でいた世界では情報戦争と言われる時代でもあったので、正しい情報をいち早く仕入れることの大切さを前世の私が理解してたから、今のリリーにもそれが馴染んでいる。
ネイルサロンを初めて、社交界との付き合いを絶っているからこそ、そこについてはぬかりなくと思っていた。ふっとアリの方に流し目で視線を送るも彼女は知らないと首を横に振った。
「昨夜の事よ。まだ外部には漏れていない情報だわ」
グウィネス・エインワース夫人はしらっとそう言う。
「昨夜であれば、まだ騎士団の捜査もこれからというところでしょうし、まだ犯人が見つからないのは当然ではありませんか?」
リリーはネイルケアの作業を終え、机の上を片付けると、ベースジェル等の用意に取り掛かった。
「騎士団は――彼らの仕事ぶりにケチをつける訳ではないのだけれど、どうもね」
はっきりとは言わないが、彼らには暗に任せられないと言っているのと同義であった。リリーは何も言わずもくもくと机の上に必要なカラージェルと筆などを用意した所でようやく口を開く。
「現時点で、犯人だと断定されているのはどういった人物なのですか?」
顔をはっと明るくしたグウィネス・エインワース夫人は、待っていたとばかりに口を開く。
「容疑者として一番に名前が、上がっているのが、フィグ・オズボーン。彼は昔からフリッツ商会に仕えてくれているとても、信頼できる従業員の一人なのだけれど」
その言葉を額面通りに受け取ると、一番犯人像とは程遠い人物だと思われた。
「逆になぜそんな人物が疑われなければならないのですか?」
そうとう難解な事件なのか、それとも関係者がオズボーン以外に見当たらないのか。
時折、グウィネス・エインワース夫人からフリッツ商会についてはポツリポツリ話を聞く事がある。また、リリーのお客様の中にも商会の関係者はいるので、会ったことはないが、名前をよく聞く人物は何名かいた。ただ、フィグ。オズボーンという人物については聞いたことがなかったので、一体彼がどんな人物なのか、リリーに判断材料がそろっていない。だが、グウィネス・エインワース夫人が”信頼できる”と彼の事を表現したので、間違いないとは思うけれど。
「彼は本当に昔からフリッツ商会で勤めてくださって、本当に良い方なの。ただ、何というか良い人すぎる部分があって、商人としてはちょっと才覚に欠けるとも言えて、だから今まで日の目を見なかったところもあるのね。でも、誰もが彼の仕事ぶりと人柄を知っていた。だから今回のプロジェクトが持ち上がった時に、真っ先に推薦されたのはオズボーンだった。彼がきっかけを作った仕事でもあったし。皮肉な事にそれが彼の首を絞める事態になってしまったのだけれど…………でも、彼がヴィート・アダミークを殺害したか可能性があるかと言うと、私は違うと思っている。アダミークは頭を二回殴られて殺害されたと話したでしょう? 彼が殺害された部屋にはクィーンとビショップの小さな銅像があって――殺害された場所はフリッツ商会の中にある事務所だった。それで一度ずつ殴られていただなんて。彼にそんな残忍は犯行ができるはずないもの」
二度、頭部を殴って殺害したという部分については、とくに疑問に思わなかったが、どうして二つの凶器を必要としたのか。わからない。
「わざわざ別々の銅像を使った意味はなにかあるのでしょうか? 騎士団はそれについてなんと?」
「一度殴って、殺したと思って部屋を出て行こうとしたが、まだ生きていたので、もう一度戻って殴ったのではないかって」
「なんて不効率な」
グウィネス・エインワース夫人の説明にリリーは疑問しか湧き上がらない。
「だから、犯行の動機についても衝動的なもので、二人が口論になりカッとなって殺害したのだろうと、騎士団の方々は。オズボーンは犯人ではないわ。まあ、すこし押しが足りないと言うか、人に流されやすいところもあったけれど」
その言葉からオズボーンの人柄についてすぐに想像がついた。人が良すぎて逆に損をしてしまう様なタイプの人間。確かに商人として交渉事には不向きだろうと思う。だけど、どこか憎めなくって人望を集める様なそんなタイプの人。
「それほど信頼のおける人物ならば、逆に殺人の疑い何て真っ先に外されると思うのだけど」
リリーの言葉に、グウィネス・エインワース夫人の顔色は悪くなる。
「実は、アダミーク――彼はラグドギア王国から引き抜いて来た人物なのよ」
「引き抜いた? ラグドギアから?」
言い換えると、アダミークはラグドギア王国を裏切ってアンバー王国に来た人物だとも言える。
「ええ。つまり、ラグドギア王国ではその制御装置をつくる産業は飽和状態にあるの。隣国になるべく高い値段で売るために、製造個数について国から制限をかけているの。商品が多くなれば、それだけ値段も下がってきてしまうでしょう? だから、ラグドギアの職人たちは国に対して、表にはださなくても不満を抱えて来たの」
「職人たちの中でも人より大きな不満と野心を抱えた人物を引き抜いて来たと言う訳ね」
リリーの言葉に、にはこくり頷く。
「ラグドギアで同じ仕事をするよりも、アンバー王国で仕事をする方がきっと儲かるだろうし、彼らにも悪い話じゃないからと」
「彼ら。と言うことは、他にもラグドギアから引き抜いて来た人がいるの?」
アンバー語にはアダミークの他に二人、ラグドギアから引き抜いて来た人物がいると話した。
「一人はアレクサンドル・モニア(のっぽでひょろりとした人物そうだ)。あと、もう一人はデニス・ブルット(背が低く大福の様な腹をお持ちだそうだ)。この二人も一緒に引き抜いて来たわ。三人はラグドギアでは同じ工房で働いていて、ひょんな事からオズボーンとラグドギアの酒場で知り合いになって。そこから今回のプロジェクトが立ち上がったのよ」
「なるほど」
表で華々しく活躍するタイプではないものの、なんだかんだオズボーン氏も優秀なフリッツ商会のスタッフの一人なのだと感じる。
「フリッツ商会の方で、他に関わりのある方は?」
「ちょこちょことあるわ。でも……そうね、フリッツ商会側の人間はほとんどが上層部の幾人かだから」
リリーはここで、傍らに立っていたアリを引き寄せる。さらさらとメモを書き、それをそのままアリに手渡す。
「急ぎ、調べて欲しいの」
「いつまでにですか?」
「もちろん、おばあ様が帰るまでに」
アリは一瞬目を見開いたが、すぐに表情を元に戻すと、「かしこまりました」と言って部屋を出て行く。
リリーはふうと息を吐いて、グウィネス・エインワース夫人の左手を持つと、ベースジェルの塗布を始め、その合間に質問を続けた。
「モニア氏とブルット氏は犯人の疑いはかけられていないのですか?」
「ええ。ちょうど犯行時刻の頃には家に帰って、二人で酒を飲んでいたとお互いに証言しているの。二人はまだアンバー王国での生活に不安があるようで、住まいをシェアしているの。もちろん物件はフリッツ商会で紹介したのよ、二人で住むのに十分な広さのものを」
その話は、アダミークだけが一人で住んでいるのだと言っている。
「その三人、仲は良かったのですか? 三人のうちアダミーク氏、一人だけが責任者に選ばれたことに対して何か意味はあるのですか?」
「やはり、同郷と言うこともあって三人は良く一緒にいたそうよ。慣れない異国の地で不安を感じていた部分もあったのだと思う。アダミークが責任者になったのは、フリッツ商会、こちらとの交渉の席には一番対応をしていたから。つまり、三人の中で彼が一番アンバー語に堪能だったから。多分それが理由かしら」
「それで、三人の中ではアダミーク氏がやはり一番職人としての技術も上なのですか?」
グウィネス・エインワース夫人は一瞬、首を傾げる。
「いや、そうでもなかったわ。技術が一番あるのはデニス。開発などの企画に多く携わってくれていたのはアレクサンドルだわ」
「開発と言いますと?」
「ラグドギア王国では当たり前に手に入る部品が、アンバー王国では手に入りにくいものも中にはあって、アンバー王国で潤沢に手に入る素材で上手く作れないかと、彼が色々と改良を重ねてくれたの」
「じゃあ、アダミーク氏は?」
「商品の云々と言うよりも、基本的に彼がやっていたのは商会側との交渉と、アンバー語があまり堪能ではない二人に対しての通訳かしら。彼ら三人は商会に属さず、委託と言う形で請け負いで仕事をしたいと。尚且つ商品が売れた場合の売り上げは半分彼らに帰属すると、そんな利権ばかりを主張してきて、――私が言うのもなんですけれど、当事者は相当やりにくかったと思う」
「じゃあ、逆に言うと、アダミーク氏がいなくなった今、プロジェクトは上手く進むようになったのかしら? ………………すみません、変な意味はなくって、ただおばあ様が感じたままのことでいいのだけど」
リリーの言葉に表情をこわばらせたものの、次第に和らぐ。
「結論を言えば――確かにそうかもしれませんね。だけど、フリッツ商会は人を殺める等、犯罪をしてまで商売するような非道では成り立っていない。それはわかってくれるわね?」
リリーは弁解するように何度も頷く。
「それはもう、十分に。ただ、騎士団がどうしてオズボーン氏を容疑者として見ているのか、その理由が知りたかったのです。そういった、部分を動機として考えているのならば、考えられなくもないかと思いまして」
「まあ」
グウィネス・エインワース夫人は曖昧に頷いた。その間もリリーはテキパキと、ベースジェルの塗布作業を進めている。ぷっくりとして、なおかつ自然な爪のフォルムの形成が大切なので、時折無言になる。
「アダミーク氏が亡くなった時の状況を詳しく、あの、わかる範囲で構いませんので教えてください――あ、こっちの手はライトにお願いします」
グウィネス・エインワース夫人はリリーの指示で左手をライトに入れ、口を開く。
「殺害されたのは昨夜だとわかっているの――――発見されたのは今朝のことだった。オフィスの清掃スタッフがフリッツ商会で用意した彼の執務室を掃除をしようと入った所、椅子に冷たくうごかない彼の姿を発見したの。それで、すぐに騎士団とフリッツ商会の方に連絡を入れて」
リリーは右手にベースジェルの塗布を行い、頷きながら祖母の話を真剣に脳内で咀嚼していく。
「生前の彼に最後に会ったのは?」
「アレクサンドル、デニス、フィグ。この三人。昨夜の夕方五時ごろに定期のミーティングがあって、その時に三人ともヴィートの姿を見ているわ」
「そのミーティングで諍いなどはなかったのですか?」
グウィネス・エインワース夫人は「うーん」と、ため息を吐いた。
「なかった……とは言い切れないかもしれないわね。先程も話した様に、ヴィートを含めた彼ら三人はある意味、祖国の技術を売ってここにいるのだから、もう祖国には帰れない。アンバー王国で生きて行くしか道はない。だから、確固たる基盤を作ってくれなければ技術は売れないと、頑として話は平行線をたどっていて」
「でも、フリッツ商会としてはある程度の待遇は用意も提示もしていたのですよね?」
「もちろん」
グウィネス・エインワース夫人は感情をこめ、強く言葉を続ける。
「三人はフリッツ商会で、技術者として迎え入れて、これからも仕事を続けていける様に衣食住を保証すると何度も説明してはいたの、だけど」
アダミークはそれ以上のものを望んでいた。グウィネス・エインワース夫人の表情からそれが暗に読み取れる。もしかしたらフリッツ商会でのポストを交渉していたのかもしれない。でもそこまで頑なに過剰な要求をしたアダミークの意図はどこにあるのだろう。
「逆にアダミーク氏以外の二人はそれについてなにか意見を?」
「二人が口を開くことは、ほとんど無かったわね。交渉の全てはヴィートがやっていたから――もしかしたら、二人はヴィートがどんな交渉をしていたのか、あまりわかっていなかったかもしれないわ」
「逆に、アダミーク氏から意見しない様に二人に圧力をかけていた可能性は考えられますか?」
するどいリリーの言葉にグウィネス・エインワース夫人は一瞬、目を見開く。
「……そうね、そうかもしれない。私もたまたま実家を訪れた時に、ちょうど彼らがフリッツ商会と交渉の話をしている所に出くわしたことが何度かあったの。その時は特に思わなかったけれど、今、そう言われてみたら……」
「三人の間には、なんらかの力関係があった。それは間違いなさそうですね」
グウィネス・エインワース夫人はこくりと頷く。リリーはそれ以上は何も言わなかった。
ベースジェルを全ての指に塗布した後、白っぽいうすいカラーをのせる。それから、ピンク色のラメが入ったジェルをグラデーションになる様にのせる。それだけでも春らしい。
「もう、花の咲く時期が来たみたいね」
祖母も思わずそう声を漏らす。リリーはそこに花柄のネイルシールをバランスよく貼った。
「こんな感じでどうですか?」
「とてもいいわね」
満面の笑みを浮かべ、満足そうに頷く。
「じゃあ、これでトップをのせて行きますので」
リリーはカラージェルのコンテナの蓋を全て閉め、今度は少し大きめな容器の中がクリアジェルのものを取り出し、春色の爪の上に心持ち厚めに塗布していく。
「ライトにお願いします。熱く感じたら、手を出してもらってもかまいませんから」
グウィネス・エインワース夫人はゆっくりとライトに手を入れる。
ちょうどその時、ノック音がして、「失礼します」入って来たのは、先ほど部屋を出て行ったばかりのアリである。
髪の毛は若干乱れ、表情も心なしか疲れている。
「ご報告に参りました」
アリの言葉に振り返ったグウィネス・エインワース夫人は驚きに表情を隠せない。アリは小さくお辞儀をして、リリーの元に向かうと一枚の用紙を差し出す。
「ありがとう」
リリーは手を止め、持っていた筆を置き、祖母の手をアームレストにのせ、用紙を受け取ると、中身を確認した。
「一体、なんと?」
興味深々という感じて、身を乗り出そうとしているが、片方の手はライトに入れたままなので、ちょっと首を伸ばしているぐらいの仕草だ。
リリーは目を通すと、たたんで机の横に置くと、アリに新しい紅茶とおしぼりを持ってくるように指示した。
「ねえ、一体なにが書いてあったの?」
アリが部屋を出て行った所でグウィネス・エインワース夫人はもう一度、そう聞いた。
「正直な話、おばあ様――ひいてはフリッツ商会に対しては非常に残念なお話になるかもしれません」
リリー、そう前置きの言葉をのべながらも、「ネイルも完成させてしまいましょう」と、作業を再開する。
グウィネス・エインワース夫人は戸惑った表情を浮かべながら、「それはどういった意味?」と、リリーの話を促す。
「アダミーク氏を含めた三人のラグドギア王国に居た頃の本当の関係性について彼女に調べてもらいました。おばあ様はラグドギア王国で彼らが何をしていたのかご存知ですか?」
「いえ、ただ三人が同じ職場でにいたということしか」
ふるふると首を横に振る。
「三人は確かにもともと同じ工房で働いていた仕事仲間でしたが、首になり、犯罪めいた集団に所属していたのです」
「まさか?」
「これを読んでみてください」
リリーは先程、アリが持ってきた用紙を祖母に手渡した。空いていた手で祖母はそれを戸惑いながらつかんだ。
そこには、ラグドギアの窃盗集団に所属していたことが書かれている。
「その集団の中でも彼らは下っ端の方でした。おばあ様も、うわさぐらいは聞いたことがあるかもしれません。彼らがなかなか逮捕に至らないのは、末端の人間だけわざと逮捕させ、そこで事件が終結したかの様にみせるので、幹部の方にまで捜査の手が及ばないのです。窃盗集団で次に予定した事件の疑似餌に三人がえらばれたのを、恐らくアダミーク氏が偶然に情報を知ったのでしょう。彼らだって好き好んで捕まりたくないのです。そんな時にオズボーン氏と出会って、上手くとり入り、アンバー王国に逃げて来た。その時まではよかったのです。三人は運命共同体で、三人の立場は最初は一緒でしたが、言葉の壁でアダミーク氏が優位に立った。彼はそれを良いことに二人を脅したのです。『俺に言う通りにしないとお前らが窃盗集団にいた過去をバラす』と。二人の立場はだんだんと不利になり、せっかくラグドギアから逃げて来たのに、アンバー王国でも居場所がなくなってきてしまった。自分たちが作り上げた技術から生まれる予定の財産もほとんどかすめ取られようとしている。もしかしたら、今現時点でのお金もほとんどアダミーク氏が取っていたのかもしれません。我慢に我慢を重ねたが、二人はそれ以上の我慢をすることができず、犯行に及んだ。――昨夜、ミーティングが終わった後、一度は解散したのですが、話があるとモニア氏とブルット氏は二人でアダミーク氏の執務室を訪れ、それぞれビショップとクイーンの銅像を持って二人でアダミーク氏を殺害した。だから二つの異なる傷が残されていたのですね。お二人はお互いにお互いのアリバイを支え合っていたので、疑われていなかったのかもしれません――――ネイルもちょうど完成しました。どうでしょう?」
爪は桜色にキラキラとラメが輝く。グウィネス・エインワース夫人はこれからどうしたものかと不安そうな表情を浮かべている。